・パネルディスカッション司会                           古河福祉の森診療所   赤荻栄一
 昨年のパネルディスカッション「胃瘻の功罪」では、胃瘻で延命のできたことのプラスの面について確認すると同時に、必ずしも患者側の希望に沿ったものではない胃瘻造設の多いことが指摘されました。事実、日本では寝たきりで入院や入所を続ける人が多いのに対して、欧米ではそれがほとんどいません。これは、意識の違いと言われます。つまり、欧米では、意思伝達の不可能な状態になった場合、食べられない時には、スプーンで食べ物を口に運ぶことさえが人権侵害とされるというのです。これでは、胃瘻などもってのほかです。だから、寝たきりの人がほとんどいないということです。日本と欧米ではこれほど違うことを考え、さらに、食べることにかかわる専門職の方々の意見を聞いて、どうすることがいいのかを考えて見ませんか?。

・緩和ケア医の立場から                            友愛記念病院緩和ケア科   宮崎 享
 緩和ケアは、終末期にだけ行われるものではなく、命にかかわる病気の診断がついた時から、患者・家族のQOLを改善するために提供されるものだというWHOの定義の紹介から始まり、緩和ケア科で看取ったがん患者への栄養提供の実際について話をしていただきました。
 がんの場合は、胃瘻造設は通常あり得ない。また、点滴で命をつなぐこともあるが、それもメリットがあるかどうか分かっていない。点滴に対して、患者・家族はさまざまな誤解を持っていることが多いので、それぞれの考えと希望をよく聞いて対応することが必要である。その時、常に患者・家族の感情に配慮することが必要。そして、心地よさを提供し、決して見捨てないことを保証することが重要と話されました。
 最後に、実際のケースで、エンシュアリキッドをアイスキューブにして飲んでもらい、2ヶ月間点滴なしで安らかに最期を迎えたケース、点滴量を1日500mlに減らし、好きなものを口にしてもらい、そのまま嚥下せずに味わうだけですまして最期を迎えたケース、胃瘻をつけた状態で禁食で緩和ケア病棟に転棟してきたが、食べたいという患者の希望を聞いたため、好きなものを食べていいと許可し、食べたものが胃瘻から排出されて、最後まで満足されたケースなど、患者の希望をかなえQOLを向上させることが重要だと締めくくられた。

・在宅医の立場から                                     ハンディクリニック 坂口敏夫
 食べられなくなる原因はさまざま。そして、食べられない状態もさまざま。つまり、水分も食物も摂れない状態から、水分だけは摂れる状態、そしてどちらも摂れる状態がある。最後の状態では、食事に時間がかかることが、誤嚥の可能性があり、家族の負担が大きくなるため、最大の問題である。したがって、その場合は、患者・家族の希望を聞き、何もしないという選択肢のあることも前提にして、どうするかを決めて行く必要がある。ただし、胃瘻のような経管栄養にした場合でも、家族の手間はかかることを十分に認識してもらうことが重要である。食べられなくなったらどうするかは、患者本人のみでなく、家族の状況もすべて異なるため、本人と家族の納得のいく方法を選ぶことが大切である。
 最後に、胃瘻造設者のQOLという全国の特養ホームへのアンケートの結果を示し、胃瘻をつけていても誤嚥性肺炎の発生が62%もあったことを示して話を終えられました。

・訪問歯科医の立場から                                    緒方歯科医院 緒方順治
 食べることととのかかわりでは、訪問歯科医は口腔ケアによる誤嚥性肺炎予防が重要。先に坂口先生が示されたされたように、誤嚥性肺炎を起こす可能性は胃瘻があっても高いので、たとえ胃瘻があっても口腔ケアは必要である。
 口腔ケアでは、ブラシを用いたブラッシングが重要。口腔内をくまなくブラシし、よごれを取ることが重要である。その汚れの中に、口腔内に常在する菌が含まれる。とくに、歯間、義歯との間、義歯そのものの汚れ(プラーク)をよく落とすこと。これらが不十分になると、常在菌が増え、それが誤嚥されて肺炎を起こす。だから、むしろ胃瘻などをつけた人ほど口腔ケアが重要になる。
 実際のさまざまな画像を示しながら、以上の内容を説明していただきました。

・訪問看護師の立場から                          訪問看護ステーションたんぽぽ 山下幸子
 食事の意義とは、生命を維持することはもちろんのこと、満足や楽しみのもとであり、生活リズムを整え、人間関係を豊かにするものでもある。「たんぽぽ」の利用者のうち、胃瘻造設者は10%の36名で、その半数以上が脳血管疾患か認知症。食べる機能の再獲得のためには、口腔ケアから始まり、リラクゼーション、姿勢保持、排痰・呼吸リハなど、多職種で関わりを持つ統一的なケアが必要となる。
 ただし、胃瘻をつけられている患者の中には、本人の意思確認ができない状態で、家族が医師から「何もしないのは殺人行為」という強迫めいた言葉をかけられて同意した経緯のある人がいた。口から食べられないのは、自然な命の終焉とする「平穏死のすすめ」からの引用や、患者側が適切な選択ができるような情報提供が必要とする「日本老年医学会」の指針を示して問題提起をし、話を終えられた。

・言語聴覚士の立場から                                     友愛記念病院 岩田美穂
 言語聴覚士は言語や嚥下のリハビリをするが、急性期病院では80%が食べることにかかわるリハビリ。食べることは、生きがいや楽しみそのものであり、食べられなくなったときの対応は重要。栄養管理に関しては、6週以上食べられない状態が続く場合は胃瘻造設を考えるとされているが、胃瘻や経管栄養に対して、誤解を持つ人は多い。ただし、胃瘻の普及が急速に進んでいる現状を踏まえ、「食べること」の倫理の問題が浮上しているという摂食嚥下リハビリ学会の紹介をし、最後に、本人よりも家族の意向で決められていることが多い、患者側への情報提供が少ない、そして結局不必要なことも多いという現実のあることを示して話を終えられました。

・ケアマネジャーの立場から                          愛光園居宅介護支援事業所 渡邊久江
 食事とは、多くの人にとってごく自然で楽しいことであるが、機能低下や疾病により食べることがうまくできなくなるので、高齢者ケアにおいて、食べることに関する問題は大きな問題として、3人の具体例を示されました。
 最初は104歳の高齢女性。生活全般に支援の必要な状態だが食事はなんとか自力で可能。この状態で主治医に入院を勧められたが、在宅を希望。そのまま最期まで食事介助。一口でも最期まで好きなごはんが食べられてよかった、と。次は脳出血後遺症の89歳女性。全介助状態で10年前に胃瘻造設。最期まで在宅でという思いだったが、肺炎を起こして入院死。悔いはないが、本人の意思が確認できなかったので胃瘻をつけて本当によかったのかと思うことがしばしばあった、と。最後が88歳のアルツハイマーの女性。認知症の進行とともに食事を拒否。食形態を考え、なんとか経口摂取。今のところはシリンジを使って、誤嚥なしにうまく摂食させることができている。しかし、胃瘻造設の提案がされており、考慮中。今まで、食事の介助は本人とのコミュニケーションと思って、時間がかかってもつらいと思ったことはないが、今、本人にとって食事をすることがどういうものなのか悩んでいるという。
 人工的な栄養摂取の方法には進歩が見られるが、それが高齢者に苦痛を与えるものになってはいけない。一人ひとりに最適な方法を選択できるようひとつひとつ応援できることがケアマネとして重要と思うとして話を終えられました。

・まとめ                                     在宅ケアネットワーク古河代表 赤荻栄一
 昨年のパネルディスカッション「胃瘻の功罪」を踏まえて、このテーマになったが、食べることはただ単に命を永らえさせるのではなく、QOLを保って生きることを支えるためにある。したがって、食べることの本質的な意味である、楽しみや満足という意味を忘れてはいけないだろう。ただし、胃瘻を含む人工栄養の方法にプラスの面のあることは間違いないので、それを行うことの意義と手間や負担の実際を分かりやすく説明し、患者・家族、とくに患者に意思決定力のない場合は家族に十分納得してもらった上で、何もしないことも選択肢に挙げた上で、どうするかを選択してもらうことが重要であろう。

  平成24年度研修会
(10月6日古河福祉の森会館)

トップページに戻る

市民フォーラム 「考えよう!食べること・生きること」