第一章 継承

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七、黒雲の幻斎

 周りには人はいない。左馬介は重い口を開いた。
「黒雲はまだ私が伊賀にいた時に仕えていた忍びの長で狗袮(こまね)党の棟梁だった男です」
「狗袮党…」
左馬介の言葉にお耀が一言漏らした。
 狗袮党は山城、近江、摂津など8州にわたって活動した盗賊でその数は2百から3百とも言われる。彼らは風のように走り、猿以上の跳躍力を見せ、犯行は計画的で最後は闇に消えた。襲われた大名たちは国を挙げて狗袮党の探索を目指したがまったく見つからなかった。探そうとする頃にはその領地からは消えていたから当然のことでもある。左馬介が狗袮党にいたというのは驚きであった。話しは続く。
「当時、伊賀の国境近くに新所城という城がありました」
「その城は今でもあるのではないのか?、たしか北畠家の城だったはずだが…」
「いえ、今の城は新しく築いた城で前の城はもっと西にありました。ある日、黒雲は一団を率いてその城を襲いました。その城には私の父が忍びとして仕えており、黒雲の真の目的が略奪ではなく、父を殺すことにあり、理由は邪魔、ただそれだけだったのです。父は伊賀でもその名を知られていましたがあまり有名というわけでもなかった。ただ、長たちが集まる首長会に父は黒雲のやり方を批判したのでございます。あの男は伊賀から追放すべきだと。そのことが黒雲に通じていた脇坂という男から黒雲の耳に入り、黒雲は激怒のあまり、『黒子』と呼ばれる暗殺集団を率いて城を襲って一夜のうちに城は大きな爆発と共に闇に消え、父の死体は瓦礫の中から見つかりました。無惨な姿で…。私は生き残った城主の娘を引き取り、伊賀から、黒雲から逃げた。しかし、黒雲は私を逃すことはなかった。どこまでも追手を差し向けて私と娘を殺しにかかり、丁度、三河と遠江の国境近くで黒雲の黒子どもに囲まれたときに照政公率いる手勢に助けられたのでございます。今の私がここにあるのは先代のおかげなのです。けれども、そのときはまだ黒雲の本性がわからなかった。奴は執念深く、己を知る者は全て消し去ることに…。しかも、黒雲が次に狙ったのが若になり、真に申し訳なく思い、黙ってしまいました」
「なるほど…」
直政が頷く。
「だが、父が黒雲に会っていたのは驚いたがすでに身内が襲われている事実には変わりはない。それと大事な”友人”もな。私はいつでも狙われる覚悟はできている。けれども、これ以上の犠牲は出す訳にはいかぬ。左馬介」
「はっ」
「黒雲は1人で動いているのか?、それとも、誰かに雇われているのか?」
「それはわかりませぬ。黒子の所在も未だにはっきりせず…」
「そうか…。なれど、お前を失うことは私にとって一番の傷となろう。もう誰も失いたくないことだけはわかって欲しい」
直政は低い声で嘆いた。直政を見つめたお耀は心が哀しみで満ちていることがわかり、顔を伏せかけていた。
「若…」
左馬介が感慨深けに声を漏らした途端、表情が一変する。強い殺気を感じたのだ。左馬介は顔を伏せているお耀を見る。少しの動きもない。ずっと変わらない姿勢を保っている。
(おかしい…、情に流されたとしてもこの殺気に気づくはずだが…)
気配を探る左馬介に直政も気づいた。刀掛けに置いてあった大刀を手にするとお耀に近づく。左馬介もまた殺気に敏感になっている。
「お耀…」
直政はお耀に声をかけた瞬間、畳に向かって刀を突き刺した。その直後、お耀は催眠状態から目覚めて我に返った。お耀は何者かによって眠らされていたのである。闇がわずかに動く。左馬介は瞬時に攻撃を仕掛けて闇の中で火花を散らす。
「誰かあるか!、くせ者ぞ!、出会えぇぇぇ〜〜〜!!!」
直政が叫ぶ。直ちに数人の家士が駆けつけてきた。そのときには左馬介は1人を討ち取っていた。
「まだ敵がいるかもしれん。皆、警戒を怠るな」
直政の激に家士が答えるが数が少ない。
「他の者はどうした?」
「何者かに眠らされたようにございまする」
家士はそう言い残して姿を消す。
「それにしても、ここまで侵入してくるとは…」
「敵はかなりの手練とみてよろしいでしょう」
「やはり、黒雲の配下の者か?」
「そう見てよろしいでしょう。この者の顔に見覚えがあります」
黒装束から覗く顔を見つめて言う。
「そうか…」
「今、お耀が屋敷の外にいた忍びを見つけて追っております」
「深追いをしなければよいが…」
直政が危惧するが左馬介は笑いながら言う。
「ご安心めされい、お耀とて忍びのはしくれ、それぐらいのことは承知しております」
「ならよいが…、左馬介」
「はっ」
「1つ聞きたいのだが…」
「お耀のことですかな?」
「うむ…、お耀は例の城主の娘か?」
「御意。照政公に助けられた後、お耀を危険から守るために忍びにしたのでございまする」
「なるほど…、お耀はこのことを知っているのか?」
「いいえ、記憶を消しておりますから知らないでしょう」
「そうか、そのほうがお耀にとって良いかもしれんな」
直政は篝火が炊かれた中庭を見つめながら言った…。

 …どこかの屋敷の一角にある茶室。闇に紛れた2人の男が向かい合っていた。
「しくじったそうだな」
「はっ、面目次第もありませぬ」
「ふん、まあ良いわ。あの時、照政の前に左馬介を逃したが次はこうはいかぬ。直政もな。あの時と同じように消し去ってくれる…」
姿を闇に溶け込ませている男はそう言いながら不気味に微笑んだ…。

 翌日、諏訪原城内にある松平屋敷の一室には直政と清政が向かい合って座っているが隣室には元景と清之ら10人程度の家臣が控え、障子を挟んだ中庭には左馬介とお耀が控えている。
「何か物々しいのぉ。昨夜、襲われたと聞いたが…」
「はい、爺様が襲われた忍びと同じようでございます」
「で、討ち取ったのか?」
「いえ、数はわかりませんが闇に潜んだ忍びは1人だけ討ち取りました。おそらく、かなりの手練かと」
「彼奴らか…」
清政はあのときのことを思い出して苦笑する。
「如何なされました?」
「いや、気にすることはない。しかし、照政公を失ったことはわしにとって良き友人を失ったに等しい」
「それは私も同じ気持ちにございます」
「そうか…、ところで矢野一族のほうはどうなっておる?」
「膠着状態にあります。攻める側もどう攻めてよいかわからないようです」
「義康は堅固な城を築いたと聞くが…」
「はい、これまで数度、城に攻撃を仕掛けましたが義康の策の前に動けぬ有様」
「ふむ、義姫に踊らされた名将か…。惜しいのぉ…」
「………」
清政は黙る直政を見つめながら、
「心が痛むであろうがこれも戦国の掟」
と諌めるが尚も沈黙を続ける。清政は頭を掻きつつ、
「まあ、後々解ることであろう。ところで、九郎丸は元気かな?」
と一定の理解を示して話しを変えた。これには直政も応じる。
「はい、金子の城におります。景成、家継殿が補佐して留守を任せています」
「そうか、戦いはまもなく終わるであろう」
「まもなくですと?」
「そうだ、わしが出てきたからにはこのような戯言はすぐに終わる。お前にはまだまだやらねばならぬことが多い。己のことも大事だがまずは民を救わねば先も後も続くことはない。わしが自ら指揮して金子の家を復興させてやろう」
清政は厳しく質しながらも最後は笑いながら言った。
「ありがとうございます」
直政もまた真摯に聞いていた清政の言葉を胸に強く刻んで清政の笑いに笑いで答えた。隣室にいた元景と清之らはほっと胸を撫ぜ下ろした。中庭に控える左馬介もまた微笑していたのである。
 翌日、朱鷺田城から弘政が駆けつけ、駿府より5百の援軍を得て金子城へ戻った。左馬介は黒雲の動きを監視するため、諏訪原・小山両城を中心に配下を配置して自らは直政を護衛するため、お耀らと共に直政に従った。その頃、矢野城で矢野義康の動向を見張っていた松平清忠は家臣である日野丙助から報せを受けて顔面蒼白になっていた。体を震わす兄を見た弟元忠が見かねて言う。
「兄上、如何したのですか?」
「ち、父上が…、父上が来る…、父上が…」
清忠は泣きそうな顔になり、声音は悲鳴に近い。元忠は人質として駿府に出向いていた頃に兄からの使者から父は呆けて隠居したと聞かされていたのだ。しかし、詳しい内情は知らなかった。
「そうだ、父上の許にはお前が行け」
「兄上はどうなさるのですか?」
「私は病にかかって行けぬと申しておいてくれ」
「びょ、病気ですか?」
元忠は怯えている清忠を見て驚きを隠せない。
「そうだ、父上には病気で城から出れぬ、と申しておいてくれ。な、な」
「は、はぁ…」
元忠は何かあると思いながらも篠田信十郎と共に金子城に赴いた。金子城二の丸屋敷には直政らが到着し、九郎丸・景成らが出迎え、清政の姿を見ると家臣一同で喜びを分かちあった。しばらくして元忠と信十郎が到着した。2人は平伏する。
「元忠、久しいな」
清政が声をかける。
「はい、父上、ご無沙汰しておりまする」
「お前が駿府に行って以来か…、懐かしいわい」
「父上もご健勝で何よりでございます」
「うむ、ところで清忠の姿を見えぬようだが…」
「はっ、兄上は病に冒されまして…」
「ほう、病とな。わしの報せを受けて失神でもしたか、わはははは…」
「………」
元忠は父を誤魔化すのは無理だと判断して言葉を詰まらせた。
「いやいや、お主が悪いわけではない。全ては清忠が仕組んだこと」
清忠は呆然とする元忠に言った。
「わしがなぜ隠居したか清忠から聞いたか?」
「はっ…」
「何と申しておった?」
「そ、それは…」
「構わぬ、言うてみよ」
「はっ、父上は呆けて物事の判断がつかなくなった…と…」
元忠は冷や汗を掻きながら言った。
「あの馬鹿者めが、そのようなことを申しておったとは…。わしはまだ耄碌しておらぬわ」
清政は苦笑しながら言った。元忠に助け船を出すかのように元景が言う。
「ご老人、誰もが事情を知らないのです。訳を話してみては如何ですかな?」
「そうだな、いずれは清忠に会って対せねばならぬ事だが、まずはここにいる者たちに話しておくとしようか」
姿勢を整えて座りなおした。そして、我が子に対する憎悪をぶち撒けるようにして話し始めた。
「実はな、清忠は野心の多いところがありましてな。三河において事あるごとに権力を振りかざしては主君清康公を困惑させた。縁戚とはいえ同じ一門の恥を外へ漏らすわけにはいかぬとわしのところへ相談に来ましてな。わしは一計を案じて宗家に対してわしが確執を起こしたように見せかけて清忠・元忠の2人を連れて遠州にやって来た。しかし、幸いにも三河への足かがりを作ろうとしていた今川義元の目に止まり、結束の固い遠州国人衆の中でその地位を得ることができた。にも関わらず、清忠の心は改心することはなかった。表面上は愛想の良い聡明な人物を装っていたが裏では策士ならではの謀略好きで何人もの忠臣を滅ぼした。挙句にわしが松平宗家とつながっていることを知るや、その事を盾にして脅しまでかけてきよった。まるで激怒するわしを嘲笑っているかのようだった。なれど、わしとして馬鹿ではない。親交の厚かった照政殿の許へ赴いている最中、彼奴は動き出した。瞬く間に兵を纏めると城を乗っ取り、我が妻を人質に取った。話しを聞いた照政殿は激怒なされて兵を率いて打ち滅ぼさんとされたがわしは止めた。我が妻の雪は照政殿の妹君でもあったため、殺されるのは惨いと引き止めた上でわしは単身、城へ乗り込んだ。清忠は宗家との内通の話しを持ち出して隠居せよと命じてきた。わしは後のことを照政殿に託して雪と共に諏訪原から離れることにしたのじゃ。しかし、それでも清忠は執拗にわしの命を狙ってきた。裏では宮琵疼斎とつながっていたからのぉ、そこでわしは放浪の忍びである黒雲の幻斎を雇うことで清忠からの刺客を一掃したという訳だ」
「では、今でも清忠殿は…」
「わしを殺したいと思っているだろうな。だが、今のわしに手を出せる手段はない」
清政はそう断じたが横から左馬介が危惧する言葉を放つ。
「いや、手はある。黒雲を雇えば…」
「黒雲か…、たしかに彼奴なら…」
左馬介の言葉は元景や清之らを納得させ、黒雲の存在を知らない家継や景成には直政が詳しく語った。無論、左馬介と黒雲との関係は伏せてのことだが…。金子家臣団の結束が固まったこととは対称的に話しを全て聞いた奥山邦継だけは1人、矢野城へ馬を走らせていたのである。

「ほう、あのご老人が直政についたか…」
「はっ、如何なされまするか?」
「となると…、倅は困っていようなぁ」
黒雲は笑いが止まらない。
「はっ、明日をも知れぬ精神状態とか」
「ならば、そろそろ来るはずだな」
そして、やって来た。どこで居場所を知ったのか、清忠の使者が黒雲の前に現れた。やって来たのは清忠に仕える犬坂信介であった。
「聞こうか」
黒雲が言う。
「はっ、主君清忠が窮地に陥っております。どうかご協力のほどを」
「よかろう。しかし、礼は高いぞ」
「はっ、心得ております」
「では、一両日中に会うと清忠殿に伝えてくれ」
「承知致しました。では、御免」
信介が黒雲の前を去ると同時に黒雲の姿もまた消えていた…。

 清忠は信介からの報せで心を撫ぜ下ろした。父に対する敵対心が強く燃やしていたが同時に黒雲と組むことによって直政の敵に回ったことに気づいている様子はなかった。矢野城主矢野義綱は最近の清忠の様子がおかしいことに不審を抱き、清忠付きの家老となっていた邦継に会った。以前より義綱と邦継とは面識がある。
「何か御用にござりましょうや?」
「うむ、最近、清忠の様子がおかしいと思うのだが…」
「殿がですか?」
邦継は事情を知っていたがあたかも知らぬ顔で言う。
「さあ…どうでしょうか…。体調が優れぬことは前々から申しておりましたが…」
「そうか…、清忠も多忙を押しつけられているようだからな。もっと下の者が支えてやらねば倒れてしまうぞ」
「はっ、恐れ入りまする」
「少しは休みを取るよう伝えよ」
「はっ、では、これにて」
邦継はその場から辞して退がった。残された義綱はしばらくその場で沈黙していた。そして、
「どう見る?」
と呟くと利十が現れた。利十は直政の命により義綱の護衛をしていた。無論、上野伊賀からの刺客から義綱を守るためであるが黒雲のことも義綱に伝えていた。
「顔は知らぬ存ぜぬを貫いていますが先日、清忠公の家臣がどこやら使者に出ております」
「相手は?」
「おそらく黒雲かと…」
「ふむ…、利十よ」
「はっ」
「清忠の動向は急を要する事になるやもしれぬ。直ちに直政に報せよ。わしも何らかの手を打つ」
「手…ですか?」
「そうだ、このままにしておけばいずれは災いの種となろう」
「承知致しました」
利十はすぐに直政の許へ走った。義綱もすぐに行動に出る。城下の治安に当たっていた義時に御用改めをさせて黒雲一派の締め出しを始めると共に自身は遠州只来城近くに城を構える国人衆・高崎十志郎定長の許へ赴いた。矢野城を空けることは危険極まりなかったが今は義康の存在よりも清忠の存在のほうが危険と感じていた。
 高崎家は北の森家から離反した一族であり、今でも森家とは絶縁状態にある。義綱の祖父義茂の末子音姫は定長の父定政に嫁ぎ、現在は尼に下っているがその発言力は大きい。3年前の飢饉の際には自ら雨乞いを行い、見事成功させてからは民からは『雨尼(あまに)御前』と呼ばれている。雨尼は義綱の訪問を喜び、子定長と共に迎えた。義綱は本丸屋敷にて急を要する旨を伝え、定長は義綱の話しに理解を示した上で家臣で子飼いの広津元範に命じて黒雲一派の探索を行った。元範は武士名を名乗っているが父は伊賀出の忍びであり、先年死した母も忍びだったという。自身も幼少の頃に忍術を仕込まれており、父の死後、後を受けて『高崎党』の棟梁となった。無論、黒雲の存在も知っていたし、左馬介のことも知っていたが黒雲が左馬介に関わりがあるということはまだ知る由もない。義綱は高崎家に対する繁栄を約束すると共に強力な味方をつけることに成功した。定長は早速、義綱の書状を得て金子城に赴き、義綱は城を空にするわけにもいかないので城に戻ることにした。けれども、事態は急変する。義康を攻略中の清忠は黒雲を味方につけた喜びが大きく、本来の役目である兵糧攻めの作戦を疎かにしていた。そのため、義康に隙を見せる形となった。義康は城の本丸から敵の動きを随時観察していたが士気の低さに一計を案じた。上野伊賀の報告を受けて夜襲をかけて包囲を突破しようと試みたのだ。夜半、密かに軍勢を率いて城を抜けると敵陣近くに迫った。義康の軍勢に気づいた様子はない。
「清忠が頭が狂ったのは真のようだな。全軍、かかれぇぇぇぇぇ―――!!!!!」
「おおおおおぉぉぉぉぉ――――――!!!!!」
義康の号令の許、馬の怒涛の響きが闇を切り裂く。突如現れた敵軍に不意を突かれた松平勢は総崩れとなり、本陣を守っていた犬坂信介は清忠の盾となって討死した。清忠はからくも命からがら逃げることができたが味方は総大将退却という事態に戦意を喪失させ、決死の覚悟を決めた義康を相手になす術がない。清忠は矢野城へ退却という失態を犯してしまったのだ。これでは直政からの詰問にも震える形となり、援軍に駆けつけた信十郎からも、
「この事態は金子家を揺るがす事態となろう。お主には死を覚悟し、汚名を返上せねば生きる術はない」
厳しい口調で言われる始末だった。さらに城に戻った義綱も真剣な眼差しで信十郎の言葉に頷く。結果的に義康を逃してしまったことがあまりにも清忠にとって不利な立場になっており、またしても恐怖の日々を過ごすはめになるのだが…。


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