序章 旅路の仕度
屋敷の前の道をこちらに向かって走って来る足音が聞こえる。屋敷の寝所で寝そべっている青年が目を覚ました。しばらくして屋敷の門が叩かれ、開く鈍い音が聞こえた。そしてまた走る音がする。それは徐々に大きくなって寝所の前で止まり、太陽からの光に混じって人影が見えた。
「いるか!?」
バンッという音とともに青年が飛び込んできた。
「うるさい奴だなぁ…」
寝ていた青年は物凄い睡魔と戦っていた。
「寝てたのか?」
「ああ、昨日は散々だったからなぁ…」
昨日、城下にある酒屋で浴びるほど酒を飲んだためだ。帰ってきたときの記憶はない。
「で、何か用なのか?」
青年は悪友を見た。
「そうなんだっ!、桂陽の山賊どもの頭がこの前、伯錦様に捕らえられただろ?」
「ああ、そんなこと言ってたなぁ」
「その山賊どもが頭を取り返すためにこちらに進軍してるんだよっ!」
「だから?、別に俺のところに来る話しでもないだろう。そんなもの兵に任せておけば…」
そこで何かを思い立ったかのように起きあがった。
「そうか…、親父殿は今、洛陽に行ってるのだったな」
「まあな。今、ここにいるのは守備兵だけしかおらぬ」
「で、俺に山賊と戦えと?」
「それ以外に何がある?」
悪友も必死の表情で言った。
「…わかったよっ!。こちらの数は?」
「三百」
「向こうは?」
「五千」
「………」
青年は黙った。そして、溜め息をついた。
「まったくこんなときに限って…」
間を置いてから、
「山賊どももかわいそうなことよ」
と、強気な発言をしたのである。
翌日早朝、交州南海郡の東の要衝・増城北側に敵影が現れた。先頭の馬上には片目を失った山賊の副頭目がいた。
「我らの頭を渡してもらおうかっ!」
城に向かって叫ぶ。城門は堅く閉ざされていた。城壁の上から守備隊長が現れる。その周りを弓を構えた兵も数人一緒に現れたのである。
「それは無理な話だな。罪人は裁かれるのが定め」
「戯けが!、主君は洛陽に行って留守兵だけしかおらぬことはすでに承知しておる!。早々に返さねば城を攻め落とすぞ!」
「攻めたくばいつでも来るがいい!」
一人の兵が矢を放った。矢は副頭目の顔をかすめて後ろの山賊の心の臓を貫いたのである。
「おのれ…」
頬から流れる血を拭うことなく、副頭目の冷静さは激怒と化した。
「かかれぇぇぇぇぇ――――――!!!!!、皆殺しにしろおおおぉぉぉぉぉ――――――!!!!!」
副頭目が叫ぶと一斉に馬群が城攻めを開始した。
ワアアアアアァァァァァ―――――――――!!!!!。
「まだだ、敵を引きつけよ」
守備隊長の後ろで青年が指示を送る。山賊どもは鉄の爪に縄の先に結びつけたものを放り投げて城壁に引っ掛けて数十の規模で一気に城壁をよじ登って来る。
「放てえええぇぇぇぇぇ―――――――――!!!」
指示を送ると弓兵が一気に動いた。北門に集められた三百の矢が一斉射撃を行い、命中した矢を得た山賊が次々と城壁から転落していく。それでも懸命に登ってくる山賊に対しては矢だけでは間に合わない。
「縄を切れ」
兵たちは弓を置いて刀を抜いた。そして、縄を切り離して敵を地面に叩きつける。
「ちっ、何をやってやがる!。たかが小城一つどうってことはないだろ!」
副頭目が叫ぶ。それに応じるかのように青年が守備隊長の背後から矢を放った。その矢は風となり、瞬く間に副頭目の頬を裂いた。
「くっ…、誰だ!?」
雄叫びのような声は城壁の上まで聞こえる。
「誰だとは情けないことを言う。だから賊まがいなことしかできんのだ」
「何だと!?」
青年が姿を現した。凛とした表情をして全てを見ぬく双眼が副頭目を睨む。
「我が名は公玄忠、お前たちが目の仇にしている公伯錦の長子だ」
「ほう、奴に子がいたのか。ならばお前の首を頂くことにしよう」
「無理だな、お前には勝てぬ」
「勝てぬかどうかはやってみなければわからぬ」
全軍に攻撃を指示した。山賊どもが再び攻撃を仕掛けるが巧みに仕掛ける玄忠の守りに苦戦を強いられた。たった三百と侮った結果がここにある。玄忠は小隊長のみに攻撃を絞り、それらを次々に倒していく。各部隊の指示系統を封じても攻撃は止まらない。肝心の副頭目が万全だからだ。守備兵の疲労も目立つようになってきたとき一角が崩された。弓兵が矢を補給する一瞬の隙をついて城壁に登って来たのである。こうなると立場は逆転する。力の差が歴然としていた。玄忠が得意とするのは武ではない。弓矢の腕と多少の知略なのである。劣勢がさらに劣勢になることは目に見えていたが玄忠は諦めていなかった。弓を構えると一気に三本の矢を放った。三つの風は城壁の上で展開している山賊どもの心の臓を貫いたのである。
「怯むな、まだやれるぞ!」
しかし、士気の低下は否めない。玄忠の声が守備隊の耳に届かなくなったとき、山賊軍の背後に軍勢が現れた。
「敵の増援か!?」
守備隊長の表情には焦りと絶望が浮かび上がっていた。
「もはやこれまでか…」
「いや、諦めるな!。敵ではない、我らの援軍だ」
玄忠はそう言いきったのである。
山賊が増城に向かって進軍している頃、玄忠の密命を受けた青年がある集落を訪れていた。集落の中央にある村長の屋敷で青年は一人の男と顔を合わせていた。
「それはまことかっ!?」
青年の言葉に男が驚いた。
「たった三百で五千を抑えるなどとは無茶な真似をしおる」
「援軍をお願いできまするか?」
「無論のこと、孫を助けるのに何を躊躇することがあろうか」
「忝く存ずる」
「しかし、我らが駆けつけるまでに落ちていなければ良いが…」
集落を治める村長は一途の不安を隠せずにいたが増城に駆けつけてみるとまだ落ちていなかった。必死の守りで城を守り続けている玄忠の姿が目に焼きついた。
「昭王様、行きましょうぞ」
「おおぅ!、皆の者、かかれぇぇぇ――――――!!!!!」
昭王と呼ばれた村長の号令と同時に三万もの大軍が山賊に襲いかかった。この時点で勝敗は逆転したのである。もはや、勝ちは見えていた。あまりの数の多さに度肝を抜かれた山賊どもは血路を開く間もなく討ち取られてしまったのである…。
勝てるはずの戦が完敗ともいえる敗北に山賊も予想していなかっただろう。要衝を治める者が何の策も打たずに上洛などするはずもなかった。散々な結果に終わった山賊は再起を図ろうとするが公伯錦の帰国と共に山賊たちはこの世から去った…。
それから一ヶ月後、玄忠は悪友に会った。
「行くのか?」
「ああ、前から決めていたことだからな」
「今度帰ってくるときは敵味方になってるかもしれんな」
「そのときはそのときでよろしく頼む」
悪友は笑った。玄忠も笑っている。
「凛殿には会って行かないのか?」
「あいつは俺を嫌っているからな、去ったほうが喜ぶんじゃないのか」
本音を語らない玄忠に悪友は落胆した。
「そうか…」
「それじゃ、後は頼んだぞ」
「ああ、しっかり諸国を見てくるがいいさ」
そう言って悪友・劉泰は玄忠を見送った。玄忠はゆっくりとした足取りで城門から真っ直ぐ伸びる街道を歩いて行った。城壁の上から見守る一つの影に気づかずに…。
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