在宅ケアネットワーク古河会報(第18号)
平成27年5月発行
T 平成27年度総会および第1回定例会
1.平成27年度総会
4月7日古河福祉の森会館で開催しました。今年度も、偶数月の第1火曜日夜に定例のケース検討を続けます。10月は市民フォーラムの開催月になりますが、今年度は福祉の森診療所開設20周年を迎えたことから、10月2日(土)午後1時30分から福祉の森会館大ホールにて「福祉の森診療所開設20周年記念市民フォーラム」とし、「こどもからお年寄りまで、かぜからがん・認知症まで〜福祉の森診療所の20年間の取り組みを振り返る」の演題名で特別講演を行います。多数の方々のご参加をお待ちします。
2.第1回定例会
総会に引き続き、第1回定例会を行いました。昨年から、第1回定例会は前年度検討ケースの振り返りです。以下に、概要を記します。
平成26年度第2回研修会(平成26年6月3日友愛記念病院)
1)癌性腹膜炎による腹水貯留を腹腔穿刺で治療し在宅で看取った1ケース 赤荻栄一(古河福祉の森診療所)、中澤由君子(訪問看護ステーションはなもも)
<ケース>65歳女性(薬剤師):膵臓癌末期、癌性腹膜炎 要介護2 主介護者:夫 家族構成:夫との二人暮らし、3人の子どもは結婚して別居 本人の希望:このまま家にいたい 家族の希望:本人の気持ちを支えたい
<経過>癌性腹膜炎を伴う膵臓癌と診断されたが、結局、一切の抗癌剤治療を行わず、腹水貯留に対して2週間に一度2日間の入院で腹水濃縮還元療法を行うことにして退院。
9月26日初回訪問。痛みにはフェントステープを貼付。訪問は週に1〜2回の頻度で様子を見ながら行うことにした。退院後、腹水濃縮還元は2回施行。しかし、すぐに腹水が貯まってしまうこと、およびそのたびに入院しなければならないことを理由に、在宅で腹腔穿刺することはできないかとの相談あり、10月24日から週に2回穿刺を行って様子を見ることとした。また、22日から訪問看護開始。1回の穿刺で腹水1〜1.2Lを排除。経口摂取はできたが、本人と家族の要望もあり、訪問看護で連日500mlの点滴。
その後1か月間は安定した状態が続いたが、11月下旬には腹部全体にゴツゴツとした腫瘤を触れるようになり、血圧も低下。12月3日が最後の穿刺で800ml排除。その後、腹水はそれほど増えず、腫瘍のみが増大して、自宅で12月8日に永眠。
<まとめ>
・家で最期を迎えることを決めて在宅を始めたので、それをどう支えるかが課題だった。
・在宅腹腔穿刺により、腹水が貯まり苦しくなった時にいつでも排除でき、楽になった。
・結婚して家から出た子供たちが孫を連れて家に戻り、母親との最期の時間を過ごせた。
2)自宅での生活を望む本人と自宅での介護に限界を表出された妻のケース 渡邉希代光(友愛記念病院相談支援センター)
<ケース>62歳男性:結腸癌術後肝臓転移術後再発 要介護5 主介護者:妻 家族構成:妻、息子夫婦、孫、両親 本人の希望:自宅で過ごしたい 妻の思い:自宅での介護に不安
<経過>結腸癌術後4年で肝転移手術。その後リンパ節再発に対し化学療法。その3年後脊椎転移。がん専門病院で脊椎への放射線治療とステロイド治療を施行後、緩和ケア病棟への転院依頼を受け、11月21日に友愛記念病院へ転院。ステロイド剤の点滴とリハビリを行っていたが、12月2日妻より「お父さんが家に帰りたいと言っているので、自宅へ退院したい」と。退院前カンファレンスで、@ヘルパーによる身体介助A訪問看護師による排便コントロールBデイケア利用として退院の方針となった。
翌年1月20日に退院し在宅での介護を続けていたが、4月1日ケアマネより「1週間前から全身痛と夜間せん妄が見られる。本人は自宅がいいと言っているが、奥さんは自宅での介護は限界で、在宅での看取りはできない」と連絡を受ける。4月5日に奥さんと息子さんが主治医と面談し、4月10日再入院。本人は「自宅へ退院したい」と涙ながら訴えていたが、奥さんは「入院できて、ひと安心」と。そして、そのまま4月17日に永眠。
<まとめ>
・本人の在宅の希望と妻の介護疲れとの間でのかかわりの難しさを実感した。
・本人にはがんを治したいという気持ちが残っていたため、病院の主治医との関係を保っていたいという気持ちがあったようだ。そのため、在宅医療の提案をするのが遅れた気がする。今後、最期が見えた時点で早期に在宅医療の提案をするのがいいと思う。
・ただし、若いがん患者の中には治す気持ちの強い人が多いので、その気持ちを踏まえた提案をする必要がある。
第3回研修会(平成26年8月5日総和中央病院)
本当に在宅死の覚悟はできていた?〜多発脳梗塞と肺癌合併の1ケース
赤荻栄一(古河福祉の森診療所)、中澤由君子(訪問看護ステーションはなもも)
<ケース>81歳男性:多発脳梗塞、右肺癌 要介護5 主介護者:長男 家族構成:長男との二人暮らし(昼間独居) 本人・家族の希望:病院には行きたくない
<経過>糖尿病で外来治療中のところ、平成25年11月初めから嚥下困難が出現。近くの耳鼻科から自治医大耳鼻科へ紹介され、MRIで、多発脳梗塞、右肺癌と診断された。嚥下困難は脳梗塞による仮性球麻痺として、11月25日内科病棟へ入院。胃瘻造設の提案があったが、本人と家族は希望せず、経鼻チューブを挿入して経管栄養を続け、退院することになった。しかし、誤嚥性肺炎を併発。肺炎軽快後、2月にやっと退院。
2月24日初回訪問。仙骨部にポケットのある褥瘡形成。経管栄養は、1日にエンシュア1缶と500〜600mlの水分。それでも、一回の摂取水分量が多いと逆流により誤嚥が起こった。したがって、1日の水分量は、誤嚥の状態を見ながら可能な限り多くするよう指示。
4月になり、縟瘡は軽快傾向。ただし、血圧が下がり、デイサービス時に入浴させてもらえない状態が続くようになった。4月下旬、喘鳴が出現。体温も上昇傾向。誤嚥による肺炎と診断したが、家族は入院を希望せず、そのまま見て行くことにした。経鼻チューブを交換すると喘鳴は軽減したが、呼吸状態はしだいに悪化し、5月6日自宅で死亡した。
<まとめ>
・本人の希望は?家族はどう考えていた?なにが家族に入院をためらわせた?
・多くの疑問の残るまま最期を迎えた。昼間独居の状態だったため長男と十分な意思疎通のなかったことが原因。かかわりの初めにきちんしておくべきだった。
第4回研修会(平成26年12月2日古河赤十字病院)
1)病院での最期を選んだ末期癌の2ケース〜その(1)肺がんのケース
赤荻栄一(古河福祉の森診療所)、鮎澤みどり(訪問看護ステーションたんぽぽ)、 山下たつみ(愛光園居宅介護支援事業所)
<ケース>67歳女性 右肺癌、脳転移、多発骨転移 要介護4 主介護者:息子 家族状況:息子と二人暮らし、東京の妹(脳底動脈瘤あり)が時々介護に参加 本人の希望:治療してもらいたい。治療しないなら家に帰りたい。 息子:できるだけ本人の意向に沿いたい。
<経過>3月上旬、左半身のけいれんで発症。14日友愛記念病院のMRIにて肺癌脳転移と診断。自治医大に転院し、頭部への緊急放射線照射(36Gy)。また多発骨転移あり。抗癌剤投与の予定だったが、放射線治療後も半身マヒの改善がなかったため、治療は行わないことになり、在宅療養の方針となった。
6月18日初回訪問。左半身不全マヒとけいれんがあり、右肺の呼吸音は減弱。右の鎖骨上窩にクルミ大のリンパ節転移を認めた。咳止めと睡眠剤を処方。息子さんの仕事が夜間のため夜間独居となるので、同日から訪問看護と訪問リハビリを開始。
6月末には右肺に痰がらみが出現。7月になると、痰がつまって息苦しさを訴えるようになった。7月22日、「呼吸が苦しいので自治医大に入院したい」とのことだったので、緩和ケア病棟に連絡し、23日に緊急入院。8月10日、そのまま自治医大で死亡。
<まとめ>
・夜間独居になるため、時々妹さんが来て介護に当たった。しかし、妹さんは脳底動脈瘤があるためちょっとしたことで入院や入所を希望、一方で長男はせっかく家に退院してきたのだから少しでも長く家で過ごさせてあげたいと言うなど、介護する家族間の意見に相違があった。
・息子一人で介護していた時に服薬を間違えたことがあり、それが本人を不安にさせた。これは薬剤師の介入が必要だったことを示す。
2)病院での最期を選んだ末期がんの2ケース〜(その2)胆嚢がんのケース
赤荻栄一(古河福祉の森診療所)、鮎澤みどり(訪問看護ステーションたんぽぽ)、 秋庭登志恵(わが家ケアプラン相談所)、
宮崎 享(友愛記念病院緩和ケア病棟)、渡邉希代光(友愛記念病院相談支援センター)
<ケース>66歳男性 胆嚢がん 肝転移 要介護2 主介護者:なし 家族状況:二人の娘が結婚して市外に在住 本人の希望:できるだけ家にいたい
<経過>4月初旬、心窩部痛で発症。腹部CTにて肝臓の巨大腫瘤を発見。自治医大にて胆嚢癌の肝転移と診断。5月20日、抗癌剤投与開始。しかし、食欲低下・経口摂取不良となり、抗癌剤投与は中止。在宅医療を希望して7月8日退院。退院時の情報提供書には、腫瘤が十二指腸を圧迫しているので、まもなくその部位の通過障害が起こる可能性が高い、と。
退院日に初回訪問。痛みに対してフェンタニル剤テープとオキノームを使用。本人は、痛みがひどくなった時に入院させてもらいたい、と。また、食欲はあるが、しばしば吐いてしまうとのこと。訪問看護と訪問介護を開始。
その後、なんとか痛みは落ち着いていたが、しだいに嘔吐回数増加。全身の浮腫もひどくなったため、本人から緩和ケア病棟への入院希望あり、7月30日、友愛記念病院緩和ケア病棟へ入院。8月2日診療所へ本人から電話あり。「もう少し自分でできる癌の治療をやってみたい」と。しかし、肝転移の増大と腹水の増加があり8月14日死亡。
<まとめ>
・経口摂取が困難になると一人暮らしで在宅を続けるのは困難になった。
・また、本人はまだ癌を治したいという気持ちが強かった
第5回研修会(平成27年2月3日古河病院)
1)腸閉塞を起こしやすく小規模多機能と訪問看護で排便コントロールしている利用者 菅野雅子(小規模多機能施設ポプリ)
<ケース>97歳女性 便秘症、脳梗塞症、認知症 要介護5 主介護者:長女 家族状況:長女一家と同居 本人の希望:自宅にいたい
<経過>便秘に対し小規模多機能ショートステイ中に下剤を服用して排便していたが、腸閉塞を起こして入院。その後は、自宅での排便コントロールを訪問看護に依頼。その後、再度腸閉塞を起こし入院したが、その退院後は3泊ショート中2回排便、自宅では訪問看護に排便観察をしてもらい、週3回以上排便を促し、現在はなんとかなっている。
<まとめ>
・便秘はショートステイと訪問看護でなんとかできている。
・今後、在宅生活をどこまで続けられるか、在宅での看取りも含めて確認が必要。
2)娘一人で支え在宅で看取った悪性リンパ腫の1ケース
赤荻栄一、武井聡子(古河福祉の森診療所)
<ケース>91歳女性 悪性リンパ腫 要介護4 主介護者:娘 家族状況:娘との二人暮らし
本人と娘の希望:このまま在宅を続けたい
<経過>
平成24年8月、腰痛出現。近医に入院し、骨粗鬆症と診断される。エルシトニンの筋注と訪問リハを開始し痛みが軽減したが、痛みが残るだけでなく両下肢の筋力低下が進行したため、平成25年1月にMRI施行。第12胸椎に転移のある悪性リンパ腫と判明。
仰臥位では痛みがないが、少しでも体を起こすと痛みが出現。さらに下半身のまひが進行したため、完全に寝たきり状態となる。この後、週1回のデイサービスを開始。また、主介護者の娘さんに用事があるときにショートステイを利用し、月1回の訪問診療と週1回の訪問リハビリを継続。
しばらく小康状態を保っていたが、便秘がちとなり、その時に熱発。次第に食欲低下傾向。平成26年4月に腫瘍の状態を見るためCT撮影すると、腫瘍は左縦隔全体に及び、左胸腔には胸水貯留。6月には左鎖骨上窩リンパ節も増大。7月になると左胸水の増加により左肺の呼吸音が消失。さらに、8月には右肺に痰の詰まる音が増え、9月になるとさらに喀痰の増加と熱発をくり返すようになり、呼吸不全で10月2日に死亡。
<まとめ>
・経済的なゆとりがなく多くのサービスを利用できなかったが、娘さん一人で最期まで自宅での介護を続けた。
・高齢者の背部痛の原因には悪性疾患の可能性があることを改めて認識させられた。
3)在宅で看取るまでのかかわり
中澤由君子(訪問看護ステーションはなもも)
<ケース>93歳男性 膵頭部癌末期 要介護5 主介護者:長女 家族状況:長女、長男と同居
本人の希望:家にいたい 家族の希望:正月を家で迎えさせたい
<経過>
肝転移のある膵臓癌と診断され、デュロテップパッチで疼痛コントロール。自宅での看取りを希望し10/22に退院。同時に訪問看護開始。
退院後腰痛増強したが、デュロテップパッチを増量し落ち着く。時々幻覚や夜間譫妄を訴えるようになり睡眠導入剤が処方されるが1回のみの使用で済んだ。
12月に入ると呼吸困難と不整脈が出現し、入院時の担当医の訪問診療開始。それによって家族の不安は解消。経口摂取ができなくなったため点滴開始。また、エアマットを使用し2時間ごとの体位交換を勧めたが、本人がいやがり褥瘡形成。
次第に排痰も困難になり吸引器のレンタルを開始したが、これも本人がいやがり、長女が時間をかけて排痰させざるを得なかった。長女は「正月を迎えさせたい」との希望だったが、12/23に37.5℃の発熱と無呼吸がみられるようになり24日自宅にて永眠。
<まとめ>
・長女は非常に献身的に介護を行っていたが、本人の拒否に会い、褥瘡を形成し、また正月を迎えさせることができなかった。
・介護者の負担軽減がうまくできなかった。
4)経口摂取困難で脱水をくり返す事例
中澤由君子(訪問看護ステーションはなもも)<ケース>90歳女性 脳梗塞(左半身マヒ) 要介護5 主介護者:長男の嫁 家族状況:長男夫婦家族と同居 本人の希望:家にいたい 家族の希望:本人の思いを叶えさせたい
<経過>
退院日よりリハビリ目的にて訪問看護開始となる。初回訪問時に自宅でのポジショニングと食事介助に対して家族から不安の訴えがあったが、連日の訪問により徐々に不安は解消。しかし、介護する家族が1日のうちに何人も交代するため、1日の摂取量や尿量が把握できなかった。そのため、それらの記載ノートを用意し、最低でも1日500mlの水分を摂るよう指示。これにより、家族もノートを気にして、積極的に経口摂取させるようになった。また、その後、尿はバルーンカテーテル管理とした。
しかし、脱水症状出現。家族は「本人がいらないって言うから」「入院前もそんなに食べたり飲んだりしていないから」などと言い、十分な水分を与えていないことが分かった。往診による主治医からの説明でなんとか家族は理解し、ヘルパーを連日利用することになり水分摂取が正しくできるようになって、脱水を起こさずに済むようになった。
<まとめ>
・姑の介護歴5年の娘さんがいたため、それで大丈夫と家族が安心し、介護サービスをなかなか入れようとしなかった。
・主介護者は同居している嫁で摂取量や尿量減少時の指示を与えられていたが、食事の世話は交代で娘たちが行っていたため、それらの指示が伝わらなかった。
・介護者が多い時には、連絡ノートが必須である。