ヴァイスローゼン
「お義父さん、お話があるんですけど」 さあ来た 自室兼書斎で、コーヒーを愉しんでいた老人は、訪れた息子嫁の言葉に内心身構えつつ、マグカップを机の上に戻す。見当は大体付いている、孫とショッピングモールから帰ってきたところを、彼女にしっかり見つかってしまった。そして、孫が抱えていた、バトルメックのアッセンブルモデルの大きな箱も一緒に。 「お義父さん、あんまりカルルを甘やかさないで下さいね」 「わかってますよ、エリカさん。ほら、カルルの誕生日の時に、わたしゃ、うっかりプレゼントを忘れてしまったじゃないですか?だから、今日はその埋め合わせをしたんですよ」 息子の嫁に詰め寄られ、老人は困ったように言い訳をする。実際、非常に苦しい言い訳だった。確かにあの日、プレゼントは忘れてしまったかもしれない。だが、息子嫁の言う通り、彼は孫の誕生日の時、ウエディングケーキもかくやという巨大なケーキを買ってきて、息子夫婦を絶句させていた。 「・・・まあ、カルルを可愛がって下さるのは、とても感謝してるんです。ただですね、もしあの子まで、メック戦士に憧れるようになったら困るじゃないですか」 神妙な表情の老人を前に、若い母親、エリカはため息混じりの言葉をもらす。 「レオンなんか、もう今からお父さんの跡を継ぐといって聞かないのに、あの子にまでそんなこと言われたら・・・」 「ハハハ、大丈夫ですよ。わたしだって、カルルには戦争とは縁の無い一生を過して欲しいと思ってますからね」 「そうですか?わかって下さるのならいいんですけど・・・」 バトルメックに憧れるのは、この年頃の男子ならありがちなこと。と、思わなくもないが、やはり、母親としての立場から見れば、我が子のより良い将来の願いは、切実な問題であることに違いはない。老人は、彼女の気持ちをおもんばかった上で、素直に詫びる。 「ええ、これから気を付けますよ、エリカさん」 「お願いしますね、お義父さん」 「はいはい」 老人は、好々爺そのものの暖かい笑顔を浮かべ、なんとか息子嫁のお小言を回避するのに成功した。 「さてさて・・・エリカさんに見つかってしまったのは迂闊でしたねぇ・・・。どれ、カルルはもう完成させましたかね」 書斎のドアが閉じ、エリカの足音が遠ざかっていくのを確認すると、老人はトコトコと孫の部屋に足を向けた。 「カルル、おじいちゃんだけど、入ってもいいかい?」 孫の部屋をノックすると、すぐにOKの返事が返ってきた。 「どうだい、うまく作れたかい?」 「うん!ばっちりだよ!」 子供部屋の中では、孫が完成したメックのアッセンブルモデルを手に、御満悦の表情を浮かべている。 「そうかい、それは良かったね」 老人はそう言って目を細めると、孫の力作を覗き込んだ。 「あとは塗装とマーキングだけなんだ!」 そう言うと、老人の愛すべき孫は、誇らしげな表情と共に、その武装と装甲の塊のようなメックのアッセンブルモデルをお披露目した。そしてまた、老人も孫のそんな表情を前にして、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる。 「ほお、これはすごい数がそろってるね?」 それだけで一冊の本になりそうな、詳細なカラーリング例の掲載されたブックレットに、老人は思わず驚きの声を漏らす。 「うん、デカールがいろいろあってさ、アーロン・ドシェヴィラー機にしようか、それともハンニ・シュミット機にしようかと迷ってるんだけどさ、でも・・・」 「うん?」 「でも、みんなと同じに作るのはつまんないしね。だけど、他の人はあんまり知らない人ばかりでさ・・・」 「ふむ、そうかい」 思案にくれながら、ブックレットを片手に、A4サイズはありそうなデカールシートとにらめっこをしている孫に、老人は、ふと書斎のアルバムを思い出す。しかし、先ほどの息子嫁との約束を思い出し、それを切り出していいものかどうか、この気のいい老人をしばし悩ませる。 孫への愛情と、義娘への思いやりに挟まれながら、複雑な気分で孫と共に紙面を眺める。その時、ふと目を落とした、数々のマーキングのサンプルの中で、ひとつのエンブレムが目に止まった。 最初は見間違いかとも思った。無理も無い、そのエンブレムの持ち主は、A・ドシェヴィラーやH・シュミットと比べれば無名もいい所だった。だからこそ、そのエンブレムがデカールシートの最末席とは言え、その場に名を連ねていたのが信じられなくもあり、嬉しくもあった。 彼女の名を覚えていてくれる人間がいた 老人は、胸の底から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。老人にとって、そのパイロットこそが、彼の知り得る、最高のアトラス・パイロットだった。 「カルル、もし良かったら、このマークにしてみないかい?」 「え、これ?」 カルルは、祖父が指差したエンブレムに目を止める。新雪のような、純白の薔薇を描いたエンブレム、それは華麗な中にも、どこか温かみを感じさせるものがあった。 「白いバラかぁ・・・・・・・・・」 微かに驚きの表情を浮かべる孫に、老人は、いつもと変わらない穏やかな笑みで、孫の言葉に応える。 「ハハハ、まあ、おじいちゃんの言うことは気にしなくて良いから、カルルが一番気に入った人のアトラスにしなさい」 「うん、わかった」 うなずく孫に微笑みかけると、老人は椅子から腰を上げた。 「それじゃあ、邪魔しちゃいけないからね。おじいちゃんは少し庭の手入れでもして来るよ、完成したら見せてくれるかい?」 「うん!終ったら呼びに来るよ」 「そうかい、楽しみにしてるからね」 そう言うと、再びアトラスに夢中になった、愛すべき孫に微笑み掛けながら、老人は孫の部屋を後にした。 「やっぱりよそうよ、ハンス。見つかったら、軍法会議ものだよ」 「ここまできて、今さら引き返せないさ。それに見ろよ、こんなに余ってるんだ、ひとつやふたつ、どうってことないさ」 二人の若いテックが、彼らの所属する大隊本部物資集積所で、アトラスの予備部品を詰め込んだコンテナの山を前に、小声で押し問答を続けている。 「けど、しくじったら、ハンスだけじゃなくて、中隊長にも迷惑がかかるかもしれないんだぜ?」 「なら、ニルスは帰れよ。ここは俺ひとりでもやる、どっちにしたって、もうやるしかないんだ」 自分達のしようとしていることに、いざそれを実行する段になって不安を訴えだす友人に対し、ハンスと呼ばれたテックは、状況を少しも意に介さずガントリークレーンによじ登ると、オペレーターシートに座り手馴れた様子でクレーンを起動させる。そして、山と積み上げられた物資の中から、あらかじめ目星をつけていたコンテナを選び取り、次々とカーゴトレーラーに積み込んでいく。 「おい、そこのお前達。そこで何してる?」 まるで、映画のようなタイミングで、巡回の歩兵がハンス達に声を投げつけてくる。誘導灯を手にしたまま、一気に青ざめるニルスをよそに、ハンスは、オペレーターシートから顔を出すと、こともなげに答えを返す。 「ああ、補給物資の受領に来たんだよ」 「申請は出したのか?」 「そりゃもう、一月も前に」 言っていることは、もちろん事実だ。そして、『順番待ち』という理由で、今日までずっと引き伸ばされてきた。だから、彼に対して、決して嘘は言っていない。 「随分前じゃないか、まさか、員数合わせじゃないだろうな」 「まさか」 巡回の一等兵は、人の良さそうな表情で笑っているテックの階級章が、自分より一階級上であることに気づく。そして、このやりにくい相手に、面倒臭そうな表情を浮かべる。 「まあいいさ、気をつけてな」 「ああ、ありがとさん」 立ち去っていく一等兵の背中に手を振りながら、ハンスはクレーンの操作を続けると、必要な物資を積み込んでいく。 「ニルス、そろそろ終わるから、トレーラーに乗っといてくれ」 「ハンス・・・・・・お前って、SLDFが無くなっても、盗賊でやってけるよ」 「それもいいな」 友人の言葉に、ハンスは少年のような笑顔を浮かべる。 「でも、やめとくよ。泥棒はよくないし」 「ハンス、お前ってばさぁ・・・・・・」 「なに?」 「・・・・・・いや、なんでもないよ」 コンテナを積み込んだトレーラーのエンジンをかけ、何事もなかったかのよう集積所を去る道すがら、ハンスは隣に座るニルスに声をかける。 「それより、あれ、見てみろよ」 「え?・・・・・・おお、すげえ」 ハンスが示す先には、大隊本部直衛のアトラスが居並んでいる。その全高が、優に20メートルは届こうかと言う鋼鉄の巨人。どんなメックよりも巨大な機格を持ち、一機でも十分な威圧感を持つアトラスが、二機並び立っているという光景は、まるで、神話の巨人が現れたようにも見える。 「すごいか?あれじゃ、ハリボテを置いといても同じさ」 「ハ、ハンス・・・・・・?」 「おまけにあれだ、大隊長殿の専用機。本当に綺麗なもんさ、まるでクリスマスツリーだ」 苦々しく吐き捨てながらハンスが見つめる先には、色褪せひとつない制式塗装を施され、式典から抜け出してきたかのようなアトラスがあった。自分達の中隊長が、決して十分とは言えない補給物資で、前線に立たなければならない状況を思い、憤懣やるかたない表情がニルスに浮かぶ。 「だから言っただろ、ロクに動かさないで整備の必要も無いメックに、あんなに予備部品は要らないんだ。まったく、どうかしてるさ」 ハンスは、もうそれ以上振り返ることもなく、大隊本部を後にする。 「そ、そうだ、大隊本部のPXで、チョコバー買ってきたんだ。ハンスもどうだい?」 「ニルス、そんなの、いつの間に買ってきたんだよ」 「うん、トイレに行った帰りにさ、たまたま前を通りがかったからさ」 空気を和ませようとささやかな努力を試みる、この気のいい同期の言葉に、ハンスはしかめていた眉間を緩める。 「ありがとな、ニルス」 二人してチョコバーをかじりながら、彼らにとっての我が家とも言える、所属中隊の本部に一路トレーラーを走らせる。そして、荒涼とした原野が広がる向こうに、地平線の距離感を狂わせるような人影が見えてきた。 「おい、あれ、中隊長じゃないか?」 「本当だ、パトロールだったのかな」 ハンスとニルスは、トレーラーの中からその巨大な姿を見て、共に感歎の表情を浮かべる。それは、戦塵にくすみ、無数の傷跡を残すその巨体は、大隊本部で見た、すり傷ひとつない新品同然のアトラスとは、まったく別次元の空気を漂わせている。 「やっぱり、動物園の虎と野生の虎じゃ、貫禄が違うさ」 ハンスの言葉に、ニルスも、先ほどの言葉の意味を理解し、無言でうなずく。 「そうか・・・・・・そうだよね」 中隊指揮官機にして、この中隊最強のバトルメック、AS7−Dアトラス。まさに、神話の巨神『天を支えし者』が降臨したかのような、悠然とその巨体を歩ませる姿。ハンス達は、自分がその整備担当の一員であることに、高鳴る誇りで胸を満たされるのを感じていた。 その日の夕方、メンテナンス作業を終えたメック達を格納した野戦ハンガーでは、ハンスがチェックボード片手に、アトラスの点検項目の確認をしていた。 「・・・駆動系の部品が、そろそろ怪しいことになってるな・・・。中古の二個イチもそろそろ限界だし、また、なんとか融通を利かす方法を考えないと、いくら整備しても中身は中古なんて馬鹿なことになるぞ・・・。糧食とかは普通に支給されて、パーティーが出来るほど余ってるってのに、なんでメックに必要なものは届けてくれないんだか・・・」 ハンスは、全身に被弾痕の残る、まさに歴戦の戦士そのものと言うアトラスを前に、エクソダスの決行がもたらした混乱と、SLDFの母体の消滅による影響で、複雑怪奇になりつつある補給状況にため息をつく。 同僚と決行した『員数合わせ』も、結局、最悪の事態を辛うじて回避する程度の、いわば応急処置の域を出なかったことに、もう少し頑張ってみるべきだったかと思案をめぐらせる。しかし、それでも十分、整備小隊長から、形ばかりの大目玉を食らっている。それに、こういったことは、あまり派手にやりすぎると、次が続かなくなるから、そのさじ加減が難しい。 「工夫して凌いでくれったって、凌げないから、お願いしてるんじゃないか・・・・・・」 たゆまない創意工夫と、軍法会議すれすれの員数合わせの努力の甲斐あって、作戦行動には殆ど影響のないレベルで機体状況を維持しているとは言え、整備兵としての矜持がそれを納得させない。臨戦態勢という現実的な問題もそうだが、それ以前に、彼とって問題だったのは、これがフォン・ローゼンブルグ大尉の機体、つまり中隊指揮官メックということだった。 いやしくも中隊長の乗機が、さながら傭兵のようなありさまでは、担当整備班員として内心忸怩たるものがあった。 「どうした、何を悩んでいる?」 「はあ・・・」 不意に背後から声をかけられ、何気なく振り向いたその瞬間。ハンスの目は、眼球が眼窩から脱落せんばかりに見開かれた。 「・・・・・・あっ?ああっ!しっ、失礼しました!中隊長殿!」 ハンスは、ばね仕掛けの人形のように腕を跳ね上げ、本部査閲ならば、最良を与えられるのは間違いないほどの挙手敬礼を、目の前の上級将校に向けていた。 「約束動作な反応だが、見事な敬礼をありがとう、ブラウン君」 苦笑いを浮かべながら、敬礼を返すゲルダ・フォン・ローゼンブルグ大尉の言葉に、ハンスは一瞬呆気にとられた顔になる。そして、彼女が発した言葉が、自分の名前を呼ぶものであったことがじわじわと浸透し始めていく。 「おや、どうした?確か、私のアトラスの担当整備班員で、君くらいの若い隊員に、ハンス・ブラウン上等兵という者がいたはずだがね」 怪訝そうな表情を浮かべるゲルダに、ハンスは慌てて我に返った。 「じ、自分がハンス・ブラウン上等兵でありますっ!!」 「そうか、人違いをしたなら失礼だからな。いや、まったくブラウン君も人が悪い。少し慌てたぞ」 「は、はい!申し訳ありませんでした!」 「ハハハ、まあいい。そろそろ手をおろしたまえ、そのままでは疲れるだろう」 「はい!」 突然の中隊長の来訪に、ハンスは、気の抜けた返事をしてしまったことに、すっかり茹で上がってしまうが、それでも中隊長を目の前にしているという事実を前に、何とか自分を保ち続ける。そして、そんなハンスの様子を、ゲルダは面白いものを見るような表情で眺めながら、手近なカートンに腰を下ろした。 「ブラウン君、いいから君も座りたまえ。君は背が高いから、立たれたままだと首が疲れて仕方が無い」 始終直立不動の基本の姿勢で応対するハンスを、ゲルダは苦笑しつつも、なだめるように言葉をかけて座らせてやる。でなければ、この青年は自分がいなくなるまで、この調子だろう。 「は、はい、失礼します!」 しかし、座ったら座ったで、今度は軍法会議を受けるかのように、硬直した座り方をするハンスに、ゲルダは、さすがに呆れ半分感心半分と言った様子で声をかける。 「いいから楽にしたまえ、今まで、どんな根性の悪いメック戦士に苛められてきたか知らんが、私に関しては、姉上にでも接するように気を抜いて構わん。ただ、いくら私が美人だからと言って、いかがわしいことを考えてはいかんぞ?」 「りょ、了解しました!」 「ハッハッハ、とは言え、こんな年増相手では、間違ってもそんな事は無いか」 「えっ?そ、それは・・・・・・」 上級将校らしからぬゲルダの言葉に、ハンスは目を白黒させながら言葉を詰らせる。 「冗談だ、ハンス君。からかって悪かった。まあ、かくは言うものの没落貴族の身だ、そう肩肘張らないでくれたまえよ」 いつの間にか、ファーストネームで自分の名を呼ぶゲルダに唖然としながらも、ハンスは、あれこれと楽しそうに話しかけてくるゲルダに、終始生真面目な調子で受け答えをして、彼女を苦笑させていた。 「・・・そうか、ではハンス君は、私のアトラスの整備が、思うように出来ないことに心を痛めていたと言う訳だな」 「はい、担当整備班員でいながら、この程度も満足に出来ず、本当に申し訳ありませんでした!」 ゲルダはハンガーの適当な場所に腰かけながら、自分の愛機を前にして当面の課題について釈明するハンスの言葉を、うなずきながら聞いていた。 「気にするな、コンテストに出場するわけではないのだ。多少中古部品が混ざっていようと、私の思うとおりに動いてくれていれば、全く問題はないのだからな。現に、君と、君達の班は、それをこなしてくれている。むしろ、よくここまでと感謝しているよ」 「はい、わかりました・・・・・・」 あまりにも割りきった考え方を示すゲルダに、ハンスはどこか釈然としないような表情でうなずき、ゲルダは、そんな若い整備隊員の様子を見て破顔一笑する。 「それに、君の武勇伝はガストン中尉から聞いているよ。私のアトラスのために、これまでも随分、危ない橋を渡ってくれたそうじゃないか」 「えっ!あ、は、はい!も、申し訳ありませんでした」 「ハハハ、何を謝ることがある。君のような使命感と行動力を兼ね備えた者が整備してくれるのだから、私は安心して戦える。移民団のドロップシップが全て飛んでいくまでの任務だが、これからもよろしく頼むぞ、ハンス君」 「はいっ!了解しました!」 「さて、それはそうと明日も早いのだろう?もう寝たほうがいい。私は、これで失礼させてもらうとするよ」 「はい、お疲れ様でした!」 敬礼と共に見送るハンスに手を振って会釈すると、ゲルダは格納ハンガーを立ち去って行く。そして、しばらくの間、ハンスは感動の余韻にひたりながら、目の前のアトラスを見上げる。その重厚な胸部装甲には、白薔薇をかたどったエンブレムが、誇らしげにその存在を示していた。 「やれやれ、番犬と言うのも、なかなか楽なものではないな」 警戒要員として守備陣地に残留していた、第3小隊長、ゲオルグ・リットー中尉からの至急報を受け、待機中だった第2小隊を率いて現場に急行したアトラスは、悠然とした足取りで予定配置につくと、一息つくようにその巨体を震わせて停止した。 「まったく、この太っちょは、走るのがことのほか不得手だと言うのに。・・・・・・まあ、この程度の距離で、トランスポーターを使う訳にもいかんしな」 ゲルダはそうぼやくと、コンソールパネル上に表示された機体状況と、レーダーレンジ上の敵性マーカーの照会結果を確認する。 「なるほど、中量級メックが一個小隊混じっている。確かに、これでは荷が重いな」 臨時にメック小隊から派遣させたライフルマン一機と、実質的な中隊の主戦力であるフューリーII重戦車で編成された第3小隊は、ライフルマンの助けもあり、遅滞戦闘を展開させたらしく、今のところ損害は軽微なものにとどまっている。敵に押し戻されるように後退しているが、それらは元々から織り込み済みだ。 「こちらアスペル1、カルメン各車、それとマッケイン。よく持ちこたえた、今助けてやる」 『了解、こちらは敵に牽制を加えながら、そちらに合流します』 安堵の色が混じるリットー中尉の声に、ゲルダは僅かに口元を緩めながら、随伴する各小隊に指令を送る。 「アスペル1より中隊全車、データはリンクしているな。カルメンの合流を援護する、敵の足を鈍らせろ」 『アスペル2から4了解!』 『ベリエル1、了解!』 各小隊長からのよどみない声がレシーバーから流れ、ゲルダは全車の復唱を聞き終えた後、配置済みの部下達に指示を流す。 『よろしい、奴らの手が届かないうちに、少しでも損害を与えてやれ。だが、くれぐれも深入りはするな。敵は私がひきつける、絶対に功を焦ってはいかんぞ』 『了解!』 『よし、連中を追い払うぞ。諸君らの手際を見せてやれ、戦闘開始!』 ゲルダの号令と同時に、ライフルマンを旗手とするように、小隊単位でパックフロントの陣形を組んだ戦車中隊は、それぞれの射程に捉えたメックや戦闘装甲車両に向けて砲撃を開始した。その、敵の射程圏外から飛来するガウスライフルの弾丸は、後退する第3小隊を追撃する敵部隊の進路を阻むかのように次々と直撃する。 『警戒!警戒!敵増援あり!』 自分達の有効射程外からの砲撃を加えてくる、ガウスライフル搭載の戦車隊の存在に気づいたその時、丘の向こうから姿を現した、とてつもなく不吉な形相をした重メックが、背後にライフルマンを引き連れ、AC20の巨大な砲口を向けて轟然と突進して来る姿を見た。 「警戒は結構だが、是非とも混乱してもらおう」 彼らに対し、月並みに驚く暇も与えず、アトラスは、その階級が示す通り、DCMSメック小隊に殴り込みをかけるように突撃を開始し、手当たり次第にその火力を叩きつけていく。 「カルメン1、左翼のウイットワースに備えろ、戦車を囮にして飛び越える気だ。惑わされるなよ。アスペル4、かかったふりをしてやれ。その方が狙いやすかろう」 『了解』 ライフルマンが戦車を迎え撃つように突撃する背後から、フューリーII重戦車隊が長距離からの精密砲撃を開始する。そして、ライフルマンの肩口や脇を掠めるように飛び抜けていくガウスライフル弾は、ジャンプジェットを点火し、足を浮かせかけたウイットワースに次々と直撃し、不安定な姿勢で受けた痛打の連撃にのけぞっていく。 そして、射線にそれを捉えたライフルマンの掃射を浴び、棍棒で滅多打ちにされる人間のような姿でよろめきながら、装甲の破片と炎を噴き出したウイットワースは、炎に包まれながら崩れ落ちていく。続いて、次々に飛来する高速徹甲弾とガウスライフル弾の直撃で、メック隊に随伴していた戦車が、映画の小道具のように炎上する。 「見え透いた真似をするからだ、愚か者め」 再び突撃を始めたアトラスに対し、DCMSも、即座に応戦しつつ展開行動を開始するが、レーザーやACの直撃に怯むことなく突進し、破城鎚のように追撃部隊の隊伍を切り崩すように前進するアトラスの足は、まるで止まるということを知らない。そして、その髑髏を連想させる凶暴な意匠を持ったヘッドユニットは、血の通わない機械であるはずのこの強襲メックに、明確な殺意を漂わせる。 その主砲であるAC20が火を吹くたび、必ず僚機が直撃弾を喰らい、当たり所が悪かったメックなどは、まるで目に見えない大鮫が喰い千切ったかのように、瞬時にして装甲を消し飛ばされ、脆弱な中枢を剥き出しにされた。 『なんて奴だ、レーザーを直撃させても平気でいる!?』 『こっちに来た!撃て撃て!!』 被弾をものともせず、アトラスは戦闘車両を蹴り飛ばし踏み潰す。そして、一度その火器が火を吹けば、その射線にいた味方は、大破寸前の損傷を受けて黒煙を噴き出している。かつて見たことも無い超重メックに動揺していた彼らが、その凶悪な破壊力の前に、さらにパニックに陥るのにそれほど時間はかからなかった。 「ベリエル1、アスペル2、正面のお客さんが困っているようだ、お相手してやれ」 アトラスに搭載されたハイエンドクラスの電子装備は、敵性マーカーを素早く特定し、その位置を中隊全機にリンクさせていく。ゲルダは、動きが乱れた隊伍を素早く見つけ出し、目標を誘導指示していく。 その間にも、アトラスは次々と敵に損傷を与え続け、無傷のメックや戦車はひとつとして無くなっていく。そして、次の瞬間にはライフルマンや戦車隊の集中砲撃を受け、運の悪い機体は露出した中枢を破壊され、全身を舐めるような火に包まれていく。 『たった一機のメックに、ここまで好き放題にされる!?』 防衛線に配置されたライフルマン一機と、その戦車小隊に対し、数でも質でも勝っていたはずの追跡部隊は、網の目のように組み上げられた射線軸の前に損害を加算されながらも、フェニックスホークを軸に応戦し続ける。 「随分と健闘する、空挺やライトメックだけの頃に比べれば、なかなかのものだ」 一歩も退かない相手に、率直な賞賛を送りながら、ジャンプジェットを使おうとするフェニックスホークを、レーザーで牽制し、ゲルダは注意深く間合いを計る。 「増援にミドルメックを集めた努力は買うが、まだ判っていないようだな。ここの通行料は、お前達の給料で払えるほど安くはないぞ」 新鋭強襲級メックを擁する敵に対し、機動戦を仕掛けるミドルメックと、火力支援を行う重戦車の連携をしかけ、アトラスを最優先で撃破する試みは、アトラスの性能に溺れることなく、巧妙な迎撃態勢を整えて迎撃してきた守備隊の前に、その出鼻を挫かれていく。 ライフルマンと戦車達は、ゲルダの指示に素早く反応し、バラバラに散らばる標的のような敵に砲撃を加え始める。そして、次々と飛来する高速徹甲弾やガウスライフル弾は、炸裂する火花と共にDCMSメックの装甲を削り、その中枢に突き刺さる。そんな状況でも、フェニックスホークに率いられた残存機は、徹底抗戦の意思を示すかのように、飛来する砲弾の下を掻い潜るように前進を続ける。 「まだ諦めんか、まあいい。そろそろ締め出しにかかるぞ、隊列を組み直せ」 戦車隊はメック隊を正面にするように後退し、迅速にパンツァーカイル隊形を組み直す。そして、その前方に、縦横に走るフリーファイアゾーンを作り上げた。 『あああ、お願いです、助けて、助けて、神様!』 戦車兵か、それとも、メックウォーリアーか。アトラスの強力な通信装置が偶然拾った、その、まだ少年とも言えるような年若い悲鳴に、ゲルダは不愉快気な表情を歪め唇を噛む。しかし、次の瞬間には、死刑宣告にも等しい指示を通達していた。 『アスペル1から中隊各機、敵は隊形を崩した。これより掃討戦に入る、アスペル2から4は前進、戦車隊は背中や脇腹を見せた奴を喰え』 メックや戦車のパイロット達は、あらゆる死角から、そして手の届かない先から飛来する、魔弾の射手が放つかのように確実に突き刺さってくる砲弾と、悪魔のような超重メックに襲いかかられ、もはや僚機と連携する余裕もなく、気づいた時には布陣は完全に崩壊し、追撃部隊は綻んだ麻布のように乱れきっていた。 『アリョーシャ1から各小隊長、損害を報告しろ!』 フェニックスホークのパイロットは、混乱に陥った部隊を収拾すべく、生存する部隊員の確認をとろうとして、自分の周囲に広がる光景に慄然とする。友軍の戦車隊はほとんど撃破され、数両の戦車と、例外なく損傷を受けたウイットワース達が、体を引きずるような姿で、必死に追随している。 完全に術中に落とし込まれた追跡部隊の指揮官は、生き残った部下からの報告を聞くまでもなく、自分達の行く先にあるのは、破滅しかないことを悟る。 『終わったな』 今しがた自分達が撤退してきた方角に、まるで獲物を追い詰めようとするかのように居並ぶ、メックと重戦車達の隊列が、一斉にその砲口を自分達に向けている。時間が止まり、全身の体温が抜けていくような感覚が走ったその瞬間、砲弾、レーザー、ミサイル、ありとあらゆる凶器が、一片の容赦もなく、集中豪雨のように降り注いだ。 絶えることなく鳴り響く砲声と共に、装甲が砕かれ、火花を撒き散らし、爆炎を噴き上げていく。そして、例外なく深刻な損傷を受けていたメックや戦闘車両は、次々とその姿を炎に変えていく。 『何が必勝を期せりだ、クソでも喰らえ』 最後に、上官へ呪いの言葉を呟いたフェニックスホークのコクピットも、次の瞬間には炎に包まれていた。 「そういえばさ、ハンス」 「ん?」 「俺達ってさ、移民団の連中がいなくなったあと、どうなるんだろうな」 「どうなるんだろうなって?」 怪訝そうな表情で聞き返すハンスに、ニルスは手にしたマグカップのコーヒーに映る、自分の顔を見るようにつぶやく。 「移民団の総司令官が、ケレンスキー将軍なわけだろ?その将軍がいなくなったら、SLDFは、もうおしまいじゃないか」 「そりゃそうだけど・・・・・・」 ニルスの言葉に、ハンスは言葉を詰まらせる。 「他の部隊じゃ、自分の出身地の軍に参加するのも増えてるらしいし、いつか、この部隊もバラバラになるのかなってね」 「まあ・・・・・・そう、なっちまうんだろうな、やっぱり」 ニルスの言葉に、ハンスは言葉を濁らせながらマグカップを傾ける。日は既に落ち、辺りは薄暮に包まれる。そして、携帯コンロの小さな炎が、ハンスとニルスの影を、ユラユラと躍らせている。 「もし、この任務が終わったら、ハンスはどうするんだい?」 「俺?俺はずっとテックさ」 「ずっと?」 「ああ、中隊長がアトラスに乗り続ける限り、俺はずっと、テックを続けるつもりだよ」 「そっか・・・・・・まあ、やっぱりね」 「ニルスは、家を継ぐのかい」 「・・・・・・うん、継ぐって言ったって、そんなたいした家じゃないけどね。でも、あの戦争の後さ、母さんや姉さん達だけじゃ、やっぱり厳しいしね・・・・・・」 「それでもいいじゃないか、親孝行できるんなら、した方がいいに決まってるさ。俺なんか、したくてもできない」 「あ・・・ごめん、そんなつもりじゃないんだ」 「いいよ、もうだいぶ前のことだし、気にしてない」 アマリス戦役で犠牲となった両親、残された弟妹を養うために志願した軍。もっとも、自分の仕送りなどたかが知れている。それでも、毎週明るい手紙が届くのは、ハンスにとって弟妹にとっても、愛すべき伯母の存在があればこそだった。 「ハンス、お代わり、いるかい?」 「お、ありがとう」 底が見えかけたマグカップへコーヒーを注ぐニルスに、ハンスは、ほろ苦い笑みを浮かべる。思えば、この得がたい親友と会えたのも、SLDFがあったからこそだった。そして、テックとしての養成期間以来、ずっと苦楽を共にしてきた友。 今は、幸運にも同じ道を共に歩んでいる。しかし、ハンスがニルスでないように。ニルスがハンスでないように、いつかは違う道を歩く時が来るのは、少しもおかしくはない。そして、SLDFがその灯火を消しかけている今、それは、実体を持った現実として漂い始めている。 「ブラウンさんにヤンセンさん、お茶の時間を邪魔して大変申し訳ありませんが」 『エッ!?』 不意に聞こえてきた声に、反射的に顔を上げた二人の前に、苦笑を浮かべたガストン中尉の姿があった。 「もう少しで中隊長が帰ってくる、そろそろ準備を始めておけ」 『りょ、了解しました!』 ふたりがコンロの火を消して立ち上がり、マグカップの中身を捨てようとするのをさえぎるように、ガストンは手に持っていたマグカップを差し出した。 「その前に、俺にも一杯くれ。それくらいは残っているだろう?」 迎撃任務に出た中隊が帰還し、喧騒を増す野戦ハンガーで、ハンスとニルスは、アトラスの整備に取り掛かりつつも、普段とはどこか違う空気に、微かだった違和感が、次第に大きくなりつつあるのを感じる。 「なあ、今日はなんか変じゃないか・・・・・・?」 アトラスの点検の手を止め、ハンスは反対側のニルスに声をかける。 「まあ、確かに今日は、少し派手に喰らってきたみたいだけど、装甲の損傷以外はほとんど異常無しじゃないか。気をつけるって言っても、いつもどおり点検さえしっかりやっとけば・・・・・・」 「そうじゃなくて、なんていうか、どうして今日は、捕虜がひとりもいないんだ・・・・・・?」 「え・・・・・・?」 ハンスの言葉に、アトラスの膝の向こうから顔を出したニルスは、ようやく、ハンスの言葉の意味に気づき、野戦ハンガーの向こうに見えるキャンプを見渡す。 「いつもなら、とっくに後送のトラックが来る頃だ。なのに、やけに静かだ」 「そう言えば、今日は、誰も戦車の上に乗ってなかったし・・・・・・」 「ああ、中隊長の様子も、普段とは違ってた」 二人がお互いに顔を見合わせたその時、足元からガストンの怒声が飛んだ。 「お前ら!整備中になに気を散らしてる!駆動部に手を食い千切られても、俺は慰めてなんかやらんぞ!!」 『す、すみません!』 アトラスの足元で、鋭く睨みつけるように見上げているガストンに、ハンスとニルスは、メンテナンスデッキの上で身を縮み上がらせる。 「わかってるなら集中しろ、集中。まず、自分の仕事をしっかりやれ」 『は、はい!』 「それでいい、お前達が気にすることじゃない」 チェックボードを手に、別の機体の見積もり作業に移っていくガストンの背中を見送りながら、ハンスとニルスは冷汗をぬぐった。 「まずいよ、ハンス」 「あ、ああ、悪かった」 上官の一喝を浴びてしまったふたりのテックは、もうそれ以上この話題に触れることもなく、黙々と作業を続けていった。 「あ、いけね」 一日の仕事を終え、キャンプの宿舎に帰る途中の道で、ハンスは思い出したように野戦ハンガーの方向を振り返った。 「どうしたのさ?」 「コーヒーメーカー、ハンガーに忘れてきちまった。ちょっと、行って取ってくる」 「どうせ明日も使うんだから、いいんじゃないの、おいといても」 「冗談言うなよ、一応ハンガー内の私物持込は禁止なんだぜ。うるさいのに見つかったら、なに言われるかわかったもんじゃない」 整備隊長であるガストンには、一応黙認してもらっているとは言え、他の先任達全部が全部、理解があるわけではない。やはり、難癖をつけられる可能性があるものは、未然に対処しておくに限る。 「じゃ、いってくるわ」 元来た道を引き返し、再び野戦ハンガーに戻ってきたハンスは、中から漂ってくる芳ばしい香りに、思わず緊張の色を走らせる。 やられた 誰か、先任のテックが、これ幸いと持ち出しているのだろうか。これは、面倒なことになりそうだ。そう思いながら、用心深くハンガーの中を覗くと、果たして、アトラスの整備ブースの前で、ひとりマグカップを傾けている人影を見た瞬間、ハンスの全身から冷たい汗が噴き出した。 よりにもよって、それが中隊長本人であったことに、ハンスは脇の下を流れ落ちる汗を感じながら、このまま退散してしまおうかとも本気で考える。しかし、下手な誤魔化しは、後々余計事態を悪くするということを、これまでの軍隊生活で身に染み込ませていたハンスは、意を決して足を動かした。 「し、失礼します、ち・・・中隊長殿、でありますか・・・?」 「他に誰がいる、私はまだ解任された覚えは無いぞ」 動揺して奇妙な問いかけをする声に、ゲルダはマグカップを手に、見るからに不機嫌そうな表情で、じろりと青い瞳を向ける。そして、その険しい表情を前に、ハンスの緊張の針は、一気に限界値まで振り切れる。 「どうした、こんな時間に。アトラスのネジでも締め忘れたか」 「は、はい、そうではなく、忘れ物をしたので戻りました!」 「なるほど、では、このコーヒーメーカー一式は、君のものと言うわけだな」 「そ、そのとおりであります!」 なんの心の準備もなく、一気に本題に突入したゲルダの言葉と、先日の気さくさのかけらもない表情に、ハンスはただ、直立不動の姿勢のままで硬直する。 「私物持込の件を言うつもりはない、現に、私もその恩恵にあずかっているのだからな。とりあえず、楽にしたまえ」 「は、はい」 ほんの一瞬だけ、見覚えのある笑顔を浮かべたゲルダに、ハンスは休めの姿勢をとりながら、ぎこちなくうなずく。だが、ゲルダは、すぐに元の表情に戻り、無言でマグカップを傾ける。どう贔屓目に見ても良いとは言えないゲルダの様子に、アトラスの整備中、ニルスとの会話を思い出し、ハンスはさすがに不安になる。 「そ、その、中隊長殿。何か問題でもあったのでしょうか・・・・・・?」 「問題?問題だと?フン、軍隊と言うところは問題だらけさ。いまさらそんなことを言っても始まらんよ。そうだろう、ハンス」 「は、はいっ!失礼しました!!」 呆れ果てるような目を向けられ、思わず、ハンスは怯んだように背筋を伸ばす。そして、一方のゲルダは、その様子を面白く無さそうな表情で眺めると、不機嫌そうに鼻を鳴らす。 「まったく、連中の優秀さときたら、まさに敬礼ものだよ」 ゲルダを前にして、ハンスは、ただオロオロとした表情を浮かべるしかなかった。 「こちらに対して、一歩も退くことなく、最後の一兵まで立ち向かってきた。その挙句が命の無駄遣いだ、御見事過ぎて言葉も出ん。・・・・・・まあ、出しているがね」 吐き捨てるような言葉を呟くゲルダに、ハンスは戸惑うような表情で視線をさまよわせた。 「どうした、ハンス。何を怖がっている、私が恐ろしいか」 「は、はい!自分は怖がってなどおりません!」 「ややこしい返事はよしたまえ、ここで『ネガティブ』を唱えたところで、兵の絶対服従の精神を説くつもりはないよ」 ゲルダは、マグカップの中身を飲み干し、手に取ったコーヒーメーカーが空になっていることに気づき、微かに眉をひそめる。 「申し訳ありません、今お作りいたします!」 「別に謝るところではないが、よろしく頼む」 「りょ、了解です!」 ゲルダの言葉を受け、全身を締め上げる鎖のような緊張感から開放されたかのように、ハンスは、手際よく湯を沸かし始める。 「驚かせたようで悪かった、だが、どうしても我慢が出来なかったのでな。許せよ、ハンス君」 「いえ・・・でも一体何があったんですか、作戦は・・・成功したんでしょう?」 「ああ、成功したとも、自分でもぞっとするくらいな。一人も生かして帰さなかった、完璧な虐殺だったよ」 ハンスの言葉に答えながら、ゲルダは目を伏せつつ、空のマグカップをもてあそぶ。 「今日、連中はようやく中量級のメックを投入してきたよ。そして、重戦車もな」 独り言のように呟くゲルダの言葉が途切れ、湯が沸騰し始める音が、静まり返ったハンガーの中で、やけに響き渡る。 「連中、宇宙港の占拠よりも、守備隊の撃破にシフトしたようだ。我々も、それに応えた。その結果、敵を皆殺し。こんなみっともない戦い方は、任官したての小娘の時以来だ」 そして、ゲルダはやり場の無い怒りを吐き出すように、再び厳しい表情に戻る。 「何が神様だ、何が助けてだ、メックのシートに座り、操縦桿を握った瞬間から死ぬ運命は確実について回る。その程度の覚悟しか無いのなら、なぜ兵士になる、なぜ戦場に来る。ふざけるな、恐ろしいのが貴様らだけだと思ったら大間違いだ」 ゲルダは、忌々しげな表情で、荒い言葉を吐き捨てながら、手の中のマグカップを握り締める。 「なら、メックに追われる移民や、護衛の歩兵や戦車兵はどうなる。もし彼らが捕獲部隊に捕まれば、逆にその言葉を聞く立場になるというのにな。くそ、偶然とは言え、つまらんたわごとを聞かされてしまったよ」 「・・・・・・し、しかし、お言葉ですが、中量級メックや戦車が束になっても、このアトラスにかなう訳がありません、少なくとも今の時点で、アトラスは中心領域最強のメックです」 「そうだな」 ハンスの言葉に、ゲルダは憂いを帯びた目をうつろわせつつ応える。 「確かに、その通りだ」 「中隊長・・・・・・」 「それはそうとして、湯が沸いているのではないか?」 「あっ!」 ゲルダの目線の向こうに、コンロの上で、ポットが湯気と泡を吹き出していた。 「ギャルソン、注文したコーヒーはまだかね。だいぶ待ちくたびれたのだが」 「も、申し訳ありません!今すぐお持ちします!」 「ハハハ、頼むぞ」 慌てた様子で返事をしながらも、手際よく湯を注ぎ、挽き立ての豆を香りたかく泡立てながら、コーヒーを淹れるハンスを眺めながら、ゲルダは、淡い笑みをうかべる。そして、被っていた制帽を脱ぐと、その正面にあしらわれたキャメロン・スターの代紋を、懐かしむような表情で見つめる。 「SLDFの崩壊は、もう誰にも止められない。皮肉なものだ、あの鬼畜を打ち滅ぼした、その結果がこれと言うわけだ」 キャメロン家を抹殺し、地球を掌握しただけでなく、中心領域さえも、一度はその手に握りかけた稀代の暴君。そして、SLDFは、それを打ち滅ぼすことと引き換えに、自分自身の力を失った。 「もはや、SLDFには、五大王家の身勝手を抑える力はない。このまま、少しずつ先細っていくのは、もう目に見えている」 ゲルダは、冷笑交じりの表情を浮かべながら、微かな光を受けて鈍く輝く銀の星をなぞる。 「・・・・・・アトラスのパイロット達は、私のように故郷に残ることを選択した、どうしようもないほどバカ正直な連中ばかりだ。第二のアマリス、あんな鬼畜が二度と現れないとは、誰にも言えん。だから、移民には参加しない」 アマリス その名を聞いた瞬間、ハンスの表情が苦痛に歪む。ハンスがSLDFに入隊したとき、誰よりも彼の身を案じ、そして、誰よりも心から喜んでくれた両親。しかし、彼らは今、星の海に眠っている。 地球奪還作戦において、降下船の盾となり剣となり、地球を覆いつくすかのような自動防衛システムとの戦いで、両親はジャンプシップと共に散華した。あの時の、全身の血液と脳髄が沸騰しそうな激情と、はらわたを根こそぎもぎ取られたような喪失感は、今でも忘れることは出来ない。 父と母が切り拓いてくれた道、ハンスは、戦友と共に降り立った地球で、ただひたすら前だけを見続けた。硝煙と、血肉の焦げる匂いに覆い尽されたこの世界に、いつか穏やかな風が吹くことを信じて。 そして、いつでもその目の前には、鋼鉄の魔神を駆る騎士の背中があった。誰よりも高潔で、誰よりも清廉な心。いつしかそれは、ハンスにとって、心から信じられるもの、導きを示す標となっていた。 「私はな、ハンス」 不意に、呼びかけてくるゲルダの言葉。 「私は、このエクソダスとやら、手放しで認める気にはなれない。だが、その是非は私ではない、後世の人々が決めることだ。しかし、将軍にしても、その側近にしても、まだこの世界で為さねばならないことは、まだあるはずだ」 ゲルダの言う通り、エクソダスは、必ずしも万人に諸手を上げて賛同されているわけではない。五大王家同士が引き起こす動乱の予兆を見せ始めた中心領域に対して、それを投げ捨ててまで旅立とうとする将軍の意思、不服の姿勢を示すものは、少ないわけでは決してない。 「今、この世界は、ありとあらゆる欲望の歯止めが効かなくなりつつある。こんな有様を、将軍ほどの人間が判らぬはずがない。そして、どんな思いでこの世界を見ているか、それは、将軍のみぞ知る、としてもだ」 彼女の属する部隊は、星間連盟の事実上の消滅においても、いずれの継承国家にも帰属することをよしとせず、半ば傭兵団のように独自の組織を維持し続けていた。そして、移民団に参集する呼び掛けを拒否し、あくまでも、中心領域を防衛することを選択した。 それでも、移民団と追跡部隊との間で起こることを、黙って見ているほど冷酷な訳でも無く、ケレンスキー将軍との間で正式な契約手続きを結び、それに付随する手当と褒賞の給与と言う形を取ったにせよ、中心領域を離れて行く人々が、無事航海の途に就けるよう警護にあたる事を了承した部隊のひとつだった。 しかし、元は連隊規模だった部隊も、櫛の歯が欠けるように、相次ぐ離散者のために、大隊規模にまでその数を減らしていた。それが、今のSLDFの限界をなによりも物語る。 「ケレンスキー将軍をしてですら、絶望し、見限らせてしまうほど、救いも希望も見出せない世界であることに、異論の弁はもたんがな」 ゲルダは、諦観と苦笑の入り混じった表情でため息をつき、言葉を区切らせる。 「中隊長殿、コーヒーが出来上がりました」 「ああ、すまんな。どうやら、話に夢中になってしまったようだ。つまらない話だったろうが、まあ、大目に見てくれたまえよ」 ゲルダは、マグカップを受け取ると、そのふくいくたる香りに、満足そうに目を細める。 「なかなかにいい香りだ、自分で淹れたものとは雲泥の差だぞ。もしかして、カフェに勤めていたことがあるのかね?」 「い、いえ、独学です」 「そうかね、それならなおさらたいしたものだ。これから、折を見て馳走になるとしよう」 「お、恐れ入ります!」 「まあいい、気にせず楽にしたまえ。・・・ところで、前から聞こうと思っていたのだが、なぜにハンス君は移民に参加しなかった?移民団ヘの参加は自由意思だ、アトラスが配備されている部隊に所属しているからとて、移民団に参加出来ないと言うことはない。 移民に参加すれば、ここよりもっといい暮らしが保証されているとも聞く。こんな、業突く張り連中相手の戦争に付き合う必要もない。それなのに、なぜだ?」 ゲルダの問いかけに、ハンスはためらうような表情で答えた。 「自分は・・・本当は、メックの搭乗員になりたかったんです。ですが、適正が欠けていて、新規にメックを授与されることは認められませんでした。そして、教育隊を卒業すると整備隊に配属になったんです」 「ん?」 「自分は整備兵です、メックには触れても、メックに乗って戦うことは出来ません。だから、自分達はメックの整備を限りなく完璧にすることで、パイロットがより最高の状態のメックで戦えるようにするのが任務です。 だからかもしれません・・・自分は、メックウォーリアーに思いを託しているのかもしれません。自分の分まで頑張って欲しい、そして生きて帰って欲しいと。メックウォーリアーは、機械いじりしか能の無い自分達や、戦う力のない人達の代りに戦ってくれる存在なんです。メックウォーリアーが戦場で戦うなら、自分達はハンガーで戦うんです。 ・・・・・・おこがましい言い方だと思います、でも、自分が整備するメックに乗るパイロットが中心領域に残ると言うなら、自分達整備兵も残るんです。自分が担当するメックがそこにある限り、それを放り出してしまうことは、それは整備兵にとって敗北なんです」 「ハンス君、君は・・・・・・」 穏やかなまでの暖かさと、苛烈なまでの決意が滲む言葉に、ゲルダはもう一度この生真面目だが純粋な青年の顔を見た。 「自分は、中隊長のように素晴らしい方のメックを整備することが出来て、本当に幸せです。本当に、担当出来たのが中隊長のメックで良かった」 「何を、今際の際のようなことを言っているのかね。君のような人材には、これからも力を尽くして欲しいのだからな」 淹れたてのコーヒーの味を、ゆっくりと愉しむゲルダの表情からは、さきほどまでの、険しい陰が、次第にその色を薄めていった。 「君のように、支えてくれる者がいるからこそ、我々メック戦士は戦える。今日はくだらん愚痴を聞かせてしまったが、これに懲りず、今後ともよろしく頼む」 「も、もちろんであります!」 「ああ、その心意気とこのコーヒーのおかげで、随分気が楽になった。感謝するよ、ハンス」 ゲルダは、一口分残ったコーヒーを、名残惜しそうに飲み干し、穏やかな表情で立ち上がった。 「さて、付き合わせてしまって済まなかったが、もう夜も遅い。この辺りでお開きにするとしようか」 「はい、お疲れ様でした!」 「ああ、ではまた明日」 立ち上がって敬礼するハンスに、ゲルダは、穏やかな表情で返礼すると、ハンスに見送られながらハンガーを後にした。 「またか、まったく厄介なものだ」 偵察に出向いていた班からの報告を受け、会議室代わりの中隊長室に集まった小隊長達を前に、ゲルダは苛々とした表情で、不機嫌そのものの言葉を漏らす。 「あの移民団の護衛部隊も、AS7−Dをはじめとして、各階級メックのデータを持っていた、ですか?」 第2小隊長エーリッヒ・ザウエル中尉の言葉に、ゲルダは忌々しそうにうなずいた。 「その通り、検問にあたった隊からの報告だ。まったく、最後の移民団が通過して、これでようやく重荷が降ろせると思ったら、あの連中、またぞろ厄介な物を抱え込んで、トンズラを決め込もうとしている」 「厄介なもの・・・確かに、そうですな。機体を鹵獲できても、その技術解析には、相当の時間と資金がかかる。だが、青図面さえあれば、後はいくらでもコピーが可能というわけですから」 ザウエルの目に、皮肉めいた笑みが浮かぶ。彼自身、兵科転向を為したものの、結局、彼の搭乗するべき機体の補充が無いため、やむなく戦車隊に居残りという形になった。しかし、彼自身にとって、そんなものは瑣末事でしかない。 押しも押されぬ新型重メックで、戦場を駆けるのも悪くはない。しかし、軍人として、戦士として、戦場を駆けるのに必要なものは、自分自身がさえあればいい。 「そのとおりだ、彼らを取り逃がしたら、タダ同然で『メックの生る木』を手に入れる機会は無くなるからな、継承国家の連中も、もう後は無い。次に来る時は、それこそ装備を整えて来るのは確実だな。何しろ、従来の中量級メックでは、まったく歯が立たんと言うことを、連中に思い知らせてしまったからな。この写真を見てみろ」 ゲルダは、厳しい表情で報告書を睨み付けながら、数枚の写真を机の上に置く。 「これは・・・サイクロプス、ですか」 「そうだ、どうやら連中、とにかくアトラスをどうにかせんことには、これ以上前に進めないと知って、さらに増援を要請したようだ。サイクロプス自体は、さして怖いとは思わん。だが、これで連中にも、まっとうな指令塔が出来たと言うことだ。 そうなると、これまでの小隊、中隊レベルでの部隊行動ではない。流れのいい部隊は、装備以上の力を出す。それと、我が方の問題だが、今までの戦闘で消費した分の補給が滞っている。大隊本部の連中め、これで終わったわけではないと言うのに、なにをとぼけた真似をしてくれるのやら」 彼女の苛立ちを示すかのように、その白く細い指先は、せわしなくテーブルを叩き続けている。 「幾らアトラスといえど、敵に数を揃えられると楽観は出来ない。それに、相手の方も、増援を受けて、質も量も整えてきているときた。これまで、この防衛線が持ちこたえてきたのも、諸君らの働きがあればこそだが、先立つものがなければどうにもならん。それに、サイクロプスが出て来た以上、アトラスを潰しにかかるのは間違いない。 この戦区からアトラスを排除すれば、ここは絶好の通過ポイントになるからな。なにしろ、大部隊が楽に移動できる、開けた地形があるのが災いしたというべきか。それに、我々を撃破出来なくとも、数に物を言わせて押し切ってしまえば、増援は呼び放題、後は宇宙港まで一本道だ」 「しかし・・・いくらなんでも、そこまで犠牲を払おうとするでしょうか?SLDFが崩壊して、その引き抜きに躍起になっている今の状況と合わせ、移民団に参加したメック保有部隊の影響で、メックは、特に強襲級は一機でも貴重なはずでは?」 「そうかな?いまやあの宇宙港は、貴重なデータや資材を貯め込んだ、まさしく宝の山だ。作戦による損害がどれだけ出たとしても、後々十分お釣りが来るくらいの埋め合わせが出来るというならば、私なら、サイクロプスどころか、メック一個小隊を捨て駒にしても惜しくは無いね。 特に恐ろしいのはクリタだ、あいつらがアトラスを手に入れたら、おそらくこの型を改良し尽くした挙句に、今までのアトラスとは比べ物にならない化け物を作り出すだろうな。 あいつらは、自分達ではロクにメックを開発しないくせに、人が作ったメックを改良強化する技術にかけては他の追随を許さん。生産性、整備性はそのままかそれ以上、そのくせ性能はオリジナル以上等と言う、実に嫌なメックにしてしまうだろうな。さしずめ、AS7−K(クリタ)などとひねりも何も無い型番になるのだろうがな」 あんな連中に強力なメックを持たせてみろ、それこそキチガイに刃物だ。その痛烈な皮肉交じりの言葉だったが、ゲルダの言わんとすることはその場にいた全員に、嫌というくらい伝わっていた。 「まあ、余計な話はここまでにしてだ。とにもかくにも、降りかかる火の粉は払わんといかん。理由はともあれ、向かってくる以上、こちらとしても抵抗はさせてもらう。弾薬物資が不足している中で、諸君らには厳しい戦闘を強いてしまうだろう。私としても心苦しい限りだが、SLDF亡き今、その遺志を体現して見せることこそが、我々の存在意義だ。敵の突破を阻止し、宇宙港を守りぬく為に、最善を尽くさんとならん。 敵弾の矢面に立つのは我々だが、整備隊を始めとして、部隊の土台となる多くの人員によって我々は支えられている。彼らの思いを背負って戦っている事を忘れてはいかん」 いつになく厳しい表情のゲルダの訓示に、その場にいた小隊長達は、最後の戦いがそう遠くない話であることを心の底から痛感する。自分達が常駐する担当戦区を挟んで睨み合う、大隊規模の追撃部隊の拠点。これらを完全に殲滅するか、それとも向こうが諦めでもしない限り、決戦は絶対に避けられない。まさに、ここから先が、中隊にとって、正念場とも言える状況が待ち構えていであろうことは確実だった。 「・・・とは言うものの、補給も交替も無しでは、この戦線を維持するのは至難の技だな。逆に言えば、ここが腕の見せ所。なわけだが」 「何しろ、戦線が完全に分散していますからね。うちにしても、本来なら中隊長直属のライフルマン達を貸してもらえているから、戦車隊だてらに生き延びています」 リットーは、その年若い顔に苦笑を浮かべつつ、左手に光る、真新しい銀の指輪を無意識になぞる。先月、式を挙げたばかりの若い部下の仕草に、ゲルダは微笑ましげに目を細めながらも、大隊本部に対する言葉は切れ味を失わない。 「まったくもって、『模範的』な采配の賜物だな。何をして、宇宙港と大隊本部の直衛に、アトラスを3機も本部付けにして遊ばせておく必要がある。重要なのは前面の守りだというのに、後方が前線より装備が充実しているというのは、いったいどういうことだろうな。中隊のライフルマン、いや、フューリーIIと交換しても、十分機能する。まったく、形式主義者は埒のあかん奴が多くて困る」 「自分達は、可能な限り、中隊長殿の指揮の下で戦いたいであります」 「私も、マッケイン曹長と同じ意見です」 「僭越ながら、私も」 真剣な表情で意見を述べる、ライフルマン搭乗員や戦車兵達の言葉に、ゲルダは苦笑交じりに目を細める。 「マッケイン、心配せずとも、心置きなくコキ使ってやるから案ずるな。そうでなくても、私の無理な注文に応えてくれて、感謝しているのだからな」 ゲルダの言葉に、その場にいた全員の間から笑いがこぼれる。 「それに、本当に厳しいのはこれからだ。現在の備蓄状況では、あと一回戦が限界だ。場合によっては、『流動的』に対処する必要も出て来るだろう」 中隊の配備状況を改めて確認するにあわせ、他の中隊との位置的なバランスを吟味しながら、ゲルダは渋い表情で唸る。最悪の場合、この中隊本部を移動させることも、可能性として考えておかなくてはならない。その為には、現在における中隊の状況を、微細なことも含め、全員が詳細に把握しておく必要があった。 「第2、第3中隊は、宇宙港の直衛。そして、我々がその衝角になるわけだ。重要拠点を防御していると言えば聞こえはいいが、こちらにしてみれば、微妙に嫌な立ち位置だ」 「応援を呼びやすいかと言えばそうでもなく、分断行動を取られれば、かえって敵の同時攻略目標にされますな」 「ああ、だが当初の予定では、それほど激しい戦闘になるという見方はしていなかった。今にして思えば、それが大きな誤算だった」 「ええ、場合によっては、アマリス戦役時の局地戦と、ほぼ同様規模の戦闘になっている場合もありましたな」 「それはそうだろう、移民志願者の数が多ければ多いほど、その土地の政治はロクな物ではないと宣伝されるようなものだからな。人的物的資源の流出もそうだろうが、面子を潰されることほど、領主連中が嫌がるものは無い。それが、連中にいい口実を与えてしまっているわけだ」 「そうですな」 ザウエルは、どこか諦めきった表情でぼやく。そもそも、当初の段階では大移民に参加しない旧SLDF治安維持部隊では、今回の作戦活動についても、せいぜい警備出動程度にしか考えていなかった節があった。だが、それは単純に考えれば、自分の生まれ故郷に見切りをつけ、あても無い旅に出ようとする人間達は、好きなようにさせておけばいい。と簡単に考えたために他ならない。 しかし、未知の世界へと赴こうとする移民に際して、重要かつ貴重な技術や資機材を持ち去るのは、必然的な事実でもあり、これらを貯め込んだ移民団を、指をくわえて見逃すような、お人好しな為政者がいるとも思えない。 「始めから認識が甘かったとしか言いようが無い、クリタのような狂信的な人間の揃った国家もあるというのに、そいつらが丸々太った、うすのろの羊を見逃す訳がなかろう。まあ、いまさら言っても詮無いことだがな」 「それで、今後の方策ですが、どうします?もう一度偵察班を編成しますか?」 ザウエルの言葉に、ゲルダはやれやれと言った様子で答える。 「うちにローカストやスティンガーがいれば別だが、伝令班のバイクを借りて偵察班を仕立て上げていたのだ。この前あれだけ暴れた以上、向こうも客をもてなしてやろうと、てぐすね引いて待ち構えているだろうな。そんな中に、貧弱な装備で偵察に出せば、わざわざ貴重な人材と装備を捨てに出すようなものだ。 それに、次に来る時は、向こうも総力戦以外にないだろう。集中的に叩かれれば、どのみち我々の中隊ではこの戦区を守り抜くことは出来ん。いったん戦線に穴が開けば、これ幸いと後続部隊が殺到するだろうからな。 そうなれば、守るべき宇宙港と、移民団キャンプの目の前で大立ち回りを演じることになる。そうなればもう、守るもクソもない。被害は飛び火し、宇宙港も船団も、無事で済ますことなど到底不可能だ。結果、晴れて移民計画はお流れ、我々の名誉もどん底。そして、末代までの笑い者、実に愉快なオチが付くな」 「では・・・・・・」 「後退は最後の手段だ、私だって、戦線放棄で軍法会議など御免だ。担当戦区に敵が侵攻を開始し次第、遅延行動を取りながら、残りの小隊を順次後退させつつ大隊本部に合流させ、なおかつ、応援を送ってもらわねば埒が明かん。どうせ移民団の連中は、もう今頃は宇宙港近辺の集合キャンプまで移動している。別にこの地点を死守した所で何もメリットなど無い、今考えなければならんことは、損害を可能な限り抑えつつ、業突張り共を叩き返すことだ」 「・・・・・・難しいですな、我々だけで出来ますかな」 ザウエルは不敵に笑いながら、ゲルダに鋭い目を向けた。 「何だ、私はまだ何も言ってはいないが」 「決して、勝算も無しに言うのではありません。後退した部隊が、我々の代りに大隊本部に支援を要請するまでの間、持ちこたえればいいだけの話です」 「言うほど簡単ではないぞ」 「それをするのが、我々の仕事だと思っていましたがね」 「私も、中尉の意見に賛成です」 「その通りだ、ザウエル、リットー」 そして、彼らはどちらからとも無く笑い出し、それは、全員に広がっていった。 「小隊長、メックと車両の点検は完了しました。全てベストの状態で稼動できます」 「よし、あとは必要最低限の装備資機材を残して、アトラスに関する整備データや予備部品は全部積み込んでおけ」 「了解です・・・・・・しかし、この間、最後のコンボイが通過しましたけど、撤収にはまだ予定より早くありませんか?」 第1中隊本部では、担当戦域を通過した最終通過分の移民団を確認した後、急に慌しく部隊全体が動き出した。それは、気も早く撤収準備をしているように、ほとんどの隊員がそう感じていた。 「さあな、中隊長が直々に部隊の後退を通達してきたんだ。俺達としちゃ、言う通りにするしかないだろう。他の小隊もいつでも引き上げられるよう、荷物をまとめ始めているしな。おかげで、メシが粗末になってかなわんよ」 ガストン中尉の言葉にうなずきながらも、ハンスは急に閑散とし始めた中隊を、どこか腑に落ちないと言った表情で見渡しながら、黙々と作業を続ける。そもそも副官のザウエル中尉ならともかく、一介の上等兵に過ぎない自分がどうこう考えを巡らせた所で詮無い事であるには違いなく、今のハンスに出来ることは、ただ忠実に与えられた仕事をこなすことだけだった。 「そこの君、ガストン中尉はどこかな」 自分を呼ぶ声にふと顔を上げると、そこにはリットー中尉がファイルを片手にこちらを見ていた。 「小隊長なら、詰所におりますが・・・・・・」 「そうか、ありがとう」 リットー中尉は、丁寧にハンスに礼を言うと、ハンガーの奥へ歩いていく。上官の影響かどうかは知らないが、ゲルダの部下達は、自分達の立場をかさに着て、横柄な態度をとるような者はいなかった。 ただ、ザウエル中尉の場合、どこか近付きがたい威圧感を帯びた雰囲気があったが、中隊幹部の中で最年少であるリットー中尉は、物腰も柔かく、それなりに接しやすい人物だった。ただし、きちんと階級差と言う立場をわきまえて、と言う前提の下。と言うのは常識だったが。 「ああ、そうだ。もしかして、君がブラウン上等兵かな」 整備隊長詰所へと歩きかけたリットーは、ハンスを振り返ると柔和な笑顔を浮かべた。 「もうじき最後の戦闘になるが、中隊長機の整備は頼んだよ」 「了解です、中尉!」 リットーの言葉に、ハンスは敬礼を返す。だが、その裏側で、リットーの『最後の戦闘』と言う言葉に、漠然とした不安が、足元から這い登ってくる。ハンスは、そんな気持ちを振り払うかの様にアトラスの整備に戻り、整備小隊長や他の隊員達と共に、黙々と手を動かし続ける。そして、万全となった機体の、最終チェック取りかかろうとした時だった 「ハンス、調子はどうだね」 「あっ、おはようございます!」 なぜかここ数日で聞き馴れた声、今日はよくよく将校に声をかけられる、と思いつつも、ハンスは姿勢を正すと、敬愛してやまない中隊長に敬礼を向ける。 「毎度ながら勤勉家だな、撤収の準備はもうすんだのか?」 「はい、機甲部隊の出撃が終了し次第、順次撤収する手筈になっております」 「そうか、それならよろしい」 「あの・・・中隊長・・・・・・」 いつもと変らないゲルダ、しかしもうすぐ絶望的な戦闘に挑もうとしている事は、幾ら彼女がその詳細を伏せた所で、中隊本部全体に漂う息苦しい緊迫感を見れば、おのずから中隊員全員が感じ取っている。 「どうした、愛の告白かね?」 「ち、違います!」 何度言われても、彼女流の冗談には免疫が出来無い。ハンスは真赤になってうろたえ、カートのワイパーのように激しく首を横に振る。 「なにも、そんな全力で否定しなくともよかろうに。傷ついてしまうではないか、ハハハ」 押し潰されそうな雰囲気を、まったく意に介していないゲルダの笑顔に、ハンスはまるで自分だけが、ひとりで慌てふためいているかのような気分になった。だが、ハンガーの中に渦巻く喧騒は、否が応でも迫り来る運命にある危機の存在を確かなものにしている。 「まあいい、何か話があったのではないかね?」 「は、はい・・・・・・」 いつもの笑顔に戻ったゲルダに促され、ハンスはずっと心の中に引っかかっていたものを聞いてみようと思った。が、ゲルダの顔を見ると、その決意も情けなく挫けて行く。 「中隊を後退させて、実戦部隊だけがどうして残るのか?と、まあ、そんな所だろう?」 心を見透かすようなゲルダの言葉に、ハンスは肩を小さく震えさせると真っ青な顔を持ち上げた。 「相変わらず君の反応はわかりやすいな、カードは苦手だろう?」 話をはぐらかされるのか、一瞬ハンスは落胆にも似た気持ちになるが、それが自分の杞憂であった事を知る。 「敵は少なくとも一個大隊規模で来るだろう、これだけの数をバトルメック1個小隊と、重戦車2個小隊の戦力で、完全に食い止める事は出来ん。数に押し切られ、必ず突破するものが出てくる。そうなれば、必然的に留守中の中隊本部は敵の砲火に晒される。 となれば、部隊の損害を出すだけでとどまらない。いったん穴が開けば、ここが宇宙港への絶好の侵攻ポイントとなる。かと言って、進撃して来る敵に諦めてもらうことなど、どう考えても、まず不可能だ。そうなれば戦うしかないわけだが、それでもやりようと言うものがあるはずだ。後方部隊の隊員はただ撤収するのではなく、大隊本部に合流したあと、是非とも増援派遣の要請をしてもらいたのだよ。 宇宙港直衛の部隊を動かしたとして、そこからならアトラスやフューリーIIの足でも、まあ一時間もあれば余裕で辿り付けるだろう。宇宙港を砲火に晒さずに追い返せる可能性は十分にある。」 「中隊長・・・・・・」 「何をそんな顔をするか、私だって死ぬつもりは無いし、自己犠牲とか言う独善に浸るつもりも無い。何しろ、これから楽しくなりそうなのだからな、命を粗末に扱う気などこれほども無い」 まだ不安そうな表情のハンスを前にして、ゲルダは頭1つ大きいハンスを見上げて呵々と笑う。この、あまりにも磊落な年上の女性を前に、ハンスもいつしか胸の中にわだかまっていた不安が薄れ、ゲルダにつられて笑い出していた。 「ハンス、君は死ぬな、死んではいかん。こんな救いようも無い世の中だが、君のような男がいるなら、この世界もまだ捨てたものでもない。 新天地への夢を求めず、敢えて目の前の現実と戦う事を選んだ誇り高き者よ。こんなでたらめ極まりない世の中に、君のような人間がいたと言うことだけで、我々が母なる世界に残ったのは間違いではなかったと思える。礼を言うぞ」 ゲルダは凛とした表情でハンスの目を見据え、気高さに満ちた笑みを浮かべた。 「感謝を、戦う誇りを再び与えてくれた者よ。君の名は、私の胸に永遠に刻もう」 全ての撤収準備を終えた第1中隊は、段列小隊、そして整備小隊の順に次々と大隊本部に向けて転進し、戦線に残ったのはメック1個小隊と、重戦車2個小隊。当初の予想を上回る規模で連続する戦闘で、中隊で備蓄する弾薬のほとんどを消費し、補給が間に合わなかった現在では、各自に積み込んだ弾薬が、中隊の持つ全ての弾薬と言えた。 宇宙港へのルートを塞ぐように、アトラスが中心となって部隊が展開する。そうそう簡単には突破できない堅牢な防壁、しかし、その防壁はそれほど長くは無い。先制の長距離砲撃で、敵にどれだけの損害を与えられるかが勝負。 そして、ゲルダは可能な限りそれを補うべく、綿密に設定したポイントに、完全偽装した戦車隊を配置し、その長射程をもって敵を迎撃するパックフロントを布陣する。そして、アトラスとライフルマン達も偽装網で機体を覆い、息を殺すようにその巨体を地形の陰に潜める。 たった数分が、何時間にも感じられるような、重く息苦しい沈黙と静けさがたちこめる中、アトラスの警戒システムが、敵の存在をコマンダーパネルに映し出すと共に、それが開戦の合図となるかのように、追撃部隊がその姿を現わし始めた。 「・・・むぅ、あれはやはり、どう見ても一個大隊以上はいるな」 ゲルダは、アトラスのレーダーレンジに映し出される夥しい数のマーカーに、ほんの少し渋い顔になる。 「やれやれ・・・どうしてこうも嫌な予想だけが、狙ったように的中するのやら」 ゲルダは、数の上では、完全に中隊を上回る規模の敵部隊を眺め、攻撃の時を見計らう。 「諸君!かくれんぼは終わりだ、始めるぞ!!」 アトラスの後方で、巧みに偽装を施し、地形に解け込むようにパックフロントを組み上げていたフューリーIIやライフルマン達は、すでにそれぞれの照準に捉えていた標的に砲撃を開始し、狙い澄まされた初弾は、次々と敵戦車やメックに直撃していく。しかし、今度ばかりは大部隊であることを頼りにしてか、敵の進撃は少しも怯みを見せずに、真正面から怒涛のように迫ってくる。 「なるほど、面白い。アスペル各機は、戦車隊と連携し、回り込もうとする奴を優先して叩け!敵メックの抑えと撹乱は私に任せろ!」 素早く指示を飛ばしながら、ゲルダは獲物の大群を前にした虎のように、愉しげな笑みを浮かべる。そして、偽装網をかなぐり捨てながら立ち上がったアトラスが、地響きと土煙を巻き上げながら突撃を開始する。 「さて、ではまず小隊長殿にご挨拶をせねばな」 飛び交う敵弾の中を突き進み、敵の真っ只中に踊りこんだアトラスは、通信量の多い機体を探り出し、ライン入りのシャドウホークを捕捉する。そして、周囲の敵には目もくれず、レーザーの牽制を浴びせつつ突貫するアトラスは、主砲ともいえるAC20の射程距離に捉える。そして、トリガーを引いた瞬間、破格の大質量とそれに付随する破壊エネルギーを持つAC20の砲弾は、哀れなシャドウホークの側面装甲に突き刺さり、そのまま中枢機関を粉々に粉砕した。 胴体に弾薬を満載していたことが災いし、雷電神の振るう戦鎚の如き破滅的な一撃に耐え切れるはずもなく、弾薬が誘爆した瞬間、シャドウホークは二つに千切れて浮かび上がり、周りを走る戦車や装甲車を巻き込みながら、大気を白く塗りつぶすような閃光と共に、跡形も残さずに爆発四散した。 「パックフロントは、一番近づいた奴を集中的に仕留めろ!地形を上手く利用して、焦らず確実に潰せ!」 一個中隊だけで、その役三倍の敵戦力を相手にしての撤退戦。たとえアトラスが向こうに後れを取る事が無いとは言え、数を頼りに攻め寄せる敵を完全に押しとどめることは、誰の目からも至難の業に見えた。 自らを囮にするかのように、単身で敵の隊伍を乱し、前進を妨害するアトラスは、次第にその周囲を取り囲まれ、直撃弾の数が増え始めていく。だが、もはや囮というよりも、強襲という言葉が相応しいアトラスの奮戦で、フューリーIIとライフルマンは、足並みを乱した敵メックや戦闘車両を次々と狙撃し、確実にその数を減らしていく。 「さすがは大隊規模だな、いくら撃っても減っている気がしないぞ」 『これで生きて帰れたら、勲章ものですな』 「勲章どころか、銅像を立ててもらえるさ、マッケイン」 『では、見栄えのするポーズでも考えておくとしますか』 「胸像だったらどうするつもりだ」 数を利用して波状攻撃を仕掛けてくるDCMSに向かって、殴り込むように突撃するアトラスの背後を守るかのように、ライフルマンは砲撃ポイントを変えつつ、援護砲撃でアトラスの進路を砲弾で切り開いていく。 「前と違って動きが良いな、やはり、奴がいるか」 一見力押しに見えて、小隊単位での連携機動を取りつつ、中隊戦力の薄い部分を的確に狙ってくる敵に、ゲルダは、サイクロプスの存在を確信し、まだ見えないその姿を探す。 吹き上げる爆煙が、土煙と共に大気を塗り潰し、大気を埋め尽くすような砲弾やレーザー、そしてミサイルが飛び交う。まさに暴風雨の真只中のような戦線の中で、考えられる限りの重装甲を施されたアトラスの装甲は、敵の攻撃を頑強に弾き返して行く。 並のメックなら、既に跡形も無く消し飛んでいてもおかしくないその状況で、アトラスは少しも怯む事無く、砲撃の手を休めない。だが、飛来する敵弾の勢いは、時間と共に激しさを増し、コクピットは直撃弾による衝撃で激しく揺さぶられ、至近弾で巻き上げられる土砂は視界を奪って行く。 「まずいな、このままでは押し切られるぞ」 ゲルダは内心の焦りを押し殺しながら、予想以上の部隊行動を見せつつ、じわじわと戦線を圧倒する敵の侵攻に眉をひそめる。後方に離脱した友軍が大隊本部に応援要請をしたからと言って、必ずしもそれが首尾よく行くなどと、楽観的な事は考えていなかったが、出来得る事ならば、今すぐにでも増援を送って欲しい気分だった。 「何を馬鹿なことを」 ゲルダは、自分自身を哂い飛ばすと、再び、敵の大部隊を見渡す。 「ならば、ヒドラの心臓を探し、それを叩き潰してやればいいだけの事だ」 状況はまだ始まったばかり、そして、まったく勝算が無い戦いでは決してない。このアトラスなら、そして、幾たびも共に死線をかいくぐって来た中隊がいれば、必ずどこかに道を切り拓ける。 「そうとも、この後ろには、私を信じてくれているものがある。ここは、何があろうと通すものか!!」 中隊長命令として後退を命じられ、大隊本部付け宇宙港直衛部隊に合流した第1中隊後方部隊は、大隊本部までたどり着くとすぐ、後退指揮を任されたガストン中尉が、至急の応援の要請をする為、大隊長ゲーリング少佐へ上申に向かった。 そして、ハンスもまた、仲間と共に、大隊本部の外から大隊長とガストンのやり取りに聞き耳を立てる。しかし、大隊長の口から出た言葉は、ガストンにとって、そして、ハンス達にとっても予想外のものだった。 「大隊本部は宇宙港の直接警護にあたっている、それを増援に向かわせて、宇宙港を裸にしろと?どこから敵が来るか判らんと言うのに、そんな馬鹿な真似が出来るわけないだろう!」 「ですが、このままではフォン・ローゼンブルグ大尉達を見殺しにする事になります!どうか動かせる部隊だけでも増援を!」 「無茶を言うな!そもそも大尉達が戦線に残ったのは、その覚悟があっての事ではないのかね!今更増援を向わせたところで、アトラスのスクラップが転がっているだけだ!!」 「な・・・貴方は、それでも・・・・・・!」 「軍人だよ!だからこそ言うのだ!間に合う道理のない増援など、わざわざ送ってどうする!尻尾を巻いて中心領域から逃げ去る連中を守るなどと言う、こんな馬鹿げた任務などまともにやっていられるか!こんな下らない仕事で、これ以上貴重なアトラスを失う訳にはいかんのだ!!」 応援は許可できない。 大隊長の言い放った、乾燥しきった言葉。今この瞬間にも、ゲルダ率いる第1中隊は、必死に追撃部隊の侵攻を食いとめようとしている。それをつかまえて、犬死にと言うにも等しい暴言を吐くとは何事か。 『おい?よせよ、ハンス!』 『やめろよ、まずいぞ!?』 外から響いてきた喧騒と同時に、大隊本部のドアが開く。そして、後方勤務員用のPDWを手に、怒りで表情を歪めたハンスが現れる。 「なんだ!貴様は!?」 ゲーリングは、尋常ではない様子の若い上等兵に、不愉快そうな目と声を向ける。しかし、ハンスもまた、PDWの銃口をゲーリングに向け、怒りで震える声を絞り出した。 「中隊長が命がけで戦っているときに、あんたって人は・・・・・・!!」 「軍人が命がけで戦うのは当たり前のことだ!何を今さら馬鹿なことを言っている!?ガストン中尉、この若造は貴様の部下だろう!?とっとと、このキチガイを叩き出せ!!」 「よすんだ、ハンス。銃を下ろせ」 「ですが、小隊長・・・・・・!」 「聞こえなかったか?いいから、銃を下ろせ」 怒り、悔しさ、失望、ありとあらゆる感情で、悲痛に歪むハンスの表情を、ゲーリングは嘲るように鼻で笑う。 「中隊長の独断で戦線を離脱したことは不問にしよう、この上等兵も、営倉行きで済ませてやる。これ以上自分を不利な立場にすることもないだろう。わかったかね、わかったのなら、さっさと持ち場に戻りたまえ。」 だが、ガストンの返事はゲーリングの表情を引きつらせた。言葉だけでは無い、ガストンはホルスターから抜き出した拳銃のスライドを、ことさら大袈裟に引いて弾丸を薬室に送り込んだ。 「いいえ、わかりませんね。貴方の言っている事は、戦友愛の欠片も、軍人としての誇りも無い敗北主義者のものだ。軽量級メック1個中隊の戦力にも匹敵するアトラスを、みすみすお飾りにした上さらに、ここを守るべく戦っている戦友を見捨てるようなら、その選択の責任を取って頂きたい」 「き、貴様、正気か!」 「ええ、至って正気ですとも、ゲーリング少佐。今この大隊本部が無事でいられるのも、フォン・ローゼンブルグ大尉が捨身で敵を食い止めているからです。今確実に迫りつつある敵を前にして、義務を果たそうともせず、コソコソ安全な場所に引きこもろうと言う御積もりならば、私は、少佐を戦線放棄とみなさなければなりますまい」 「貴様、血迷ったか!貴様のしている事は造叛だ!」 「何とでもおっしゃって下さって結構、どのみち、ここは遅かれ早かれ戦場になります。となれば、宇宙港ひとつ守れなかった大隊指揮官として、少佐殿の名は永遠に語り継がれるでありましょうな。それに、フォン・ローゼンブルグ大尉の英断が無ければ、今頃は小官も戦場の土となっていたところです」 ガストンは、彫りの深い顔の奥にある目を静かに細め、いっそうその鋭さを増していく。 「それと、さきほどのブラウン上等兵に対する不適切な発言、是非取り消していただきたい。確かに彼は若いが、同時に非常に有能なテックだ。十分な補給もされない状況の中で、ありとあらゆる工夫を尽くし、中隊長機を完璧な稼動状態に仕上げ続けました。彼がいなければ、フォン・ローゼンブルグ大尉のアトラスは、貴方のおっしゃるとおり、とっくの昔にスクラップ同然になっていたでしょう」 血走った目を見開き、口から泡を吹かんばかりのゲーリングに向って、ガストンはただ引き鉄を引くだけで用事が足りる拳銃を、その銃口がゲーリングから良く見えるよう、まっすぐに構え直した。 「ハンス、悪かったな」 ガストンは、PDWを抱え、唖然としているハンスを振り向くと、父親のように目を細めて笑いかける。 「こいつは俺の『仕事』だってのに、俺がもたついてたせいで、面倒をかけさせた」 「小隊長・・・・・・!」 「ハンス、大隊長殿から命令書を頂くんだ。さあ、フォン・ゲーリング少佐殿、手早くお願いいたしますよ。」 「貴様ら・・・・・・覚えていろ!!」 その、まるで安物芝居の悪党そのもののゲーリングの台詞に、大隊本部の外から、大きな笑い声が沸きだしていた。 「各小隊、各自最終予備陣地へ後退!急げ、ここは放棄する!!」 眼前に迫りつつある敵部隊の様相に、ゲルダは微かに焦りの色を浮かべる。今自分達がいる場所は、予備陣地として設定した中隊本部跡地。その見慣れた光景と、撤収し残したプレハブ宿舎や資材を蹴散らし、吹き飛ばしながら、押し寄せる敵と激突している。 次の最終予備陣地が突破されたら、後は、敵部隊は宇宙港に向けて流れ込んでいくことになる。奮戦するアトラスと並ぶように、本来支援機であるはずのライフルマン達も、否応無しに押し寄せる敵の群れの前に、不得手とする乱戦に絡め取られていた。 それでも、ゲルダ率いる第1中隊は、構築した防御陣地の利を最大限に駆使しつつ、必死の抵抗で確実に敵に損害を与えて行く。だが、それも徐々に押し返されていきつつある。そして、とうとう最悪の事態が、その足音を響かせ始めた。 『カルメン2、被弾!脱出者なし!』 『カルメン4、戦車長戦死!』 『ヨルゲンは指揮を引き継げ、まだ動けるか!?』 『了解、指揮を引き継ぎ戦闘継続します!!』 動揺する隊員を叱り飛ばすように、リットーがことさら声を高く怒鳴りつけるのを聞きながら、ゲルダは押し寄せる戦車とメックに対し、次々とレーザーを浴びせていく。今は一瞬の油断や動揺が命取りとなる。だが、その間隙を突くように、敵戦車やメックが一気に押し寄せ、中隊の損害がじりじりと増していく。 『ベリエル3被弾!行動不能、脱出します!!』 『了解!幸運を祈る!!』 次々と損害が現れる中、アトラスの警戒システムが、休む間も与えずに警報をがなりたて、増援の戦車部隊が突進し、同時に、砲弾がアトラスの正面装甲を叩き始める。後衛のライフルマン達も、襲いかかるウイットワースやシャドウホークに対し、オートキャノンとレーザーの弾幕を展開し、接近戦に持ち込まれまいと必死に応戦し続ける。 「アスペル各機、無理に前に出るな!戦車隊と連携し、連中に有効射を浴びせろ!」 『りょうか・・・うわっ!?』 ゲルダの指示に、ライフルマン達は、戦車隊の援護を受けつつ、どうにか陣形を組み直す。それが功を奏してか、ほんの一瞬、攻撃の手が緩んだそのわずかな時間に、アトラスは迷わず一番近い包囲の壁に突撃し、そこから囲いを切り崩すように、手当たり次第に眼前の敵を叩きのめす。 「これしきのことで!」 ゲルダの叫びとともに、レーザーが立て続けに閃光を閃かせ、その上面装甲に直撃を受けた戦車は、飴のように変形し、破裂するように爆発する。だが、完全な乱戦状態に陥った追撃部隊は、味方の損害に対して少しも怯まず、取り憑かれたように突進を続ける。 「ええい!頑張らんか!」 目に見えて悪化していく状況を前にして、思うに任せないアトラスの低速に、苛立ち紛れに叫ぶゲルダは、スロットルを全開にしてアトラスの巨体を走らせ、撃ちもらした戦車を踏み潰し蹴り飛ばしながら、手近にいたウィットワースに体当たり同然の体勢で突進し、蹴り上げた足をその膝にめり込ませた。 金属が破断され、捻じ曲がっていく不快な音と同時に、ウイットワースの貧弱な脚は藁束のように折れ曲がり、轟音を立てて頭から地面に激突する。その時には、既にアトラスは離脱行動を始め、不規則に走りながら敵の射線軸を撹乱する。 「次は貴様だ!」 次の獲物を捉えたアトラスは、戦車隊の砲撃に足を鈍らされたシャドウホークにむかって突撃し、その懐に迫ると同時に、組み上げた両腕を高々と振り上げた。そして、その大質量から生み出された破壊力を込めた両拳が、ガラス張りの箱のような形をしたシャドウホークの頭上にめり込んだ瞬間、その頭部は粉々に圧潰した。 命中する弾丸を厭わず、猟犬や猟師を殴殺する猛り狂った大熊のように、次々とメックや戦闘車両を薙ぎ倒し、踏み潰していくアトラスの姿に、追撃部隊はこのアトラスが、弾薬が無くなりかけていることに気づき、少しずつ包囲の輪を広げて間合いを取り始めると、アトラスに向けて攻撃を集中し始める。 『中隊長!』 アトラスが集中攻撃に晒されているのを見たマッケイン曹長は、ライフルマンを回頭させ、アトラスの背後に忍び寄ろうとしたウイットワースに、次々と砲弾を撃ち込みつつ突撃する。そして、曲がりなりにも重量級である意地を見せ付けるような体当たりを炸裂させ、転倒したウイットワースの頭を踏み砕く。 『くそっ!こいつら!!』 『曹長!10時からも来る!!』 『畜生!こいつら、離れろ!!』 しかし、その瞬間、今度は自分が十字砲火を浴びる番になり、その致命的な背面装甲を敵に捉えられぬよう、懸命に機体を振り回しながら応戦する。だが、他のライフルマンも、群がり寄る戦車やメックに足を止められ、自身を守るのが精一杯な状況に引きずり込まれていた。 「マッケイン!!」 包囲され、袋叩きにあうライフルマン達の窮状に駆け寄ろうとしたその時、アトラスは、今までとは桁違いの衝撃を受けて激しく振動し、その巨体がたたらを踏むと、足元の土砂を吹き飛ばすように蹴散らしながら、転倒寸前で辛うじて踏み止まる。 「誰が撃った!?」 シートのヘッドレストに強かに頭を打ち、ヘルメット越しでも脳まで響く衝撃に、ゲルダは悪態をつきながら、周囲を見渡す。 『2時、距離280、サイクロプスです!』 リットーの緊迫した声がレシーバーから響くのと、重厚な装甲に包まれた一際巨大なメックを確認したのはほぼ同時だった。 「ようやくお出ましか、随分と用心深いことだ。いいだろう、この程度では、丁度物足りなかった所だ!」 ゲルダは唇から滲む血を舐め取りながら、獲物を前にした虎のように、喜悦の笑みを浮かべる。 「ますます退く訳にはいかんな、各員、強襲級が紛れ込んでいるぞ、相互警戒を強化!」 アトラスは、ようやく相応の敵を見つけたことに歓喜するかのように、サイクロプスの前に立ちはだかる。 「さあ、来るがいい!ここは一歩も通さんぞ!!」 血煙にまみれる猛虎の如く、猛然と叫ぶゲルダの意思を具現させるかのように、激しい砲声を轟かせるアトラスのAC20は、先制の一撃をサイクロプスに直撃させる。強襲級に相応しい重装甲で、その大口径砲の直撃に辛うじて耐えるサイクロプスは、敵意を剥き出しにするように、一つ目のようなシーカーを光らせ、次の瞬間、対峙した強襲級メックは、炎の中に放り込んだ弾薬箱のように、全身のありとあらゆる砲門を開き、ありったけの火力を互いに叩き付ける。 ゲルダは、サイトレンジの中心にサイクロプスの機影をロックすると、温存していた20連ミサイルを、その装甲の塊のような姿に撃ち放つ。そして、彼女の気迫が乗り移ったかのように、発射されたミサイルは次々とサイクロプスに突き刺さり、瞬く間に、その鎧を引き剥がしていく。 その間にも、周囲を取り囲んだシャドウホークや、ウィットワースの集中砲火を受けながらも、アトラスはその重装甲に物を言わせ、レーザーの掃射を浴びせつつ、サイクロプスに掴みかかるように突進する。 「でかい図体をしてすばしこい!」 振り抜いたアトラスのパンチを、すり抜けるようにかわしたサイクロプスは、その勢いのまま側面に回り込み、アトラスめがけてその足を振り上げる。 「もう少し技を組み立てるべきだな!」 サイクロプスの繰り出したキックを、地響きと共にバックステップでやり過ごしたアトラスは、稼動限界を超えた駆動部から火花を噴き上げ、大地を抉らんばかりに蹴散らした土砂を撒き散らしながら踏み込み、サイクロプスの足を薙ぎ払うようにカウンターを蹴り放った。 文字通り足元をすくわれ、体勢を崩しながらも、苦し紛れに発射したAC20が、アトラスの右肩を掠めるように弾け飛び、轟音と共に、装甲の破片と火花が鮮血のように飛び散っていく。 「やるではないか、それでこそ!」 あと少し左にそれていれば、間違いなく頭部を吹き飛ばしていた一撃に、ゲルダは獰猛な笑みを浮かべる。そして、鋼鉄の巨人に敬意と殺意を共に宿した意思を伝えるように腕を振り上げ、転倒を回避したものの、隙だらけとなったその上半身に向けて、アトラスは鉄槌のような拳を叩き落した。 サイクロプスの悲鳴のような金属の破砕音が轟き、粉砕された胸部装甲と共に、すでに耐久値の限界を迎えたアトラスの右腕が、耳障りな轟音と共に脱落した。その瞬間、飛来したミサイルが、アトラスの背面装甲で爆炎を噴き上げる。 「上等だ!!」 背後からの着弾の衝撃に、ゲルダは憤怒の形相で吼える。そして、レーザースキャナーの赤光を不吉に光らせたアトラスは、転倒したサイクロプスにそれ以上見向きもせず、大隊指揮官機を大破させられ、動揺の色が広がるメック小隊に猛然と襲いかかっていく。 その背後で、アトラスから受けた大ダメージから辛うじて立ち直り、再び起き上がろうとその身をよじらせたサイクロプスは、戦車達の容赦ない集中砲撃を浴びせかけられ、装甲や四肢の破片を飛び散らせながらのた打ち回り、頭を粉砕されるまで砲撃を受け続けた。 『来たぞ!撃て!撃て!』 『もう少しだ、仕留めろ!!』 全身に刻まれた、いつ機能を停止してもおかしくない損傷を、まったく意に介することなく迫るアトラスを前に、恐怖と防衛本能に尻をはたかれるように、死に物狂いの弾幕を展開するシャドウホークに向かって、右腕を失いながらも突進するアトラスは、レーザーを浴びせかけつつ肉薄し、胸部正面に開いたヒートシンクのルーバーめがけて鉄拳を炸裂させ、その奥の中枢ごと叩き潰す。 そして、炎を噴き上げ始めたシャドウホークの頭を叩き落すようになぎ払い、次の獲物を求めるバーサーカーのように、砲弾の嵐の中を疾走する。 「まだだ!まだ終わらんぞ!」 すでに搭載した弾薬を撃ち尽くし、右腕をも失ったアトラスは、そこを付け込まれるような遠巻きの砲撃を受け、嵐のような至近弾の爆風と、次々と叩きつけられる直撃弾に巨体を揺らがせる。 それでもなお、その闘志は折れることは無く、怒り狂った魔神の如き奮戦を見せるアトラスは、背面や側面を敵に晒さぬため走り続け、自分の間合いに迂闊に踏み込んできたメックに、鋼鉄の塊のような腕や足の一撃を振り下ろし、足元をすり抜けようとする戦闘車両を、カブトムシのように踏み潰す。 『畜生、この化け物め!』 『火を吹いてる、いけるぞ!』 『もう少しだ、全員でかかればやれる!!』 大隊指揮官であるサイクロプスを失い、指揮系統の混乱が生じかけているにもかかわらず、今ここで障害となっているのが、もはや大破しかけたメック一機ということが、あと一息で押し切れるとの意気を強めさせたDCMSは、悪魔にも等しいこの重メックに対し、出血が麻痺したかのように一斉に襲いかかっていく。 四方八方から滅多打ちにされるような攻撃に、火花を飛び散らし、黒煙を噴き上げ始め、あの城壁のような重装甲は、もはや見る影もなく半壊したアトラスにとって、死の恐怖を上回る熱狂に突き動かされたDCMS達の突撃は、刻一刻と破滅へと至る確かな響きとなって迫っていた。 「聞きしに勝るとはこの事か。まったく、読み違えもいいところだ」 弦楽器のように装甲を振動させるレーザーの直撃、耳元で鉄板をハンマーで乱打するような轟音、コクピット全体を揺さぶる砲弾やミサイルの直撃。衝撃で飛び散った機器や内壁の破片が、容赦なく身を切り刻み、肌を焼かんばかりに上昇する熱気で、汗は瞬時に蒸発し、皮を剥ぐような激痛が全身を襲う。 それら一切合切の不愉快きわまる騒音と振動、発火せんばかりの高温の中で、朦朧とし始めた意識は、それらを他人事のように感じさせる。そして、不思議なほど穏やかな気分で、ゲルダは呆れたように呟く。 「それほどまでにして、手に入れなければならないものなのか?だが、神という者は、人それぞれに相応のものしか与えんものさ」 さっきまで、足元で火が燃えていたはずなのに、今はもう何も感じない。流れ落ちる血と痺れで、視界の半分が塗り潰され、もう、自分が立っているのか、座っているのかさえも判然としないほど、全身の感覚が失われかけている。 「子供には光あふれる未来、女には祝福されし夢、老人には穏やかな平穏」 どこか祈るような声でささやき、そして最後に皮肉とも諦めともつかない、口の中に溢れ出す血液と共に、ゲルダは自嘲じみた苦笑を吐き出していた。 「そして、我々戦士には、ヴァルハラへの道を教えてくれるのさ。君達も、ゆめ忘れんことだ」 アトラスを包囲したメックや戦車達が一斉に砲撃を加え、衝撃と共に閃光に包まれたコクピットで、ゲルダは、あの人懐こい笑顔を思い出し、静かに笑った。 数時間後、ガストン中尉らが銃殺覚悟の恫喝でゲーリング少佐を動かし、急行させた大隊本部付の部隊が見たものは、かがり火のように夕闇を照らし上げて燃えている、荒野一面に散乱するメックや戦車の残骸だった。 増援派遣の通信を傍受したDCMSは、現状での作戦の遂行は到底不可能と判断し、逆に掃討戦の危険を回避するかのように、すでに戦線を離脱していた。 変わり果てた第1中隊本部のキャンプで、大隊本部直属部隊は、そこに動くものは何一つ見つけることはなかった。ただ、地面にうずくまるようにして燃えている数多の残骸の中で、疲れを癒そうとする旅人のように、沈みゆく夕陽を望むように、静かにたたずむ隻腕のアトラスの姿があった。 「おじいちゃん!」 花壇の雑草を抜いていた老人は、孫の声に振り向くと一息ついて立ち上がった。 「おや、カルル。できたのかい?」 「うん!見てよ、すごいんだから!」 その手の中に、大事そうに包み持つアトラスは、老人の時間を一気に巻き戻したかのような錯覚を引き起こした。子供の作品らしく、まだ稚拙な面もあるものの、そのなによりも懐かしいカラーリングと、あの時と寸分たがわない場所に、胸元を飾る勲章のように優雅に描かれた、雪白の薔薇。 「このアトラスってね、おじいちゃんは知らないかもしれないけど、とっても強いメックなんだよ!」 まだ幼い孫の、その無邪気な言葉は、老人の心を強く振るわせていた。この子にとって、一度も会うことはなかったもの。しかし、その絆が、今その小さな手の中にある。 「カルル・・・すごいじゃないか、最高の出来だよ・・・。うん、本当にすごい・・・」 感極まった老人の言葉と表情に、少年は輝くような笑顔を浮かべた。 「うん!おじいちゃん、カッコいいプレゼント、本当にありがとう!」 「そうかい、カルルがそう言ってくれるなら、おじいちゃんも嬉しいよ」 「今度、フランツやオットーをびっくりさせてやるんだ!」 光が溢れだすような笑顔と共に、再び家へと元気良く走り出していく孫の後ろ姿を見送り、老人は、うっすらと涙のにじむ目を細めてつぶやいた。 「ああ、強かったよ。とても強かったとも・・・・・・」 老人は、白薔薇の咲き乱れる庭園で、心より敬愛してやまなかった人を想い、人知れず泣いた。 ヴァイスローゼン (終) |
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