論文 平成20年6月 ぎょうせい「税」 63巻6号

       税務行政における遡及適用の課題
         〜租税法理論上の問題点を中心として〜
                                    
久留米大学教授 図子善信

はじめに

 平成20年度の税制改正に関する法律は、3月31日までに成立することなく4月30日の衆議院における再議決によって成立することとなった。平成20年3月31日までを適用期限とする多くの租税特別措置が期限切れとなり、4月1日から30日までの間は揮発油税の暫定税率や法人税における交際費等の損金不算入の措置は、その根拠を失っていたのである。この場合、4月中に移出された揮発油や4月中に支出された交際費等、法律の成立前に生じた事実につき、後に成立した法律を適用することができるか否かが問題となる。この問題を正確に言えば、それを認める立法すなわち税法の遡及立法が許されるか否かということであるが、学説・判例ではこれを遡及適用として論じることが多いので、本稿でも遡及適用の用語を使用する。

 通説は、税法の遡及適用は租税法律主義を定めた憲法84条により原則として禁止されており、納税者の利益となる場合に限り遡及適用が許されると説く。また、法人税のような期間税で、その期間の終了前に成立した法律を成立前の期間中の事実について適用することは遡及適用にならないとする。

 筆者は、税法の遡及適用禁止の考え自体に疑問を持ち、憲法84条の租税法律主義の内容を説明する場合にも、遡及適用の禁止を説くことはしていない(注1)。 

 本稿では、遡及適用の禁止は、憲法84条の定めるところではないことを明らかにしたい。 

1 遡及適用が問題となる場合

(1)  揮発油の暫定税率

 揮発油税および地方道路税の税率は、租税特別措置法89条2項が「平成5年12月1日から平成20年3月31日までの間に揮発油の製造場から移出され、又は保税地域から引き取られる揮発油に係る揮発油税及び地方道路税の税額は、揮発油税法第9条及び地方道路税法第4条の規定に係わらず、揮発油1キロリットルにつき、揮発油にあっては4万8千6百円の税率により計算した金額とし、地方道路税にあっては5千2百円の税率により計算した金額とする。」と定めていた。

 そして、揮発油税法および地方道路税法の定める税率との差額である1リットル当たり25.1円を暫定税率と称するのである。

 暫定税率は、平成20年3月31日で期限切れとなることから、これを延長する法律が今回再議決された「所得税法等の一部を改正する法律」である。この法律の第8条は「第89条2項中「平成20年3月31日」を「平成30年3月31日」に改める。」と定めている。そして、所得税法等の一部を改正する法律附則第1条は「この法律は、平成20年4月1日から施行する。」と定め、暫定税率に関して特別の経過措置が定められなければ、4月30日に成立した法律による暫定税率は、4月1日から適用されることになるのである。

 しかし、石油元売各社は暫定税率が無いものとして値下げして販売し、ガソリンスタンドでは4月1日から1リットル当たり約25円の値下げが行われていた。このような場合、暫定税率を41日から適用する遡及適用が認められるか否かが問題となる。

(2)  均等割改正条例

  税条例の遡及適用に関する代表的な判例として、住民税の均等割りについての名古屋高裁判決(注2)がある。この事例は、昭和51年3月31日に成立した地方税法改正に伴って改正した市条例に関するものである。この市条例は、個人均等割を400円から1200円に引き上げるものであり、昭和51年4月22日に専決処分により制定され、後に議会の承認を得たものである。原告は、市民税の賦課処分について、本条例の制定が当該年度の初日に遅れたにもかかわらず、昭和51年1月1日の賦課期日に遡って市民税を賦課しようとするものであり、違法であると主張した。

 名古屋高裁は、個人の市町村民税の均等割は年額をもって定められるので、賦課期日における課税標準が問題となる余地が無いとした上で、次のように判示した。「現に進行中の年度の中途において均等割の税率を定めた条例を改め、これを当該年度に適用することは、たとえそれが納税義務者に不利な変更であったとしても、憲法84条の規定に適合しないとはいえないと解するのが相当である。」

 地方税法の改正が前年度末になる例は多く、これに伴う条例の制定が年度当初に間に合わないことは少なくない。この事例は、その代表的なものといえよう。

(3)  地価下落防止規定

 譲渡所得について、租税特別措置法による特例が認められている土地等または建物等の譲渡による損失は、他の所得との損益通算が認められていた。しかし・平成16年度の税制改正において、長期譲渡所得の特例を定める租税特別措置法31条1項の後段に「この場合において、長期譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額があるときは、同法その他所得税に関する法令の適用については、当該損失の金額は生じなかったものとみなす。」との規定を加え、損益通算は認められないこととなった。分離課税の所得と総合課税の所得の通算を不合理とするものであるが、この規定により土地価格の下落を防止する政策目的を有していた。

この改正法は、平成16年3月26日に成立し、3月31日に公布され4月1日から施行された。そして、同法の附則27条において「新租税特別措置法第31条の規定は、個人が平成16年1月1日以後に行う同条第1項に規定する土地等又は建物等の譲渡について適用し、個人が同日前に行った旧租税特別措置法第31条第1項に規定する土地等又は建物等の譲渡については、なお従前の例による。」と、改正法施行前の1月1日以後の譲渡にも適用することとされた。これは、改正規定の成立を見越した駆け込み譲渡を抑制する効果を有する。

平成16年1月1日から3月31日までの間の譲渡について、改正法を適用した課税処分を争った事例につき、福岡地裁(平成20年1月29日判決)は、これを税法の遡及適用とし、予見可能性がなく例外的に遡及適用が認められる場合に該当せず憲法84条に反するとした。一方、同様の事例について東京地裁(平成20年2月14日判決)は、納税者に不利益な遡及適用が一律に租税法律主義に反して違憲になるものと解することはできないとし、本件の場合、予見可能性が無かったとまでは言えないとして合憲の判断をしている。

2 租税法律主義

(1)憲法84条と遡及適用

 租税法律主義を定める憲法84条は「新たに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律に定める条件によることを必要とする。」と規定する。この規定と遡及適用の禁止について、金子宏教授は、「過去の取引から生ずる租税債務の内容を納税義務者の利益に変更することは許されるとしても、これを事後の立法によってその不利益に変更することは許されないというべきであろう。」(注3)とし、「日本国憲法84条は遡及立法を禁止する趣旨を含んでいると解するのが妥当であるように思われる。」(注4)とされる。

 税法の遡及適用が問題となるのは、それが憲法84条の定める原則であるとされるからである。それが憲法84条の内容で無いとすれば、刑法を除く他の法律と同様に、法律で定める事により遡及して適用することも可能となるのである。

(2)租税法律主義と罪刑法定主義

 租税法律主義に類似した憲法原理に罪刑法定主義がある。税は国民の財産権を侵害するものであり、刑罰は国民の生命、自由、財産を侵害するものである。租税法律主義も罪刑法定主義も、税又は刑罰を課すには国民の代表者による議会で議決した法律の根拠を要するとし、行政権の恣意的発動から国民の権利を保障する原理として成立した。租税法律主義の内容として遡及適用の禁止を説く見解は、罪刑法定主義の影響を受けているように思われる(注5)。

そして、罪刑法定主義については、事後法の禁止すなわち遡及立法の禁止が憲法上の原理として確立されている。憲法39条は「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。」と定めている。租税法律主義を定める憲法84条は、遡及適用の禁止を明文で定めていない。遡及適用の禁止を憲法84条の内容とする見解は、規定の文言にかかわらず、租税法律主義は罪刑法定主義と同様の目的を有するのであるから、遡及適用の禁止を内容としていると解するのであろう。

3 検討(遡及適用の禁止は憲法84条の内容か)

(1)  予測可能性

 通説を主導された金子宏教授は、租税法律主義を歴史的には恣意的課税から国民を保護することを目的としたが、現代の機能としては予測可能性の保障をその内容とするとし、次のことを挙げられる。「租税の問題は、多くの経済取引において、考慮すべき最も重要なファクターであり、合理的経済人であるならば、その意思決定の中に租税の問題を組み込むはずである。」(注6)そして、予測可能性を害しても、それが納税義務者の利益になる場合は許されるとされる(注7)。

 しかし、予測可能性の保障の意味は、必ずしも明らかではない。それが予測を裏切らないことと解すると、遡及適用の場合では無く将来に向かっての改正であっても、予測を裏切ることとなる。例えば、相続税は長年にわたり蓄積された財産に対して課されるが、財産を蓄積するか費消するかは一定の相続税率の予測に基づくとも考えられる。そうすると、相続税の税率の変更は税率の引き上げであっても引き下げであっても、過去の予測を裏切ることになる。固定資産税についても同様である。高橋祐介准教授は、「予測可能性の確保を議論するにあたっては将来効のみを有する租税立法をも念頭に置かねばならない」とし、(注8)「全ての税法改正が予測可能性を覆すものであるとすると、税法改正を容認する場合には、予測可能性が害されることを覚悟しなければならない。」とされる。(注9)

納税義務者に利益になる場合は遡及適用が許されるとの見解も、ある納税義務者に有利となることであっても、それを適用できない納税義務者にとっては不利益に予測を裏切るのであり、ある改正が一律に納税義務者の利益に予想を裏切るとは言えないであろう。

 厳密に言えば、すべての税法の制定改廃は、予測可能性を害するものである。そうであるとすれば、税法について予測可能性を保障することは無理なことであり、それを憲法が要求していると考えることはできない。

法律に対し現実に感じられる安定性と予測可能性は、法律の制定改廃が現状では硬直的である結果認められる、租税法律主義の付随的効果であると思われる。

なお、米国においては遡及適用が広く認められているとされる(注10)。

(2)  税と刑罰

 罪刑法定主義は、「法律により、事前に犯罪として定められた行為についてのみ、犯罪の成立を肯定することができるという考え方」である(注11)。これは憲法31条の法律に定める手続きによらなければ刑罰を課せられないとの規定と、憲法39条の事後法の禁止により憲法上の原理となっている。

 罪刑法定主義の意義にみられように、犯罪は法律により一定の行為が犯罪とされるのである。後にその行為が犯罪とされても、行為の時に法律が無ければ犯罪は無いのである。刑罰は、法により禁止された行為を行った禁止義務違反に対する責任として課されるものと考える。罪刑法定主義における事後法禁止の本質は、予測可能性の問題ではなく法理論上の問題である。

 一方、税は、加算税、加算金を含めて、一定の課税要件が充足されれば租税債務として納付義務が成立するのである。法理論上、税に義務違反に対する責任という非難の要素が入り込む余地はない(注12)。税は、義務違反に対して課されるものでないので、刑罰のような事前の法律的義務を前提としないのである。

このように考えると、法理論的に税法について遡及適用の禁止を導入する必然性はないであろう。税法の目的は、歳入の確保であり、その負担をいかに公平に分担するかにある。税法と刑法の相異を認識するなら、罪刑法定主義に倣って遡及適用の禁止を説くことは誤りであると考える。

(3)  結論 

憲法84条の文言および(1)(2)のことから、遡及適用の禁止を憲法84条の定める租税法律主義の内容と解することはできないと考える。

この結論は、次のことからも正当性が裏づけられる。遡及適用の禁止を憲法84条の定めるところと解する見解は、それを憲法の定めとしながらも、納税義務者の利益となる場合は許される、納税義務者の不利益となる場合も一律に許されないわけではない、期間税については遡及適用にならない、一定の報道等で予測できる場合は許される等の多くの例外を認めている。このような、やや非論理的な例外を認めざるを得ないこと自体が、その解釈の無理を示すものと言える。本稿の結論は、そのような例外をすべて論理的に説明できるのである。そして、この結論は、税法も刑法を除く他の法律と同一であることを主張しているに過ぎない。

(4)遡及適用の限界

憲法84条が税法の遡及適用を禁止していないとすれば、10年前の所得について新たな課税をすることも可能と考えるべきであろうか。

そのような立法は、他の法律と同様に憲法14条(法の下の平等)、憲法25条(生存権)、憲法29条(財産権)等の規定による審査の対象となる。その場合、憲法14条(法の下の平等)が争われた大島訴訟判決(最高裁昭和60年3月27日大法廷判決)の「立法目的が正当なものであり、かつ、当該立法において具体的に採用された区別の態様が右目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り、その合理性を否定することができず」との違憲判断基準が参考となるであろう。極めて緩やかなこの基準によっても、10年前の所得に課税する立法は、著しく不合理であることが明白として違憲になると考える。

このような極端な例でなく、法の下に平等であり、生存権を害さず、不当に財産権を侵害しないのであれば、遡及適用は許されるものと考える。したがって、前述の揮発油税に対する遡及適用、住民税の均等割の遡及適用、地価下落防止規定の遡及適用が憲法違反となる余地はないのである。

おわりに

 揮発油税の暫定税率の適用については、「平成20331日」を「平成30年3月31日」と改正する条項を、4月30日の改正法施行日の翌日すなわち5月1日から適用するとの政令を定めることにより、4月中の暫定税率の適用を回避した。政令に適用日を定めることを委任する規定は、既に成立していた、いわゆるつなぎ法「国民生活等の混乱を回避するための租税特別措置法の一部を改正する法律」により租税特別措置法の附則を改正して設けた。

これは不利益な遡及適用も憲法84条により当然無効となるのではなく、このような措置を取らない限り4月についても暫定税率が適用されるとの解釈を前提とするものと思われる。また、交際費等については遡及適用される。

 いずれも正当な措置と考える。

 

注1 図子善信 「税法概論(五訂版)」 大蔵財務協会 29頁

注2 名古屋高裁 昭和55年9月16日判決 行集31巻9号1825頁

注3 金子宏 「市民と租税」岩波講座現代法8 現代法と市民 岩波書店 317頁

注4 金子 前掲317頁   

注5 石島弘「租税回避への立法措置と不利益不遡及の原則」 税理32巻2号89頁

注6 金子宏 「租税法十二版」弘文堂67頁

注7 金子宏 「租税法十二版」弘文堂99頁

注8 高橋祐介「租税法律不遡及の原則についての一考察」総合判例研究(NO11 105頁

注9 高橋 前掲論文103頁

注10 高橋 前掲論文

注11 山口厚「刑法総論第2版」有斐閣9頁注12 図子善信「税理士の行った虚偽の申告と重加算税賦課(租税判例研究)」久留米大学法学56・57合併号287頁

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