四章 暗殺者
徳川家と豊臣家の情勢が徐々に悪化している頃、護間藩でも重臣が暗殺されるという事件が起きた。殺されたのは政兼に近い家臣だった市川義政で、政種に代わった後に目付として藩内の不正を調べていた。剣術は一刀流を使い、並の武士であれば返り討ちできる程の腕前を持ち、簡単にやられる男ではない。小牧・長久手の戦いや小田原征伐にも出陣し、武功を上げている武将であった。それが簡単に首を斬られて暗殺されたのだから、藩内に緊張が走るのは無理はない。この混乱に政兼はお里に留守を任せて供もなく、政種がいる藩の陣屋に向かった。山の中腹にあった廃寺を改造した陣屋だが山城と同じく山門を潜れば正面に参道ではなく、塀が現れて外敵を防ぐ役割がある。塀に沿って右に折れ、もう一つ門を潜って足軽小屋がある。ここでは番兵が交代で陣屋を守っており、数人の足軽が警備に当たっている。政兼が一人で入ってくるのを見て兵が殺気立つ。政兼には心地よい空気だ。
「何者か!?」
槍を向けられる。不審者と間違えられているようだ。
「待て待て」
政兼は護間の家紋が入った煙草入れを見せる。すると番兵は焦った顔をする。
「こ、これは!?」
「政兼じゃ。皆、気は弛んでいないようだな」
「ははっ、毎日の鍛練を怠りませぬ」
「うむ、良い顔をしておる。その心構え忘れるでないぞ」
「はっ」
組頭に労いの声をかけて陣屋内にある御館に入る。
「これは大殿!」
出迎えたのは馬奉行を務める藤城長政である。
「長政、久しいのう」
「来るとわかっておれば出迎えを出しましたものを」
「一人のほうが気楽でな。それよりも政種はおるか?」
「はっ、こちらに」
長政の案内で奥に入る。御館は廃寺の本殿を改築しただけでそんなに広くはない。かつて、仏殿があった場所が大広間になっている。
「殿、大殿が参られました」
「何?、父上が?」
驚いた表情を見せる。
「政種、息災か?」
「これは父上、出迎えもせずに」
「案ずるな、多忙を極めるお前に迷惑はかけぬ」
「もったいないお言葉。お里様はお元気になさっていますか?」
「ああ、心配ない。たまには会ってやるといい」
「左様ですね」
政兼は政種の前に座る。
「今日はお主一人か?」
「ええ、政房と高明は席を外しています。長政、お前も下がってくれ」
「ははっ」
長政が下がると本題に入る。
「義政が斬られたそうだな。下手人は捕まったか?」
「未だに」
「見た者はおるか?」
「義政の付き人が見ていますが…」
「どうした?」
「一瞬のことだったそうです」
「ふむ…、忍びの仕業か?」
「おそらく」
「我が藩には忍びは飼っていない。となれば、雇い忍びかもしれぬ」
「誰かが殺すよう依頼したと?」
「その可能性が高い」
「ならば一体誰が…」
「わからぬが調べてみる価値はありそうだ」
その時だった。政兼の脳裏にかつて起きた悲劇がよぎる。主君が暗殺された時にその場にいたのは政兼と殺された義政、そして、現在は護間藩旗本頭をしている慶生院龍斎である。龍斎の本名は金子慶政と言い、金子宗康の弟である宗政の子に当たり、政兼が出奔する際に共に付いてきた男である。剣は金子幕心流を使うがれっきとした幾天神段流の使い手でもある。師は何を隠そう政兼であった。政兼が龍斎を旗本頭にしたのはその経緯があってのことだったが、あの場に居合わせたのはこの3人と1人の忍びである。覆面の間から見えた鋭い目は只者ではないと判断したのだが、今は急に龍斎のことが気がかりであった。
「政種!、龍斎はどこにおる!?」
「龍斎なら屋敷に戻っておると思いますが」
「屋敷は陣屋下の曲輪であったな?」
「はい、左様ですが…」
そう言うか言わないかのうちに政兼は御館を飛び出した。こういう時は広い城よりも狭い陣屋のほうが得をする。疾風の如くの速さで陣屋から伸びる階段を降り、曲輪にある武家屋敷に向かう。武家屋敷は陣屋下にある砦の役割を果たしており、外敵があったとしてもそう簡単に攻めれない造りになっている。曲輪の反対は町人町で商屋が多い。その外側に川が流れており、その向こうには農村や田園が広がっている。曲輪に入った政兼は一目散に慶生院の屋敷に走っていく。常人の速さではない。風のようである。屋敷の門はすでに破られており、家人が絶命して倒れている。政兼が見た光景は修羅場であった。至るところに死体がある。政兼はその死体に見向きもせず、屋敷の中に入る。気配は感じる。まだ生きていることを信じて奥へ奥へと突き進む。奥では龍斎と暗殺者が対峙していた。龍斎は刀を逆刃にて被るように構える大鎌の構えをしている。大鎌の構えは守りの構えであるが刀の切っ先は常に敵に向いており、一発逆転の技でもあった。対する忍びは忍び刀を前に微動だにしない。双方とも血まみれになっているが龍斎は瀕死の状態で忍びは返り血だけだった。その姿が政兼の目に入った時、剣圧で空気を切り裂いた。真空という技である。剣圧は忍びを襲うがひらりと後転して避ける。その間に政兼が割って入る。
「やはりうぬか」
「護間政兼…」
くぐもった声で忍びが呟く。
「捜す手間が省けた」
体が無数に分かれる。分身の術だ。
「うぬにこれが見破れるか」
龍斎は構えを解かぬまま気を失っている。政兼は刀を鞘に納めて抜刀の姿勢になる。そして、目を瞑り意識を無とし、精神を一点に集める。分身が動いているがある一点で重なり合った瞬間、政兼の刀が牙となって忍びの体を射抜く。しかし、咄嗟に体を交わしたおかげで忍びは右腕を切り落とされるだけであった。
「ぐはっ…」
斬り取られた腕を拾いあげるが出血が酷い。腕を失った右肩を持って忍びは闇に消えた。
「化け物か!」
政兼はそう吐き捨てて龍斎を救い出すことに成功した。
数日後、月が照らす屋敷内に気配を感じる。
「来たな」
「気づいていたか」
闇から姿を現す。
「また現れると思っておったぞ。名を聞こうか?」
「聞いてどうする?」
「うぬが我が主、森重光を殺したのはすでにわかっておる。主の墓前にその首を添えてやろう。それとも、名乗れぬ理由でもあるのか?。豊臣の狗め」
「そこまで知っておるとは恐れ入る」
「その眼だ、その眼が俺の記憶を蘇らせた」
そう、主君が殺した忍びの眼と同じなのだ。
「ふっ…。眼だけでわかるとは…、さすがは一条刀斎の倅だけある」
「父を知っておるか」
「知っておるとも。奴に殺された同士は数えきれぬ」
遠州、駿河に勢力があった金子宗康の暗殺でも狙ったのだろうか。
「しかし、何よりも森の暗殺は我の何よりの汚点」
「汚点だと?」
「左様、牧原の暗殺は容易かったが、森の暗殺はうぬらに我が姿を見られてしまう失敗を犯した」
「そのために義政を殺し、龍斎を襲ったというのか!?」
「その通りだ。我が姿を見た者は全て生かしておかぬ!」
影が伸びて政兼に迫る。
「小賢しい!」
政兼は刀を地面に刺す。手ごたえはない。上空から殺気が迫り、政兼は空に視線を向けて振りかぶる。
「避けられるか?、うおおおおおぉぉぉぉぉ――――――!!!」
一気に振り下ろすと空気をも切り裂く剣圧が扇のように広がり、忍びの全身を覆った。流牙散布の原形技でもある。
「ぐふっ…」
全身を斬り刻まれた忍びは血を吐きながら落ちる。
「片腕を…失っては……忍びも…できぬ……か…」
「名を聞こうか?」
「ふっ…か…変わった……奴…だな…」
「よく言われる」
「く…葛原…大…斬……」
そう言って絶命した。
「葛原大斬…、お主の名は忘れぬ」
政兼は合掌した。照らす月の光が二人を見つめていた。
翌日、政兼は陣屋で政種に会う。
「葛原大斬ですか…」
そこにはお里の姿もあった。
「聞くところによれば大斬は織田信長に仕えていた忍びであったらしい。が、信長が死に柴田勝家に仕えるも勝家も没し、次に選んだのが秀吉だった。秀吉は家康との戦いを控え、森と牧原の両勢力が邪魔になった。しかし、それは家康も同じで利害が一致したため、秀吉のすることを黙殺することで決戦に望んだ。その結果、二つの勢力は仲違いし、共に国を追われた。森は護間と名を変え、牧原は名高と名を変え、陰陽の道を歩いている」
名高家は秀吉に仕えたことで城持ちの大名となったが関ヶ原の戦いで西軍に付き改易。今は大坂の決戦を控えて戦の準備に入ったと聞く。
「過ちはどこまで続くのか…」
世間の過ちは天下を取った徳川家が戦国の世から抜けきれていないこと。護間の過ちは牧原という絆の枷が外れていないこと。牧原の過ちは森を信じきれずに天下人に付き、それを信じてしまったことにある。
「豊臣が滅びても尚、戦いは続くであろうな」
政兼の言葉に二人はじっと聞き入っていた…。
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