在宅ケアネットワーク古河会報第10号(平成23年5月発行)

トップページに戻る

T 平成23年度総会(平成2345日)
 古河福祉の森診療所で、初めて総会と定例会を開催しました。福祉の森診療所の待合ロビーで行いましたが、まあまあの雰囲気でした。最初に昨年度の事業報告、ついで今年度の事業計画が報告されました。今年度も、昨年同様に定例会を開催して、症例検討を行いますが、開催の順番が昨年と若干変更になります。昨年までは、10月の定例会は古河赤十字病院で開催していただきましたが、今年度はそこに福祉の森診療所が入り、12月が古河赤十字病院、そして翌年2月が古河病院になります。それ以外は、すべて昨年までと同様です。
 10月の定例会は、なにか特別企画を考えようという意見があります。ご希望をお聞かせください。たとえば、認知症に関するセミナー、あるいは胃瘻の問題などがあると思います。 
 総会に提出された、昨年の決算は以下の通りです。

在宅ケアネットワーク平成22年度決算書

(収入)

 年会費 

個人会費     10,000円(1,000円×10

施設会費     30,000円(5,000円×6

賛助会費     70,000円(10,000円×7

利子         276

繰入金      266,797

     計        377,073

   (支出)

     郵便料       31,320

     印鑑・ポスター代  17,825

     繰越金      327,928

  繰越金がかなり残っていますので、10月の定例会は、それなりの事業ができます。


U 在宅ケアネットワーク古河定例会報告(平成2212月〜234月)
        

1 平成22年度第5回定例会「ケース検討」(平成22126日古河病院にて)
 1.在宅で最期を迎えた家族性痙性対麻痺の1ケース
                         福祉の森診療所 赤荻栄一
<ケース>
64歳男性(病名:家族性痙性対麻痺、高コレステロール血症)。主介護者は妻。
<現病歴と経過>
 平成8年頃から、足を引きずって歩くようになった。平成11年には、つまずくことが多くなり、早く歩くのが困難になった。また、手すりがないと階段の昇降ができなくなった。同僚から歩き方が変だと言われ、整形外科を受診し、東京医科歯科大神経内科を紹介された。同科でのMRIで小脳に萎縮を認めた他に異常はなく、上記診断となった。家系内で発症の判明したのは、伯母、その長男と次男である。それ以前の家系調査はできなかったため、不明。鎮痙剤の投与とリハビリで症状が改善したため、退院となった。
 平成1212月、同薬の投与を外来で継続するとして、当院に紹介となった。足の引きずり歩行は徐々に進行。平成197月、前立腺肥大症による尿閉を起こし、導尿からバルーンカテ挿入となる。同時にこのころから、認知症の症状が出現。夜間不穏になり、しばしばバルーンカテを自己抜去。リスパダールでは低量でも効きすぎ、デパスで安定したため、続けた。また、歩行はほとんど不可能になり、日中はイスに座ったままの生活となった。デイサービスとショートステイを利用し、当院には外来通院。
 平成211月、興奮してバルーンカテ自己抜居。本人は、この時の記憶なし。リスパダールの併用で落ち着く。この時点で、HDS-R:22点。平成22年夏、ショートステイ中に妄想からか、職員への暴力行為や異常行動(施設の備品や貼付物をはがす、ベッドのボードをはずす、他人の胃瘻チューブをはずす、等)が出現。再び、リスパダール投与で落ち着く。しかし、次第に認知症は進み、11月になると食事を摂らなくなり、下旬には意識低下。30日に死亡。自宅で死亡確認。死亡の前日まで、奥さんの付き添いで外来通院を通した。
<経過上の問題点>
  神経難病であり、基本的に在宅ケアを続けることを第一とするケース。
  やはり、本人には、ずっと家で過ごしたいという気持ちが強かった。
  そして、奥さんにも、夫の病は不治の病なので、本人の気持ちに応えたいという気持  ち。
  また、奥さんには、遺伝性の病気であると聞き、子どもたちに分からないようにしよ  うという気持ちが強かった。そのため、子どもたちには父親の介護をさせないことに  した。
  したがって、介護のすべてを自分でやろうと決心。デイを利用して、昼間は働きに出 、夜には介護。そのため、認知症の周辺症状が激しくなった時には、共倒れ寸前の状態  になった。これは、向精神薬でなんとか乗り切れた。
  ほとんど食べられなくなった時にも、入院はせずに家で見ることにした。
  本人の希望通り、最期まで家で過ごせた。しかし、子どもたちの将来の発病の可能性
  を考えると不安と奥さんは言う。

2.家族性痙性対麻痺とは
脊髄小脳変性症のひとつで難病指定。根治療法はない。
  遺伝性性(常染色体優性遺伝)。発生頻度は10万人に23人というが、人口15万人
  の古河市に1人。
(ちなみに、この方は大阪出身で、発症した家族も大阪在住)
  発症年齢は、小児から高齢までさまざま。また、性差はない。
  下肢の痙性脱力を主徴とする、進行性の歩行困難と反射亢進。感覚機能や直腸膀胱機  能は障害されない。(この方は、前立腺肥大症で尿閉となった)
  具体的な症状は、歩くときにつま先がひっかかる、下肢がつっぱったようなぎごちな
  い歩行。

  この疾患で致命的になることはない。
  視神経萎縮や精神遅滞、認知症を伴うことがある。(この方も認知症発症。これが命  取りになった)
  痙縮に対する対症療法(薬物療法)が主体。


2 
平成22年度第6回定例会(平成2321日 友愛記念病院「県西緩和ケアフォーラ  ム」に合流して開催)

 「サイコオンコロジーの世界」  自治医大緩和医療講座 岡島美朗 先生

1.がん患者の精神障害
 47%に精神障害が認められ、そのうち主に不安と抑うつを伴う適応障害が最多で69%。さらに、うつ病性障害、不安性障害と続く。また、末期がん患者では、せん妄が最多で認知症、適応障害と続く。そして、せん妄を呈した末期がん患者は、そうでない患者と比べて、余命が短かった。

2.うつ病・適応障害
(1)
適応障害
 はっきりと確認できるストレス因子に反応して、通常予測されるよりもはるかに超えた苦痛が出現。生活機能の著しい障害を起こす。しかし、そのストレス因子がなくなると、その症状は6か月を超えて続くことはない。
(2)
うつ病
<うつ病のスクリーニング=2質問法>
@抑うつ気分=
  「気分が沈んだり、憂鬱な気持ちになったりしたことがよくありましたか?」
  「悲しくなったり、落ち込んだりすることがありますか?」
A興味または喜びの喪失=
 「どうしても物事に対して興味がわかない、あるいは心から楽しめない感じがよくあり   ましたか?」
 「以前は楽しかった友達と会ってもおもしろくない」
 「好きだった運動や音楽に熱中できない、感動しない」
 「スポーツやドラマを見ても感動しない」
(3)
気持ちのつらさの治療
 精神的サポートを基盤に、原因への対応と抗不安薬・抗うつ薬を中心とする薬物療法が基本。

3.せん妄
(1)
診断基準(以下のすべてを満たす)
 @意識障害=ボーっとしていて周囲の状況が分からない
 A認知機能・知覚機能異常=見当識障害、幻覚・妄想など
 B日内変動=一日の中で症状にむらがある。とくに夜間に悪化する
 C原因=薬物やなんらかの身体要因がある
(2)
せん妄の三大特徴
 @急性の発症
 A日内・日間変動
 B可逆性
(3)
せん妄の治療
 @原因の治療
 A抗精神病薬の服用=睡眠リズムの回復が目標
 Bせん妄の治療戦略=意識レベルを上げるため、睡眠・覚醒リズムの確保が最大の目標

  抗精神薬のみならず、どうしても眠れなければ、抗不安剤を使ってでも眠らせること が重要。


3 平成23年度第1回定例会「ケース検討」(平成2345日福祉の森診療所にて)

「がんを治す」と最期まで通院を続けた乳癌全身転移の1ケース
                         福祉の森診療所 赤荻栄一

<ケース>
66歳女性(右乳癌、骨転移、肝転移)。主介護者は夫。
<現病歴と経過>
 平成1*年9月、右乳癌と診断された時、すでに肝・骨転移あり。ただちに抗癌剤治療を行い、転移は縮小したため、翌年7月、乳房切除術施行。その後も抗癌剤の投与を続けた。その翌年、腹水が増加したが、別の抗癌剤投与により軽快。そのため、その抗癌剤を断続的に投与して、病状を安定させていた。その4年後、腫瘍マーカーが上昇。骨シンチで多発骨転移が判明。高カルシウム血症治療剤の投与開始。その後、脊椎転移の増大によると思われる歩行困難が出現したため、整形外科にて椎弓切除、椎体後方固定術を施行。歩行器での歩行が可能となった。その翌年、脊椎転移巣へ放射線照射。リハビリも終了し、7月に退院となった。しかし、骨転移巣の疼痛が増大したため、オピオイドを開始。さらに11月には腹水貯留著明となり、歩行困難となって、当院へ紹介となった。この時点で、「もう治療の方法はない」と主治医からは説明を受けた。確かに、すでに末梢静脈は今までの治療によってすべてつぶれており、点滴は不可能な状態だった。
 当院へは、可能な限り車椅子で通院し、癌の治療も続けたいとの希望。そのため、経口の抗癌剤を処方して様子を見ることとしたところ、本人は希望が持てたと喜ぶ。しかし、その1ヵ月後、全身にむくみが拡大。さらに、もうろう状態となって、移動が困難となったため、訪問開始。しかし、その最初の訪問の夜、血圧が低下し、その翌朝にそのまま在宅で死亡。肝不全による死亡と考えられた。乳癌の治療開始後8年だった。
<このケースのまとめ>
  本人には、がんを治したいという強い思いがあった。
  したがって、「もうこれ以上治療の方法がない」という主治医の言葉は受け入れ難か  った。
  外来通院を最期まで続けたのは、その治したいという強い思いのため。
  ご主人は、最期まで本人の思いを大事にし続けた。
  がんの最期は、がんの違いやひとりひとりの思いの違いによって異なるが、この人の  場合は、自宅で療養していても、まったく体が言うことを聞かなくなるまで通院を続  け、訪問の受け入れをしなかった。結局、訪問を受け入れたのは、亡くなる前日だっ  た。


10月の定例会で行う「市民フォーラム」のテーマを募集します。

現在興味をお持ちの在宅ケアに関する課題を

事務局までお申し出下さい。

参考にさせていただき、テーマを決めたいと思います。

次回の定例会は、6718時半から友愛記念病院で開催します

            ケースをお持ちの方は、事務局へご連絡下さい