在宅看取りは出来なかったものの、妻の達成感が高かった事例

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報告者:@宮崎 享 A畠山淳也 所属@友愛記念病院緩和ケア科 A県西在宅クリニック  


ケース性:男 年齢:43 主介護者(続柄:妻)
介護保険認定:要介護 4 

日常生活自立度: C2 認知症自立度: IV

・歩行(不可) ・座位・起立 一部介助 ・食事(セッティングと見守り)
・排泄(ポータブルにて一部介助)・入浴(機械浴)

・意思疎通( 問題あり <理由:脳腫瘍> )

本人家族の希望・要望

・本人:自宅で過ごしたい
妻:本人のご希望を尊重したいが、他 のご家族のこともあり、不安がある  

家族の状況

代理人:妻
仕事:自営業(自動車関係)
長男:20歳(障害認定)長女:高校二年
父母:同じ敷地内に居住

現病歴と経過(病名:原発性脳腫瘍(悪性神経膠腫)手術後再発

2014年5月悪性神経膠腫の診断で、大学附属病院にて手術治療と放射線照射60Gy施行。

2015年9月再発あり、再手術施行。この頃から軽度の失語症、右上下肢麻痺を呈していた。

2016年1月12日、食欲不振、活動性低下で前医入院。ステロイド投与等で、一時的にADL改善を認めたが、失語症、右片麻痺は残存し、緩和治療の方針にて当院紹介受診、23日当院緩和ケア病棟入院となった。

 意識レベルU-10、傾眠で失語のため意思疎通は困難であるが、簡単な会話は可能であった。

 頭痛あり、アセトアミノフェン1600mg/定時内服に加え、臨時頓服ロキソニン60mg、トラマドール25mgで対応した。(オキノーム処方するも未使用で経過

 28日ご家族(妻、父)と面談、ステロイドの効果が限定的で、徐々にADLが低下していることをご家族と共有した。今後起きうる症状として、意識障害、運動麻痺などの神経症状の進行、痙攣、誤嚥性肺炎などの合併症をご説明し、余命は月単位でなく週単位、日にち単位での経過が予想されることもご説明した。その結果、妻は、ご本人のご希望を忖度し、自宅療養できる今がチャンスとご理解され、自宅退院をご希望された。

 訪問診療・訪問看護等の支援を受けて213日退院となった。

アセスメント結果または現在の問題点

・病状変化、急変時の対応について、十分なご説明をし、合意を得ていたか。


A畠山 淳也 県西在宅クリニック

現病歴と経過(病名:脳腫瘍、悪性神経膠腫 失語症
 平成28213日に緩和ケア科から自宅へ退院し216日より当クリニックの訪問診療が開始となる。 キーパーソンである奥様は訪問を始めた当初は、障害を持つ子供と夫の両方のケアに当たり、「このまま自宅で最期まで看ていけるだろうか」等の心理面での不安や、付きっきりの介護による不眠からくる身体的疲労感を抱え、自宅で最期を迎えることに対して消極的な印象があったが、我々が訪問を重ねていくにつれて、日々の会話の中で、妻から「今の状況をよく考えてもし病院へ入院することを選択したら子供たちを置いていくことになるので不安が多いし、このまま自宅で最期まで看て行こうと思います。」などの在宅看取りに対しての前向きな発言が聞かれるようになり、次第に少しずつその不安が解消され終末期という状況を理解し受容できるような気持ちの上での変化がみられた。 訪問4日目までは、頭痛の訴えに対し頓用の鎮痛剤の内服にて症状のコントロールは良好であった。5日目より飲水時の誤嚥が目立つようになる。11日目に38.0を超える発熱と尿混濁がみられ尿路感染症の合併が考えられた。経口摂取も困難となったため補液管理となり、同時に抗菌薬投与開始した。これらの処置により17日目には尿路感染自体は改善傾向にあることを確認したが、翌32日早朝自宅で呼吸停止状態となり、西南医療センターへ救急搬送され腫瘍内出血の診断にて他界される。


アセスメント結果または現在の問題点

 今回の事例は在宅療養期間としては短期ではあったが、本人・家族の希望である自宅での療養生活を送る事が出来た。在宅療養中に在宅での看取りを決めかねていた矢先に突然の急変状態に家族は動揺をしてしまい救急搬送を選択する。
 発熱等病状に変化が見られ出した時に急変時の対応や意志の確認は出来ていると医療者側では考えていたが、もう少し家族との関わり合いの中で、伝える事、やれる事があったのではないかと思う。
 今回の事例を経験し、信頼関係の構築、情報の共有の大切さを改めて再認識する事が出来た。