在宅ケアネットワーク古河会報(第17号)
           平成26年12月発行

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T 平成26年度在宅ケア市民フォーラム
 平成26年度市民フォーラムを古河福祉の森会館で開催しました。今年のテーマは「地域で支える認知症」でした。参加者は100名で、盛会でした。
 最初に、市内で認知症の家族を現在支えている2名の市民の方から報告をいただき、そのあとに日本認知症と家族の会副代表理事の川崎幸クリニック院長杉山孝博先生に「認知症の理解と援助〜認知症になっても暮らし続けられるまちづくり」と題する特別講演をいただきました。概要は以下の通り。

1.認知症とは
 一度獲得した知的機能(記憶、認識、判断、学習など)の低下により、自己や周囲の状況把握・判断が不正確になり、自立した生活が困難になっている人の状態。つまり、「知的機能の低下によってもたらされる生活障害」

2.認知症をよく理解するための9大法則・1原則
 認知症の介護において最大の問題は、症状の理解の難しさにある。それを理解しやすくし、上手な対応が可能になるように工夫したもの。

1)
1法則:記憶障害に関する法則
・記銘力低下:話したことも見たことも行ったことも、直後に忘れてしまうひどい物忘れ。このため同じことをくりかえす。
・全体記憶の障害:体験したことの全体を忘れる。一部分だけは、通常の物忘れ。
・記憶の逆行性喪失:現在から過去にさかのぼって忘れて行くのが特徴。昔のことはよく覚えている。

2)2法則:症状の出現強度に関する法則
 より身近な者に対して認知症の症状が強く出る。子ども帰りの症状。他人の言うことは聞く。

3)3法則:自己有利の法則
 自分にとって不利なことは認めない

4)4法則:まだら症状の法則

 正常な部分と認知症として理解すべき部分が混在する。

5)5法則:感情残像の法則(感情の鋭敏化)
 言ったり、聞いたり、行ったことはすぐ忘れるが、感情は残像のように残る。理性が失われ、感情の世界に。ほめる、感謝する、同情する、共感する、誤る、上手に演技をするなどの対応が必要。

6)6法則:こだわりの法則

 ひとつのことにいつまでもこだわり続ける。説得や否定はこだわりを強めるのみ。本人が安心できるように持っていくことが大切。割り切ることが大切と言える。
 @こだわりの原因をみつけて対応、A自然のまま、そのままにしておく、B第三者に登場してもらう(とくに社会的地位のある人)、C関心を別に向ける(食べ物は切り札)、D地域の協力理解を得る、E一手だけ先手を打つ、F本人の過去を知る G長期間には続かないと割り切る

7)7法則:作用・反作用の法則
 強く対応すると強い反応が返ってくる。「押してだめなら引いてみる」第5法則を思い出してうまく対応を!

8)8法則:認知症症状の了解可能性に関する法則
 老年期の知的機能低下の特性から、すべての認知症の症状が理解説明できる

9)9法則:衰弱の進行に関する法則
 認知症の人の老化のスピードは非常に速い。正常の2〜3倍。認知症の高齢者の4年後の死亡率は83%

10)介護に関する1原則
 認知症の人の形成している世界を理解し、大切にする。その世界と現実にギャップを感じさせないようにする。


U指定発言「認知症を支える現場の声」
1.伊藤さん
 義母が認知症。初めは本人はもとより自分も認知症とは思えず、そのまま時間が過ぎた。ただ、今までやっていたことができなくなったことを、家族以外から指摘されて、診察を受ける気持ちになり、診断された。最近は、自分にはできないことのあることが分かるようになってきた。お姉さんがデイサービスを利用しているので、「きょうはおばさんと約束があるわよ」などとごまかしてデイサービスに行かせたりしている。いろいろな工夫と、うまいごまかしでなんとか介護を続けている。

2.篠崎さん
 母親が認知症。現在は、ほぼ寝たきり。最初はひとの世話になることを拒否していたが、からだが言うことを聞かなくなった最近では、介護保険のサービスを受けている。テレビが好きで、もともとはサスペンスものが好きだったが、いまではアンパンマン。子ども返りしている。大事なことは笑いを絶やさないこと。できるだけ母親の笑いを誘うようなこと考えてやっている。そうすると母は満足そうに笑っている。これを続けるつもりだ。

3.杉山先生の評
 どちらも認知症の親の気持ちを理解して、工夫をこらしうまく介護していると思う。

U 平成26年度定例会

2回定例会(6月友愛記念病院にて)
)自宅での生活を望む本人と自宅での介護に限界を表出された妻のケース
                    友愛記念病院相談支援センター 渡邉 希代光
<ケース>62歳男性 S状結腸癌術後再発、肝転移術後再発 要介護5(ADL:B2
・主介護者:妻 ・本人の思い:自宅で過ごしたい 妻の思い:自宅で見るのは不安
<経過>
 200X年、S状結腸手術で切除(本院)。(当院)。200X+410月、肝転移に対し拡大右葉切除術を実施。その後リンパ節再発に対しがん専門病院にて化学療法をうけていた。
 200X+77月ごろより背部痛(肩甲骨のあたり)があり、1022日ころよりふらつきが出現。徐々に歩行困難となり1026日整形外科受診し、悪化傾向のため入院となる。入院後両下肢ほぼ完全麻痺となり、115日かかりつけのがん専門病院に転院となった。がん専門病院では、手術は行わずに脊椎への放射線治療とステロイド治療を行っていた。
 がん専門病院のSWより当院緩和ケア病棟への転院依頼を受け、1119日で放射線治療が終了するので、その後当院へ転院の方針となり、1121日にリハビリ・緩和ケア目的にて当院の消化器病棟へ転院となった。同日には奥さんといとこさんが来訪され、緩和ケア病棟への入院を希望されたので、緩和ケア病棟への転棟待機となった。
 その後ステロイド剤の点滴とリハビリにより、トランスファーボードを利用してベッドからトイレへの移乗の際、両下肢下垂時の操作に介助を要する程度となる。その間本人は何度も「家に帰りたい」と話をされ外出も繰り返された。122日妻より「お父さんが家に帰りたいと言っているので、自宅へ退院することにしたい」と表明される。ケアマネージャーを選定して早急にカンファレンスを実施して、@ヘルパーによる身体介助A訪問看護師による排便コントロールBデイケアの利用する手配を行った。
 12月中の退院をめざしていたが発熱があり延期となり、200X年+8120日に自宅へ退院となった。退院後はデイケアと訪問看護を週3回ずつ利用されていた。2月と3月の前半までは、訪問看護ではバルーンのトラブルが見られたが、デイケアを良好に利用されていた。しかし、4月1日ケアマネより「週間程前から全身痛と夜間せん妄が見られる。本人は自宅がいいと言っているが、奥さんは自宅での介護は限界との意向で、在宅で看取る気持ちまでには至っていない」と連絡を受ける。
 45日に奥さんと息子さんが主治医と面談 腹満著明で尿量も少なく、訪問診療での自宅の看取りも提案するが、奥さんは自信が無いということで、入院方向とすることが決定した。
 47日ケアマネより、「現在自宅に訪問中だが、本人は2、3日前から昼夜逆転の症状があったりして、本人は自宅がいいと訴えているが、奥さんは入院を希望している。本人・家族と話し合いをして入院に同意されたので調整をお願いしたい」と連絡を受け同日入院となる。本人は自宅へ退院したいと涙ながら訴えていたが、奥さんは「入院できてひと安心です」と安堵されていた。そうした中で417日永眠。
<まとめ>
 本人は在宅で過ごしたいと訴えていたが、妻は夫への介護で疲労困憊してしまい、最期を在宅で看取るまでの余裕はなかった。
 本人の意向と妻の介護の現状との間での支援のかかわりの難しさを実感した症例だった。
<討論>
・本人には「治したい」という気持ちがあったため、病院の主治医との関係を持ち続けたいと思っていたようだ。そのため、在宅医療の提案が遅れた。
・若い末期癌のケースでは、病院との関係を絶ちたくないと思うケースがしばしばある。
・ただし、どのような場合でも最後の状態が予想できた時点で、可能な限り早いうちに在宅医療の提案をしておくのがいいのではないか。

2)癌性腹膜炎による腹水貯留を腹腔穿刺で治療し在宅で看取った1ケース                                   福祉の森診療所  赤荻栄一                       訪問看護ステーションはなもも 中澤由君子
<ケース>65歳女性 膵臓癌末期(癌性腹膜炎) 要介護2
・主介護者:夫  ・本人家族の思い:このまま最期まで在宅で
<病状と経過>10年前から、近医で膵臓の嚢胞の経過観察を受けていた。ところが昨年6月、腹部膨満が出現し腫瘍マーカーの異常高値を認めたため腹腔穿刺。細胞診で腺癌の診断。本人(薬剤師)と家族には、癌であることが告げられ、TS-1の服用を始めたが、吐き気が強く中止。結局、一切の抗癌剤治療をやらないことにして、腹水貯留への対症療法のみで経過を見ることになった。
 ちょうどその時、黄疸が出現し始め、腫瘍の浸潤圧迫による胆管狭窄が原因と判明したため、胆管にステント挿入。これで黄疸は消失。腹水に対しては2週間に一度2日間の入院で、腹水濃縮還元療法を行うこととして、退院することになった。
 926日初回訪問。ご両親を在宅で看取った経験があることから、最初の言葉は「今度は私の番になっちゃいました」だった。痛みがあり、フェントステープ1rを貼付中。訪問は、週に1〜2回の頻度で様子を見ながら行うことにした。退院後、腹水濃縮還元は2回施行。しかし、すぐに腹水が貯まってしまうこと、およびそのたびに入院しなければならないことを理由に、腹腔穿刺だけで様子を見て行くことはできないかとの希望あり、1024日から週に2回穿刺を行って様子を見ることとした。これに合わせて点滴を開始し、訪問看護を導入。1回の穿刺で腹水1〜1.2Lを排除。また、痛みが増強したため、フェントステープを1.75mgに増量。その後、比較的安定した状態が続いたが、その1か月後、腹部全体にゴツゴツとした腫瘤を触れるようになり、血圧が低下。123日が最後の穿刺で800mlの腹水排除。その後、腹水の代わりに腫瘤が増大。そのまま自宅で128日に永眠。
<訪問看護の経過>
 1020日より月曜から土曜までの連日の点滴管理と状態観察目的にて訪問看護開始となる。
 初回訪問時は、夫付き添いで家内歩行可であり、テーブルで食事を家族とともに、小さい茶碗に1日500cc程度摂取。食事以外は、居間の中心にあるソファーに横になっており、家族との会話を楽しんでいた。独立している3人の子供たちは、本人の病状を聞きそれぞれ介護休暇をもらい帰省していた。
 保清は1か月入浴していないとのことでシャワー浴勧めたが、本人の不安強く、まずケリーパッドでの洗髪や足浴を家族の前で実施すると、家族が連日足浴するようになる。また、手足のマッサージも常に行っている姿あり。
 その後、徐々に腹満で息苦しさを訴えるようになり氷水やアイスしか食べられなくなる。安楽な体位保持ができるよう電動ベットを活用するようにした。また、疼痛よりも倦怠感が強く、身の置き所ないと昼夜問わずベッドから起きて、夫の手を借りてソファーに移動するようになると、家族から不眠の訴えが聞かれるようになる。安定剤や眠剤を調節して安眠を図るようにし、介護負担も軽減できていた。足の浮腫が足首から徐々にひざ上まで増強し歩行困難となり、車いすやポータブルトイレを利用するようになる。便秘も見られ、訪問ごとに浣腸や摘便にて介助する。
 1T月下旬には一時状態安定し、本人と家族からシャワー浴の希望があり、看護師2人と家族総出でシャワー浴実施する。浴後、本人より「思ったより大丈夫」との声が聞かれた。
 12月になると傾眠状態となり、血圧90台。水や果物でむせるようになり、時折吸引実施。127日家族の見守る中、外出していた長男の到着を待って永眠した。
<まとめ>
・家で最期を迎えるということを決めて在宅を始めたので、それをどう支えるかが課題だった。・腹水貯留への治療が2日間という短期間であれ家を離れなければならない治療だったので、代わりに腹膜穿刺だけで見て欲しいという希望が出たため、すぐに実行。それによって、腹水が貯まり苦しくなった時に、いつでも排除できるようになった。
・結婚して家から出た子供たちが、いつでも孫を連れて家に戻り、母親との最期の時間を過ごせた。


3回(8月総和中央病院にて)
本当に在宅死の覚悟はできていた?〜多発脳梗塞と肺癌合併の1ケース                                       福祉の森診療所 赤荻栄一                        訪問看護ステーションはなもも 中澤由君子
<ケース>81歳男性 多発脳梗塞、右肺癌 介護度:要介護5 主介護者:長男
 本人家族の希望:病院で治療は受けたくない
<経過>糖尿病で外来診療中のところ、平成251T月初めから嚥下困難が出現。近くの耳鼻科から自治医大耳鼻科へ紹介され、そこで検査を受けて耳鼻科領域には問題なしと言われた。ただし、MRIで、多発脳梗塞、右肺癌と診断された。嚥下困難は脳梗塞による仮性球麻痺*として、1125日内科病棟へ入院。胃瘻造設の提案があったが、本人と家族は希望せず、経鼻チューブを挿入して経管栄養を続け、退院することになった。しかし、退院が決まったところで誤嚥性肺炎を併発。肺炎軽快後、2月にやっと退院。
 224日、初回訪問。仙骨部に褥瘡形成。ポケットがあるため、上下に切開を加えた。経管栄養は、1日にエンシュアH 2缶と500600mlの水分。それでも、一回の摂取水分量が多いと逆流により誤嚥が起こった。したがって、1日の水分量は、誤嚥の状態を見ながら可能な限り増やすという指示にした。
 3月末には原因不明の下血あり。アドナの投与で様子を見たが、翌週には軽快。痔からの出血と思われた。4月になり、縟瘡は軽快傾向。ただし、血圧が下がり、デイサービス時に入浴させてもらえない状態が続いた。4月下旬、喘鳴が出現。体温も上昇傾向。誤嚥による肺炎と診断したが、家族は入院を希望せず、このまま見て行くことにした。経鼻チューブを交換すると喘鳴は軽減したが、呼吸状態はしだいに悪化し、56日自宅で死亡を確認した。

*球麻痺:舌、口腔、咽喉頭部のマヒを起こす延髄の疾患による麻痺。仮性球麻痺は、多発性脳梗塞などで同様の症状を起こしたもの。
<問題点>
・家族も本人も、病気に対する理解はできていたか?〜嚥下困難の症状が出始めた時は、市内の耳鼻科を何か所も受診。最後に自治医大で脳梗塞と診断され、しかも肺癌もあると言われたところからあきらめの気持ちが出てきたのかもしれない。
・本人の本当の希望はなんだったのか?
・それに対して家族はどう考えていたのか?
・なにが家族に入院をためらわせたのか?
・尊厳死のような形になったが、それで本当によかったのか?〜本人も家族も治療を望まなかった。経済的な理由もあったようだ、と。

 このケースは、主介護者の長男が昼は勤めに出てしまうため、話ができにくいという状況だった。そのため、病状や今後のことについてじっくり話すことができなかった。そのうちに、状態が急変し、あっという間に亡くなってしまった。やはり、関わりの最初に病状やこれからの見通し、さらに本人と家族の気持ちを確認しておくという原則を忘れないことが大事だということを思い知らされた。