十五夜伝説

月夜眠短編集 2

秋深い夜、満月の灯りが山と崖に挟まれた小さなススキ野原を照らし、夜とは思えないほど明るい、とある山奥の村はずれ。

コオロギ、スズムシ、そして名も知れぬ草虫達の声があちこちで聞こえる中、1軒の古びた村宿の横では、旧式の屋外風呂にのんびりつかる若い男と、風呂をたく焚く村宿の主人が、暫く何も言わぬまま、秋の夜を楽しんでいました。宿の前には多分若者の物でしょうか、たくさんの荷物とヘルメットを縛りつけた1台のバイクが置いてあります。

「湯加減はどうですかの?」
「あ、丁度いいですよ」
「そうかい、じゃわしも少し手を休めて、虫達の声を楽しむとしますかの」

  村宿の主の爺さんは、そう言って風呂から離れ、もう何十年も使っていると思われるキセルを横の袋から取り出し、美味しそうに吸い始めます。

「しかし、難儀な事ですのう、こんな山の中で道に迷いなさるとは」
「いやあ、おじいさん。むしろ良かったですよ。そのおかげでこんなに日本情緒の残る宿と食事と、そして野趣あふれるお風呂にありつけたんですから」
「こんなボロ宿と山菜しかない食事がそんなにきにいられましたかのう?」
「いやあ、もう十分ですよ。山菜のおしたしと天ぷらと漬物、そして満月と大自然と虫達と一緒に入るお風呂。いやあ、俺日本人で良かったですよ!おじいさん!」

  若者はそういうと、少量の湯を暗がりの中で水撒きする様に、外にはじき出しました。と、近くでバタバタという音がして、何かが木の枝から飛び立ちます。一瞬ぎょっとする若者の姿に、穏やかに笑う宿のお爺さん。

「はっはっは、怖がらんでもええ、ただのコノハズクじゃよ」

  若者は暫く湯から上がり、再び周りの夜の景色を楽しむ様に見回し、再び湯船に浸かります。ざわざわと風がススキをなびかせる音が聞こえ、さっき飛んで言ったコノハズクの鳴き声がどこからとなく聞こえてきました。

「お爺さん、ここって虫や鳥を取ったら、本当何も無い静かな所じゃない?お爺さんも寂しくないの?」
「へ、わしゃあ、これっぽっちも寂しいなんて思わんですよ。近くにはお友達もたくさんいますし」
「へえ、本当?そうは思えないけどなあ」

  湯船に浸かった若者は、半分身を乗り出して、再び月影の山や木々を見つめます。

「お若いの、妖精というのを信じなさるかの?」
「え?妖精??」

  意外な人からの意外な言葉に、若者はびっくりして爺さんを見つめますが、すぐにまた穏やかな表情に戻ります。

「妖精かあ、もしいたら今日の夜なんかちゃんと道案内してくれるだろね」
「いんやあ、妖精ってもんはいたずら好きだで、道案内するふりして逆に更に山奥に引っ張りこむだけだで」
「へえ、お爺さん、妖精に知り合いがいるみたいな言い方じゃん」
「はっはっは」

  再び風呂を焚くお爺さんのちょっと秘密めいた笑顔に、若者はちょっとただならぬ雰囲気を感じました。

「お爺さん、嘘だよね?妖精なんてさ」

  お爺さんは暫く無言で風呂を焚いた後、再びキセルを取り、若者に向かって話し出しました。

「そこに、大きな祠があるじゃろ?毎年8月の満月になるとなあ」
「8月の満月に・・・なんだよ?」
「小さな妖精みたいなコロボックルが一杯集まってくるんじゃよ」
「またあ、お爺さん。孫に聞かせる様な話してさあ」

  ところがお爺さんは、若者の声に耳も貸さずに話しを続けます。

「その妖精の一族はのう、雌だけに綺麗な羽があるんじゃが、生まれた時は全て雄なんじゃ。それでのう、人間でいうと15から18の時じゃが、その中で雌になりたい者だけが毎年8月の満月の日にその祠に集まるんじゃよ」
「へえー、なんだか面白い話じゃん」

  若者はまるで土地の人に地元の民話でも聞くつもりで聞き入り始めました。

「その祠に集まる妖精はのう、みんなお守りを持ってくるんじゃ。それにはそいつらの親子親戚友人達の寄せ書きが書かれてあってのう。妖精達はそのお守りを祠に飾って、小さな手をあわせての、これからなさねばならぬ荒事の無事を祈るんじゃ」

「荒事って、何か修行でも?」

  若者はだんだんその話が面白くなって、嬉しそうにお爺さんに尋ねます。とその時、

「ぴょぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・・・」

  どこからともなく、日本の笛の音が風に乗って若者の耳に届きました。

「ああ、あれはわしの孫じゃよ。毎年今ごろになるとここに戻ってきての、夜中に虫やふくろう供に聞かせてやってるんじゃ」

  綺麗で透き通る様な音色だけど、どこか寂しそうな音色に、若者は心を奪われました。お爺さんの話は更に続きます。

「祠で祈りを済ませた妖精はのぉ、その裏の崖をよじ登って頂上まで行き、そして対岸に有る人間には見えない岩まで行くんじゃが、そこに行くには数本の長い綱が有るだけじゃ。まだ幼い妖精達は、その綱に捕まり、必死で対岸へ渡ろうとする。一歩手を滑らせば、奈落の底へまっさかさまに落ち、2度と生きて戻っては来れぬ。対岸の岩は暑いこちらとは違い、吹雪の世界なんじゃ。無事にその岩までたどり着いた者も、そこで約1ヶ月の間、少量の貝と雪水だけですごさねばならないんじゃよ」
「へーえ・・・」

  伝説とはいえ、とても厳しい世界の話に、若者もちょっとしんみりしています。風が止み、どこからか聞こえるその笛の音がはっきりと聞こえてきました。お爺さんの話は更に続きます。

「1ヶ月そこで耐えた妖精は、次の満月の前日、ふらふらの手足で再び対岸の岩からこちらへ戻ってくるんじゃが、手足を滑らす者、親兄弟の幻覚や幻聴、そして幻の対岸を見るものが、次々と綱を手放してのう、親しい者の名を叫びながら落ちていく、そりゃあもう谷は地獄絵じゃよ」
「なんか、かわいそうだね・・・」

「じゃがの、無事に再びこちらの地に足を付けた者は、その瞬間背中に羽が生え、雌となり、この祠に飛んで降りてくるんじゃ。羽が生えた瞬間に力尽きて息絶えるものも少なくないがのぉ。無事雌になった者が飛んで降りてくる様は、そりゃあもう秋に散る桜の花とでも例えようかのお。そしてこの祠の自分のお守り札を手にして、再び小さな手を合わせて無事帰ってきた事に感謝し、どこかに去っていくんじゃよ。そしてその日の深夜12時。対岸の岩、そして岩と繋がっていた綱は忽然と姿を消しよる。怖くて岩に残っていた者、帰るのが遅れて綱にしがみついてた者もことごとく谷底へおちてしまうのじゃ・・・」

  聞こえていた笛の音は、一瞬止んだかと思うと再び寂しげな旋律を奏で始めました。

「そしてのぉ、あの祠には生きて帰れなかった妖精の数だけお守り札が残るんじゃ。翌日の満月の夜、妖精の村では無事雌になった者を囲んでお祭り騒ぎじゃがの、わしはこのお守り札を集めて風呂を焚いて、あわれな妖精達の供養をしとるんじゃ。もう何十年ものう」

「・・・」

  若者は暫く黙っていましたが、いきなりがばっと身を乗り出し、驚いた様子でお爺さんの顔を見つめます。

「お爺さん!その満月の夜って、まさか、今日!?」

  若者の言葉にお爺さんはにっこり笑って、無言で湯船に指し水をしました。

「嘘、嘘だよねおじいさん?いや、すごいリアルな話だったよ。もう少しで俺・・・」

「お若いの、そう思うかの?」

  お爺さんはそういうと、風呂のかまどの横に置いてあった、びっしりと絵文字の様な物が書かれた厚手の布の様な物を若者に見せました。

「もう何十年もこういうことをやってるうちに、妖精の字が判る様になってのぉ」

  お爺さんは傍らの何枚かを手に取り、読み始めました。

「・・・おにいちゃんへ、戻ってきたらおねえちゃんだよね。のろまなあたしでも成功したんだから、きっとおにいちゃんならできるよ。きのこ料理いっぱい作って帰るの待ってるね・・・かわいそうに・・・」

  その札をお爺さんがかまどの焚き口に投げ入れると、ぱっと明るい炎が上がり、そしてまたたくまに消えていきました。

「・・・もうお前を止めても無駄だとわかった。4人のうち1人しか戻ってこないと聞くがこうなったらとにかくがんばってこい。そして生きて帰って来い!絶対だぞ・・・親父さん今ごろ悲しんでおるじゃろ」

  そのお札を手に祈るようにした後、お爺さんはその札をぽんと焚き口に放り込みました。

「・・・どうしても行っちゃうんですね。絶対無事で帰ってきてください。このお守り札をもう一度見たら、出来れば引き返してください。今までの恋人の関係がお友達の関係になるのがちょっと信じられないですけど・・・引き返せなかったんじゃろな」

「・・・いつまでも待ってるよ。無事に戻ってくるその日まで。戻ってきたら結婚しよう・・・ははは、生前はどういう関係だったのかのう・・・。」

  お爺さんの手で次々にお札が燃やされていきます。

「ねえ、お爺さん、あの笛の音ってさ」

「・・・そうじゃよ。哀れな妖精達への鎮魂曲じゃよ。わしの孫が毎年今頃ここに戻って来て吹いてくれとるんだ。雌になれなかった妖精の怨念が取り付いたんじゃろか、男だったのが今やすっかり女子そっくりになってしもうたわい、はっはっは」
「えええ!?どういう事それ!?」
「はっはっは、まあ世の中にはまだいろいろ不思議なことがあるもんじゃ。どれ、そろそろ床の支度するでな。明日は早いんじゃろ。その道をまっすぐいって峠越えて暫く行くと突き当たりに出るだで、左へ行けば町じゃ」

  何か狐にでもつままれた様子で若者が風呂から出てタオルで体を拭き始めました。

「お爺さん、いいお湯だった。不思議なお話も聞かせてもらったし。疲れがすっかり取れてなんだか体が軽くなった気がするよ」

しかし、その若者の背中にはいつのまにか2つの赤い不思議なあざが出来ていたことを、彼は知る由もありませんでした。

「じゃお爺さん、おやすみなさい」

  機嫌よく若者が部屋に戻ったのを見届けると、お爺さんはふらっと月夜の外に出ました。

(お若いの、許してくれ。今年は無事雌になれたのが極端に少なくての、こうでもして増やすしかなかったんじゃよ。まあ、人間界で生きるよりは、妖精族の女で暮らした方がよっぽど幸せじゃろう)

  そう言うとお爺さんは、懐中電灯を手に妖精の祠に向かい、まだ残っている妖精の守り札を束ね始めました。

  若者の部屋では不思議な出来事が起きていました。彼の体はまばゆい光に包まれ、既に身長は小学生くらいになっていて、更に小さくなっていく様子です。着ていた浴衣はほどけ、真っ白になった体の胸の部分が少し膨らみ、頭には2本の触覚みたいなものが生えてきています。顔は若者の面影は残っているものの、ふっくらしたほおと唇は、少女そのものに変化していました。

「うううん・・・」

  可愛らしい声とともに寝返りを打った彼?の腰はくびれてヒップは丸く大きく膨らみ、そして背中には、既にアザみたいになった部分から、蝶のような羽が生え始めていました。

 

おわり

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