痛みと不安があるも在宅を続け二人の娘に家で看取られた独居胆管がんの1ケース

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報告者名:@赤荻栄一A新妻律子  報告者所属:@福祉の森診療所A訪問看護STたんぽぽ

@赤荻栄一(福祉の森診療所)

ケース名:YK 性:女 年齢:84歳  主介護者(続柄:次女 年齢:55歳)
介護保険認定:要介護 2


日常生活自立度:J1  認知症自立度:自立

・歩行:自立 ・食事:自立 ・排泄:自立 ・入浴:自立 ・意思疎通:問題なし

本人家族の希望・要望:

・本人:入院はしたくない
・家族:本人の思うようにしたい

家族の状況

独居(夫と長女は亡くなり、次女と三女は嫁いで別居)


経過:(病名:手術不能な肝内胆管癌)


 高血圧と高コレステロール血症を外来管理していたところ、肝機能異常が出現。精査の結果肝内胆管がんと診断された。一時、手術の方針となっていたが、できている場所が悪いので、結局手術せずに狭くなった胆管にステントを挿入して退院することになった。
 平成273月、退院後初めての外来。腰背部痛を訴えており、これに対してトラマールが処方されていた。この痛みは、変形性脊椎症によるものと思われたが、トラマールを続けて様子を見ることにした。しかし、病気に対する不安があり、痛みと倦怠感が悪化したため、MSコンチンとオプソを開始。腰背部痛は軽減したが、臀部の痛みが出現。これは明らかに神経痛だったので、局所ブロックを施行。効果があったので、これを続けることにした。しかし、不安感は続き、食欲が落ちて痛みも全般的に強くなってきたこともあり、5月から訪問診療を開始。同時に訪問看護を依頼。ただし、本人は他人からの手助けを好まず、訪問看護も必要がないという感じだった。
 しかし、10月になり、突然、嘔吐が出現。本人が緊急の訪問看護を依頼。薬も飲めない状態だったため、点滴を開始。それにより症状が落ち着いて、訪問看護の受け入れもよくなった。
 その後、肝臓の腫大が進み、次第に同部の痛みと全身倦怠感が悪化し、食欲が低下。しかしこの時点では点滴を希望しなかった。平成281月になると、症状は進み、歩くことも難しくなってオムツを開始。2月になると食べることができなくなったため、MSコンチン・オプソをフェントステープに変更。その後、腹部に転移と思われる腫瘤を触れるようになり、仙骨部に褥瘡が出現。褥瘡は背部全体と踵に広がり状態は悪化。意識も低下し痰の喀出が困難となり、225日娘さんたちに見守られて希望通り自宅で死亡した。

アセスメント結果または現在の問題点

・手術のできない胆管がんであるという説明を受けていたが、もともと自我と思い込みの強い 性格だったこともあり、だれにも頼らず自分でなんとか頑張ろうとしていた。
・したがって、外部からのサポートの受け入れは悪く、なかなか介入ができなかった。
・しかし、症状が進むにつれて支援の受け入れが進み、最期は娘たちに見守られて、希望通り 自宅で永眠した。


(現病歴)
(病名: 肝門部胆管がん ステント留置  )

平成2610月自治医科大学病院、消化器外科にて肝門部胆管がんの診断を受ける。同年11月より一時は手術も視野にいれ精査されていたが、高齢かつ脳梗塞の発症、下肢静脈血栓の治療もあり(抗凝固療法も行われていない)非切除の判断となる。ご本人・ご家族はすべて説明を受けており平成27年1月20日にメタリックステントを留置し同年130日にリハビリ目的のため古河赤十字病院へ転院となる。
左足の脱力感はあるものの歩行は可能、腰痛についてはトラマールの追加で対応、胆管ステントが挿入されている為時に高熱が認めるが、全身状態の悪化には至らず解熱、解熱剤やクーリングにての対応で経過する。今後は徐々に病状が進行すると思われるがご本人も退院を前向きに検討、後方病院として古河赤十字病院にて受入可能、在宅医として古河福祉の森診療所の赤荻先生が依頼を受ける。たんぽぽは赤荻先生、古河赤十字病院連携室鬼島MSW、中村CMから依頼を受け導入となる。
(古河赤十字病院を同年311日に退院しているが訪問看護を必要とせず、赤荻先生から訪問看護の 導入の提案があり訪問看護を同年7月から導入する)社会資源は訪問看護のみの利用であった。

(経過)
 H27.7.21から訪問看護開始。主治医よりの勧めで導入開始となったが、ご本人は外部のサービス介入はあまり望まれておらず、初めは表情が硬い印象であった。訪問する看護師は複数とせず、決まった看護師で固定して、信頼関係の構築に努めていった。主に腰部から下肢にかけての坐骨神経痛のような痛みがあり身の置き所がないとのこと、腹臥位になっていただき肩甲部から脊椎、腰臀部、下肢にかけてマッサージを目的として支援していた。少しずつマッサージによる症状緩和を実感され、訪問時の表情も穏やかになって行った。痛みについてはレスキュー内服は週1回程度で経過されていた。時折ステント挿入部周囲の違和感も訴えられていた。食欲はあまりないが、パンや甘酒など食べやすく本人が好むものを少量ずつ摂取していた。MSコンチン内服もあり従来より便秘傾向にて排便はラキソベロン17滴にて週1回程度でコントロールされていた。次女さん・三女さんが定期的に訪問され、身の回りの世話や入浴・シャワー浴の介助など行われていた。NSによる清潔ケアは促していたが、「大丈夫」と娘さんによるケアを望まれていた。

 H27.10.19、緊急連絡先に嘔吐したと連絡あり、訪問する。褐色水様性のもの多量に嘔吐、数日前から腹痛もあったとの事。赤荻先生に報告し〜10.26までラクテック500ml+50%ブドウ糖20ml・プリンぺラン1A混注したもの点滴施行し状態改善され食事もとれるようになる。この時点で、再度本人・娘さんに最期まで自宅でお過ごしになりたいという希望を確認している。

 H27.12月半ば、ベッドで臥床しがちになり、吐き気や痛みが強く出る事が増え、食欲も低下しがちになる。排便コントロール不良もあり、マグミット330r朝夕分2にて内服開始となる。次第にトイレ歩行困難となり、転倒しがちになる。ポータブルトイレ使用開始。娘さん方の訪問もほぼ連日になる。

 H28.1.半ば、仙骨部周囲発赤・疼痛出現しワセリン保護開始。CM連絡しエアマット手配。

 H28.1.22、ベッドから降りることが困難となり、食事・排泄共にベッド上での生活となる。

 H28.1.26、仙骨部発赤悪化あり。6×5センチ程度に褥瘡形成化懸念され、フィルム保護開始。同日担当者会議開催。先生より特別指示書にて褥瘡処置を含めて連日の訪問看護指示あり開始する。点滴加療は本人は拒否的にて、このまま経過観察し、随時先生へ報告することとなる。

 H28.1.27、両足首〜足背浮腫あり。左側胸肋骨突起部に2×2センチ大3か所、脊柱部に筋状2センチ大、左大転子部に3×3センチ大、左下腿側面骨突起部筋状3センチ大、1センチ大、左足外踝部2×2センチ大、左足内側1.5×1.5センチ大、仙骨部昨日同様のものの他に右臀部骨突起部に新たな2×2センチ大3か所発赤形成あり。すべてフィルム保護。エアマットへの変更も実施。日中は娘さん方が滞在するが、夜間が心配であるとのことで就寝前のケアのため20時訪問も開始となる。食事はパンを数口程度、水分は300ml前後と摂取量が減ってきているが、点滴はやはり拒否されて経過していた。排尿量も徐々に減少。

 H28.2.1、日中は娘さん方滞在も20時の定時訪問時間以外の夜間帯は本人独りという状態であったが、発熱・無呼吸等出現し始め、適宜主治医・家族との連絡調整行い、夜間帯も娘さんが滞在されることとなり、泊まり込みの介護が開始される。

 H28.2.12、痛みについては定時オキシコンチン、疼痛時オプソ5r内服に加えてフェントステープ1ミリ〜開始、2.13〜2ミリに増量となる。

 H28.2.25永眠。徐々に全身状態悪化され、脱水・喀痰の増量・痛みの増悪などが認められていた。こまめな水分介助の方法や、喀痰喀出困難時の口腔ケアの方法、褥瘡悪化を防ぐための体位変換など必要時指導・助言を行っていた。点滴や入院を希望されず、徐々に衰弱されていくお母様を支えながら介護する娘さん方への介護の労いを心がけていた。娘さん方が見守り、語りかける中、最期まで気丈に精神を保たれ、静かに永眠された。

振り返り

ターミナル期:連日日中と夜間20時前後の2回訪問し、ご本人の状態の変化に応じながら支援を行った。主治医・CM、たんぽぽスタッフで連携し常に情報を共有しながら、ご家族とご本人の望まれる自宅での最期を穏やかに迎えられるよう関わって行く様努めていた。ご本人が最期まで気丈にご自分の意思を持たれQOLを保つことが出来るよう「自宅で過ごしたい」「延命治療はしない」というお気持ちを尊重し、出来る限り苦痛の緩和を図れるよう努めた。また、従来より十分備わっておられる介護者である娘さんお二人の介護力をさらに高めるべく、丁寧な指導や助言を行い、1日2回訪問することで、介護負担や不安の軽減に尽力した。24時間の緊急サポート体制を活用して頂き、不安な際には適宜相談・緊急訪問看護を行っていた。

家族看護:K.Y様は3人の娘さんがおられたが、十数年前に長女さんをご病気で亡くされていた。そのことをとても悲しんでおられたことを知っていた次女さん・三女さんはそのお気持ちを量りながら寄り添っておられていた。訪問看護開始当初は、病状の悪化は見られるものの、独居であり週1回程度の次女さんの訪問により身の回りのことを支える体制をとられていた。ご本人は、なるべく娘さん方にご迷惑をおかけしたくないという思いが強かったため、ご心配されつつも頻回な訪問は見合わせておられる様であった。しかし、最期の時期の1か月ほどは、連日ご本人宅で娘さん方がお二人で交代で介護され、親子水入らずの濃密なお時間を過ごすことができたとのお言葉が聞かれた。また、ご本人・主治医・ご家族の信頼関係が構築されており、特にご本人の主治医への「最期を看取ってほしい」という強い思いをご家族が尊重されての在宅療養であった。「最期を本人の望むように過ごさせてあげることが出来ました。気丈で立派な優しい母でした」という次女さんのお言葉がとても印象的であった。

A 新妻律子(訪問看護ステーションたんぽぽ)