平成24年度第2回定例会(8月7日総和中央病院)

トップページに戻る

1)家族の献身的な介護で在宅を続けた重症脳梗塞症の1ケース(その1)
                                福祉の森診療所  赤荻栄一


ケース:77歳男性 要介護5  主介護者:53歳長女  家族構成:妻、長女夫妻、次女(ダウン症)
病名:脳梗塞、網膜色素変性症、糖尿病、高血圧
家族の意向:最期まで家で見てやりたい

経過:
 
昨年12月、意識障害と誤嚥性肺炎を起こし、入院。その時のCTで、左大脳半球の広範囲脳梗塞と橋梗塞と診断。抗生剤投与で肺炎は軽快したが、右半身の完全マヒと失語、さらに左下肢マヒが残った。わずかに動く左上肢も、痙性が強く、手は強く握ったままでいることが多い状態だった。視力は失われていたが、問いかけをすると、声のする方向に顔を向けることはできた。誤嚥があるため経管栄養を続けていたが、退院に向けて胃瘻造設。誤嚥しやすいため、注入量と注入速度の設定に時間がかかったが、315日退院。
 主介護者である長女の努力により、全介助の状態で自宅での介護が始まった。利用するサービスは、訪問入浴、訪問リハと訪問看護、そして訪問診療。栄養剤の注入とオムツ交換、痰の吸引、そして体位交換を、長女を中心に家族が行うことになった。
 4月に入ると、つねに固く握りしめている左手指の関節部に、縟瘡形成。指の関節部がぶつかりあわないようにして軽減した。しかし、6月には小指の近位関節部の壊死が拡大し、末梢部全体が壊死傾向となったため、指切断の適応と考え、整形外科に相談したが、全身状態から考えて切断術は適応にならないと判断され、抗生剤の投与と筋弛緩剤の投与が行われた。
 抗生剤の投与によって感染が軽快傾向となり、壊死部も縮小。ただし、痙性は強いままだったので、ボトックスの筋注を行うことにした。
 しかし、714日の朝、痰がつまって呼吸停止しているのを発見され、そのまま家で最期を迎えた。家族もやや疲れ気味で、当日、朝の介護を始める時間が2時間ほど遅れていた。

問題点:
・重症脳梗塞症を家族が全面介護したケースであるが、さまざまな問題に対し、支援する側の 協力を得ながら、家族が介護の方法を工夫して介護に当たった。
・最も悩ませたのは、強く握りしめた左手指の関節部の圧迫壊死(褥瘡)であった。指の間に クッションを入れ、強い圧迫を解除して軽減させることができたが、第5指の壊死には感染 が加わったため、悪化。抗生剤投与で感染は軽快したが、痙性は筋弛緩剤投与でも軽快しな かったため、ボトックスを使用しようとしたが、その矢先に自宅で亡くなった。
・家族による痰の吸引が悪かったのではなく、誤嚥の静かな悪化があり、痰の量が増えていたため、痰の吸 引が追いつかず、窒息につながったものと思われた。誤嚥の状態の判断が正しくできず、痰の吸引の必要 性の高まっていることを家族に伝えられなかった主治医に責任がある。

2)家族の献身的な介護で在宅を続けた重症脳梗塞症の1ケース(その2)
                                   訪問看護ステーションたんぽぽ  市橋淳子


ケースは上記と同ケース

経過:
 平成2312月、意識障害を起こし、救急車にて古河赤十字病院へ搬送。CT検査で左大脳半球の広範囲脳梗塞と橋梗塞と診断され、入院治療。胃瘻造設され、平成24315日退院。
 退院と同日より訪問看護が開始となる。病院では、長女、妻とも経管栄養、吸入、吸引、排泄ケア、体位変換等の指導は受けていたものの、実際自宅では初めてのことが多く、戸惑うことがあるため、状態観察、介護指導を中心に、週3回(月、水、金)1時間半の訪問を行った。 4月に入り、左手指関節部に褥瘡がみられ、介護に加えて訪問日以外はご家族による処置が必要となった。処置は、洗浄後カデックス塗布、ガーゼで保護した後に、茶葉入りの子枕を除圧のために挟んでいた。手指の痙性が強く、指間を開くときに疼痛を伴うため、ご本人は手に触れられるだけでも介護者の手を払いのける強い拒否反応を示したが、整形外科受診後は、縟瘡も軽快傾向となり、ご本人も処置に協力的になっていた。その矢先、714日朝、突然の呼吸停止となり、吸引をしたが呼吸は戻らず、そのまま永眠された。

まとめ:

1.在宅療養開始直後は、病院で指導を受けた時のメモを参考に、手技の確認、介護方法を指 導し、介護方法が間違っていないことを伝え、安心してもらった。
2.介護がしやすいようにベッド周りの環境を整えたり、家族の生活リズムに合わせてケアが できるように一日のタイムスケジュールを一緒に考えた。
3.妻、娘の介護疲れがみられ、ショートステイの利用を促したが、ご本人は自宅や家族が好 きで、家族の顔が見えないと寂しがるので、自宅以外は考えられないという思いを尊重し、 訪問時は少しでも休息してもらうようにこころがけた。
4.ご本人に声かけを多くすることで、退院時よりも表情がよくなり笑顔が見られ、娘から「 父の笑顔を見ると疲れも忘れられます」という言葉も聞かれた。
5.こうした中、突然の呼吸停止で最期を迎えた。娘は、当日朝のケアが遅れたことを後悔していた。今ま で献身的に介護を行って来た分、家族の悲しみは大きいと考え、今後グリーフケアを十分行う必要がある と考える。