平成24年度第1回定例会(平成24年6月5日友愛記念病院)

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1 二人の娘の介護を受けた母親のケース             福祉の森診療所 赤荻栄一
@) 老衰の99歳

本人家族の希望
   本人:家にいたい 家族:家で見てやりたい
家族の状況長女と同居。次女は、嫁いで近くに住んでいる。
現病歴と経過(病名:認知症、慢性心不全、廃用性下肢機能障害、変形性腰椎症
 つかまり歩行可能で自力で排泄、入浴はデイサービスという生活を続けていたが、平成23年秋頃から、歩行障害が進み、ほとんど歩けなくなった。そのため、訪問依頼となった。
 1130日、初回訪問。一時、食欲低下したが、現在は食べていると。ただし、完全に寝たきりで、問いかけに顔は向けるが、返事はない状態。
 平成24116日、食べなくなったとの連絡あり。呼びかけに目を開けるが、それ以外の反応なし。痛覚反応あり。ただし、翌日には開眼し、また食べ始めたと。右大転子部に軽度の褥瘡形成。
 131日には縟瘡もよくなり、ほどほどに食べているという状態。ただし、食べる日とまったく食べずに寝ている日とが交互にくると。
 27日の訪問時も同様の状態。呼びかけに顔を向ける。ただし、食べない日のほうが多くなったと。
 210日、まったく食べなくなって3日目の夜、静かに息を引き取った。
まとめ
 本人が在宅を続けたいという強い意志を持っていた。
  それを助ける同居の長女と、近くに嫁いだ次女が全面的に介助した。
  これ以上特別な治療は必要ないという共通の認識もあった。
  何かあったらいつでも連絡をするようにと伝えたが、実際には亡くなった日の朝に連絡があ っただけ。
  母の意に応える娘の介護力は最大であることを実感。

A)62歳の末期食道癌
本人家族の希
  本人:できるだけ家にいたい
  娘:本人の希望通りにやってやりたい
家族の状況
  次女と同居。長女は結婚して他市に住んでいるが、時々夫と一緒に泊まって介護にあたる。他に長男が  一人いるが、精神疾患のため施設入所。
現病歴と経過(病名:食道癌末期、頸椎・肋骨・骨盤多発骨転移
 自治医大にて、術前化学療法後に、平成227月食道亜全摘術施行。232月および9月に放射線照射。
 
11月、腰痛出現。骨盤骨転移と診断。さらに肋骨、頸椎など多発骨転移が判明。デュロテップ貼付剤により疼痛コントロール。
 241月、左鎖骨上窩リンパ節転移増大による嚥下障害のため入院。液状のもののみを食べている状態だが、退院を希望。
 29日、初回訪問。左鎖骨上窩に転移による腫瘤形成。デュロテップとオプソのレスキューでも、そこと骨盤の痛みがときどき我慢できなくなるとのことなので、デュロテップを増量。液状のものは食べられるが、皮下点滴で1500mlを続けている。必ずしも必要ではないが、これは気持ちの問題、と。
 吐き気が出てきたため、ナウゼリン坐剤開始。それによって吐き気は軽快。また、痛みのコントロールもOK。翌週末、家族と温泉に1泊の旅行。「同じ格好でベッドから車に移され、さらに旅館へ。まるでタイムスリップしたようだった。何よりも、私のためにみんなが一緒になってやってくれたことが一番うれしかった」と。
 その後、次第に嚥下が不十分に。それと共に、痛みが増強したため、デュロテップを増量。しかし、オプソの服用が困難になり、ボルタレン坐剤で我慢しているとのこと。そのため、とりあえずボルタレン坐剤の1回量を増やして様子を見るようにしたが、まったくオプソを服用できなくなり、痛みが増強。我慢ができなくなり、312日自治医大に緊急入院したが、そのまま330日死亡。
アセスメント結果または現在の問題点
 次女と同居しているが、うつ病のため介護力は十分とはいえない状態。時々、デュロテップ を貼り違える。
 痛みが増強すると共に嚥下ができなくなった時、オプソのレスキューが不可能になって、再 入院を余儀なくされた。この時、レスキューをモルヒネの坐剤に変更するべきだった。ある いは、モルヒネ剤の持続投与に切り替えるべきだった。

 家に帰って家族と一緒にいる時間が持てたことに満足していたことはよかった。母親にとって、娘たちと いっしょにいることの幸せ感は大きい。

2 呼吸困難に対しモルヒネ持続皮下注射が奏功し、自宅で最期を迎えられた食道がんの症例
                                友愛記念病院     宮崎 享
                                県西在宅クリニック  岩本将人

 83歳の女性。食道癌と診断されたが、年齢と病巣が気管に接していたことを考慮して抗癌剤と放射線療法を併用して治療することになった。治療後、瘢痕狭窄部へステント挿入。その後は安定していたが、治療1年後ステントの上下端に再発。そのため、ステントの中にさらにステントを挿入。3か月後、誤嚥性肺炎を発症。緩和ケア病棟へ入院。この時点で数日の命と思われたが、治療により回復。モルヒネの少量持続投与が奏功したと思われた。これを見て、家族は、苦痛なくこのままいられるなら少しでも家で見てやりたいと希望。退院前カンファを行い、モルヒネの持続皮下注を続けたまま退院することとなった。
 在宅診療は県西在宅クリニックが担当。褥瘡形成し、しだいに意識レベル低下して、退院19日後に、そのまま家族が看取りを行った。最期は患者本人からも感謝の気持ちが伝えられたとのこと。
 このケースでは、持続皮下注をどうするかが退院前カンファで問題となったが、あけぼの薬局からシリンジポンプを貸し出してもらい、薬剤は県西在宅クリニックから処方することで調整がすみ、入院から途切れることなく在宅への移行ができた。このスムーズな移行が、このケースの在宅での看取りにつながったと思われた。

3 シリンジポンプを使用したまま在宅医療へ移行になった症例
                               あけぼの薬局   木下雅彦

 このケースでの問題点は、病院で使用中のシリンジポンプを、在宅で使用するあけぼの薬局からレンタルされるシリンジポンプに、いつ交換するかだった。これは、入院中に交換を行うことで解決した。また、あけぼの薬局からのシリンジポンプに使う点滴剤は病院からは処方できないということだったが、在宅診療を担当する県西在宅クリニックから処方してもらうことで、この問題も解決した。
 シリンジポンプの管理は、薬局でシリンジへモルヒネ剤を充てんし、それを患者宅で古いものと交換する。これは週1回の定期訪問で行われた。
 一度、皮下注射針が抜けてしまったらしく、「アラームが鳴っていて止まらない」との連絡を受け、訪問。注射針が抜けていることを確認、訪問看護に連絡して刺入してもらい解決した。
 このこと以外、とくにトラブルはなく、またレスキューでのモルヒネ剤の使用もなく、永眠。その連絡を受け、ポンプと残薬を回収して、終えた。
 このケースでの経験から、入院中に多職種のカンファレンスが行われたことが重要で、それを契機に入院中から在宅で使用するシリンジポンプに切り替えが行われたことが、スムーズな在宅移行の支えになったと思われた。退院時共同指導の有効な使用法である。