序章 渡島編

 倭翠館…、20数年前、1人の資産家が大規模な純和風建築を建てた。3階建てで部屋数は50以上、その大半は使われることがなかったが設計士で大の江戸川乱歩ファンでもあった彼は広大な屋敷内に色々な仕掛けを作った。その仕掛けは侵入者に遺産を奪われないために作られたかもしれない。現にこの屋敷を訪れた者は生きて帰って来なかった。毎回、死体は海に浮いているのだ。
 そして、現在、主を失った倭翠館は無人のまま放置されてしまった。庭師によって丁寧に整備されていたが今はそれもなく荒れ放題になっていた。窓があったと思われるところは外から板が×に打ち付けられて中の様子は見えなくなっていた。そんな状態になっていながら訪れる欲深い者たちの訪問は途切れることはなかった。そのたびに島の周りは「血の海」と化したのである。なぜ、何の前触れもなく人が訪れるのかというとこの倭翠館にはある伝説があった。それは主が隠したと言われる100億もの遺産のことだった。
 遺産を見たという者は現れなかったが聞いたという者はすぐに現れた。主が謎の失踪を遂げた後、1人の人物がある記事を載せてくれと雑誌編集社を訪れたのだ。対応した編集部の森屋は話を聞くだけならということでこの人物に会ってみることにした。会うなりその人物は名前も名のらずにきりだした。
「あんた、倭翠館って知ってるか?」
「倭翠館?」
「そう、蒼戒島にある館のことだ」
森屋はそのことなら聞いたことがあった。
「その倭翠館が何か?」
「そこに100億もの遺産が眠っていることは?」
「遺産?」
「そう、倭翠館の主でもあった私の友人から聞いたのだ」
「ほう」
まだ森屋は半信半疑だった。
「信じておらんようだな、まあ、いきなり来た人間の言葉は信じるほうがおかしい」
「その前にあなたのお名前を窺いたいのですが…」
「私か?、名を名乗っておらなんだかな?」
「はい、いきなり話をされましたので…」
森屋はおずおずと言った。
「名は聞かないでくれ。まっとうに生きてきた者じゃないんでな」
「では、イニシャルだけでも…」
「Kだ」
「では、Kさん、先程、100億ものの遺産が眠っているとおっしゃられましたよね?」
「そうだ」
「証拠なんてものはありますか?」
「証拠?」
「そうです、言葉だけでは信じがたいものでして…」
「うむ、それはそうだな。証拠というよりも1つの詩だ」
「詩?」
「ああ、もし訪ねる気があるなら教えよう」
その人物は条件つきで教えると伝えた。すると、森屋はすぐに頷いた。
「本当だな?」
「ええ、あなたを信用します」
形だけでも聞いておこうと思ったのだ。相手はその気になった。
「その詩は…」

『死する者 生け贄にあり 生ある者 宝物を抱き 夢想の翳り也』

そう伝えてその人物は森屋の前から立ち去った。それ以来、森屋は仕事の忙しさからすっかり忘れてしまっていたが、1人の男が森屋のもとを訪れた。
「私は鳥山栄介と言います」
紺色のスーツを着た長身の男が森屋の前で口を開いた。もらった名刺には鳥山海運副社長と書かれていた。
「ほう、鳥山海運と言えば最近、東南アジアで金鉱を探し当てたという…あの?」
「はい、その通りです。たまたま漂着した島で金鉱を見つけたのです」
「たまたまではないでしょう?」
「御存知なのですか?」
鳥山は笑いながら言った。
「ええ、これでも元はある新聞社の社会部にいましてね。その同時、まだ新興企業だった鳥山海運が東南アジアにある小島にあった廃鉱の調査をしているという情報を得たことがあったのですよ」
「なるほど、そういうことでしたか」
「ところで今日はどういったご用件で?」
「ああ、そうでしたね。肝心なことを伝えなければいけませんでした。実はある企画をお願いしようと思いましてね」
「企画?」
「そうです」
「それはどのような企画なのですか?」
「森屋さんは蒼戒島という島を御存知ですか?」
「蒼戒島?」
森屋はその言葉に覚えがあった。謎の人物のことを思いだしていたのだ。
「ええ、その島に倭翠館と言うのがありまして…、その倭翠館で宝探しをやりたいと思うんですよ」
「それでその企画を我が社に?」
「ええ、ツアーの企画をやってもらえないかと思いまして」
「それは…、こちらとしても願ってもないことです」
森屋はツアーよりも鳥山海運という会社自体に興味を示していた。これを機会にお近づきになればという気持ちで承諾したのだ。すぐに森屋主導のもと企画は作成されたのである。これが死のツアーの序章でもあった…。

 和歌山の郊外に住む私こと柳園寺賢也は売れない作家である。自分で言うのも何なんだが本当に売れない、『仮面』事件以降、担当の岡田にいじめられながら少ない仕事をやりくりしていた。我が家にはもう1人、住人がいる。息子の辰也だ。辰也は地元の小さな編集社で働いている元暴走族のリーダーでもある。『仮面』事件では賢也の補佐役という立場よりも独自の推理を立てて犯罪に挑んだこともあった。最近ではそんな大事件に遭遇することもなく、ほのぼのと過ごす日が続いていた。私の友人の1人で同じ作家の国嶋良平という男がいる。良平は『仮面』事件では自分の親兄弟の闇に包まれた犯罪を暴こうと執念を燃やし、最後は瓜生という企業そのものに大打撃を与えた中心人物である。あの事件の後、瓜生ナショナル・リアーク社は衰退したものの経営状態は悪いということなく、再び光のあるところまで昇りつめてきていた。しかし、良平にしてみればそんなことはどうでもいいことだった。彼は作家という職業が好きなのだ。作家になるよう薦めたのが他ならぬ私自身であった。今では私を軽く抜かして売り上げも上々ということだ。良平に言わせれば、
「お前は推理をするのは得意やけど書くのは全然駄目やな。作家で行くなら推理より文学作家やなぁ」
と言ってくれる。喜んでいいのか悲しんでいいのかよくわからないが自分でもそのことは理解していた。それでも作家という仕事が好きなのだ。今更、辞める気などなれなかった。気ままに仕事をしていればいつかは光を見る日も来るだろうという楽観的な思いで1日1日を過ごしていたのである。
 そんな平和ボケになりそうな日々が続いていたときのこと、辰也が1人の人物を連れてきた。私はてっきり良平かと思ったがそうではなかった。きっちりスーツを着ている男性だった。
「幻影社の森屋と申します」
と言って名刺を渡した。私も名刺を渡す。キッチン兼居間にあるソファに顔を合わせるようにして腰を下ろした。幻影社は最近の国際情勢のリポートなどで名前を売りだしてきている編集社だった。文庫本も少しは出しているようだがまだまだ大手には勝てない位置にいた。私も文庫本を出しているが契約は辰也が勤める会社だけなのだ。その他からの要請はまったくなかった。私は文庫本の依頼かなって思ったがそうではなく、別件のほうだった。
「今日、お伺いしたのはお願いしたいことがあるのです」
「お願い?、俺にですか?」
「そうです、柳園寺さんは蒼戒島という島は知っていますか?」
蒼戒島のことならよく知っていた。100億の埋蔵金伝説は有名だったからだ。
「倭翠館の?」
「そうですそうです、やはり、御存知でしたか」
森屋は嬉しそうに言った。
「その倭翠館と関係があることなんですか?」
「はい、実は今度、その倭翠館を中心に埋蔵金のツアーを組むことになりまして…」
「うん?、つまり、そのツアーに参加しろと?」
「察しがよろしいですな、その通りなんです」
「何か訳ありなんですか?」
仮面事件で私たちが関わったということは世間的には公になっていなかった。しかし、作家の間や出版社・編集社の間では一時話題になったことがあった。その口火を切ったのはどこからかわからなかったが何人もの作家が私のもとを訪れた。けれども、私はそれに対して一切のことは語るつもりはなかった。語る気になれなかったというのが本心なのだがそれに対する印象が悪かったのか、悪い評判だけが広まってしまい仕事が来なくなったという悲しい出来事もあった。森屋もここに来たのも仮面事件のことを知っていたからだ。
「鳥山栄介という人物を知っていますか?」
「鳥山?、鳥山海運の?」
「ええ、その通りです。その鳥山さんが今回のツアーを企画した張本人なのです」
「ほう、それで?」
私は先を促した。
「彼にまつわる噂のことは知っていますか?」
私は咄嗟に試されているという思いが脳裏によぎった。私は平静を装って、
「噂ですか?」
「そうです、知っていますか?」
「俺が知っているのは内紛の…」
それを聞いたとき鳥山の表情が変わった。そのときに試しているのではなく真剣な話をしていると理解した。
「その通りです、3年前、鳥山海運は東南アジアでの海上交通を独占するために要所と思われていたファールス島の知事に多額の賄賂を送って海運権を独占してしまったんです。それを知った島民が知事に対して事の究明を申し出たが悉く拒絶されたため、一部の住民が公共施設などを襲ったのです。そのため、報復を恐れた知事は鳥山海運に入島禁止を申し渡した」
「しかし…」
「そうです、鳥山は直ぐさま知事叛乱の噂を流した。市民に流された噂は瞬く間に広がり、その噂は国家元首である大統領の耳にも入った。知事は真相を語ることもできずに知事を解任された。しかし、地元では知事に対する支持派と島民たちの反知事派に分裂して今尚、内戦状態にあるんです」
「それと今回のことに関わりがあるんですか?」
「それは…、まだわかりません」
「というと?」
「今回のツアー客の大半は鳥山が選んできた者たちばかりなんです」
「ほう」
「最初はこちらに任せるということだったのに急に鳥山が全部仕切ると言って結局は何もすることがなかったんです。このまま引き下がっては私の面目は丸つぶれです。そこでこちらからも私を含めて5人参加させるということで納得したんです」
「なるほど…、言うなれば意地の張り合いですか…」
「まあ、言われてみればそうなんですが…」
森屋は苦笑した。
「残念ですがそういうことであればお断りします」
伝説はおもしろいものだと思ったが鳥山と森屋の意地の張り合いに引っぱり出されるのは嫌だったのだ。
「そうですか…」
森屋は残念がっていた。そこに辰也が助け船を出す。
「いいじゃねえか、おもしろそうだし」
そう笑いながら言った。
「駄目だ、危険すぎる」
私も引き下がることはなかった。結局、話はこのまま平行線のまま終わったのである…。しかし、ある事件が泉南にある幻影社で起きた。森屋が殺されたというのだ。
「殺された?」
話を聞いて辰也が急いで帰ってきたのだ。
「ああ、通り魔に襲われたらしい」
「通り魔?、犯人の目星は?」
「ついていないらしい。警察も頭を抱えていたよ」
「たぶん…」
辰也の顔を見ながら言った。
「鳥山栄介が絡んでいるな」
そう言うと辰也も頷いた。
「鳥山が誰かに依頼して殺させたという可能性が高いんじゃない?」
「ああ、森屋さんは鳥山の何かを握っていたに違いない」
「何かって?」
「それがわかりゃあ苦労はしないよ」
「たしかに…」
辰也も頷いた。
「あのとき、仕事を引き受けるべきだったね」
「こうなることがわかっていればなぁ…。でも、その危険性はあった」
「どうして?」
「考えてもみろよ、鳥山が無名の編集社なんかに企画を依頼すると思うか?」
「普通なら有名どころを選ぶな」
「だろう?、だったら話は早い。森屋さんは鳥山について何かの事実を掴んだに違いない」
「だから殺された」
私は頷いた。辰也が続ける。
「で、どうするの?」
「このまま引き下がるわけにはいかないがツアーに参加する術を失っている。日はいつだっけ?」
「1週間後だ」
「それまでに何とかしないとな」
「まあな」
「今回のツアー企画に絡んでいるのは森屋さんだけか?」
「いや、もう1人編集者が加わっていたらしいよ」
「誰だ?」
「さあ?」
「調べられるか?」
「あいにくと幻影社には知り合いがいないんだぁ」
「ふん、辰也もまだまだだな」
私は笑いながら言った。
「うるせぇー、こっちもまだ…」
「新米編集者だろ?」
爆笑した。それからすぐに棚の上に置いてあった時計が飛んできたのは言うまでもない。

 3日後、良平がやって来た。
「よう、仕事やっとるかぁ?」
「仕事?、そんなもんないわぁ!!!」
「あっははははは」
良平は爆笑していた。
「ったく…、知ってて言うんだから…」
「わりぃわりぃ」
「で、何か用なのか?」
「つれないなぁ」
「ふん、仕事を持っている奴に言われたくない」
「怒るなって、実はな、こんなものが送られてきたんや」
良平は1枚の封筒を手渡した。
「これは?」
「開けてみ」
私は封筒の中身を見た。それは招待状だった。例のツアーの。
「送られてきたのはいつだ?」
「昨日みたいやな、岡田のおっさんと仕事の話をしているときに」
「ほう」
「で、受け取った由里子が勝手に開いたというわけや」
「ああ、そうだった。彼女、お前の家にいるんだったな」
「そうや」
由里子は『仮面』事件の関係者の1人で今は良平の家で同居している。
「これって殺された森屋のとこのツアーやろ?」
「ああ、お前、よくこれが森屋さんのとこだってわかった?」
「そんなもん簡単なことや、森屋が俺に持ってきたんや」
「ほう」
「一昨日、俺のところに来てな、100億円埋蔵金ツアーに参加せえへんかってゆうてきたんや」
「うちにも来たぞ、3日前にな」
私は今日送られてきた招待状を取りだした。
「一度は断ったんだが今日の朝、これが送られてきた」
「遺言って奴やな」
「おいおい」
「そうやろが、森屋の遺言と思ってもええんとちゃうか」
「うむ…、で、行くのか?」
「ああ、森屋は俺の作品(文庫本)の責任者やったんや。なかなかええ人やったんやけどちょっと欲が出たみたいやな」
「欲?」
「独占欲って奴やな」
「ほう、森屋さんもあったのか?、何か」
「ああ、何でも手に入れたい性格みたいやし」
「ふうん、似た者同士か…」
「誰と?」
「鳥山海運の副社長と」
「ほう、今回のツアーの主催やな」
「で、お前はもちろん行くつもりなんだろ?」
「もちろん、お前は?」
「行くよ、あのとき引き受けてやれば死なずに済んだかもしれんからな」
「そんなことは関係ないんとちゃうか」
「どうして?」
「人間の欲っていうんは他人にはわからないもんやて」
「でも、それを見抜く力も必要っていうことだろ?」
「さあな、それはそいつ自身がどう考えるかにかかっとるだけや。まあ、難しく考えるのは辞めようや」
「ああ、そうするか…」
「しかし…」
「うん?」
「森屋は何で殺されたんやろなぁ」
「たぶん、鳥山海運のことだろうな」
「お前もそう睨むか?」
「ああ、今のところはな」
「今のところ?」
「まだ何か隠されている気がするんだよ」
私はベランダの向こうに見えるビル群を見つめていたのである…。

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