在宅ケアネットワーク古河会報第9号(平成22年11月発行)

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T 在宅ケアネットワーク古河定例会での検討ケース(平成226月〜228月)                           在宅ケアネットワーク古河 代表 赤荻栄一

1 平成22年度第2回定例会(平成2251日友愛記念病院にて)

(1) 自宅で呼吸停止した慢性呼吸不全の2ケース
                         福祉の森診療所 赤荻栄一
 1)
もうこれ以上長生きしたくないと思えた気管支喘息の1ケース
 78歳の女性。気管支喘息に対する長いステロイド投与によると思われる大腿骨骨頭壊死があり、寝たきり。また間質性肺炎を合併あり、在宅酸素療法と急性憎悪時のステイロイド大量療法を繰返してきた。最後の入院後、同様にステロイド大量投与を行ったが、低酸素血症が続くためリハビリも困難として在宅の方針となった。家族は可能な限り長生きをして欲しいという思い。ただし、本人は疲れた感じ。
 初回訪問時、座位では腰痛がつらいとして寝たきり状態。呼吸困難時は気管支拡張剤の吸入で対処。娘が薬剤師のため、薬剤の管理は娘に任せることにした。ただ、実際の薬剤投与は家族が行った。初回訪問から2ヵ月半後、呼吸困難を訴えたため診察すると呼吸音に変化を認め、吸入ステロイド剤をを見ると、すでに薬が切れていた。直ちにステロイド剤を増量して吸入を再開したが、翌日急変し呼吸停止した。
 薬剤管理は、家族に完全に任せるのでなく、定期的にチェックすることが必要と思われた。

 2)
まだ死にたくはないが家がいいと在宅を続けた荒廃肺の1ケース
 76歳の男性。肺結核による荒廃肺。呼吸不全の悪化と喀血をくり返してきた。日中は酸素吸入、夜間は陽圧式人工呼吸(BIPAP)。訪問開始後、呼吸困難悪化のため二度再入院。いずれも、退院できたが、突然腰痛が出現し、痛みのため咳もできなくなった。腰痛に対して、局所ブロックと鎮痛剤投与を行ない様子を見ることとしたが、翌日、喀血を起こし緊急入院。しかし、その日に死亡した。
 何度も再入院を繰り返してきたが、本人は家が一番よかった。最後は、腰痛のため咳ができなくなり、呼吸状態が悪化。そのまま最期を迎えることとなった。しかし、ここまで在宅生活が続けてこられたのは、妻の介護力と急変時の的確な入院治療の賜物を思われた。

(2) 塩酸モルヒネ持続静注で症状を緩和しながら自宅で最期を迎えた子宮体癌の症例
                          友愛記念病院    宮崎 亨
                          県西在宅クリニック 岩本将人
 64歳女性。子宮体癌再発と肝転移、リンパ節転移、腹水貯留、閉塞性黄疸。閉塞性黄疸に対しては、PTCD施行中。下腹部痛と下肢の浮腫がある。この時点でも、本人と家族に「病気を治したい」という気持ちが強かったため、元の主治医の診察を受け、病状の詳しい説明を聞く。これによって、緩和医療を受け入れ、在宅を希望した。疼痛緩和にフェンタニルを用い、レスキューとして塩酸モルヒネ点滴を行っていたが、塩酸モルヒネが最も有効だったので、塩酸モルヒネの持続静注を行うことにした。県西在宅クリニックで、在宅での継続が可能とのことだったので、訪問看護と薬剤師を交えて退院前カンファを行い、機器の準備と薬局への塩酸モルヒネの納入が済んだところで退院した。
 在宅用PCAポンプを使って持続静注を行い、突発痛に対しては夫の操作により1日1〜2回程度レスキュー静注を行った。PTCDチューブからの排液もトラブルなく続けられたが、在宅9日目頃から、呼吸困難が出現。在宅酸素の導入でやや緩和されたが、20日目から努力呼吸となり、22日目に在宅のまま永眠。最後の3日間は、夫が床をともにし、長男も休暇をとって最期の時間を過ごした。
 塩酸モルヒネの持続静注を行うに当たり、家族を交えて退院前カンファを行うとともに、薬局にも迅速な対応をしてもらえたことで、スムーズに在宅への移行が可能であった。

2 平成22年度第3回定例会(平成2283日総和中央病院にて)

(1) 介護者が揺らぎながらも在宅で最期を迎えた脳梗塞後廃用性障害の1ケース                                              古河福祉の森診療所  赤荻栄一 骨粗鬆症による脊椎多発圧迫骨折、糖尿病および高血圧のある脳梗塞症の86歳男性。85歳の奥さんと二人暮らし。二人の息子があるが、いずれも独立。本人は、もう絶対に入院したくないという気持ちが強い。奥さんも、その気持ちに沿いたいが、体の具合が悪くなった場合には入院治療を受けさせたいという気持ちがある。
 脊椎多発骨折のため背部と腰部に痛みがあり、寝たきりとなった。糖尿病の悪化により右足に壊疽が出現。奥さんは入院治療を希望したが、希望の病院から入院を拒否された。しかし、息子たちに「本人は、もう入院したくないと言っているんだから、このまま在宅でできるだけのことをやってもらうのがいい」と説得され、納得。その後3カ月間は壊疽部の感染を起こさず安定していたが、とうとう嫌気性菌感染を起こしてしまう。洗浄を続け感染の拡大は防げたが、誤嚥が見られるようになり、ときどき発熱するようになった。そのうちに、とうとう肺炎を起こし、足の壊疽発生から6か月後に自宅で永眠した。主介護者の奥さんは、腰痛の持病があったため、夫の介護には直接手を出すことはできず、寄り添いと声掛けに終始。そのことが、なにもしてやれないという気持ちにつながり、なにかしてやらなければという焦りの気持ちを起こさせることになっていたかもしれない。奥さんにとって6カ月は長いつらい時間だったのは違いないことだが、夫の死後、「最期まで自宅で夫の傍にいることができたのは幸せだった」と言っていた。

(2)
認知症の夫を自宅で看取った妻
                                              訪問看護ステーションたんぽぽ 瀬下美智子 二人暮らしの夫は80歳。認知症になる前から「自分の最期は家で」と言い続けていた。認知症による問題行動が出てきたため、入院を余儀なくされた。入院中、心不全を起こし、余命1、2か月と言われたため、これ以上入院をさせておくわけにはいかないと、退院させた。仙骨部に大きな褥瘡形成。食事がとれないため、点滴を希望。そのため、訪問看護は褥瘡の処置と毎日の点滴を担当。末梢静脈確保が困難になってきたところで、中心静脈からの持続点滴の話が出されても、奥さんは「そこまでは必要ない」と。結局、末梢静脈からの点滴は、静脈確保が極めて困難になったところで中止となった。その後、しだいに全身状態は悪化し、3カ月間の在宅生活の後、自宅で永眠。奥さんは、「1、2か月の命と言われた後、家にもどり、3か月も家にいられた」と満足していた。
 「なにか心配なことがあったらいつでも連絡していい」と話したが、実際に呼吸状態が悪くなった時には「息がとまった」と真夜中に連絡があった。そのつど訪問して状態を確認。必要と思われた時には主治医にも確認した。これによって奥さんは「いつでも連絡していいと言われると本当に安心です」と。

U 研修会(=平成22年度第4回定例会:平成22105日古河赤十字病院にて)

 「利用者の変化に気づく介護を目指して」 県西在宅クリニック看護師 畠山淳也氏

 県西在宅クリニック(岩本将人理事長)では、このたび利用者に変化があったときにどうしたらいいかをまとめた、利用者のための「気づきのマニュアル」を作成し、それを利用者宅に置いて、利用者の急変時などに活用してもらいたいとしています。今回の研修会では、そのマニュアルの作成の意義と内容の解説を、同クリニック看護師の畠山淳也氏に、お願いしました。さまざまな症状について「気づきのポイント」を挙げ、そこからどのような場合に緊急対応が必要なのか、あるいはそのまま様子を見てもいいのかなどが分かるようフローチャート式に作られています。利用者だけでなく、支援に携わる人たちにとっても役立つものです。
 まず、畠山氏は力説します。在宅での支援に当たる職種のうち、医療職は「いのち」を守り、介護職は「くらし」を守る。そして、それらはばらばらにあるのではなく、重なりあい、たがいに連携して利用者の「こころ」を支えることができ、そして初めて、その「人」を支えることができる、と。
 県西在宅クリニックとして在宅医療に携わって2年半が過ぎ、これだけは在宅療養者の支援に関わる人たちに知って欲しいことを、気づきのポイントという形でまとめることにしたとのことです。そして、利用者の訴えのポイントを整理し、それに対する対応法を示したとのこと。まとめるに当たって重点を置いたことは、
1)利用者に最も近いところで支援にあたるヘルパーや家族が、利用者の健康状態の異変にどう気づき、どう対応するか
2)ヘルパーの守備範囲を守り、同時に医療者からの指示をどのような状態の時にあおぐか
3)最低限の医療知識について、用語解説の形でまとめる
ということだったそうです。
 そして、利用者の変化に気づくためには、日常の単純で小さなできごとにもつねに注意を払うことが第一に重要で、第二に、利用者に喜んでもらうことを大切にすることだと、畠山氏は強調します。
 このマニュアルには、30項目の症状が選び出されています。それぞれについて、訴えを聞き出すための声かけのポイントを挙げ、つぎにその訴えから気づく、気づきのポイントをまとめてあります。それにつづいて、観察のポイントをあげ、緊急性の有無を判断できるようなフローチャートがつくられています。
 これは、もっと早く家族やヘルパーに気づいてもらっていれば助かったかもしれないという経験に基づいてつくられたということです。どんどん利用してもらいたいとのことで、コピーをして使うことはまったくかまわないということでした。
 みなさんにとって、利用しがいのあるすばらしいマニュアルができあがりました。活用させていただきましょう。