第三章 覇道

戻る

 一、主家併呑

 1573年、畿内の勢力が大きく変わっていく中、かつて東海地方に絶大な勢力を誇っていた今川家は衰退しつつも今だ駿河を中心に勢力を誇っていた。その原動力となったのが遠州に勢力を置いていた金子宗康の存在だった。遠州に侵攻した武田信玄を破ったという事実は今川家に対する侵攻心を萎えさせるには十分過ぎ、また警戒することで侵攻の機会を失っていたのだがここにきて宗康にその機会が訪れようとしていた。

 駿河国蒲原城、富士川の西岸に位置し、駿河を東西に繋ぐ要所でもある。ここを守るのが蒲原徳兼である。蒲原氏は今川一門衆として早くから足利将軍家に仕えて各地を転戦し、応仁の乱以降は所領を得たのを機に蒲原に入領したが徳兼の父氏徳は桶狭間で主君と共に討死している。家督を継いだ徳兼は氏真を支え、忠臣の1人として今川家重臣に上り詰めた。本来なら城詰めとして自らの所領を治めているところだが遠州巡察として小山城に在城していた。そのため、留守を守るのは徳兼の嫡子徳氏である。徳氏は戦いには適していないものの、政治に関しては指折りの知将だった。その徳氏の許に今川氏真から使者がやって来た。
「どのような御用件でありましょうや?」
「率直に言わせていただこう」
徳氏が相手しているのは岡部家々臣である大俵丹後守だった。
「父君徳兼殿に謀反の疑いあり。主君氏真公の命により、即刻城を明け渡して頂きたい。反すれば同罪と見なす」
「な、何と言われる!、父が謀反だと!?、それに代々受け継げられた城を明け渡すなどできるわけがないっ!」
「謀反は事実でござる。主命に反すればどうなるか…」
「例え、主命とは申せ、そのような…」
徳氏の言葉に続きはなかった。大俵の背後に控えていた岡部家の家臣が突如刀を抜いて徳氏を斬り捨ててしまったのである。一瞬の出来事に蒲原の者たちは反応できなかった。さらに大俵の軍勢が城を包囲したことで主を失った城は戦意を喪失した。降伏することで蒲原徳兼の帰還を待つ道を選んだ。

 この事態は金子宗康の許にも届けられた。丁度、中庭を前にして茶会を開いている最中だった。
「申し上げます!」
汗だくになった鎧武者が入ってくる。
「何事か?」
「蒲原城にて異変!」
「異変とな?」
宗康は徳兼と顔を見合わせる。
「何があった?」
「はっ、大俵丹後守の兵が蒲原城を急襲!、城を守っていた徳氏殿は討死された由」
「なっ!?」
徳兼は突然の悲報に唖然となった。
「ほ、他の者は?」
「大半が降伏を余儀なくされ、応戦しようとした者は悉く…」
「ば、馬鹿な…」
あまりの事に愕然となる徳兼を横目に宗康が口を開く。
「して、殿は?」
「静観しております」
「静観だと?、大俵は岡部の者、元信殿は?」
「未だ動きがありませぬ。ただ、徳兼殿謀反の噂が駿府に流れております」
「謀反だと!?、徳兼殿ほどの忠臣が謀反を働くわけがない。氏真様は近頃蹴鞠ばかりに精を出して政務を疎かにしていると聞く。駿府はそこまで落ちぶれてしまったのか!」
あまりのことに宗康は激怒した。その上で、
「徳兼殿、ここは兵を挙げて徳氏殿の無念を晴らしましょう」
「し、しかし、それでは…」
「今、ここで動かねばここも駿河も他国によって蹂躙されてしまいます。氏真様にそれを退けられるほどの力があるとは思えぬ。ならば、我らの手でこの地を治めましょうぞ」
「………」
「お迷いになるのは当然のことだと思いますがこれも先の世のため」
「…な、なれど今川家には三国同盟があり申す」
「安心召されい、武田は上野で長野家と対峙し、北条も上総の里見家との間で戦いを繰り広げているとの報せが入っております。動くなら今しかありませぬ」
「むむむ…」
徳兼は天を仰ぎながら、目を瞑る。悩んでいるのだろう、色々なことが浮かんでは消えていく。そして、正面に向き直り、双眼を開いた先には太陽から光を浴びている中庭が見えた。一瞬、美しいと思ったが口には出さない。
「村勝」
「はっ!」
隣にいた家老菊地原村勝のほうを向く。父の代から仕えている老臣だ。
「小山にいる徳勝に伝えよ、これより、我らは金子家と共に歩むと」
「ははぁ」
意を組んだ村勝はすぐに小山城に走った。
「徳兼殿、よくぞ決断なされた」
「必ずや、勝ちましょうぞ」
子の仇討ちというよりも自分の信念が動かしたといっても過言じゃないだろう。

 宗康動くの報せは各地の大名の耳にも入ることになる。一番、度肝を抜かれたのは今川氏真だったのかもしれない。他の家臣の耳を貸そうともせず、その場で震えたという。宗康は軍勢が整うとまず第一陣を発した。金子右近・寺坂美作守が駿河横山城、朱鷺田忠勝・勢田伴定は諏訪原城に向けて進軍した。また、小山城は徳兼の指示を受けた次子徳勝によってすぐに占拠され、そのまま、第二陣を率いる徳村家継・長居弘政の軍勢に加わった。守りは対武田に松山景成を筆頭に森長元・高崎定長・矢野義綱、その他に対しては金子宗政を筆頭に島田興長・吉岡直忠・勢田伴定が抑える。本軍は宗康を総大将に先崎十左衛門・先崎勝正・泊貴房・葉祇宗通らが加わった。この他に海の要衝灘城の攻略に松平清之・脇坂広信・松家新之助が軍勢を進め、亀井左馬介はすでに駿河に潜入していた。主要の城を内部より落とすためである。
 一方、突如の挙兵の報せに今川氏真は焦りを隠せない。
「ど、どうすれば良いのじゃ!、蒲原に謀反があると申したのはお主だぞ、どう責を取るつもりか!?」
「お待ちください。この度の一件は大俵の独断にあり、命を下した岡部殿に責があります」
責任の擦り付け合いが始まろうとしていた。鵜殿長照が保身に走っているのがよくわかったが誰も文句を言おうとしない。
「その元信は如何したのじゃ?」
「花沢にて前線の指揮に当たっておりまする」
「呼び戻せ」
「なりませぬ!」
声をあげたのは興津城主興津左衛門義永である。
「彼の者は今川家随一の勇の者。今、呼び戻しては味方の士気に関わり申す」
「黙れ、義永!。殿の命に反すると申すか!?」
「そうは申しておらぬ、金子宗康を甘く見るなと言っているのです」
「宗康など30に満たない若造ではないか!、恐れるに足りず」
「そうおっしゃるがあの者は貴方でさえ勝てなかった森一族を滅ぼした者ですぞ」
「ぬぬ…黙れ!、我を愚弄する気か!?」
長照が刀を抜く。
「この場で刀を抜くとは…、礼儀を知らぬ男だな!」
「おのれ…、言わせておけば…」
斬りかかろうとする長照に周りが止める。
「長照殿、場を弁えられよ!」
そう怒鳴ったのは関口氏広であった。
「殿の御前であるぞ」
「黙れ!、う、氏広殿、貴殿の娘は確か宗康の弟に嫁いだのであったな。貴殿こそ、敵に内通しているのではあるまいな?」
「何と申される!?、金と欲だけに生きている男に言われとうないわ!」
「き、き、貴様ぁ…」
今にも修羅場となりそうな場所に氏真は止めようともせず、その場で腰を抜かしているに過ぎなかった。些細な喧嘩すら制することができない主君を見て家臣たちの心は揺らぎ、長照と敵対した興津義永と関口氏広はそんな主君を見限って駿府を去ることになる。

 攻め寄せる金子勢に対抗するべく、最前線で指揮を取っているのが岡部元信だがさらにその前衛を守るのが諏訪原城主篠川信十郎である。信十郎は在番として常にここに控え、この事態を見据えていたのかもしれない。度重なる猛攻にもめげずに懸命に防いでいた。朱鷺田忠勝は北に回り込んで、勢田伴定は西から攻撃を仕掛けているが一向に落ちない。挙句にこの城は遠州松平家の祖であった松平清政が小規模な城から丹精こめて造りあげた堅固な城に替えたのである。そう簡単に落ちるはずもなかった。
「忠勝よ、お前の力ではこの城は落ちぬ」
本丸から見つめる信十郎の眼には強気な視線があった。勝ち目がなくても援軍が来るまでには十分過ぎるほどの力と時間があるように見えた。しかし、それも豹変に化けることになる。このまま戦いが長引けば城の奪取どころか、兵の士気が低下して逆に敗れかねないと判断した者がいた。
「金子には勝ってもらわねばならぬ。行くぞ」
黒装束の男は手慣れた動きで城に潜入する。途中で警戒する今川方の忍びを蹴散らし、突破口を開くと要所要所にある兵糧庫や櫓に火を放った。突然の火災に今川方は混乱に陥った。
「何事か!」
「も、申し上げます!、城内のあちこちで火の手があがっております!」
「ちっ…、忍びの仕業か!、すぐに火を消せ!」
「はっ」
家臣たちが走りまわるが火はなかなか消えない。消えるどころか爆発も起きている。油と火薬を組み合わせた火攻めであった。攻める手段を失っていた金子勢は好機と言わんばかりに総攻撃を仕掛ける。火に全ての動きを奪われてしまった今川勢は対処する術を失い、信十郎以下5百の兵は四散か降伏を余儀なくされ、本丸で刀を片手に戦い続けていた信十郎もとうとう捕らえられた。そして、即日、金子宗康の許に送られることになる。
「それにしても…、一体誰が…」
忠勝は首を傾げた。城中潜入の命を下した覚えはなかったからだ。
「左馬介様では?」
「いや、それはありえぬ。彼の者は我らが動くよりも前に駿府に潜入したと聞く。それにこの城は我らに一任されていることは殿が一番よく知っている」
となれば、誰が火を放ったのか、2人は天守を前に悩み続けていた。

 諏訪原城近くの寂れた集落に数人の人影が見えた。
「なかなかの成果ではないか」
「はっ、ここより先は余程のことがなければ宗康の勝利でしょう」
「うむ、岡部ぐらいが壁になろうが今川の内部は脆い故な。さて…、金子の若造のお手並み、拝見でも致すか…」
忍びの頭は諏訪原から煙があがる城をじっと見つめていた。

 灘城、海に面したこの城は難攻不落と呼ばれていたが水軍に対しては不利だった。掛川南にある港から駿河灘へ船団を出港させた脇坂広信は船上より灘城を眺めた。南蛮との貿易より得たあるものを装備していたからだ。
「威力は如何なものか…、放てぇ!!」
ドオオオオオォォォォォォォォ――――――――ンンン…っという響きと共に大筒から放たれる弾が城壁や櫓に穴を開ける。かつて焙烙で攻撃を仕掛けていた頃が懐かしく思える程の攻撃力で御所を傾かせ、物見櫓は消し飛んだ。突然の破壊攻撃に腰を抜かした城兵を後ろ目に陸からは松家新之助が攻撃を仕掛ける。崩れた城壁から城内部に入り、正面の門である切立門を突破、三の丸に続く遊門を破壊し、三の丸を占拠。信じられない攻撃で灘城を崩していく。陸と海からの攻撃は止もうとしない。城全体に攻撃を加えることで守る側の反撃を弱め、灘城で最も堅固だと謳われた石櫓の破壊に至った。守っていた城主寺沢義総は傾いた御所に驚き、城から逃げようとしたが逃げ道もすでに抑えられており、松家の家臣に捕らえられた。その後、脇坂は船を海に面した海龍門近くに停泊させ、かつて在城した灘城に入った。
「凄い武器ですな」
感心する松家の言葉に頷く。
「ああ、私も驚いている。だが、双方が同じ武器を持ったら戦い方も大きく変わってくるだろうな」
「確かに…」
「しかし、今であれば我らはおそらく最強に等しい。今川など消し飛んでしまうであろうな」
「まったく、その通りで」
2人は圧勝に等しい勝利の余韻に浸っていた。

 夜半に紛れて間道を突破し、賤機山城の北側に位置する横山城を急襲した寺坂美作守は油断していた今川方を尻目に包囲を緩めることなく、ましてや、援軍に与える余裕すらも消し飛ばす程の攻撃を見せた。戦略に対しては金子家でも一、二を誇る寺坂の知識の前には為す術が無かったようだ。闇を利用して元山賊だった広川義勝らを城に潜入させ、火を放たれると同時に城門を開いた。さらに、黒く塗られた矢を使って一斉放射を行い、城兵の戦意を喪失させ、最後は歓声と共に城を攻め落とした。難なく落ちた城に寺坂は苦笑する。
「かつて堅固と言われたこの城がこうも脆いとは」
「それだけ油断していたのでございましょう」
義勝の言葉に頷く。
「強行軍だった割には兵たちは疲れを見せぬ。ここはさすがと言う他にないか」
「しかし、城固めが済み次第、兵を休まねば次の戦いに支障が来たすかと」
「うむ、承知しておる。義勝、守りを急がせよ」
「ははっ」
義勝が退がると本丸に入る。ほとんど無傷のままだ。
「本隊が来るまでここを死守せねばならぬな」
寺坂の眼は次の戦いを見ていた。
 翌朝、賤機山城の守りが整った寺坂の許に興津義永からの使者が参った。使者は家臣である宮内忠元だった。
「よくぞ申された。無駄な戦いより、潔い降伏が立派です」
「有り難き言葉に存ずる」
「本隊はまだ花沢近く故、今は城を守りに重視されるよう」
「承知仕りました」
宮内が城を去ると寺坂はすぐに共に城攻めに参加した寺坂家お抱えの忍びである倉地源造に興津城降伏の報せを報告したのである。

 花沢城にいる岡部元信は主家滅亡を案じた。
「そうか…、義永殿も下られたか…。長照殿は?」
「殿の面前では大言を申しておりましたが興津降伏と賤機山陥落の報せを受けて居城に籠ったそうです」
「自分は関わらずか…。元綱」
「はっ」
従弟の岡部元綱に声をかける。
「今のうちに城を離れよ」
「何と申される!?」
「私はこの城と共に命を燃やす。お前は生き残って家を残せ」
「そ、それでは武門の恥となり申す!」
「元綱、すでに武門の棟梁であった今川総領家は滅びる寸前、武名を恥じるよりも先祖より得た家名を残すほうが大事であろう。幸い、私には子がおらぬ。だがお前は違う。妻がおれば子もおる。抜け道を通って武田に走れ」
「元信…」
「心配するな、我が戦いは尽きることを知らぬ」
そこに鎧を身に着けた兵が息を切らしながら入ってくる。
「申し上げます!」
「どうした?」
「金子勢の総攻撃が始まりました!」
「よし!、すぐに行く!」
「はっ」
兵が退がると元綱に言う。
「お前も早く行け」
「し、しかし!」
躊躇する元綱の顔を殴る。
「ここもまもなく落ちる。お前は生きて再起を図れ、よいな」
真っ直ぐな気持ちをぶつける元信に元綱の心は動いた。妻子に身軽な格好をさせると城の井戸から地下道を通って城がよく見える山麓に来た。すでに城は歓声と共に無数の兵に包囲されて今にも陥落しそうな勢いである。
「大殿は…道を間違われた…」
「………」
「そして、殿も…」
「ち、父上…」
「………」
我が子の言葉も聞こえていないようだ。元綱は今にも落ちる城に別れを告げると一路甲斐を目指した。主家の再興というよりも自らを逃がしてくれた元信の恩義に報いるために…。

 蒲原徳氏を殺した大俵丹後守は岡部元信の家臣ではなく、食客だった。仕官すると武田家に内通し、今川家の情報を漏らしていた。信玄の死後もそれは続いていた。城を奪ったのは武田が攻略した際に内部から混乱させるつもりだったのだが金子宗康の攻略が先だったため、不覚を取る形となった。しかも、その動きも自らが起こしたことが原因なのだ。大俵は弟の弘孝に尋ねる。
「如何すれば良い?」
「北条を動かしてみてはどうか?」
「北条か…」
「左様、興国寺を土産に北条に寝返れば東駿河は我らのものとなりましょう」
けれども、大俵は乗り気になれなかった。武田と北条では待遇が違うと判断したのだ。最善の策を断った兄に失望した弘孝は興津義永に降伏した。しかし、捕らえられて即刻討たれたとの報せを受けて大俵は吐き捨てるように言う。
「ふん、馬鹿な奴だ」
実の弟にそのようなことを言うようではこの男の終わりも近いだろうか…。

 一方、同時刻、丸子城に籠もる鵜殿長照は一計を案じ、5千の兵をもって駿府城の南に位置する有東砦を攻めたのである。つまり、この城を手土産にして宗康に降伏しようと企んだのだが長照の命運もここまでだった。何と有東砦はすでに金子勢によって陥落していたのだ。報せを聞いた長照は呆然とする。ここを落としたのは亀井左馬介で宗康が駿河攻略をする前からすでに落とし、すでに金子勢が入城しているという。ここを守っていた篠川信十郎の弟で江尻頼康から、
「長照は知恵者故、必ず、ここを攻めに来る」
との案を受けて左馬介は先手を打った。5千ともなれば丸子城は空に近いはずと判断し、城に潜入した後、城の要所に火を放ったのである。本丸から見える火柱に長照はさらに混乱する。
「何事か!」
「城の至るところで火の手があがっておりまする」
「くっ…、いつの間に…。すぐに消せ!」
「駄目です。風が強い上に火薬を使っている様子、このままでは…」
悲痛な叫びをあげる家臣を前に長照の激が飛ぶ。
「いいから、早く消せ!。くそぉ…、どこから侵入したのじゃ」
そのときだった。聞き慣れない声が耳に届く。
「正面からだ」
「な、何者!?」
視界に黒装束の男たちが立っていた。
「金子宗康が臣にて亀井左馬介と申す」
「なっ!?」
「貴殿に悪いが有東はすでに我らが頂いた」
「く、くそぉ!」
刀を抜こうとする前に長照の首が落ちた。今川家において権力を奮った者の最後でもあった。長照の死後、嫡子氏長は宗康に降伏の意思を伝えた。

 東駿河の要衝、興国寺城。幾度となく戦乱の憂き目に遭っている城で1545年に今川義元が北条より奪取した後は大規模な普請を行い、興国寺を守るようにして築城された沼津・長久保城同様、要衝として国境を守り続けていた。金子動くの報せが届いた直後より、今川庶流家である瀬名伊豆守氏詮を筆頭に富士信忠・信通父子、松井宗恒、原頼延、久野貞宗、浜名頼広等、譜代家臣の早々たる面々が興国寺城に立て籠もり、北条からの援軍も得て宗康に対抗しようとした。その一方で今川氏真に失望して去る者も多くいた。天野景貫や安倍元真等である。彼らはそれぞれ徳川・武田に走り、再興を図った。

 長照の死の報せは宗康にも届いたが興国寺城集結の報せも届いていた。しかし、こちらは主家とは関係ないと判断し、今川氏真に降伏を迫ることにした。
「達房」
「はっ」
奥居頭である泊達房を呼ぶ。
「今川氏真を降伏に向けさせよ」
「万が一、応じなかった場合は?」
「その時は全軍をもって攻め入ると伝えよ」
「承知仕りました」
達房は馬を飛ばして駿府に向かった。城に入るとすぐに氏真に謁見する。強気な姿勢で話しを切り出そうとする前に氏真は降伏の意を表した。ここに今川家は滅亡したのだ。

 花沢城を懸命に守っていた岡部元信は主家降伏の報せを受けた。
「もはや…、これまでか…」
この報せにより、城兵の戦意喪失は明らかだった。度重なる徳村家継からの降伏を頑として拒み、最後は火を放って果てようと試みたが火に囲まれる前に何者かが侵入した。熱気で目が霞む。
「何奴!?」
「死して何を望むか?」
「何者だ!?」
「貴殿に問う、死して何を望む?」
「武士の誉れ、ただ一輪なり」
「無駄死だな」
「何だと!?」
「お前が1人死したところで何も揺るがぬ。氏真が生きている以上は何も変わらぬ。治める者が代わっただけだ。武士たる者、誉れを言うならば再起を図るが筋」
「再起を図るのは我が役目に非ず」
「一つ言っておこう。お前が養子に迎えた篠川信十郎は生きておる」
この言葉に死を覚悟していた元信は躊躇する。そこに壁が崩れて手招きする者が現れた。青き空が見えた。元信は引きずられる形で外へ追い出された。その時に初めて声をかけた人物と顔を合わした。
「怪我はないか?」
「か、金子殿…」
火の中に飛び込んだのが宗康だと知って唖然とする。
「死に急ぐ暇があったら、あそこで暴れている奴を止めてくれまいか」
目をこらすと後ろ手に縛られているものの、大声をあげて威嚇している男がいた。諏訪原の戦いで捕らえられた篠川信十郎である。
「放せと言っておろうが!、殿の顔を見るまでは死にきれぬ!。うおおおお!!!」
縄を引き千切ろうとする信十郎に宗康が躍り出る。
「ならば、そろそろ逝くか?」
「な、何だと!?」
「お主を何のためにここまで連れてきたと思っているんだ?。ここは元信殿の居城だぞ」
「それがどうした!?」
「主君に顔も合わさずに死なれては我もゆっくり眠れん。信十郎、あそこにいる人物は誰か?」
言われた先にいたのはボロボロの格好で炎上する天守から助けられた元信であった。軽い火傷を負っているものの、命に別条はなかった。
「と、殿…」
「信十郎、生きておったか…」
元信は我が子に近寄る。
「殿、よくぞご無事で…」
感涙している。
「一度は死を覚悟して火を放った。しかし、宗康殿に救われた。宗康殿が助け出してくれていなければ今頃は城もろとも塵と化していただろう」
「殿…」
「私は全てを元綱に託したがお前を忘れるところであった」
「………」
「共に死を覚悟して戦いに挑んだ者同士、本来ならば城が落ちたところで討たれるのが武士の本望…。なれど、今一度、生きる資格を受けたからには再び戦いに身を投じようではないか?」
「………」
「信十郎、お前は望んで私の子となった。武士にとって華を得るか、恥のまま汚名を着るか…」
「…わかりました。殿のために生きましょう。生きて武士の魂を見せましょうぞ」
信十郎の意は決した。
「ならば、これはもう必要なかろう」
宗康は後ろ手に縛っていた縄を切って自由にした。
「宗康殿、我らは金子家に降伏致す」
「よくぞ申された。共に戦乱の世を戦い抜こうぞ」
「ははっ」
元信と信十郎は臣下の礼を尽くして、その軍門に下った。

 駿府城に入った宗康は氏真と謁見した後、蒲原城攻略を蒲原徳兼に命じた。我が城を奪われた徳兼の動きは疾風の如く、街道を土煙と共に走りぬけた。しかし、その仇敵はすでに城を捨て去り、かつて在番として仕えていた由比光澄の降伏を受け入れるしか方法はなかった。大俵丹後守は甲斐の武田勝頼を頼って行ったという。蒲原城陥落の報せを受けた宗康の次の矛先は東駿河を堅固に守る興国寺城だった…。

続きを読む(第二話へ)

戻る


.