平成23年12月以前

2月21日(水曜日) 基礎ゼミ授業の一環としての税務署訪問 
 久留米税務署を初めて授業として訪問見学した。税務署では、署長・副署長はじめ皆さまの温かい歓迎を受けた。広報広聴官の明るい的確な案内により学生も比較的リラックスして見学できた。大学の先輩職員や女子職員との懇談の機会をいただき、学生も税務の職場に親しみをもったと思われる。

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法学部判例研究会 大学院第5演習室
 報告者 1年宿輪 テーマ TBS 暴力団強迫現場放映済みマザーテープの押収の合憲性について

12月20日(火曜日) 4年ゼミ生とハイネスホテルでディナーバイキング

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12月14日(水曜日) 法学部パーティー 6時 学生会館第3ミーティングルーム
 第7回の法学部パーティー 今年は在職最後のパーティーなので、昨年は控えた仮装をした。ビンゴ大会等で楽しんだ。
 準備や司会の先生、チューターの皆さんありがとうございます。

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12月12日(月曜日) 楽修会第26回研究会 3時 学生会館第2ミーティングルーム
検討裁決 非課税取引(住宅の貸付けの範囲)(裁決事例集79 事例38 棄却)
報告者 塩塚万紀子   久留米税法楽修会参照
研究会後 忘年会で盛り上がる。

12月10日 叙勲お祝い会 大学院修了生 ハイネスホテル
 大学院を修了した人たちが、叙勲のお祝いの会をしてくれて、大変嬉しい。勲章を回覧し、瑞宝章の意味、三田公用会議所での伝達式、皇居豊明殿での秋篠宮殿下への拝謁の状況、秋篠宮殿下が天皇陛下の国事行為を初めて代行したため、ニュースで流れたこと等を説明した。また、天皇陛下の「多年にわたり社会公共のために尽くしたことに感謝します。」とのお言葉から、我々国民の職務は天皇陛下の治世の一環であり、良く勤めることが天皇陛下のためになりお慶びになることだと気がついた。これが日本の国柄であると思うと久しぶりに講義した。
 参加者と帰りに写真を撮り、二次会で皆既月食で月が隠れるころまで過ごした。写真は次のとおり。

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11月30日(水曜日) 法学部判例研究会 5限大学院第5演習室
 3年生の会員が刑法判例百選の「避難の相当性」について報告した。暴行を避けるために飲酒運転をして警察に救助を求めた行為が、緊急避難として無罪となるか否かの問題である。最高裁は過剰避難としたが刑の免除をする判決をした。
 果たして過剰避難と考えるべきか、意見を出し合った。

 

11月22日(火曜日) お酒の講座 5限 学生会館第2ミーティングルーム
         
福岡国税局および福岡県酒造組合主催
 3・4年の税法ゼミ受講生を対象に、お酒の講座を開催した。国税局酒類業担当官から酒税の概要の講義に続き、比翼鶴酒造の二ノ宮常務より、久留米のお酒について講演が行われた。その後、清酒の甘辛、吟醸、純米等の種別、焼酎の原料あての利き酒を行った。


11月21日 (月曜日) 楽修会第26回研究会 学生会館第2ミーティングルーム
          検討裁決 個別評価金銭債権に係る貸倒引当金の繰入限度額 裁決事例集79−26
          久留米税法楽修会参照

11月15日 勲章伝達式(財務省三田供用会議所) 天皇陛下拝謁 皇居
    
 天皇陛下拝謁は陛下のご入院のため秋篠宮殿下が代行された。殿下初めての国事行為の代行とのこと。
 

     

11月3日(木曜日)各新聞に秋の叙勲者が掲載される。
 税務行政事務功労 元福岡不服審判所長として瑞宝小綬章を賜る。 多くの祝電を頂き感謝。


10月31日(月曜日) 原正夫郡山市長歓迎会出席 市役所市民ホール
 郡山市と久留米市がなぜ姉妹都市なのか。これは明治維新時久留米の士族が郡山の開拓地に多数入植し、現在も久留米の地名があるとのこと。郡山市は津波の被害は無いが家屋の全半壊、道路等の崩落、断水等の被害があり、1万名ほどが避難所での生活を余儀なくされたとのこと。久留米市からの支援を感謝された。市長は、独自の判断で公立学校および希望する私立の学校幼稚園、保育園の表土1センチメートルを除く除染措置を採ったとのこと。郡山市の放射能の値は0.8マイクロシーベルトで0,05から0.06の自然放射能の10倍以上だが、暫定基準値の範囲内であった。市長は、暫定基準値も安全だろうという値で、学問的に安全が証明しているわけではないので、そのような措置を採ったとのことである。正当なおそれではないかもしれないが、行政としてはあり得る措置といえよう。


10月26日(水曜日) 東北ボランティア参加学生による報告会
 



10月23日(日曜日) 租税法学会 一橋大学国立校舎 
国際化の中の企業課税の動向について、各報告がされた。
 
 
昼休み構内を散歩中、この兼松講堂から良い音楽が聞こえてきたので、覘いてみた。2時から演奏会とのこと、
聞けないのが残念だった。

10月22日(土曜日) 租税法学会 一橋大学神田校舎

 元最高裁判事藤田宙靖先生の講演が貴重であった。パーティーで藤田先生に税務大学校仙台研修所の主任教育官の時お世話になったとご挨拶し、お互い若かったと懐かしがった。

10月17日(月曜日) 久留米税法楽修会第25回研究会 久留米大学御井学舎学生会館第2ミーティングルーム
 
交際費に関する裁判例を検討した。

10月8日(土曜日) 九州六大学 対九州国際大戦応援 久留米球場 残念ながら0対3で負ける。
  

その後、筑後川でボート部が今年2回目の練習をする。1名以外初めてなので、まだまだスムーズな漕航ができない。
 

ボートに参加した学生とハイネスホテルで食事。



10月2日(日曜日) 大学地方懇談会 北九州市リーガロイヤルホテルにおいて、父母に対して全体説明会の後、個別面談を行う。


9月21日 学部授業開始  大学院懇親会(法文化コース学生) 


9月20日 久留米税法楽修会第24回研究会 3時 久留米大学御井学舎学生会館第1ミーティングルーム 
     内容について久留米税法学修会参照

9月11日 大学院比較文化研究科24年度秋季入学試験が行われた。

9月10日 海上自衛隊潜水艦くろしおに体験乗船する。くろしおは2700トン全電気推進の静かな潜水艦である。53センチ誘導魚雷は迫力があった。TNT火薬の装薬量は機密とのこと。現在の魚雷は船底下で爆発しキールを破壊するそうで、空母でも1発で撃沈できるそうである。ハワイ真珠湾で第二次世界大戦で使用した潜水艦に観光乗船したことはあるが、現役の水滴型の潜水艦に登場でき感激した。狭い防水扉を滑らかに抜ける乗員のまねをしたが、無理であった。




9月8日 法科大学院税法開講


9月7日 ゼミ旅行3日目 4年生と海軍地下壕を見学する。国際通りで買い物の後那覇空港へ、レンタカーを返却して福岡空港へ。福岡空港にて解散。無事ゼミ旅行が終了し、幹事の労をねぎらい、全員の行動が評価できるものであったことを伝える。個人的にも宮城先輩と会えて、良い旅行となった。
9月6日 ゼミ旅行2日目  琉球村でハブその他沖縄を経験。嘉手納基地を見て那覇市に入る。首里城見学。守礼門は大きくないが、城壁は素晴らしい。宮殿も復元されその中国風を確認する。宮殿の作りに合わせて儀礼も中国風であったことがうなずける。夕食は、琉球大学客員教授の宮城健蔵先生とともに那覇一番の料亭で琉球舞踊を楽しみながら琉球料理を味わった。宮城先生の琉球での活躍の話を聞いた。




9月5日 ゼミ旅行 沖縄 11時15分福岡空港発 万座ビーチで泳ぐ。カヤックを楽しむ。夜はバーベキュー


8月30日(火曜日) 東北被災地視察 石巻市 石巻税務署表敬 日和山 魚市場 石巻専修大学 大川小学校
 先ず石巻税務署を表敬訪問する。税務署は敷地に浸水したが、屋内への浸水はなかった。確定申告の期限が延長されていることから、継続的に確定申告の受け付けと、雑損控除を適用する更正の請求に追われている様子である。日和山の麓の二つのお寺が津波の被害を受け住職が亡くなられたとのことである。墓石は津波に倒され散乱状態である。共産党が組織した中央大学の学生ボランティアが、墓地内の瓦礫の除去を行っていた。
石巻専修大学内に社会福祉協議会のボランティアセンターが設けられており、一時はキャンパスにテントが多く設営されていたそうである。ボランティアの申し込みは、ここのセンターが受け付けている。現在ボランティアの需要は減少しているそうであるが、申し込みは広く受け付けている。
 石巻専修大学では学生6名が死亡、自宅の全壊約100名、半壊も含めると500名が被災したとのことである。本大学は新しいが、理工学部、経営学部を有し、津波に対する理系、文系の研究の中心となるべき大学と思われ、職員もそのような意識を強く持っているように感じた。
 全校児童の7割近くの74人の児童と10人の教員が死亡・行方不明となった大川小学校を訪ねた。慰霊の卒塔婆の立つ自然にできた祭壇に黙祷する。なぜすぐ裏の山に逃げなかったのかとは誰もが思うことだろうが、山崩れの危険を考えたのだろうか。9月10日の朝日新聞は、その非難の状況を分かりやすく紹介している。



石巻税務署 浸水は免れた      石巻魚市場 地盤沈下で水が溜まる。 大川小学校 裏山が近かったが

8月29日(月曜日) 東北被災地視察 仙台空港、仙台市宮城野区、若林区、名取市、岩沼市、亘理町、山元町
 JR仙台駅から空港アクセス線にて空港に向かうが一つ手前の駅からはバス輸送による。空港ロビーの津波の高さを示す柱の表示は3メートル5センチを示す。津波の被害を受けた地域は、基礎のみが残され草に覆われつつある。片づけられた瓦礫はところどころに山積みされているが、一時的なもので最終処理には膨大な作業を要すると考えられる。
 久留米の消防が救助に行った山元町まで空港から南下した。常磐線の架線が垂れ下がり復旧の目途は立っていない。常磐線を1キロほど山側に移す案があるとのことであるが、それではほとんど海抜が変わらないだろう。多くの犠牲者を出した自動車教習所まで行き、引き返す。南では住宅と共に田んぼが冠水し田植えができないところがある。海水を被った田は、土を入れ替える必要があるとのことである。
 仙台方向に引き返し、名取市閖上地区に行き、日和山より周りを見る。海岸の新興住宅地区であり1区から7区にわたる全てが住宅の基礎を残すのみで消滅している。太平洋戦争の戦没者の碑の立つ日和山に津波の被災者を慰霊する自然発生的祭壇が出来ており、黙祷をささげる。
 海岸線までは行けなかったので明確ではないが、宮城県の海岸線は、津波対策の防潮堤は設けられていなかったように思われる。

 
仙台空港 津波到達高3.02mの表示   多くの犠牲者が出た閖上地区


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