三国志登場人物解説

【た】

戴員【タイウン】
?〜204
【呉】

孫ヨクに仕えて郡丞を務める。キ覧・辺洪と謀って孫ヨクを殺し、さらに罪を辺洪に罪を着せて処刑し、曹操の配下で揚州刺史の劉馥を頼ろうとしたが孫ヨクの妻であった徐氏の計略により、孫高・傅嬰に殺された。


大喬【ダイキョウ】
?〜?
【呉】

喬国老の娘で孫策の妻。妹の小喬と共に『二喬』と称された。


太史亨【タイシキョウ】
?〜?
【呉】

字は元復。太史慈の子。父の死後、孫権の館に引き取られた。後に越騎校尉になった。


太史慈【タイシジ】
166〜206
【劉ヨウ→呉】

字は子義。194年、孔融が曹操軍に包囲された際、母が受けた恩義から援軍に駆け付ける。196年、劉ヨウの配下として孫策と戦うが若輩者として起用されず、主軍が敗れた後、単身、孫策に挑むが一騎打ちの末に敗れ、孫策の器量に感服して配下となった。孫権の代に至り、南方の統治を任された。演義では208年の赤壁に参戦し、翌年の合肥の戦いで誘引の計にかかり射殺されている。


帯来洞主【タイライドウシュ】
?〜?
【孟獲】

演義のみの登場。祝融の弟。諸葛亮の南征の際、孟獲に助言して木鹿大王に援軍を要請する。木鹿大王が敗れると孟獲を捕らえたと偽って蜀軍に降伏するが見破られた。その後、烏戈国に逃れて兀突骨に援軍を求めた。


戴陵【タイリョウ】
?〜?
【魏】

229年、諸葛亮の3度目の北伐の際に司馬懿軍の副先鋒となる。司馬懿が諸葛亮と戦法を競った際、張虎と蜀軍の八卦の陣に突入して捕らえられた。


卓膺【タクヨウ】
?〜?
【蜀】

劉備に仕える。劉備が劉璋と戦いとなった際に黄忠に従った。演義では劉璋に仕えてラク城の戦いで劉備に寝返り、張飛に従って巴西に赴いた。


朶思大王【ダシダイオウ】
?〜225
【孟獲】

演義のみの登場。禿龍洞主。南蛮随一の知恵者。諸葛亮の南征の際、孟獲を助けて蜀軍と戦い、四つの毒泉を用いて苦しめるが孟節の出現により反撃を許し、楊鋒の裏切りもあって捕らえられた。すぐに解放され、孟獲と共に要衝の三江城に立てこもるが討死した。


段珪【ダンケイ】
?〜189
【後漢】

官宦。十常侍の一人として権勢を奮う。何進の死後、袁紹らが宮中に乱入した時に張譲と共に少帝と陳留王を連れて北ボウ山に逃れたが追っ手の閔貢に殺された。


檀敷【タンフ】
?〜?
【民衆】

字は文友。『江夏八俊』の一人で劉表の友人。詳細は不明。


譚雄【タンユウ】
?〜221
【呉】

彝陵の戦いで李異と戦っている張苞の馬を射る。後に関興に捕らえられ、張苞によって殺された。


段ワイ【ダンワイ】
?〜209
【後漢】

195年、李カクの許から逃れた献帝に衣食を献じる。後に李カクを殺してその一族を曹操の許に送って盪寇将軍に任じられて長安を守った。後に大鴻臚・光禄大夫となった。


【ち】壱に続く

戻る


.