禅徳寺沿革

明治24年8月、山形県羽前国南置賜郡玉庭村、法泉院前住職 菊地興禅師当地へ来り、曹洞宗説教所を開設。明治27年、菊地師は修学のために当地を去る。その後小樽市龍徳寺留錫、三重県伊賀国明昌寺住職 伊藤俊道師を請して当寺の布教の振興を計る。
 明治28年1月より本堂建設を発願、明治29年5月着工、明治30年完成(現在の本堂)。明治29年5月寺号公称認可法泉山禅徳寺の誕生となる。

  禅徳寺末寺(8ヶ寺)
  
 大徳寺 稚内市声問村
 天徳寺 稚内市大岬    
 龍海寺 稚内市富士見
 嶺南寺 稚内市上勇知 
 佛心寺   猿払郡浜鬼志別 
 禅明寺   猿払郡知来別
 大興寺   猿払郡猿払村 
 禅昌寺   浜頓別町下頓別