平成25年度第5回定例会
(2月4日古河病院にて)
T ケース検討
(1)骨転移で発見され8年に亘る治療後に自宅で最期を迎えた前立腺がんケース@
福祉の森診療所 赤荻栄一
<ケース>82歳男性。主介護者は妻。要介護2。本人の希望は、もう入院はしたくない。妻は、本人の思いをかなえてやりたい。
<経過>平成16年に脊椎転移で発見された前立腺がん。以後、月1回のリュープリン注射とホルモン剤内服を続けてきた。平成25年8月に血尿が出現。尿道にカテーテルを挿入し自己管理していたが、熱発し、9月には入院となり膀胱内にカテーテルを留置することになった。その後、出血は次第に消退。その入院中に肺転移が見つかる。しかし、本人は治療を望まないとして退院を申し出。退院後の訪問診療を福祉の森診療所に、訪問看護をはなももに依頼して9月20日に退院となった。
訪問開始時には、つかまり歩きでトイレまで行くことができる状態。しかし、血尿があり、熱発もあった。発熱は抗生剤の投与で落ち着き、以後平熱となった。
10月28日嘔吐。以後、水分も摂れないというので、1日500mlの点滴を開始。むせが出現し、SpO2は88%まで低下した。さらに不眠を訴えたため、睡眠導入剤を処方したが、この服用で死期を早める可能性が高いことを話した。その服用によって、よく眠れたとのことだったが、11月4日に永眠した。
<まとめ>もう治療は不要という前立腺がん患者だったので、すべて対症的に対応した。最後は、どうしても眠りたいという希望が強かったので、そのまま最期を迎えることになる可能性が高いことを伝え、睡眠剤を処方。実際、服用2日目の夜、眠ったまま最期を迎えた。
(2) 同 A
古河病院訪問看護ステーションはなもも 中澤由君子
<上記ケース訪問看護の経過>病状観察と留置尿カテーテルの管理のため、訪問看護が始まった。前立腺がんは、ずっと落ち着いていたため、今回の病状の悪化に際して不安が高まっていた。また、そのような中での在宅療養に対しても不安を抱いていた。
血尿に対しては膀胱洗浄で対応。血尿が見られなくなっても、カテーテル閉塞を予防するため、定期的に施行。
最初は、妻の介助でトイレまで行けていたが、しだいに動機や息切れを訴えるようになり、ポータブルトイレをベッドサイドに置いて済ませるようにした。本人の望むよう介助することに専念したが、10月28日嘔吐した後は、飲水も困難となり点滴開始。その後傾眠傾向となり、妻の不安が高まった。
11月2日、夜間に不眠の訴えが強く、妻から訪問を依頼され訪問。すると、本人が妻に「だれを呼んだんだ!」と怒鳴った。通常は温厚な人だったので、その興奮状態はずいぶんストレスが貯まっていたためかと思われた。翌日、睡眠剤の処方があり、同時に今後の病状説明を受けたあと、妻は動揺を隠せなかったが、本人の希望をかなえるため、気丈にふるまっている様子だった。
睡眠剤服用後は、傾眠状態となったが、苦痛の訴えは消え、表情も穏やかになった。そして、11月4日妻の眠っている隣で、眠るまま永眠された。
(3)認知症の父親の介護中に肺癌で逝った若年の1ケース@
福祉の森診療所 赤荻栄一
<ケース>57歳男性。胸椎と脳転移のある肺癌。認知症の父親との二人暮らし。本人の希望は、このまま父親の介護を続けたい。要介護3。
<経過>平成24年11月、両下肢のマヒが出現。整形外科受診し、自治医大紹介となる。そこで、胸椎転移と脳転移のある肺癌と診断。脳と胸椎の転移巣へ放射線照射後、抗癌剤投与。「固まった」と言われ退院。
25年4月訪問開始。また、訪問介護と訪問看護を連日受けた。室内移動は車いす自走で行い、父親の介護を続けた。7月に担当者会議を行い、現状と方針の確認を行ったが、そのころから背部痛が増悪。最初はパップ剤を貼るだけで軽減していたが、しだいに経口の鎮痛剤が必要になった。そのため、9月に肺癌の再発を考え腫瘍マーカーを調べると、正常の20倍に上昇。再発と分かった。
10月になり、吐き気を訴えたため腹部を診察すると、肝臓の腫大を認めた。肝機能は高度の機能障害を起こしており、本人に、このままだと長くて年内の命、だが治療は困難で、もし入院して治療をしても、そのまま家に戻れなくなる可能性が高いと話した。それに対して、本人は再治療を希望したが、意識状態が悪化し、もうろう状態が続いた。11月になり、訪問入浴開始。しかし、27日そのまま弟に看取られ在宅で永眠。
<まとめ>下半身マヒがありながら父親の介護を行っている途中に、肺癌が再発。肝臓に転移が起こり、余命いくばくという私の話に、再治療を希望したが、意識障害が出現したため、果たせなかった。隣町に住む弟が夜の介護を引きうけてくれたため、最期まで在宅が可能だった。
(4) 同 A
さわやか訪問看護ステーション 岡泉真弓
<同じケースの訪問看護経過>4月訪問開始。下半身マヒがありながら父親の介護と自分の自立した生活を続けた。「焦らず、手を抜いてやっていくよ」と言いながら、自分のペースをつかんでいった。
9月下旬から、胃の痛みや胸部の痛みを訴えるようになった。もともと薬は使いたくないという気持ちが強かったため、処方された鎮痛剤も服用せずに、漢方薬を飲んでいた。しかし、痛みがしだいに強くなったため、鎮痛剤の服用を促し、やっと服用。それで痛みは和らいだ。しかし、それもしだいに効果がなくなり、10月30日、肝機能検査の結果と、予後についての説明を聞いた後、「分かっていたが、実際、言われるとつらい」と涙を流した。しかし、入院するとよけいに自分が病人になってしまうと思い、また、自分の入院によって隣町に住む弟によけいな負担をかけることになると考え、在宅生活を続けることにした。痛みはトラムセットで軽減。「年内は生きていたい。年を越したい」と言っていた。
11月になり、弟が夜に泊まりに来てくれるようになって、日中はヘルパーと看護、そして近所の人たちの支えによって在宅を続け、27日夜、そのまま永眠。
<まとめ>まったく介護力のない状態ながら、ケアマネを中心に多職種が関わり、近所の人たちの支えもあって在宅を続けることができた。
(5)自宅介護に不安を持つ妻が自宅退院を決定できるまでの取り組み
古河赤十字病院 坂井眞奈美
<ケース>76歳男性。くも膜下出血後てんかん。妻との二人暮らし。二人の男の子は別居。本人の希望は、自宅へ帰りたい。妻は、自宅へ帰したいが自身がない。要介護4.
<経過>平成10年くも膜下出血手術。翌年けいれん発作あり、一度入院。その後は外来通院。平成25年10月、けいれん発作のため緊急入院。意識は昏睡状態。2日目吐血。輸血を行い、経過の改善を期待したが、改善しなかったため、主治医から厳しい予後の説明が行われた。
しかし、数日後しだいに血圧が上昇し、意識も改善。誤嚥があったが、もともと食に対して意欲が強く「食べることが夫の一番の楽しみ」とのこと。排痰リハビリ、嚥下訓練を行い、ゆっくり経口摂取を進め、誤嚥なく全粥ミキサー食まで移行できた。
食事が進むにつれて発語も増え、「麺類が食べたい」と。状態の改善に合わせて、妻に自宅への退院の話をすると、自信がないと。したがって、妻の介護負担軽減を図るために、日常生活動作の改善を目指し、カンファランスを行いながらスタッフ全員で自立への支援を行った。その結果、自分で食事が摂れ、日中は車いすで過ごせる時間が増えた。さらに、退院後は週4回のデイサービスに加え、ヘルパーの訪問を増やし、訪問診療を2週間ごとに受けられるようになったことから、「不安はありますが、なんとか頑張ってみます。自宅に帰ることができてよかった」と、妻が受け入れた。
<まとめ>意識状態が悪化したことにより、妻は以前のような自宅での介護は無理と考えた。しかし、状態が安定し、本人が自宅への退院を強く希望したことから、自宅での妻の負担を減らすため、カンファランスを行いながら、リハビリを進め、また退院後の生活支援サービスの見直しを行って退院につないだ。子どもたちの支援を受けられれば、妻の介護負担がさらに減らせたと思われた。
(6)胃瘻造設後自宅退院を希望した家族への関わり
古河赤十字病院 七五三掛志穂
<ケース>65歳男性。脳梗塞、脳出血後遺症、肺炎。要介護4。本人の希望は、とくになし。妻が、自宅での介護を希望。妻と二男が同居。長男と長女は結婚して別居。
<経過>左手で食事ができ、介助歩行ができる状態だった。しかし、25年9月肺炎で入院。誤嚥によるものと考えられた。
自宅では、妻が食事を摂らせていたが、むせ込みが多かったとのこと。嚥下訓練を行いながら、食事を三分粥まで上げたところ、むせが多くなり肺炎の兆候が見えたため、胃瘻造設となった。妻は「胃瘻から栄養を入れて、もとのように元気になってもらいたい」と。
退院後の痰の吸引と胃瘻からの栄養指導を行い、訪問診療と訪問看護、そしてショートステイを利用することにして、退院。
栄養はイリゲータボトルを利用してエンシュアHと水分を1日3回施行したが、痰の量が多く、吸引回数が増えたため、逆流があると考え、市販の粘度調整剤を使用して、トロミをつけ、カテーテルチップで胃瘻から注入するようにした。それによって、痰の量は減り、かつ注入が簡単と妻が言った。これによって、自宅退院。
<まとめ>従来の方法で、胃瘻からの栄養注入を行っていたが、逆流が認められたため、トロミ剤を用いて逆流を減らすことができた。患者の状態に応じた経管栄養の方法の指導が必要なことが分かった。「胃瘻から栄養が入って元気になったら、口から食べさせたい」という希望もあったので、胃瘻造設後も経口摂取できるような支援を行っていきたい。
U ケア・カフェの報告
つくば調剤薬局総和支店 吉田 聡
1月29日、「食のケア」をテーマに行った。参加者は、全員がよかったと評価。今後も、全員が参加したいと。6時半から8時半までの会だが、9時までは部屋を借りていられるので、閉会後も自由な意見交換ができる。この日も、9時まで全員が帰らずに意見を述べ合っていた。
「顔の見える関係をつくること」「日ごろの困りごとを相談できる場所」がケア・カフェの目的。まだ、介護系の職種のひとたちの参加が少ないので、ぜひ参加を!
V 次回定例会の案内
次回は、4月1日18時30分から福祉の森会館で総会と定例のケース検討を行う予定。