参章 死に場所

 政兼の出自は尾張でもなく丹波でもない。実際は京都であり、家柄は公家であった。公家といっても傍系であり、禄など無いに等しい。父は一条刀斎と名乗り、生きるために剣術を学び諸国を放浪、自ら編み出した幾天神段流という流派を確立し、二つの家にこれを伝授した。一つは京都にある摂関家の三条家、そして、もう一つは遠州の戦国大名である金子宗康である。宗康に教えを乞われた刀斎は宗康の人柄を気に入り、幾天神段流を余すことなく伝授する。後世に受け継いでいく中で三条系を京都直伝、金子系を遠州直伝と呼び、共に宗家を名乗り、争うことになる。江戸幕府が成立し、宗康は外様でありながら旧領を与えられ、金子藩を立藩する。三万五千石という小藩だったが、西に浜松城、東に駿府城、南に掛川城と要所に位置することもあり、幕府からも一目置かれた存在だった。刀斎は金子藩剣術指南役として迎えられたが世が安定していくにつれて、戦のために振るった剣術は疎まれるようになり、藩内は金子家が遠州で発展する前からあった独自の流派である金子幕心流が大きく幅を広げた。そのため、刀斎の役割は薄れていき、大坂の陣を前にして宗康が病没すると失意のうちに役を辞して遠州を去った。その際に家督は嫡子経信に譲っていたが、剣術はそうではなかった。宗康に伝授した剣術は宗康の孫のお涼が受け継ぎ、その子で後に金子藩主となる宗勝、そして、江戸で幕臣となった金子左近将監と流れていくが、一条宗家の幾天神段流は二つの系統に伝えたものではなく、真の幾天神段流として次子であった経政に伝授していた。しかし、その経政も出奔してしまい、小牧・長久手の戦いで死んだと聞いていたのだ。そんなある日、江戸への参勤交代のため、宗康に同行した刀斎は武家屋敷が立ち並ぶ場で経政を見かけたのだ。それも、立派な駕籠から下りて来る我が子に。刀斎の消えかかった血が煮えたぎる。宗康が病没する前の年に刀斎は吐血としていた。心の病を患ったのだ。先が短いことは隠して江戸へ来たかいがあったものだったが、一介の一家臣が大名に会えるのは困難で、江戸を離れることになっても気掛かりであった。宗康の死後、役を辞した刀斎は護間藩がある丹波に向かう。道中で経政が隠居していること、名を政兼に改名していることを耳にし、一路、護間藩に入り、休む間もなく政兼の屋敷に向かった。
「この気配は…」
夜半でありながら、政兼は一人廊下で座り込み、外を見ていた。中庭と門の間に隔たりはない。しばらくすると門を潜って一つの影が入り込む。
「久しいですね」
「まことに」
「父上、息災ですか?」
「いや、心の病を患っておる。ここに来たのは…」
「死に場所を探すためですか?」
「左様」
「久しぶりに殺りますか?」
「そうだな。さすがは我が子よ、経政、いや、護間政兼よ」
政兼が刀を手にして中庭に下りる。腰の帯に刀を差し、父の前に立つ。父もまた刀の柄に手をかける。
「共に苦労したようだな」
「ええ、今も苦労は絶えませぬ」
「ふん、何を言うか、早々に隠居しおって」
「それは父上もでしょう?」
似た者同士ということだ。何気ない会話をしているが殺気は凄まじい。殺気に感化してお里が起きてきていたが、あまりのことに声すら出ない。一陣の風が二人の間を通った瞬間、それが合図と言わんばかりにほぼ同時に抜刀し、刃と刃がカキンッという音と共に交差して弾ける。そのまま共に袈裟斬りに入るもまたも交差して刀が弾ける。そのまま、刀斎は逆袈裟で返してきたのに対し、政兼は体を半歩後ろに下がり、体を回転させて利き手である右脇を狙う回殺を放つが刀斎は間合いを詰めてこれを回避し、同時に後ろに飛んで間合いを開いたかと思った瞬間、着地と同時に無数の刃が空間を走る。流牙散布八連である。双方の体がすり抜けたかのように見える。共に振り返り、再び刀を納める。
「強くなったものだ」
「父上もまだまだ」
「それでこそ殺りがいがあるってものだ」
刀斎の気質が変わる。殺気から鬼気に変化する。常人であれば気絶をしかねない。しかし、それは政兼もそうであった。共に渦巻く鬼気に二人の周りの空気は大きく変化する。左足を後方に下げて神経を一点に集中させる。視線は動いていない。二人を見守るお里は恐怖で体が震えている。鬼気が屋敷の廊下で見るお里をも覆ってしまっているからだ。次第に解けていく意識に保とうと必死に堪えるがとうとう真っ暗になってしまった。お里が倒れるドサッという音が二人の合図となった。
「奥義!」
「奥義!」
瞬速の抜刀術が共に放たれた。回避はできない。刃が体を斬りつける。
「ぐっ…」
「むぅ…」
共に唸るが、
「見事…」
一瞬早く政兼の刀が父を超えた。刀斎の膝が落ちる。
「紙一重だったな」
「ええ…」
お里の体を抱えあげた政兼は父に答える。お互い傷は負っていたが深手はなかった。技の均衡がほぼ変わらなかったため、傷もそんなに大きいものはなかった。どちらかの技が大きく勝っていれば均衡は脆くも崩れ、どちらかが命を落としていただろうか。
「まだ死ねぬようじゃ」
「寿命というものはそう簡単に失いませぬ」
「だからといって病は蝕んでおるわ」
「………」
「ま、なるようになるわ。お前は今の世をどう思う?」
「何とも」
「何も思わぬのか」
「すでに隠居の身故に」
「勝手な奴め」
「父上の子ですから」
「そうであったな、わははははは」
お互いに声を上げて笑った。
「父上、いずこに行かれます?」
「わしと死合をしたい奴がおるそうじゃ」
「ほう、そんな命知らず者がまだいたとは」
「せっかくなので京都で会うことになっている」
「名は何と?」
「宮本武蔵」
「あの吉岡道場を潰した剣豪の…」
「うむ、最強の剣豪という触れ込み、真かどうかこの目で確かめたくなってな」
「父上も物好きな」
「生涯剣で生きる身に何の後悔があろうか」
刀斎は立ち上がる。
「行かれるので?」
「うむ、わしには止まっている時間は少ない」
死期を感じているのだろうか。
「もう会うこともあるまいが、もし、会う機会があれば酒でも飲もう」
「御意」
拳を床につけて一礼する。いくさ人であった政兼ならではの挨拶だった。
「父上、達者で」
「おう」
刀斎は屋敷の門から出て行った。
「また一人、我がもとを去ったか…」
政兼は寂しそうな表情をしながら、去った父の後ろ姿を追い求めていた…。


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