時の向こうに(後)



「だからさ、リオ。気持ちは嬉しいけど、そこまでしてくれる必要はないよ」

「でも!うちだって、部品磨きや、工具の手入れは得意じゃけん!」

「う〜ん・・・・・・」

 アトラスの整備中、ハンスは、仕事を手伝いたいと言うリオの申し出に、困惑の表情を浮かべるしかなかった。まだ10歳かそこらの子供に、機械仕事の手伝いをさせるというのは、どう考えても危険極まりない。しかも、バトルメックと言う、時代の最新技術の塊に、安直に年端もいかぬ子供を近づけていいのかと云う以前に、なによりも不慮の事故が怖い。怪我もそうだが、もし万が一のことがあった場合、それこそ誰にも顔向けの出来ないことになる。

 ここに来る前のリオが、どういう環境で育ったかは薄々見当が付いているつもりだったが、いくらなんでもというのが正直な所だ。それに、一宿一飯の恩を返したいと言うその気持ちは買うが、別にそれはリオが気にすることではないし、第一、自分達大人がそうさせたらいけないことだ。しかして、ずっとこの状態で押し問答が続いている。

 さて、どうしたものか。

「どうしたのかね、ふたりとも」

「あ、大隊長、実は・・・・・・」

「どうした、その顔は?ハハハ、プレゼントでもねだられたかね」

「いえ、それなら楽なのですが・・・・・・」

「ほう、そうかね?なら、私も何か買ってもらうとしようか。たまには、身を飾ってみるのも悪くない」

「大隊長・・・・・・」

「冗談だ。で?実際のところ、なにがあったのかね」

「はい、実は、自分も仕事の手伝いをしたいと言っておりまして・・・・・・」

「ほう?」

 心底弱り果てた表情で、一連の悶着を説明するハンスの言葉に、ゲルダの表情が興味深そうに動く。

「雑用でもいいから、仕事を手伝わせて欲しい、と・・・・・・」

「なるほど」

「以前も、そうして家族の仕事を手伝っていたということなんですが・・・・・・」

「そうか、では、少し待っていたまえ」

 ハンスの説明に、納得したようにうなずいたゲルダは、一言告げるとハンガーを立ち去っていった。

「な、なんじゃろう、ゲルダ様・・・・・・」

「とにかく、大隊長が戻ってくるまで、この話はおあずけだからね」

「う〜〜・・・わ、わかったけん」

 そして、しばらくたってから戻ってきたゲルダは、一冊の文庫版の本を手にしていた。

「待たせたな、諸君」

「大隊長、それは・・・・・・?」

「うむ、これはな、リオの課題だ」

「か、課題・・・・・・?」

「そうだ、リオ。君はこの本を読み、感想文を書きたまえ。もちろん、君の考えや意見を加えることも忘れないように」

「え・・・え・・・・・・?」

「リオ、我々のために、何かの力になりたいというその気持ち、心から嬉しく思う。しかし、今の君に必要なことは、大人に混じって仕事をすることではない。今の君にとって、今でしか出来ないことがある。リオ、自分を磨きたまえ。若い時に積んだ知識と感性は、君の心を強く大きく育てる。そして、それはいつか必ず、将来において君を助ける。リオ、大樹は、なぜ大樹たりえるか、わかるかね?」

「え、そ・・・それは・・・・・・」

「それは、幹の太さではない、枝葉の広がりではない。見せかけの大きさは、いつか風雨によって打ち倒される。だが、太く深い根をもつ木は、何があろうと大地に根ざし、いかなることにも耐え抜く強さを持つのだよ」


「太く、強い、根を・・・・・・」

 ゲルダの言葉を前に、リオはエメラルド色の瞳で彼女を見上げる。

「うむ、いかに鍛え上げた肉体を持つ者も、心が弱ければいとも脆く崩れる。力はいつでも鍛えられる、しかし、心は若い時にしか鍛えられん」

「心を・・・鍛える・・・・・・」

「そう!・・・と、言うわけで、読書感想文兼ねた小論文、確かに言い渡したよ」

「は、はい!わかりました、ゲルダ様!!」

「よろしい、提出期限は一週間後。当日の昼必着だ。締め切り厳守ゆえ、しっかりやるように」

「はい!」

「うむ、良い返事だ。力作を楽しみにしているよ、リオ」

「それじゃ、失礼します、ゲルダ様!」

 ゲルダに一礼すると、リオは、彼女から渡された本を大事そうにポーチにしまうと、弾かれたように宿舎へと駆け出していった。

「有り難うございます、大隊長。助かりました」

「なんの、お安い御用だ」

「ところで、リオにはいったい、何の本を・・・・・・?」

「レ・ミゼラブルだ、古典ではあるが、時代を超えた名作だぞ」

「そうですね、確かに」

「さて、今日一杯凌げば、とりあえず一段落だ。だが、何事もなく。と言うわけには、いかんだろうな」

「はい」

 ゲルダの言葉に、ハンスが微かに緊張した表情でうなずいたとき、装甲擲弾兵小隊長リコ中尉とリビー二等兵が、慌しくハンガーに駆け込んできた。

「大隊長、いらっしゃいますか!?」

「ここにいる、どうしたね、リコ中尉」

「第1中隊のザウエル大尉から報告があり、DCMSからの軍使が、大隊長と話がしたいと言ってきているとのことです」

「軍使・・・・・・?で、その使いとやらは、今どこにいる」

「はい、引き続き、中隊の方で待機させています」

「まさかとは思うが、陣地内を案内させて、中隊本部まで接待などしてはおらんだろうな」

「それはありません」

「よろしい、では、話とやらを聞いてみるとしよう」

 ゲルダは、リコ中尉の報告に、鋭い表情を浮かべ始める。

「ハンス、聞いたとおりだ。おそらく、いや、必ず、DCMSは何がしかの動きをしてくる。アトラスを、いつでも出られるようにしておいてくれ」

「了解しました、大隊長」

「うむ、では、行ってくる。後は頼んだぞ」

 ハンスにそう言い伝えると、ゲルダはパイロットジャケットを羽織ながら、二人の部下と共に慌ただしくハンガーを去っていった。



「・・・・・・やはり貴様だったか、サナエ・アラシヤマ」

 濡れた絹糸のように艶やかな黒髪、曇りひとつない白磁のように白い肌。そして、老練の匠が磨き上げた琥珀のような瞳。DCMSの白詰襟に身を包み、艶やかな東洋系の美しさを漂わせる女性将校の姿を見た瞬間、ゲルダの顔に苦々しい表情が遠慮なく浮かぶ。

一方、サナエ・アラシヤマと呼ばれたDCMSの軍使は、そんなゲルダを見て、その端正な顔の上に、戦場には不釣合いなほど人懐こい笑顔を向けた。

「お久しぶりですね、ゲルダさん」

「そうだな、出来うることならば、二度とその顔を見たくは無かったがな」

「同期の言葉としては、あんまりじゃありませんか?」

「何が同期だ、SLDFの窮地に際して、あっさり見限った挙句に、DCMSに鞍替えした貴様が、どの口でそれを言うか」

「そうですか?ドラコ連合臣民として、祖国に忠義を誓うのは、当然のことじゃないですか。貴女にも、ライラと言う素晴らしい故郷があるじゃないですか。裏切り者呼ばわりは、少し心外ですよ?ゲルダさん」

「貴様にそれを言われる筋合いはない。・・・まあいい、今はそんな話をしに来たわけではない。大隊長直々に軍使として見えられた用向きを聞こうか、アラシヤマ少佐殿」

「そうですね、もうご存知かとは思いますが、私は、不法出国者の逮捕及び処罰の任務を前任者より引継ぎ、その任にあたっております」

「・・・・・・なんだと?」

 ある程度予想はしていたとは言え、ゲルダは、サナエの発した不穏当な言葉に柳眉を跳ね上げる。

「さらに言えば、国家機密漏洩、産業技術不法流出、職務背任、挙げれば切りがありませんが、要するに、犯罪者の処罰です。そのため、貴女の部隊に、道を開けていただきたいのです。犯罪者のために命を危険に晒すなど、益体もないことです」

「何を言っている!彼らが犯罪者だと?冗談も休み休み言うがいい!!」

「いいえ、犯罪者ですよ。彼らは正当な手続きを踏まず、国家を出奔しようとしている。国家に終身の忠義を尽くすのは、臣民として当然の義務。それを放棄するものには、相応の罰を与えられなければなりません」

「貴様・・・言うに事欠いてそれか。よろしい、貴様がそう言う考えなら、私も譲るわけにはいかん。宇宙港と移民団、SLDFの魂と名誉にかけて、必ず守り通してみせる」

「と、言うのは、国の言い分です」

「散々抜かしておいて、言い逃れか」

「なんとおっしゃっていただいても結構ですよ」

 サナエは、穏やかな笑みと口調でゲルダの言葉を軽くいなしながらも、その目は険しいものになる。

「彼らを行かせるわけには行かない、彼らは、いつかこの世界に災いをもたらす」

「・・・・・・なんだと?」

「あの者達は、望むと望まざると、この世界にとって看過できない遺恨となる。余人はいざ知らず、私は、これを黙って見過ごすわけにはいきません」

「・・・貴様が、古代東洋の神官である血と力で何を『視た』のかは知らん。だが、私とて、彼らとの契約を交わし、信任を受けた以上、貴様の思い通りにするわけにはいかん」

「・・・そうですか、残念です。私としては、かつて肩を並べて戦った友人と、これ以上事を構えたくは無かったのですが」

「散々仕掛けておいて、何をいまさら可愛いことを抜かすか。いいだろう、あと12時間以内に、移民団は全ての用意を整え、この地を去る。その間に決着をつけるしかないようだな」

「そうですね、いたしかたありません」

「我々は、移民団の船が飛び立つまで、なんとしてでも宇宙港を守る。そして、彼らが飛び立った時、あれだけの船団だ、その対空、対地攻撃能力はいかなる地上部隊、航空部隊を退けることができる。そうすれば、貴様達に出来ることはなにもない」

「おっしゃるとおり、私達としても、いったん離陸したドロップシップと事を構えるようなことは避けたいですから」

「なら話は早い、わかるな」

「いいでしょう、船団が離陸を始めれば、貴女の勝ち。私は潔く負けを認めましょう」

「フン、いいのか、そんな安請け合いを。そうなれば、貴様もただでは済むまい」

「私が勝てば、貴女が死ぬ。貴女が勝てば、私が死ぬ。ただそれだけのことじゃないですか。それに、私達の仕事とはそう言うものでしょう?」

「確かにその通りだ、私が倒れた時、その時は貴様のやりたいようにするがいい。それがこの世界における勝者の権利だ。だが、貴様を見込んで、ひとつだけ願いがある」

「それを、私が聞かなければならない義理があるとでも?」

「聞くだけでいい」

「いいでしょう」

 ゲルダの『申し出』を、サナエは眉ひとつ動かさずに聞く。そして、短くも簡潔なそれを聞き終えた時、サナエは、彼女の本来の表情なのであろう、穏やかな微笑を浮かべてうなずいた。

「いいでしょう、貴女の申し出、このサナエ・アラシヤマ、しかと承服しました」

「誓えるか?」

「我が魂、神刀巫王村雨にかけて」



 ゲルダの帰還後、大隊本部はDCMSの最終攻撃に備え喧騒を増していく。そして、出撃準備の整ったメックや戦闘車両が、整備隊員に誘導され、次々とハンガーから出撃していく。

「2時間後、ですか!?」

「そうだ、その時に、DCMSが最後の攻勢をかけてくる。私のアトラスは万全か?」

「はい、戦闘装備は完了しています。いつでも出られます」

「よろしい、君達整備班は作戦行動開始後、所定の行動に移るように。詳細及び指示は、ガストン大尉に従うように、いいな」

「了解しました、大隊長」

 ゲルダの装備品の着装を手伝いながら、ハンスは苛立つように声をもらす。

「よりにもよって、今日が最後って言うときに・・・・・・」

 パイロットスーツに身を固めたゲルダは、急変する事態に歯噛みするハンスに対し、余裕を含んだ表情で、諭すように言葉をかける。

「だからこそだ。連中、どうあっても移民団を宇宙に上げるわけにはいかんらしい。当然の成り行きと言うものだ、驚くには値しない」

 義足の足首に、パイロットスーツの裾をテーピングで巻きつけながら、ゲルダは、ふと思い出したようにハンガーを見渡す。

「それはそうと、リオはどうしているね。見送りにくらい、来てくれても良さそうなものだが?」

「はい、出撃の邪魔になりたくないからと、宿舎で待機しています」

「なんとも、薬が効きすぎてしまったかな。相変わらず奥ゆかしいが、実に素直で良い子だ。よかろう、今は、あの子の心意気を汲むとしよう」

 穏やかな笑顔から一転、鋭く表情を引き締めたゲルダは、その口元に猟師のそれに似た笑みを浮かべる。

「さて、私はそろそろ、あの女狐とその郎党共を出迎えてやらんとならん。ハンス、後のこと、特にリオのことを頼んだぞ」

「あの、申し合わせ・・・ですか」

 ゲルダの言葉に、ハンスは、微かに複雑な表情を浮かべてる。

「そうだ、あれは大事な書簡だ。リオと同じく、大切に扱うようにな」

「了解しました、それでは、お帰りをお待ちしております」

「本当にわかっているのかね、君は。まったく、困った奴だ」

「それが、自分の売りでありますから」

 どこまでも実直で、そして不変の忠誠を貫き続ける、この青年下士官に、ゲルダは、心からの笑顔で応える。

「そうだな、確かにそうだ。では、行ってくる」



「この風、この匂い、これこそ戦場」

 開け放ったアトラスのコクピットで、ゲルダは、まだ見えぬ、しかし、やがて来たる敵を待ち、歴戦の光を、たったひとつ残った左の碧眼に燃え上がらせる。

「ローゼンガーテンから、各中隊及び特機部隊、配置状況如何に」

『アイギス1、全機、配置完了』

『デュランダル1より全機、配置よろし』

『グラディウス1より全機、配置完了しました』

『フライシュッツ全車、配置完了です』

「よろしい。我々は、リフトオフまでの時間を稼ぎ切ればいい。作戦概要は、全隊に通達した通りだ。演習のひとつも出来なかったが、諸君なら心配要らないと信じている、以上だ!」

『了解!』

「よろしい、諸君の健闘を期待する」

 士気も高い各中隊長の復唱に、ゲルダは満足そうな表情でうなずく。以前と違い、アトラスは各中隊へ効果的に配置換えした。教練機とはいえ、中隊構成をなすカメレオンと、最新型の重支援機、ライフルマンもある。そして、余剰機材となったフューリーIIを列外部隊として再編成した重戦車隊。これだけ揃えて守りきれなければ、

「私は無能と言うことだ」

 生まれた時には、既に傾きかけていた家。だが、そんなローゼンブルグ家をローゼンブルグ家たりえさせていたのは、祖父の成したSLDFでの輝かしき戦功と、その愛機であったオリオンの存在。

 そして、そのオリオンは、アマリス戦役において、ケレンスキー親衛部隊編成の際に徴用され、その補償として、このアトラスが与えられた。

 使い古された強襲級メックと、鳴り物入りの新鋭機。それが、どのように引き合うかはわからない。そして、知りたいとも思わなかった。ただ、ケレンスキー将軍が熱望したから、そして、十分な補償を確約されたから。さらに言えば、祖父も父も既に他界し、誰も彼女の決定に異を唱えるものがいなかった。それだけ理由が揃えば十分だった、だから、ゲルダはオリオンを手放した。

 アマリス戦役の混乱が沈静に向かい始めた頃、移民団の打診をゲルダは丁重に断った。断った以上、アトラスを返上することも覚悟の上での返事だった。しかし、相手側からは、了解するとの返答を受け取った。アトラスは、そのまま彼女の元に残り、そして、先祖代々受け継がれてきたオリオンは、ケレンスキー将軍と共に星の海を旅することとなった。

 未だに、なにをして旧式強襲メックと、新鋭強襲メックが釣り合ったのか、理解に苦しむのも正直なところだった。しかし、この新しい超重メックと共に、戦士としての歩みを始めている。それだけは、確かな事実として、ゲルダの元にある。

「私のような凡俗には、及びも付かぬこともあるということだ」

 もちろん、不満など欠片もない。現に、このシートに未だこうして座り続けていられるのも、アトラスの力があったからだ。でなければ、自分は当の昔にケシ炭の欠片となり、あの忠義篤い青年の手で、涙ながらに葬られていただろう。

「始まったか」

 見えるわけではない、だが、戦場の空気に火がついた瞬間。それはもはや、この空気を自分の一部にしてしまったからこそ判る感覚。それは、アトラスの横っ面に据え付けられた、それこそ大気圏外の船とも交信出来る、目が眩むほど贅沢な電子装備の助けを借りるまでもない。

「可もなく不可もなく、まあ、始まったばかりだから当然だ」

 部隊指揮管制ディスプレイに映る、友軍と敵軍のアイコンに、その動向を観察しながら、宇宙港の管制塔に通信を入れる。

「こちらSLDF宇宙港警備大隊、ローゼンガーテン。管制、船団の離陸予定はどうか」

『こちら管制塔、発射シークエンスにトラブルなし。全て予定通り、どうぞ』

「了解した、ここは何があっても守りきる。そちらは、打ち上げが完了するまで、最善を尽くして頂きたい」

『管制よりローゼンガーテン、了解しました』

 もはやこういう状況に慣れきってしまったのか、それとも、こちらを信頼してくれているのか。不安の色ひとつ匂わせない管制塔責任者の声に、ゲルダは小さくため息をつく。

「人間、不惑たれとは思うものの、硝煙の香、砲声の音色に怯まぬというのも如何なものか。つくづく、狂ったこの世の業と言うものか」

 呟きつつも、ゲルダの思考は、各中隊長から定期的に入ってくる報告を元に、状況を整理し、二手三手先を組み立て続けていた。

「気に入らんな」

 ゲルダは、先鋒の第1中隊を突付きまわすようなDCMSの動きに、不愉快気に眉を動かす。

「こちらの腹をしつこく探るか、どうやら、取って置きのオモチャがあるようだな」

 予想よりも長く持ちこたえている第1中隊の状況に、ゲルダの疑念は確信に変わり始めていく。

「ローセンガーテンより一斉、デュランダル、グラディウス及び、フライシュッツ全車は予定を繰り上げて移動しろ。今までは連中の小手調べだ、もうすぐ本性を現してくるぞ。アイギス各機は応戦しつつ、即応態勢を取れるよう、相互連携を確認」

『了解、前進します』

「気を抜くなよ、あの女狐が、この程度で済ますはずがないのだからな」

『カルメン1よりローゼンガーテン!敵高機動メックの増援あり・・・・・・奴はドラゴン!?畜生!そのまま突貫するつもりです!!』

「言ったそばからこれか、可能な限り奴らをパックフロントに誘導しろ。デュランダル、グラディウスは両翼を固めろ。急げよ、アイギスを孤立させるな」

『ヤヴォール!』

「ドラゴンか、なるほど、サナエの奴、いいものを見せびらかしてくれるではないか。フライシュッツ全車は、私に続け!」

 待ち望んだ瞬間を歓喜するかのように、アトラスは、その凶悪な相貌にレーザースキャナーの光を赤く浮き上がらせる。そして、地獄の猟犬を引き連れた鋼鉄の魔王は、贄を求めるかのように、轟然たる地響きと共に進撃を開始した。



『ベリエル1よりランス各機、敵の第二波を視認した、迎撃用意!』

『なんて数だ、あんなにたくさん出してきた』

『オリバー、安心しろ。あの全部が、お前を狙っているわけじゃない』

 長大なオートキャノンの砲身を構え、騎兵隊のように押し寄せてくるドラゴンの群れを前に、宇宙港警備部隊のメック戦士は、その高機動重メックの姿に、緊張の色を全身に走らせる。

「いかにも、ザウエルの言う通りだ。必要以上に恐れることはない」

 戦線に到着したアトラスと、その主の言葉に、その場にいた全員が歓呼の声を上げる。

「ローゼンガーテンより一斉、大隊はこれから総力戦に入る。だが、カメレオンとて連中に後れはとらん、諸君自身と愛機を信じろ。相互連携を密にしつつ前進、前に出てきた奴から集中的に潰せ。連中のペースに引きずられることはない、二機一組を崩すな、いつも通りに片付けろ」

 オートキャノンやミサイルを乱射しつつ、高速で突撃してくるドラゴンの集団に、一時動揺を見せたカメレオン達は、前線に到着したアトラスと、それを駆るゲルダの指揮によって、すぐさま元の統制を取り戻し、中隊全機は示し合わせたかのように、それぞれの獲物に向かって襲いかかっていく。

「ローゼンガーテンからアイギス各機、偶数機は私に続け!奇数機は突撃を支援!!」

 ゲルダの号令一下、各小隊は、アトラスを先頭に、カメレオン達は訓練され尽くした猟師と猟犬よりも精密に、そして流れる動きを組み上げ突撃する。そして、その後方からライフルマンが支援砲撃で敵を牽制しつつ前進する。

「第一波の生き残りはフライシュッツに任せろ!足の速い新型を抑える!」

 押し寄せる二つの波が激突するように、攻め手と守り手が全力でぶつかり合う。そして、ドラゴンからなる高速突撃隊の打撃を、辛うじて押し止めた宇宙港警備大隊は、そのまま敵の足を釘付けにすると同時に、攻め手の勢いすら凌ぐ逆襲を開始した。

 双方が互いを粉砕せんと突撃し、レーザーの光芒が大気を焼き、ミサイルが白煙の尾を描いて飛翔する。そこには、敵意も殺意もない、純粋な闘争心同士が激突する。

 押し寄せるDCMSメック部隊が撃ち放つ、オートキャノンやミサイルの十字砲火の前に、腕を吹き飛ばされ、装甲を粉砕されるカメレオンの前に立ちはだかるように、アトラスが鋼鉄の暴風の前に身を晒す。そして、激しく降りかかる敵弾に少しも怯むことなく、痛めつけられた仲間の返礼とばかりに、ミサイルとレーザーの一斉射撃を炸裂させる。

 そこへ、デュランダル隊とグラディウス隊のアトラスが先頭となって敵の隊伍に切り込み、後続のバトルメック隊が、敵の戦列を弾くように両翼からその動きを押さえつけていく。そして次々とレーザーの束を浴びせかけるカメレオンと、その後方で睨みを利かせるライフルマンの弾幕との連携の迎撃に遭い、DCMSメック隊は、フューリーIIのガウスライフルが待ち受けるパックフロントの射線上へ、じわじわと押し出されていく。

「教練機と思って甘く見たな、我々にとってこいつは手足も同然。まさに人機一体よ」

 射程外から飛来する、ガウスライフルの狙撃を受け、あるものは脚を鈍らせ、あるものは強行突破を図ろうとするドラゴン達は、ほんの僅かに乱れた統制の隙を見逃さなかったアトラスや、群狼のようなカメレオン達の襲撃を受け、もはや進むことも退くこともままならない状況に陥っていた。

「随分簡単に浮き足立ってくれたものだ、まだ慣れていないのか、それとも何か隠しているのか」

 一度その俊足を鈍らされた後は、その重装甲を頼りに罠から抜け出そうと躍起になるドラゴン隊の様子を伺いつつも、ゲルダはなおも用心深く戦況を探る。その時、チリチリと首筋を撫でるような感覚に、その足はフットバーを目一杯踏み込んでいた。

 背後から響く落下音、そして、振り向きざまにアトラスが繰り出した腕刀は、急降下攻撃を仕損じたフェニックスホークを横様に薙ぎ払い、轟音と共に、その左腕を不自然な方向に曲げさせた。

「惜しかったな、いや、実に惜しかった」

 目の前の敵が、その自慢の機動性を発揮する前に、その襟首を掴み上げたアトラスは、もう一本の腕を振り上げる。そして、脆弱な装甲に包まれた頭部に、文字通りの鉄拳を容赦なく叩き付け、まるで生卵を割るように粉砕した。

「さて、どこかに首尾よく、無傷の頭があれば儲けものだが」

 首無しのフェニックスホークを突き飛ばすように放り捨て、再びアトラスを走らせながら、ゲルダは自分自身の言葉に冷笑する。

「なんとも、実に業深きは我が身よな」

 その間にも、戦局は次第に乱戦と化し、暴風のように飛来するミサイルや砲弾に、限界を超えたカメレオンが炎に包まれ、片腕を吹き飛ばされたライフルマンが、懸命に回避行動を組みつつ、彼我との間合いを取ろうと、残った腕の火器を乱射する。

 その一方で、アトラスのAC20の直撃を受け、もんどりうつように転倒したシャドウホークが、戦車やメックからの容赦ない集中砲火を浴びて炎上し、その隣では、執拗な牽制と弾幕の前に、進路を阻まれ脚を止められたドラゴンが、交互に死角からの攻撃を浴び、もがくように抵抗を続ける。

 装甲の破片と火花を飛び散らせながら、なおもレーザーの照射を浴び続け、剥き出しの中枢から火を噴き始めたドラゴンに、カメレオン達はなおも集中的に大口径レーザーを撃ち続ける。そして、その竜の鼻面に似た胸部が、弾薬の誘爆で爆ぜるように吹き飛び、轟音とともに崩れ落ちるドラゴンを省みることなく、彼らは次の獲物に向かって走る。

「前に出て来た奴から確実に潰せ!一切遠慮するな、奴らのブシドーに付き合う必要など無い!!」

 あくまでも守勢に立つ彼らにとって、一秒でもロスすることは、それだけ先制の機会を失う事につながる。そして、カメレオンの俊足と火力は、十分にそれに応え続け、DCMSの足並みに絡み付いていく。

「焦ることはない、リフトオフまでの時間を稼げればいい!ドロップシップが飛べば、我々の勝ちだ!!」

 執拗なドラゴンの砲撃に耐えながら、アトラスはその重装甲にものを言わせつつ、じりじりと距離を詰める。そして、偏差を見越して発射したミサイルが次々と炸裂し、ドラゴンが僅かに足を止めたその瞬間、アトラスは猛然と襲いかかっていく。

「せっかくの新型、使いこなせなければ無意味と知れ!」

 捕捉したドラゴンのオートキャノンの砲身を握り締め、へし折らんばかりの勢いで振り回すアトラスは、なおもひねり上げるように、その機体を押さえつける。

「さあどうした、駆けずり回るだけで、取っ組み合いは苦手か?そんな様では、誇り高き神獣の名が泣くぞ!!」

 空いた左腕を振り回し、懸命に抵抗するドラゴンに、全重量を加えてのしかかり、そのまま地面に叩きつけるようにひねり倒す。そして、二度と立ち上がらないよう、その膝を踏み砕き無力化する。そして、上半身を旋回させ、カメレオン達の集中攻撃を浴びて足止めされていたドラゴンに照準を向け、ミサイルの弾幕を直撃させた。

「なかなかに頑丈な奴だ、なら、これでどうかな!」

 10数発ものミサイルの炸裂によろめきながらも、どうにか姿勢を立て直し、長大なオートキャノンの砲身を振りかざして向かってくるドラゴンに対し、アトラスも迎え撃つように突進し、一気に距離を詰めると、その主砲ともいえるAC20を直撃させる。その致命的な一撃に、力尽きるように膝を突き、崩れるように横たわったドラゴンは、全身から黒煙と炎を吹き上げて沈黙した。

「ローゼンガーテンより管制!進捗状況はどうなっている!?」

『管制塔よりローゼンガーテン。発射シークエンス順調、カウントダウンまで予定通りです』

「よし、頼んだぞ。敵は我々がなんとしてでも抑える。諸君らは、彼らを間違いなく宇宙へ打ち上げてくれ!」

『管制よりローゼンガーテン、了解』

 その間にも、次々と突進してくるドラゴンにレーザーを浴びせかけ、ミサイルの弾幕を叩きつけ、その強靭な正面装甲を粉砕する。中枢を剥き出しにするほどの損傷を受けながらも、それでもなおレーザーやオートキャノンを乱射しつつ突撃するドラゴンを迎え撃ちながら、ゲルダの表情に苦いものが浮かぶ。

「練度はともかく、このしぶとさはやっかいなものだ」

『カルメン1よりローゼンガーテン、おかしなチャージャーがそちらへ向かっています!カルメン3がやられました!』

「なに?」

 部下からの通信に眉をひそめつつも、組み合っていたドラゴンに、ほとんど零距離からのAC20を直撃させ、転倒したドラゴンのコクピットにとどめの蹴りを繰り出そうとした瞬間、それを阻むようなレーザーの掃射を受ける。そして、この激戦の中において、場違いなほど悠然と接近してくるチャージャーを見つける。しかし、どこか歪さを感じさせるその機影に、ゲルダは直感的に獰猛な笑みを浮かべる。

「やはり出て来たか、待っていたぞ!!」

「お待たせしたようで恐縮です、なかなか先に進めなかったものですから」

「フン、手駒を全て取り上げて、泣きべそをかかせてやろうかと思ったが、やはり、直接根性を叩き直してやる方がいいかもしれんな」

「随分根に持たれたものですね、ですが、よろしいのですか?大事な部下の皆さんを放っておいても」

「余計な気遣いは無用に願おう、何のつもりで出てきたかは知らんが、いらぬお世話だ」

「随分ですね、寂しいじゃありませんか」

「貴様がウサギなら、もっと寂しがらせてやるのだがな」

「やれやれ、随分と嫌われてしまったものです。とはいえ、強襲級メックに乗ってまでする会話ではありませんね」

「強襲級?逃げ足だけが取り柄のそいつがか」

 サナエの言葉に、ゲルダは失笑にも似た表情で、眼前に立つチャージャーを見る。チャージャーと言えば、今さら言うまでもない。メック史上類を見ない失敗作として名高い機体のそれが、同じ強襲級とは言え、最強の誉れ高いアトラスと対峙しようという。

 それは、ゲルダでなくしても、ある程度メックを知るものなら、誰でも考えうること。そして、途方も無く無謀な行為。しかし、サナエは、チャージャーのコクピットの中で、楽しそうな笑みを浮かべる。

「それがですね、そうでもないんですよ」

 その瞬間、チャージャーの右胴から突然轟いた発砲音と同時に、アトラスの左肩に懸架した装甲が粉々に吹っ飛んでいく。

「ぐあっっ!?」

 文字通り、予想外の攻撃に驚愕の悲鳴を上げるゲルダの反応に、サナエは実に満足そうな表情で、転倒しかけながらも辛うじて踏みとどまるアトラスの姿を見る。

「この点については、貴女に感謝しなければなりませんね。あの時、貴女がサイクロプスのスクラップをこしらえてくれたおかげで、私はこの子に面白い工夫をすることができたんですから」

「なんだと・・・・・・?」

「我ながらみっともないお話ですが、前任者の尻拭いで転任してきて早々、貴女の所の戦車達に、この子のエンジンを壊されてしまったんですよ。幸い、爆発こそしなかったんですが、機体はほとんど使い物にならなくなってしまったんですね」

「フン、いっそ吹っ飛んでくれた方が面白かったのだがな」

「まあ、そうおっしゃらず聞いてくださいな。エンジン、武装、その他色々揃っていたおかげで、この子を修理することができたんですけど、どうです、まるで別物でしょう?」

「サイクロプスの・・・・・・?貴様、まさか!」

「ええ、折角ですから、試しに使わせて頂きました。駆けっこは少し遅くなりましたけど、そのかわり、なかなか勇敢な子になりましたよ」

「なるほど、面白いマネをする。まさにキメラと言ったところか。いいだろう、その寄せ集めがどれだけ使い物になるか、私が試してやろうではないか」

「そうですね、相手にとって不足はありません」

「さっきは油断したが、今度はそうはいかんぞ!」

「その台詞、死ぬ感じですね」

「黙れ!どこまでいっても口の減らん奴め!」

 対峙する二機のアサルトメックは、轟然たる地響きと共に激突を開始するや否、お互いのレーザーが飛び交い、装甲を焼き、火花を飛び散らせる。そして、アトラスとチャージャーは、互いの出足を伺うように、同心円を描くように疾走すると、ほとんど同時に、二つのAC20が火を噴いた。

「ぐわっ!!」

「あっっ!!」

 アトラスの砲弾はチャージャーの右肩の防盾を砕き、チャージャーの砲弾は、アトラスの胸板に直撃する。その、お互いの強烈な打撃に、たたらを踏むかのようにその巨体を揺らがせながらも、アトラスとチャージャーは、すぐさま足場を取り戻し、間合いを計るように走り出す。

「腕が鈍ったようですね、ゲルダさん!」

「そうだな、頭を狙ったが、惜しいことをした!」

「相変わらず、怖いことをさらりと言いますね。そんなことだから、30を過ぎても独身なんですよ」

「貴様に言われる筋合いは無い!そっちこそ、似合いもしない軍人など辞め、育児に専念した方がいいのではないか?」

「おかげさまで子宝に恵まれまして、そうそう、誕生祝い、有り難うございました。あの子ときたら、片時も手放そうとしないんですよ」

「気に入ってもらえたようでなによりだ、選んだ甲斐があったというものだよ。こちらこそ、見舞いの品、有り難く頂戴したぞ。なかなかに美味だった!」

 主達がぶつけ合う言葉とは裏腹に、アトラスとチャージャーは、激しくレーザーを叩き付け合い、全身から金属崩壊の火花を飛び散らせる。

「もう一度、人の親である貴様に尋ねたい、何故そこまで移民団の門出を阻もうとする!彼らの夢を阻もうとする!」

「愚問ですよ、ゲルダさん。国家は、裏切り者を処罰する。それだけのことです」

「ミノル・クリタの言い分などどうでもいい、貴様の事を聞いている!」

「貴女らしくもないですね、何度も同じことを言うのは、好きではないんですよ」

 ゲルダの再三の問いに、サナエの表情が静かに消える。

「貴女が彼らを守るというのなら、それも良いでしょう。しかし、私は彼らを飛ばせるわけには行かない。袂を分かったとは言え、お互い軍人です。それ以上もそれ以下もない、だから貴女らしくないと言うんですよ!」

 全身に怒りを漲らせるかのようなチャージャーと、その主の言葉に、ゲルダは、ほんの僅かに顔を伏せ、声を搾り出すように呟く。

「そうか」

 そして、再び顔を上げたゲルダの目は、全ての迷いも理屈も消え失せていた。

「ならば、是非も無き話よな」

全てのものに破壊を与えんとするが如き相貌が赫く燃え上がり、出力全開で駆動を始めた全身のサーボモーターが、咆哮するかのような唸りを上げる。先ほどまでの、致命傷を与えることをためらうかのような様は微塵もなく、アトラスは怒り狂った魔神のようにチャージャーに襲いかかった。

「もはや語るまい!!」

「それでこそ戦士たるべき姿。これで私も、心置きなく貴女を潰せます」

「ほざけ!やってみせろ!!」

「それでは、遠慮なく!」

 ほんの一瞬の静を溜めたアトラスとチャージャー、その瞬間、二機のアサルトメックは、目の前に立つ敵に向け、全身ありとあらゆる火器を叩きつけるように砲門を開く。

「貴女とて子を持てばわかるでしょう!我が子が生きる未来、それを継ぐ子が生きる未来!その未来が侵され、破られる!それを座して見ていろと!?」

「親が子の歩く道の石を除けて回るか!」

「それの何がいけないというのです!」

「安楽な道を与えるよりも、険しい道を越える力、何故育てない!」

「それは、子を持たぬ者の理屈です!」

「私とて、物の道理くらい判る!!」

 レーザーが大気を焼き、ミサイルや砲弾が大地を抉り、土柱を噴き上げる。そして、その余人を寄せ付けない激しい攻防のさなか、再び宇宙港管制官から進捗状況を告げるアナウンスが届く。

『待機中ドロップシップ各機、シークエンス最終チェック完了、発射3分前!』

「くっ・・・・・・!」

「さあ、もう時間はないぞ。諦めて帰ったらどうだ!?」

「ふっ・・・・・・・・・っ」

 傍受した宇宙港管制官のアナウンス、そして、ゲルダの言葉の前に、サナエの唇が妖しく歪む。

「こんなことなら、もう少し早く来ていただくようお願いしておくべきでした」

「何を言っている、気でもふれたか・・・・・・ぬぁっ!?」

「うふふ、どうなさいました、ゲルダさん?」

「貴ッ様ァァ・・・・・・・・・ッ!」

 アトラスのコマンダーシステムのディスプレイには、少なくとも一個中隊分の気圏戦闘機を示す敵性マーカーが、宇宙港に向っていく様が刻々と表示される。


「調べた情報よりも速い、そして効率的にシークエンスをクリアしている。とても働き者です、そして、有能。あの宇宙港のスタッフ、是非とも私の所に欲しいものです」

「うるさい!黙れ!おのれ畜生め!なんて真似をしてくれた!全ランス偶数機、ヤーボが来る!対空戦闘用意!!」

 予想外の事態に、ゲルダがそうであるように、大隊に動揺が走る。そして、ライフルマンがオートキャノンの砲身を空に向けたその時、次第に大きくなる爆音と共に、滲み出るようにゼロ気圏戦闘機の編隊が飛来する。

『FCSをAAモードにシフト!叩き落せ!!』

 マッケイン曹長の号令と同時に、対空モードにシフトしたライフルマンは、編隊めがけて対空砲火を張る。偏差予測を織り交ぜた弾幕の前に、運の悪い数機が火を吹いて失速するが、僚機の撃墜や地上からの抵抗に目もくれず、気圏戦闘機の編隊は、警備大隊の頭上を飛び抜け、宇宙港に向かって飛び去っていった。

「しまった・・・・・・!!」

 飛び去る編隊を目で追うゲルダに、初めて焦りの色が浮かぶ。ドロップシップ本体はともかくとしても、施設を破壊されてしまえば、あれだけの機数が居並ぶ状況で、管制指揮を欠いた離陸時の事故率は倍以上に跳ね上がる。そうなれば、混乱と遅滞状況に陥ったところを付け込まれるのは間違いなく、施設、船体とも重大な損害を受け、事実上打ち上げは不可能になってしまう。

「ライフルマンは全力で気圏戦闘機を追え!残りはランスリーダーを先頭にして、可能な限り押し止めろ!!」

「メックの足で、間に合うものですか」

 戦線を離れ、慌てて宇宙港に向かって走り出すライフルマンの姿に、サナエは冷笑じみた光を浮かべる目を向ける。

「グルシェンコフ隊はライフルマンを排除!アシザワ隊、フチダ隊は相互連携のもと宇宙港に突入!目標に少しでも多く損害を与えなさい!!」

 サナエの指揮に、DCMSの攻撃隊はさらにその勢いを増し、もはや暴走とも言えるような勢いで宇宙港を目指して突撃を開始した。

「させるか!莫迦者!!」

 自軍の配置状況を素早く確認し、ゲルダは各隊に指示を飛ばす。

「アイギスはアトラスを先頭に壁を作れ!デュランダル、グラディウスはラインを下げ、回り込みに備えつつ両翼から叩け!フライシュッツ全車は弾幕展開、なんとしてでも奴らの足を止めろ!伴走する偶数機はライフルマンを守れ!一機たりともやらせるな!!」

 射程から消えかけていく気圏戦闘機の編隊を追い、懸命の対空砲撃を続けるライフルマンの背中を守るように走るカメレオン達は、押し寄せる追撃部隊からわが身を盾にしつつ、後衛の戦車隊の援護を受けながら、追撃部隊のドラゴンを迎撃する。

 そして、被弾に怯むことなく、その重装甲と機動力を頼みに疾走するドラゴン達は、他に目もくれず、せきを切った濁流のようにひた走る。それに追いすがるように、アトラスが、カメレオンが、ライフルマンが走り、可能な限りの火力を叩きつけ、ライフルマンに襲いかかるシャドウホークにカメレオンが飛びかかる。それでも、DCMSのメック達は、被弾し転倒した直後、爆発炎上する僚機の爆炎をくぐり抜け、その破片を踏み砕き、蹴散らしながら、ただ前へ前へと疾走する。

「また奴らのバンザイ・チャージか、下手に統制を取られるよりタチが悪い!!」

「よそ見はいけませんよ、ゲルダさん!学生時代からの、貴女の悪い癖です!」

「ぐわっっ!!」

 急変した状況に、ほんの一瞬注意を分散させられた隙を付かれ、チャージャーの接近を許してしまったアトラスは、その顔面を捕らえられ、コクピット全体を揺るがす振動に振り回される。

「こいつ!・・・・・・うわっっ!?」

 アトラスの顔面を締め上げるチャージャーの右手は、装甲を軋ませ、センサーやキャノピーを破壊し、まるで、目を抉るかのようにめり込んだ指が、破片や火花とともにコクピットに飛び込み、ゲルダに悲鳴を上げさせる。

「貴様ァァ!!」

 アトラスは、自分の顔面を握り潰さんとするチャージャーを振りほどこうと抵抗するが、互いの機体同士がほとんど密着した体勢では、その鉄拳も蹴りも、ただ徒に装甲をけたたましくぶつけ合うだけだった。

「さきほどから随分な余裕と思ったが、こういうことか!この女狐め!!」

「切り札は、最後の最後に出すからこそ、必殺なんですよ」

 完全に優位を取ったチャージャーは、その巨体をのしかからせるようにアトラスの動きを抑え付け、顔面の装甲を剥ぎ取らんばかりに捻り上げるマニュピレーターは、金属の歪む音を上げさせて容赦なく締め上げていく。

「ゲルダさん、もういいじゃありませんか!貴女は十分頑張りました、これ以上自分を虐めてどうしようと言うんですか!?私は・・・・・・!!」

「くどいぞ!サナエ!!」

 暗に投降を求めるサナエの言葉に、ゲルダは、それを跳ね返すように一喝する。

「それこそ大きなお世話と言うものだ!サナエ、お前は私の顔を見ただろう!?私の足を見ただろう!?今さらこんな所で膝を折るくらいなら、最初から戦場に戻りなどしない!メックを駆りなどしない!!」

「ゲルダ・・・さん・・・・・・!」

「いいか、サナエ!私はベッドの上で泣き濡れていることより、力無き者の剣となり盾となることを選んだ女だ!私は何があろうと、絶対にそれを曲げたりはせん!いいか、絶対にだ!!」

 苛烈なまでの覚悟と、熱狂すら帯びる純粋な意志を伝える咆哮に、サナエの目にありとあらゆる感情が浮かび、消えた。

「・・・・・・わかりました、ゲルダさん。あの頃と少しも変わらない貴女に会えたこと、私にとって最上の喜びでした」

 サナエの言葉に滲む覚悟に呼応するかのように、チャージャーの額のスモールレーザーが、そのレンズをアトラスの眉間に焦点を向ける。

「貴女の信念、私如きで曲げられるものでは決して無かった。むしろ、哀れむべきは私自身なのでしょう」

 アトラスの頭部装甲が、力を増したマニュピレーターの圧力で加速度的に歪みを増し、軋みを上げて引き剥がされていく。それは、スモールレーザーの直撃にさえ、到底耐えられるもので無くなっていく。

「貴女との約束は果たしましょう、リオさんは、私が責任を持ってお預かりします。それが、私が貴女に出来る唯一の事なら!」

 今まさに、サナエの指が、レーザーのトリガーを引かんとしたその時、外部チャンネルの無線が、インカムからその声を響かせた。

『緊急!緊急!これより、タスク32から78を繰り上げ、発射体勢に入る。各ドロップシップ、コンディションの最終チェック通達!』

『制御室より管制、タスク繰上げによる影響クリアー。攻撃による損害、許容範囲内。全ドロップシップ、コンディショングリーン!』

『了解、これより最終タスク実行!・・・・・・システムオールグリーン、カウントダウン、10、9、8、7、6・・・スターティングミッション!』

 気圏戦闘機の攻撃に耐えつつ、打ち上げを開始する管制塔スタッフが、全てのドロップシップ達に向けて発信したアナウンス。そして、それはゲルダとサナエの耳にも伝わる。

「まさか!あの状態で繰り上げる!?」

 驚きの色を隠せないサナエの声に、ゲルダは不敵な笑みを浮かべながら、操縦桿を握り締めた。

「サナエ、済まないが、私はまだここで討たれるわけにはいかんようだ!」

「くっ!?」

 サナエ自身の動揺が、チャージャーにほんの僅かな硬直を生み出したのを見逃さなかったゲルダは、委細構わずアトラスを全力で踏み込ませ、機体をチャージャーに激突させる。そして、顔面の装甲が引き剥がされるのも構わず、力任せに彼我の間合いをこじ開けたその瞬間、額から発射されたレーザーが、アトラスの頭を掠め、装甲の破片と火花を撒き散らした。

「喰らえ!!」

 煙と火花が充満するコクピットの中で、ゲルダは半壊した頭部装甲の向こうに見えるチャージャーめがけ、乾坤一擲の力を込めたボディブローを炸裂させる。完全に目視で放たれたアトラスの鉄拳は、狙いたがわずチャージャーのAC20ユニットを叩き潰し、装甲の破片と火花を撒き散らしながら、右胴部中枢にまで突き刺さっていく。

『・・・・・・・3、2、1、0・・・イグニッション!』

 その瞬間、遠雷のような響きと共に、宇宙港の方向から、噴煙のように白い煙が立ち昇っていく。それは、足枷を解き放たれたドロップシップ達が、天に向かい駆け上がり始めた事を示す。

「そんな・・・・・・船が・・・・・・!?」

 次々と飛び立っていくドロップシップ、その光景を目の当たりにし、精も根も尽き果てたかのように、チャージャーは全ての力を失い、ただ立ち尽くすかのように沈黙した。そして、覆いかぶさるような蒼空の下、胴を抉られ、損傷した中枢を露わにしたチャージャーと、顔の右半分を焼き削られ、剥き出しのコクピットを晒すアトラスが、互いに向かい合い並び立つ。

「・・・・・・攻撃隊全機に告ぐ、作戦は失敗。各自撤退、繰り返す、各自、撤退」

 大地から解き放たれるかのように、天へ駆け登っていく航跡を見上げながら、サナエは、率いる部隊全てに撤退命令を出す。そして、目の前のアトラスに視線を戻すと、ほろ苦い笑みを滲ませた。

「・・・・・・貴女の悪運の良さには、本当に、昔からうんざりさせられますよ」

「そう言うな、だからこそ、あの時スシバーで奢ってやれたんじゃないか」

「・・・・・・あの時、マキバテイオーが上がってこなければ、私の勝ちだったんですよ」

「勝負は一点買い、下手な迷いや欲は、実につまらんからな」

「まったく・・・・・・貴女って人は・・・・・・・・・」

 古き友の言葉に、ゲルダは静かにうなずく。その、嘘偽りの無い魂と言葉を全力でぶつけ合った、鋼鉄の巨人。二人は、激しい損傷を刻んだ、互いの分身であるメックを見つめる。

「それでは、御機嫌よう」

「ああ、また会おう」

 短い言葉を交わした後、サナエのチャージャーは、決して軽くは無い損傷をかばうように、緩慢な、しかし、確然とした足取りで去っていく。その、もはや二度と会うこと叶うかもわからないその後姿を、ゲルダは万感の思いで見送る。

 そして、破壊された頭部装甲から差し込む光に顔を上げ、そこに見えた、雲ひとつない、突き抜けるような空に目を細めた。

「リオ、見えるか!?」

 アトラスのコクピットで、ゲルダは、我が子と想う少女に届けようとするかのように、白い軌跡が、幾条も描かれていく蒼空を見上げ、その名を呼んだ。

「未来を目指し、そして背負わんとする者達が翔ぶ!見よ、そして忘れるな!彼らは天に、我らは地に、それぞれが目指すもの、守るものの時を!!」

 最後のドロップシップが、一際まばゆい輝きを放ち、次々と天空へ駆け上っていく航跡の列に加わっていく。そして、守るべきものの盾となり剣となり、満身創痍となりつつもなお、一歩も退かず戦い抜いたアトラスは、彼らを見送るかのように、そして、彼らが目指す空を支えるかのように、高らかに両手をかざした。

 その姿は、天を支える者として、何よりも巨大に、そして、そびえ立つ孤高の巨神の名に恥じない威容を身にまとい、その足で大地を踏みしめ続けていた。



「動かすな!静かに頭を下ろすんだ!」

『オチチ・・・・・・俺は大丈夫だで、リオ坊を先にアンビュランスに乗せるだぎゃ・・・・・・!』

 塗装が蒸発し、装甲の地金まで焦げたバトルアーマーが、不調を訴えるように軋むサーボ音と共に、緩慢な動きで起き上がる。そして、その体の下に抱きすくめるように守り抜いた、リオの小さな体を救急隊員の前に差し出すと、力尽きるように倒れ伏した。

「ジャック!大丈夫かジャック!!」

『・・・・・・そんな怒鳴らねーでも聞こえるでよ、俺よか、リオ坊を心配してやるだぎゃ』

 あの、冗談のようなトレーラーの自爆の爆炎の中で、自分の体をシェルターにして生身のリオを守り抜いたジャック。その捨て身の甲斐あって、リオはいくつかのかすり傷を負っただけで済んでいる。重大な外傷はない、炎や熱気を吸い込んだ形跡もない。その証拠に、その小さな胸は、穏やかな呼吸のリズムを刻んでいる。

「すまない・・・・・・ありがとう、ジャック・・・・・・!」

『・・・・・・ヘヘ、そいじゃ、今度の非番明け、おみゃーのおごりで、ビール、たらふくゴチになるでよ』

「ああ、わかった。まかしといてくれ」

『おー、楽しみにしてるでよ』

「急げ!こっちもだ!」

「くそっ!ロックがイカれてる!」

「バトルアーマーはポーターで解除すればいい!早く乗せるんだ!!」

「ジャック・・・・・・それじゃあな」

『おー、また、後での』

 まるで中のジャックと融合したかのように、暢気な仕草で手を振ったバトルアーマーは、急行したトランスポーターに収容され、先にリオを収容したアンビュランスの後を追うように運ばれていった。



「よう、お姫様。具合はどうだい」

「あっ、クルツ!」

 病室で、ひとり暇そうに寝ていたリオが、俺が声をかけた瞬間、弾かれたように起き上がる。あの後、ホスピタルに運ばれたリオとジャックだったが、なぜか二人とも、精密検査の結果は異常なし。念のためと言うことで、検査入院ということになっていた。

 氏族人の頑丈さは良く知っているつもりだったが、ここまでくるとさすがに舌を巻く。ましてや、まだ10歳かそこらの子供まで、あの大爆発に巻き込まれてなんとも無いんだから恐れ入る。もっとも、それはジャックが身を挺して守ってくれたからでもあるんだが。

「お前のポーチ、持って来たぞ。それと、食べたいって言ってたバナナとチョコバーだ」

「おおきに、クルツ!」

「いやいや、お安い御用だ」

 さっそく、お見舞いの菓子や果物にとっかかり始めるリオの、存外元気そうな様子に安心する一方で、微かな陰を感じる。上手くは言えない、なんと言えばいいのだろうか。それは、この子の内側に、何かを押し込めているような、明るい笑顔の裏に潜み、光をくすませるものが、やけに気になって仕方なかった。

 それは、あの時の自爆テロのショックだとか、そんなお安い理由などではない。リオが今まで積み重ねてきた経験と覚悟は、あの程度のことでどうこうなってしまうような、そんな一山いくらの安物なんかじゃない。

 けれども、リオはまだ子供だ。小さく見ているとかそんな意味じゃない。この子の体と心は、まだ未完成だ。これからまだ、大きく、強くなる。今の強さは、今この時だけの強さだ。それは、これからこの子が、いつか辿り着き手にする強さと光に比べれば、ほんの微々たるものだ。

 天涯孤独の宿無し児。そんなこの子と俺は、なんの引き合わせか、寝食を共にしている。育てるとか導くとか、そんなご大層なことが俺に出来ているとは思えない。ましてや、保護者としては、赤点ギリギリのお粗末さだろう。

 けれども、俺は俺に出来ることで、リオの力になってやりたい。いつかこの子が自分の道を選び、そして歩むその時、俺は、いつまでも同じ道は行くことはできない。ましてや、楽な道を用意してやるなんて論外だ。

 だから、俺は、少しでもこの子が、自分自身の『強さ』で、これからの道を歩き、乗り越えられるようにしてやりたい。どんな些細なことでも、小さなことでも、耳を傾ける。そして、一緒に話し、考える時間を、惜しんだりなど絶対にしない。

「あ、あの、クルツ・・・・・・」

「ん?どうした」

「そ、その、聞いて欲しいことがあるんじゃけど・・・・・・」

「ああ、なんでも言ってみ?」

「わ、笑ったり・・・せん・・・・・・?」

「お前がお願いしていることを、なんで笑うんだ?約束するよ」

「う、うん。おおきに・・・・・・クルツ」

「ああ」

 そして、意を決したように、リオは、自分が見たと言う世界の話を、ぽつぽつと語り始めた。それは、はるか300年近くも昔の話。その時代に生きた人々の言葉、そして、想い。正直言って、俺の理解を遥かに超えてしまっているその物語に、微かな混乱すら覚えていた。

 いや、決して馬鹿にして言っているんじゃない。けれども、リオが見た夢。いや、夢なんて言い方は正しいとは言えないだろう。けど、当の本人でさえ、この体験が何であったのか、それこそ良くわからない様子だから、これ以上の表現ができないのも確かだ。

「そうか・・・そんなことがあったのか」

「う、うん・・・やっぱ、変・・・かのぅ・・・・・・?」

 恐る恐る俺の顔を見上げる、その若草色の瞳に、俺は軽く息を漏らす。

「変?何言ってるんだ、ここはクラン・ノヴァキャットの世界。魂と精霊のより集う世界さ。お前が見てきたこと、今はわからなくても、きっとどこかに意味があるんじゃないかな。俺は、そう思うよ」

「え・・・・・・?」

「だってそうだろ、どんな形であったにしろ、それは意味の無いものなんかじゃない。見えるものって言うのは、そう言うことだと思うよ、俺は」

「クルツ・・・・・・」

 徐々に光を増していくその瞳に、俺は微かに安堵する自分に苦笑する。こんな俺の言葉でも、人様に救いを与えられるってのが、なんていうか、正直こそばゆい。

「まあ、なんだ。お前さえ良ければ、退院したらいろいろ調べてみるか?そういうのもいいと思うけどな」

「う、うん・・・・・・おおきに、クルツ」

「ああ、・・・っと、もうこんな時間か。悪いけど、もうすぐ当番の時間だ。俺はこれで戻るけど、明けたらまた来るから。なんか欲しいものとかあるか?」

「うん、でも今もらったばっかりじゃけん。大丈夫じゃ」

「そうか、なら適当に見繕ってくるさな。それじゃ、ゆっくり休めよ、リオ」

「うん、わかった」

 ほんの少しだが、さっきまでの、何かの重みに耐えているような陰りが薄れたリオの表情に、両肩が軽くなるような気分と同時に、自分の力不足に心の中でため息をつく。それでも、今は、リオにとって一番必要なのは休息だ。慌てたって、焦ったって、いいことなど何も無いし、生まれてきやしないだろうから。



「やっぱり・・・ないけん・・・・・・・・・」

 クルツが帰ってしまった後、彼に持ってきてもらったポーチの中を探り、リオは小さく肩を落す。あの時、ゲルダから借りた小説。ポーチの中にしまい、いつでも読めるよう持っていたはずの一冊の本。それは、当たり前のように存在していない。

「ゲルダ様・・・ごめんなさい」

 取り戻したもの、失ったもの。その冷酷なまでに厳粛な等価交換の前に、なすすべもなく打ちのめされるしかなかった。確かに見たもの、感じたもの、触れたもの、聞いたもの。それら全てが夢か幻。自分が居合わせなかったはずの、戦場でのゲルダとアトラスの姿。そして、彼女と、その友の言葉と想い。なぜか、それら全てが、まるで見てきたように、リオの脳裏に焼きついている。

 いつかハナヱに教わった、胡蝶の夢の故事。それらが、リオの中でぐるぐると回転し、そして霞み、拡散していく。いったい何が、いったい何が起こったのか、何を見たのか。自分は何をしたのか、何を、何を、何を。

「ちっとも、わからないけん」

 やがて、考え事にも、ポーチの中身改めにも疲れたリオは、大きな枕に、放り投げるように頭を投げ出した。そして、病室の中に、小さな寝息が流れる。



「そいつぁ、多分ヴィジョンじゃねーかと思うんだけどもがよー」

「ヴィジョン?」

 夜勤当番の休憩時間中、おとなしく寝ていればいいものを、のそのそ仮眠室から抜け出してきて、俺達テックの貴重な夜食を食い荒らしている美しきメック戦士様に、ちょうど良いとばかりに昼間の話を持ちかけてみた。

 そして、予想通りと言うか何と言うか、俺の話を聞き終えたディオーネは、ビーフジャーキーを咥えた口をもぎもぎ動かしつつ、なんとも微妙な表情で言葉を濁している。

「けど、ヴィジョンって、だいたいが予知視なんでしょう?過去の情景を視ると言うことも、有り得るんですか?」

「おー、だから、わからねーんだぎゃ」

 ディオーネは、心底考え込むように、そのデカい胸の前で腕を組んでいる。強調された谷間ラインが非常に嬉しいが、眉間に皺を寄せて、真剣に考え込んでいる彼女の表情を見ていると、あまりアホウな考えも控えようと言う気になってくる。

「族長か、オースマスターなら、なんぞ気の効いた答が出るかも知れねーんだけどよ」

「そりゃまた、なんていうか、俺達の立場じゃ事実上不可能ですね」

「だでよ、まー、うちもいろいろつてを当たってみるだぎゃ。なんちゅーか、リオの見たもの、タダの夢落ちで片付けられるよーな話でもにゃー気がするだでね」

「そうですか、すみません」

「なにゆーとるだぎゃ、今さら水臭せー」

「ハハハ・・・・・・」

 やはり、なんだかんだ言っても、親身になって相談に乗ってくれる彼女には、いつも感謝のしっ放しだ。

「ただな、ヴィジョンてぇのは、なにも未来のことだけ視えるもんとも限らねーんだぎゃ」

「え?」

「クルツ、おみゃー、ヴィジョンちゅうんが、なんで視えると思う?」

「そ・・・それは・・・・・・」

 不意に、ディオーネから投げかけられた問いに、俺は思わず言葉を詰まらせる。ヴィジョンと言うものは、もともとそれを視ることが出来る資質があるか、そのための修行をして、初めて見れるようになるもの。という認識しかなかった。だから、『何故視えるのか』と改めて問われると、そうとしか答えようが無かった。

「ほい、40点。おみゃーもまだまだだでの、クルツ」

「は、はぁ・・・・・・」

 いきなりお粗末な採点をされてしまったが、そこはそれ、専門家にかかれば、俺なんか、恋占いに興じる女学生とどっこいどっこいだ。

「ヴィジョンちゅーんはな、『視よう』とするもんじゃねー、『視せて』もらうもんだぎゃ」

「視せて・・・もらう?」

「征くべき先を探し、道を切り拓かんと、とことんまで足掻いた奴の前にヴィジョンは視えるんだぎゃ。求め願う魂の声への答え、それが、ヴィジョンだぎゃ。過去も未来も関係ねー、視えしものは全、かくして答えあり、真実あり」

 道を求め、より良き真を願う心に対する答え。ヴィジョンとは、視法の力で視ようとするものではない。認められたものが、初めて視ることが出来るもの。だからこそ、預言者達は、己が身と精神を削り、ひたすらなまでに道を求めるのだろう。

 ならば、リオが視たと言う300年前の世界。それら全ても、リオの心に、願いに対する答えだったのだろうか。あの子が目指すもの、その想い、そして願いが届いたのだろうか、認められたのだろうか。

「ほい、今ので70点」

「え?」

 いきなり跳ね上がった採点と、別にそれを口に出したわけでもないのに、満足そうに笑っているディオーネに、どうにも言葉を失ってしまう。

「ヴィジョンなんてなぁ、視る奴の資質や力でどーとでもなる、まさに千差万別、ひとくくりになんぞできっこにゃーでよ。だから、オースマスターがおって、混じりっ気を落とし精度を高めるんだぎゃ。そもそも、ただ先の事を見るだけなら、何も視法になんぞ頼らんでも、そこいらのキチガイにだってできることだぎゃ」

 相変わらず歯に衣着せぬ物言いだが、言葉とは裏腹に、その銀色の瞳は、どこまでも真摯に俺の目を真っ直ぐに射抜いている。

「でも、もしかしたら、リオの奴。どえりゃーことをしでかしたかもしれにゃーよ。ただ、本人がわかってにゃーだけでの」

「え・・・・・・?」

「おーよ、だからこそ、リオの『視た』もの。単なる夢とかで済むよーな話じゃにゃーて、うちは、そう思うだぎゃ」

 緩やかに吹き抜ける夜風に黒髪をなびかせながら、穏やかな笑顔の中、どこか遠い瞳でつぶやくディオーネの横顔。それに思わず見入ってしまいながらも、俺は、今さらながらに、ノヴァキャットの精神世界の深さを見た気がした。そして、明日は、明けたらすぐにでもリオの所に行こう。無性にそう思った。



「あ、あのな、クルツ。買うて欲しいものがあるんじゃ」

「お?いいぞ、言ってみな」

 当番明けすぐに、リオの病室に直行した俺は、朝飯を終えたリオと、しばらくたわいも無い話を交わしていたが、不意に、改まった様子で話題を変えてきた。

「うん、その・・・・・・中心領域の本が・・・・・・欲しいんじゃ」

「中心領域の?」

「う、うん・・・『レ・ミゼラブル』っちゅうんじゃけど・・・・・・」

「そうか」

「や・・・やっぱ、駄目・・・・・・かのう・・・・・・」

「なんで?いいぞ、ドラコ居住区の本屋に行けば、多分売ってるだろうし。なんなら、今から行ってきてもいいぞ」

「う、うん。その、すぐ読みたいんじゃけど・・・・・・」

「わかった、そんなら、ミキに連絡してみよう。あいつのことだから、本屋の一つか二つ、抱えてるだろうし」

「おおきに、クルツ」

 リオの本好きは、今に始まったことじゃないが、『今すぐ読みたい』という本人の希望もあって、俺は、久々にミキに連絡を入れることにした。そして、『30分以内に届けさせる』という彼女の言葉どおり、さほど待たないうちに書店の店員が訪れ、注文した本を置いていった。何はともあれ、配達してくれた店員に、代金と一緒に、ねぎらいチップを渡して送り出したあと、御所望の本を姫君に手渡す。

「これでいいか?なんていうか、ドラコ版だから、『ああ無情』ってなってるけど」

「うん、おおきに、クルツ」

 今まで見たことも無いような、嬉しそう、というよりも、心から安堵するような表情で、リオは一冊の本を両手に押し包んでいる。

「それじゃ、俺はそろそろ帰るよ。また来るけど、他にいるものがあったら持ってくるぞ?」

「おおきに、でも、明日は退院じゃけん、大丈夫じゃ」

「そうか、それじゃ、明日は迎えに来るから、その時またな」

「うん、おおきに」



 3日間の検査入院も、まったく異常無しとして無事退院してきたリオは、ジャックとリオの快気祝いと称して開かれた宴会にも、嫌な顔ひとつせず、醜い大人共の酒宴に付き合ってくれていた。まったく、病み上がりの子供を捕まえて何してくれてんだコラ。と言いたいところだが、それでも、嬉しそうなリオの表情を見ていたら、何も言えなかった。

 もっとも、何か言いたくても、ボンズマンがどうこう言ったところで聞いてくれるわけが無いし、そもそもの発案者がイオ司令だからしてなおさらだ。もっとも、流れをおかしくしたのは、例によって、いつもの面子だと言うことを付け加えておく。

 そして、リオに、また新しい日課が出来たようだ。入院中、買ってやった本だが、時間さえあれば、それこそ何度も繰り返し読みながら、机に向かってペンを走らせているようになった。

 様子からして、読書感想文でも書いているような感じだが、ここまで熟読し、誰に見せるともない感想文を書き出すと言うことは、初めてのことだった。

「今帰ったぞ・・・って、お、また書きものか?リオ」

「うん、おかえり、クルツ」

「ここんとこ、随分頑張ってるな。ハナヱさんからの宿題か?」

「ううん、でも、やっぱ宿題じゃけん」

「そうか」

 残業を片付けて帰ってみると、やはりいつものように机に向かうリオの姿があった。それにしても、宿題と言うのはなんだろうか。

「・・・・・・よし、でけたけん」

「お、そうか」

 原稿用紙の束を、トントンと机に打ちながら、角を整えているリオは、満足そうな表情で、出来上がったばかりの宿題を、じっと見つめ続けていた。

「あ、あの、クルツ」

「ん、どうした?」

「これ、読んでみてもらえんかのぅ・・・・・・?」

「いいのか?」

「うん、ちゃんとしとるかどうか、見てもらいたいんじゃ」

「そうか・・・・・・よし、わかった」

 神妙な表情で手渡された原稿用紙の束を受け取り、手近な椅子に腰掛けると、その紙面に目を走らせる。一言一句まで、リオの思いが込められた感想文。いや、これは、大切な人への手紙と言ってもいいくらいに、心が込められていた。そして、俺は思い出した。リオが視たかつての世界であの子を守り、そして、支えてくれた人達のことを。

 あれは、リオにとって、とても『たいせつ』なものだったはずだ。そして、他に軽々しく話せるような安いものでは決してなかったはずだ。けれども、リオは、俺に話してくれた、教えてくれた。何よりも強く、そして、優しかった人々の生き様を。

 この文章は、そんな大切な人と交わした約束。そして、感謝の気持ち。そんな、なにものにも代えられない大切なものを、俺にも共にさせてくれたということ。じんわりと熱くなるような嬉しさと同時に、これだけあの子に想われた遥か先人達に、心からの感謝と、そして、なぜか嫉妬に似た気持ちが滲んでくる。

「これなら大丈夫だ、きっと喜んでくれるよ」

「ホンマに!?」

「ああ、頑張ったな、リオ」

「うん!」

 満面の笑みと、心からの安堵を浮かべるリオ。そんなこの子を前に、俺は、自分の心が満ち足りていく感覚に包まれていた。



 その翌日、宿舎の裏庭で、俺とリオは用意した道具を広げる。太陽はちょうど真上、青い空の真ん中で、磨きたての金貨のように輝いている。そして、それは、リオが約束した時間。

「いいのか?せっかく書いたんだろ?」

「うん、ええんじゃ」

 リオは、オイルバットの上に丁寧に置いた原稿用紙に、静かに火をつける。そして、瞬く間に燃え上がる火は、原稿の束を包み込み、やがて、白い煙となって空へと昇っていく。

「宿題、届くかのぅ・・・・・・」

「届くさ、きっと、待ってるよ」

「うん」

 すっかり燃え尽きた原稿用紙は、うっすらとたなびく煙となって拡散し、空へと消えていく。もう、会うことは叶わない。しかし、かつて確かに存在した、心より慕い、そして尊敬した人達の元へ。

「ゲルダ様、うち、ちゃんと書いたけん。読んだら、ハンスにも見せてつかぁさい」

 それが、真実なのか、それとも夢だったのか。それは、誰にもわからない。けれども、それは紛れも無く、リオ自身が見て、そして触れた真実。そのすべては、時の向こうに。




時の向こうに(後)終



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