在宅ケアネットワーク古河会報(第14号)
平成25年5月発行
T 平成25年度総会
平成25年度総会と第1回定例会を、4月2日に古河福祉の森会館で開催しました。
平成24年度の会計報告は、以下の通りです。
(収入) (支出)
年会費 消耗品代 4,597円(上質紙、ゴム印)
個人会員 8,000円 食糧費 7,380円(市民フォーラム)
施設会員 10,000円 郵便料 9,640円(連絡用郵送費)
賛助会員 30,000円 謝金 60,000円
利子 76円
前年度繰越 307,160円 次年度繰越 273,619円
計 355,236円 計 355,236円
今年の市民フォーラムは、「災害と在宅医療〜語り継ごう大震災の経験」をテーマにして、10月5日(土)に開催します。
特別講演は、岩手県陸前高田市の県立高田病院前院長石木幹人先生による「陸前高田市での被害の実際とその復興」をお願いしています。またその後、当ネットワーク会員の病院や施設等から、当地での被害の状況を発表していただきます。
貴重な話を聞くことができると思います。参加費は無料ですので、ぜひ多くの方々に参加して頂きたいと思います。
総会の後、第1回定例会が開かれ、ケース検討が行われました。その内容は、つぎの欄で報告します。
U 在宅ケアネットワーク古河定例会報告(平成24年12月〜25年4月)
1 平成24年度第3定例会「ケース検討」(平成24年12月4日古河赤十字病院にて。参加者22名)
1)患者・家族の希望に沿った在宅支援が可能になったケース
古河赤十字病院 西岡絵美子
<ケース>83歳女性 主介護者:次男
<病名>胃癌、肝転移、認知症
<ADL>全介助 認知症ADL:W
<本人家族の希望>本人:家に帰りたい、家族:できるだけ家で介護したい
<家族の状況>夫、次男との同居
<経過>平成24年8月、高度貧血にて当院入院し、胃癌・肝転移と診断。肝転移と認知症があることから、手術や抗がん剤治療の適応はなく、貧血改善後に自宅へ退院する。
10月6日内視鏡施行し、胃癌による狭窄を認めたため再入院。再入院時、皮膚は乾燥し、口腔内汚染が激しく、手の爪が1pほど伸びた状態。同居している次男によると、9月下旬から食欲低下し、寝たきりの状態だったと。難聴はあるが会話は可能で、腰の上げ下げも可能だった。しかし、本人には空腹感の訴えがなく、ただ家に帰りたいと言うのみ。入院当日に、サーフロー留置針を自己抜去し、ベッドから降りようとする動作がみられたため、安全対策として、ベッド上臥床時は体幹抑制、また上肢にサーフロー針を留置する場合は両手にミトンを装着し自己抜去防止に努めた。血管が貧弱であり、毎日サーフロー針を刺し替えることが困難な状態だったので、ヘパリンロックを行って数日間続けて使用した。主治医から家族へ胃・十二指腸ステント留置の提案があったが、家族は点滴治療を希望。家族に今後の生活の希望を確認すると、「できれば家で介護をしたいが、点滴をしているのでは無理ですよね」とのこと。すぐに地域医療連携室に連絡し、在宅に向けて調整を依頼した。
入院中は准看護学院の実習生と共に毎日車椅子へ乗車させ、モーニングケアとして自力での手洗い、歯磨き、整髪を行うことを習慣とし、規則正しい生活を送るよう関わった。次男に対しても、皮膚の乾燥を防ぐため保湿クリームの必要性や仕上げ歯磨きの後に乾燥防止のためオーラルバランスの必要性を説明し、介護上の注意点を指導した。食事においては、通過障害があるため水分を少量づつ飲水させ介助していたが、昼は本人の希望に合わせて棒付きの飴をなめさせて満足感が得られるようにした。
10月29日、長男、長女、主治医、ケアマネジャー、訪問看護師、地域連携室担当者、病棟看護師、看護実習生にて、在宅へ向けてのカンファレンスを行った。退院後は2週間毎の外来通院とし、その際2週間分の点滴及び必要物品を持たせる準備をした。自宅では、ベッドで体幹抑制を行うのではなく、転落の心配のない布団に休んでもらうことにした。退院4日後から訪問入浴ができるよう調整。車椅子とミトンを購入して規則正しい在宅生活と安全に点滴管理が行える環境を整えた。
11月4日退院。家族は「病院と同じ治療が家でも受けられることがうれしい」と満足していた。
<まとめ>
今回の事例から、食事摂取困難な患者が、毎日点滴が必要な状態であっても、患者と家族の希望があれば、在宅での治療継続が可能であることが分かった。したがって、今後、スタッフ間で在宅支援に関する情報を共有し、患者・家族へ必要な情報提供ができるよう関わりたいと考える。
2)精神的疾患(うつ病)のある主介護者と患者への退院支援
古河赤十字病院 松崎 敦
<ケース>66歳女性 主介護者:夫
<病名>下肢潰瘍、下肢蜂窩織炎、腰部脊柱管狭窄症
<ADL>一部介助 認知症ADL:正常
<本人家族の希望>本人:家に帰りたい、夫:病院入院か施設入所
<家族の状況>うつ病の夫と同居。また、同敷地内に夫の母親と要介護状態の父親が居住
<経過>過去2年間で4回の入院歴あり。また、夜間に救急搬送されることもたびたびあり。うつ病を持つ夫は何かと不安になることが多く、主治医との話合いや事務職員との事務手続き上などでトラブルの起こることが多かった。
平成24年6月1日、低血圧、発熱、食思不振、右下肢痛のため救急搬送。下肢蜂窩織炎、敗血症の診断。7月7日から退院調整開始。主介護者である夫と面談。下肢潰瘍の処置が毎日必要な状態であるが、本人のADLは「ベッドから車いすへの移乗が見守りで可能」であり、在宅に向けてリハビリ意欲もある。夫は父親の介護もあり、妻の介護までは無理との考え。
夫と再面談。夫は施設への入所か下肢潰瘍の処置が可能な療養型病院への転院を希望。しかし、金銭的な余裕がないとのことで、身障者手帳の申請を行い、マル福に該当すればとの思いも。(当初、腰部脊柱管狭窄症で身障者手帳申請の予定だったが、現状では3級程度にしか該当しないとのことだったので、視覚障害での申請)近隣の療養型病院への転院を打診。
7月24日、夫から面談依頼。医療機関への転院に固執していた夫だったが、近隣の療養型病院を見学し、妻が入院するような環境の病院ではない(高齢者ばかり)と判断し、在宅への退院を決意。在宅に向け、父親のケアマネジャーに依頼することになった。介護保険は、入院時に腰部脊柱管狭窄症で申請済み。下肢の潰瘍処置が毎日必要であったため、退院後は訪問看護の導入を検討。訪問看護事業所の都合で、退院後すぐには対応が難しいため、市内のショートステイを一時利用した後に在宅に移ることを検討。ショートステイ相談員に下肢潰瘍の処置について相談。
8月14日、当院退院。ショートステイの利用開始。
<まとめ>
・8月14日退院後、市内のショートステイを10日間利用。施設が気に入ったようで、本人の精神 状態は安定し、食欲も上昇。
・在宅にて訪問看護(介護保険)開始するが、金銭的な問題から2回の利用のみ。
・夫の希望であった身障者(視覚障害)2級に認定され、マル福に該当することになったため、 訪問診療が導入できた。
3)最期まで治療を続けながら在宅で死亡した若年直腸がんのケース
福祉の森診療所 赤荻栄一
<ケース>47歳男性 主介護者:妻
<病名>直腸がん末期
<ADL>一部介助 認知症ADL:正常
<本人家族の希望>本人:なんとか抗がん剤以外のがん治療を続けたい、妻:なんとか頑張り通させたい
<家族の状況>妻と高校3年の双子姉妹
<経過>平成23年1月直腸癌手術。人工肛門設置。まもなく肝転移が判明し、抗がん剤治療。その後、8月に肝転移巣摘除術施行。また、その直後に仙骨転移出現したため、放射線照射。その後に抗がん剤治療を継続した。しかし本年に入り、骨転移・肝転移ともに増大。さらに、頸椎転移出現。7月には頸部に放射線照射を行った。
頸部の痛みと腰部の痛みがあるが、もう骨転移に効果のない抗がん剤治療は受けたくないとして、8月当院受診。抗がん剤による吐き気や四肢のシビレには、もう耐えられない、とも。そして、丸山ワクチンの投与と骨転移に対するゾメタ(骨吸収抑制剤)の投与を希望したため、ただちに開始。
当院初診時、CEA:1500以上、CA19-9:500以上で、肝酵素は中程度上昇(GOT:102、GPT:94)。頸部のブロック注射とMSコンチンの継続で当院での治療開始。しかし痛みの増大あり、デュロテップパッチとオプソに変更。しだいに痛みは軽減したが、吐き気が増悪。それに合わせて、腹部の触診で肝臓の腫大を確認。また、吃逆(しゃっくり)が出現したため、吐き気の悪化は肝転移の増大による症状と診断した。
治療の甲斐なく、10月に入ると腹部膨満が進み、吐き気と痛みが増悪。肝酵素はGOT:1926、GPT:363と上昇。しかし、それでも最後まで通院治療を目指したが、起き上がるとこもできなくなったため、訪問診療と訪問看護を開始。しかし、その翌日昏睡状態となり、自宅で死亡した。
<まとめ>
・若年の末期がん患者は、「なんとか治したい」という気持ちが強い。
・しかし、がん治療の副作用にも耐えて治療を続けても、実際にがんの進行を止められないとい う現実を前にすると、あきらめの気持ちも出てくる。
・このケースでは、少しでも希望の持てる結果を期待して診察を受け、プラスの気持ちになろう と努力した。
・したがって、家で寝ているのではなく、できるだけ普通の患者と同様に通院を続けようとした 。
・そして、亡くなる数日前まで、実際に通院を続けた。最後は、本当に力つきたように自宅で最 期を迎えた。
・若年末期がん患者の診療に当たっては、家族ともども大きく揺れる気持ちに付き添うことが第 一だが、がんを治したいという気持ちを最後まで支援することが最も重要かもしれない。
2 平成24年度第4定例会「ケース検討」(平成25年2月5日古河病院にて。参加者47名)
1)在宅を望みながら病院で最期を迎えた呼吸不全の1ケース 福祉の森診療所 赤荻栄一
<ケース>81歳男性 主介護者:娘
<病名>慢性呼吸不全、糖尿病、高血圧
<ADL>一部介助だが寝たきり 認知症ADL:自立
<本人家族の希望>本人:最後まで在宅で、家族:できるだけ家で介護したいが不安
<家族の状況>娘夫婦と同居
<経過>平成23年9月、食欲不振と嘔気出現。その2週後チアノーゼを認め、SpO2が70%台に低下。CTにて両側下葉の委縮を認めたため、肺胞低換気症候群と診断され、酸素療法開始。一時、肺炎も併発したが、抗生剤で軽快し退院。11月10日から、訪問開始。
初回訪問時、酸素2L経鼻吸入でSpO2:91%。血圧122/78、脈拍76/分。HbA1cも7.0でまあまあ。全身状態は安定し、訪問看護と訪問入浴を利用することにした。
その後、ベッドからの離床も可能になり、食事は居間で家族といっしょに取れるようになった。さらに、平成24年2月からは訪問リハビリを利用して、本格的に歩行訓練を始めた。それによって、天気のいい日中は庭に出ることができるようになった。
しかし、10月トイレに行こうとして転倒。骨盤骨折を起こし、入院。これを機会に、痛みのため起床できず、さらに痰の喀出もうまくいかなくなり、全身状態が悪化した。さらに、11月末には、下痢を起こし、昼夜逆転となり、再入院。その時の検査で、左肺に癌が見つかる。さらに、全身検索で肝臓と副腎に転移が発見された。治療の適応はないと判断され、家族も同意。退院となったが、肝転移の増大によると思われる食欲低下が出現、さらに再び下痢となり昼夜逆転状態となったため、一旦最後まで家で見るとしたものの、結局、12月23日再々入院となった。その後状態は悪化し、1月3日入院のまま死亡した。
<まとめ>
・在宅酸素を使いながら、なんとか在宅生活が軌道に乗ろうとしていた時に、家で転んで骨盤骨 折を起こし、それを契機に状態が悪化した。
・骨折による痛みのため、痰の喀出が困難となり、それが誤嚥を誘った。さらに、下痢を併発し たため再入院。
・しかし、この入院で思わぬ肺がんの診断。しかも肝臓転移のある末期がんの状態だった。
・この肝臓転移が命取りになったが、最期は家で看取るとしたものの、年末に重なって状態が悪 化したため、入院の選択をせざるをえなくなった。
・その入院が最後の入院となり、病院で最期を迎えることになった。
・しかし、最期の入院期間はわずか12日であり、ほとんど家で最期まで見たことになるケースだ った。
3 平成25年度第1定例会「ケース検討」(平成25年4月2日福祉の森会館にて。参加者20名)
1) やっと落ち着いた90歳の慢性呼吸不全ケース〜沖縄行きを決めたその結果は? 福祉の森診療所 赤荻栄一
<ケース>90歳女性 主介護者:娘
<病名>慢性呼吸不全(COPD)、骨粗鬆症、認知症
<ADL>一部介助 認知症ADL:見守りが必要
<本人家族の希望>本人:病院には入院したくない、家族:もともとわがままだが、できるだけ本人の希望を尊重
<家族の状況>娘家族と同居
<経過>H19年7月から、介護付き老人ホーム入居。H20年5月から在宅酸素導入し訪問診療を受けていた。H22年9月には、間質性肺炎として聖路加国際病院入院。退院後は、訪問診療再開。その後、栄養障害による低タンパク血症を起こし、栄養剤の投与を受け続けている。本人は、暖かいところの老人ホーム入居を希望し、一旦次女の家に移り、状態の改善を待つことにした。
次女宅に移ったH24年9月から当院の訪問診療開始。血清の総タンパクは5.9g/dlでやはり低値だったが、栄養剤は飲んでいないとのこと。これは、無理に飲む必要はないと話し、そのまま好きなものを食べるようにした。血圧は102/58、脈拍82/分、SpO2は酸素2リットル吸入で97%だった。HDS-Rは18点で軽度の認知症。
居住地が変わったためと思われる夜間せん妄状態となり、夜中に騒いで家族が眠れないとのことだったので、リスパダール0.5mgを眠前に投与。これでやや安定したが不十分なため、抑肝散を追加して、その後安定。また、酸素吸入はわずらわしいとして、酸素をはずしていることが多くなったが、その状態でSpO2は80%程度で、呼吸困難は訴えなかったため、安静時には酸素吸入を止めていても構わないことにした。
状態がかなり安定したのを見て、かねてから移る予定にしていた宮古島の老人ホームに連絡を取ると、すぐに入居可能という返事だったため、航空券を予約した。航空会社の旅行支援サービスを申込み、酸素療法の継続を指示。11月26日、羽田から沖縄に向かった。那覇空港に無事到着。少しの待ち時間を置き、別便で宮古島に向かったが、到着時には心停止状態だった。次女は、本人が眠ったのを見て自分も寝入ったが、まったく本人の変化に気づかなかったという。本人は眠ったまま亡くなったと思う、と。
その後、次女は、宮古島到着直前に亡くなったのは残念だったが、以前から「みんながいるところで、眠ったまま死にたい」と言っていた通りの死に方ができたのでよかったと思うと話した。
<まとめ>
・体調が安定し、本人の希望通り宮古島の老人ホームに向かうことができ、酸素吸入を続けて飛 行機に乗ったが、宮古島到着時に機内で心停止しているのを発見された。
・呼吸不全の患者が酸素吸入をして飛行機を利用することは問題がないと言われるが、本ケース のようなことが起こり得るので、パルスオキシメーターと予備のボンベを持たせることが必要 である。
・移住の希望を叶えることはできなかったが、図らずも眠ったまま死にたいという希望を叶える ことになった。
今年の市民フォーラムは10月5日(土)午後1時30分から
古河市スペースUで
テーマ:「災害と医療〜語り継ごう大震災の経験」
特別講演:「陸前高田市での被害とその復興」
岩手県立高田病院前院長石木幹人先生
指定発言:「当院・当施設における被害の実際」
当ネットワーク会員の病院・施設等の代表
参加費は無料です
市民の方々を含め、多くのご参加を期待します