痛みと不安があるも在宅を続け二人の娘に家で看取られた独居胆管がんの1ケース
報告者名:@赤荻栄一A新妻律子 報告者所属:@福祉の森診療所A訪問看護STたんぽぽ
@赤荻栄一(福祉の森診療所)
ケース名:YK 性:女 年齢:84歳 主介護者(続柄:次女 年齢:55歳) |
・歩行:自立 ・食事:自立 ・排泄:自立 ・入浴:自立 ・意思疎通:問題なし |
本人家族の希望・要望: ・本人:入院はしたくない |
家族の状況: 独居(夫と長女は亡くなり、次女と三女は嫁いで別居) |
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アセスメント結果または現在の問題点: |
・平成26年10月自治医科大学病院、消化器外科にて肝門部胆管がんの診断を受ける。同年11月より一時は手術も視野にいれ精査されていたが、高齢かつ脳梗塞の発症、下肢静脈血栓の治療もあり(抗凝固療法も行われていない)非切除の判断となる。ご本人・ご家族はすべて説明を受けており平成27年1月20日にメタリックステントを留置し同年1月30日にリハビリ目的のため古河赤十字病院へ転院となる。 (経過) H27.10.19、緊急連絡先に嘔吐したと連絡あり、訪問する。褐色水様性のもの多量に嘔吐、数日前から腹痛もあったとの事。赤荻先生に報告し〜10.26までラクテック500ml+50%ブドウ糖20ml・プリンぺラン1A混注したもの点滴施行し状態改善され食事もとれるようになる。この時点で、再度本人・娘さんに最期まで自宅でお過ごしになりたいという希望を確認している。 H27.12月半ば、ベッドで臥床しがちになり、吐き気や痛みが強く出る事が増え、食欲も低下しがちになる。排便コントロール不良もあり、マグミット330r朝夕分2にて内服開始となる。次第にトイレ歩行困難となり、転倒しがちになる。ポータブルトイレ使用開始。娘さん方の訪問もほぼ連日になる。 H28.1.半ば、仙骨部周囲発赤・疼痛出現しワセリン保護開始。CM連絡しエアマット手配。 H28.1.22、ベッドから降りることが困難となり、食事・排泄共にベッド上での生活となる。 H28.1.26、仙骨部発赤悪化あり。6×5センチ程度に褥瘡形成化懸念され、フィルム保護開始。同日担当者会議開催。先生より特別指示書にて褥瘡処置を含めて連日の訪問看護指示あり開始する。点滴加療は本人は拒否的にて、このまま経過観察し、随時先生へ報告することとなる。 H28.1.27、両足首〜足背浮腫あり。左側胸肋骨突起部に2×2センチ大3か所、脊柱部に筋状2センチ大、左大転子部に3×3センチ大、左下腿側面骨突起部筋状3センチ大、1センチ大、左足外踝部2×2センチ大、左足内側1.5×1.5センチ大、仙骨部昨日同様のものの他に右臀部骨突起部に新たな2×2センチ大3か所発赤形成あり。すべてフィルム保護。エアマットへの変更も実施。日中は娘さん方が滞在するが、夜間が心配であるとのことで就寝前のケアのため20時訪問も開始となる。食事はパンを数口程度、水分は300ml前後と摂取量が減ってきているが、点滴はやはり拒否されて経過していた。排尿量も徐々に減少。 H28.2.1、日中は娘さん方滞在も20時の定時訪問時間以外の夜間帯は本人独りという状態であったが、発熱・無呼吸等出現し始め、適宜主治医・家族との連絡調整行い、夜間帯も娘さんが滞在されることとなり、泊まり込みの介護が開始される。 H28.2.12、痛みについては定時オキシコンチン、疼痛時オプソ5r内服に加えてフェントステープ1ミリ〜開始、2.13〜2ミリに増量となる。 H28.2.25永眠。徐々に全身状態悪化され、脱水・喀痰の増量・痛みの増悪などが認められていた。こまめな水分介助の方法や、喀痰喀出困難時の口腔ケアの方法、褥瘡悪化を防ぐための体位変換など必要時指導・助言を行っていた。点滴や入院を希望されず、徐々に衰弱されていくお母様を支えながら介護する娘さん方への介護の労いを心がけていた。娘さん方が見守り、語りかける中、最期まで気丈に精神を保たれ、静かに永眠された。 |
振り返り ターミナル期:連日日中と夜間20時前後の2回訪問し、ご本人の状態の変化に応じながら支援を行った。主治医・CM、たんぽぽスタッフで連携し常に情報を共有しながら、ご家族とご本人の望まれる自宅での最期を穏やかに迎えられるよう関わって行く様努めていた。ご本人が最期まで気丈にご自分の意思を持たれQOLを保つことが出来るよう「自宅で過ごしたい」「延命治療はしない」というお気持ちを尊重し、出来る限り苦痛の緩和を図れるよう努めた。また、従来より十分備わっておられる介護者である娘さんお二人の介護力をさらに高めるべく、丁寧な指導や助言を行い、1日2回訪問することで、介護負担や不安の軽減に尽力した。24時間の緊急サポート体制を活用して頂き、不安な際には適宜相談・緊急訪問看護を行っていた。 家族看護:K.Y様は3人の娘さんがおられたが、十数年前に長女さんをご病気で亡くされていた。そのことをとても悲しんでおられたことを知っていた次女さん・三女さんはそのお気持ちを量りながら寄り添っておられていた。訪問看護開始当初は、病状の悪化は見られるものの、独居であり週1回程度の次女さんの訪問により身の回りのことを支える体制をとられていた。ご本人は、なるべく娘さん方にご迷惑をおかけしたくないという思いが強かったため、ご心配されつつも頻回な訪問は見合わせておられる様であった。しかし、最期の時期の1か月ほどは、連日ご本人宅で娘さん方がお二人で交代で介護され、親子水入らずの濃密なお時間を過ごすことができたとのお言葉が聞かれた。また、ご本人・主治医・ご家族の信頼関係が構築されており、特にご本人の主治医への「最期を看取ってほしい」という強い思いをご家族が尊重されての在宅療養であった。「最期を本人の望むように過ごさせてあげることが出来ました。気丈で立派な優しい母でした」という次女さんのお言葉がとても印象的であった。 |
A 新妻律子(訪問看護ステーションたんぽぽ)