平成21年度第5回定例会〜12月1日古河病院にて〜
1.ケース検討
(1)介護サービス導入により独居高齢者が在宅退院可能となったケースについて
古河病院 松浦 崇
生活保護を受け、借家で一人暮らしをしていた74歳男性。家で倒れているのを知人に発見された。小刻み歩行と震戦があり、パーキンソン病と診断され、内服とリハビリを開始。身辺動作は自立。しかし、転倒の危険性があるため、退院後は介護サービスの必要な状態と考え、介護保険申請。が、本人は入院前に一人で生活できていたため、サービス利用に消極的。そのため、亜急性期病床に転室し、介護保険の認定が下りるのを待ちつつ、退院後の生活指導を行った。その後要介護1の認定が下り、在宅サービスプランを立てて退院した。
このケースは、もともと一人で気ままな生活を送っていたため、退院後に介護サービスを受けながら生活することを受け入れるのが困難だった。そのため、在宅復帰のための入院患者用の病床である亜急性期病床を利用し、介護保険の認定が下りるのを待ち、在宅復帰支援を行って、退院可能となった。
(2)終末期の在宅医療支援への関わり
古河赤十字病院 青木裕美
肝臓癌の87歳女性。癌であり余命は半年ぐらいであることを本人は知らされている。緩和ケア目的で大学病院から転院。入院時の本人の気持ちは「病院にいるのが安心」と。食道静脈瘤があったため、3度にわたり治療が行われ、食事が流動食から五分粥に変更され、本人の食欲が回復したため、退院の許可が出た。しかし、そのころから次第に全身状態が悪化し、全介助の状態となってしまった。しかし、家族の在宅への希望が強く、退院。ただし、家族は、治療への望みは捨てきれず、退院後も在宅での点滴治療を希望。そして、点滴のための静脈穿刺が困難になると、再入院を希望し、また可能な限りの延命治療も希望してきた。そのため、退院16日後再入院となり、点滴治療を継続し、その10日後に亡くなった。
癌患者の思いとその家族の思いは、死と治療によって治ることとの間で、また、自分の希望と家族への気兼ねの間で、常に揺れている。今後は、患者とその家族の話をよく聞き、限られた時間の中で、死を受け止めた支援ができるような関わりが持てるようにしたい。
(3)在宅酸素療法を続けながら在宅死した肺癌合併特発性肺線維症の1ケース
福祉の森診療所 赤荻栄一
76歳の男性。自治医大で肺線維症と診断されていた。住民健診で胸部異常陰影を指摘され、肺癌と判明したが、肺機能の低下により、手術と放射線治療は困難とされたため、本人と家族は無治療のまま退院を希望。その後、次第に労作時の呼吸困難が強くなってきたため、在宅酸素療法の適応があるとされて、当院紹介となった。その時点で、腫瘍径は約2cm。症状は癌のためではなく、肺線維症のためであることが分かった。約1年間在宅酸素療法を継続。その後、義歯が合わなくなり、訪問歯科診療を受け抜歯。しかし、うまく噛むことができなくなり、栄養剤を開始。このころから、呼吸困難を訴える回数が増え、家族から入院させずに見ていくのは忍びないとの声が聞かれるようになる。本人も、入院したほうがいいかなと漏らす。自力での入浴が困難になったため、訪問入浴を開始すると、風呂好きの本人の気持ちは落ち着き、このまま在宅を続ける、と。その1ヶ月後、呼吸は荒くなり、酸素増量が必要に。さらに血圧も低下し始めた。家族は、もうこれ以上見られない、と。しかし、私が、あと数日の命だろうと話すと、家族で相談する、と。その翌日、下顎呼吸が出現。もうまもなく最期と告げると同時に、家族からこのまま家で見ることに決めた、と。その翌日、家族に見守られて永眠。
後に家族は、本人が「最期まで家にいられて本当によかった」と言ってくれた。あの時、入院させなくてよかった、と。
2. その他
友愛記念病院の三宅智先生から、栃木がんセンターへ転勤となるに当たっての挨拶をいただいた。来年1月から緩和ケア専門医として仕事をしていくとのこと。ご活躍をお祈りしたい。
この三宅先生の転勤に伴い、同じ友愛記念病院の宮崎先生が、このネットワークの役員として活動していただくことになった。