三国志登場人物解説

【そ】

祖郎【ソロウ】
?〜196
【頭目】

ケイ県で一揆を率いる。孫策が袁術を頼り、丹陽で兵を集めた際にこれを全滅させている。後に袁術のもとを離れた孫策によって捕らえられた。


孫異【ソンイ】
?〜?
【呉】

孫韶の子。263年、丁奉と共に蜀へ援軍に向かったが蜀が滅びたため、引き揚げた。後に左将軍、次いで領軍将軍となった。


孫恩【ソンオン】
?〜258
【呉】

孫リンの弟。孫亮の時に武衛将軍となる。丁奉が孫リンを討った時に一族もろとも殺された。


孫河【ソンカ】
?〜204
【呉】

字は伯海。伯母の愈氏の養子になっていたが後に孫姓に戻る。孫ヨクが殺された際にキ覧・戴員の二人を犯人とは知らずに詰問したため、二人に殺された。


孫和【ソンカ】
224〜253
【呉】

字は子孝。孫権の三子。242年、皇太子となるが孫覇と対立し、朝廷を二分する事態となり、250年、事態の収拾を図るため、孫和は皇太子を廃され、孫覇は処刑となった。252年、南陽王に封じられるが実権を握った孫峻により自害を命じられたという。


孫楷【ソンカイ】
?〜?
【呉】

孫韶の子。宗正卿。258年、孫リンが孫亮を廃して孫休を擁立しようとした際に董朝と共に虎林へ派遣された。


孫カイ【ソンカイ】
?〜258
【呉】

孫リンの弟。長水校尉になり、亭侯に封じられたが丁奉らが孫リンを討った際に一族もろとも殺された。


孫桓【ソンカン】
?〜?
【呉】

字は叔武。孫河の長子。安東中郎将として彝陵の戦いに参戦し、彝陵城を蜀軍に包囲されるが陸遜が劉備を破ったため、包囲が解けて追撃し、蜀軍を破った。その功績により、建武将軍・丹徒侯に封じられた。


孫幹【ソンカン】
?〜258
孫リンの弟。偏将軍。丁奉らが孫リンを討った際に一族もろとも殺された。


孫観【ソンカン】
?〜?
【呂布→魏】

字は仲台。臧覇らと共に泰山に立てこもり、呂布に味方して曹操と戦う。198年、呂布が死ぬと臧覇に説得されて曹操に降伏し、後に青州刺史となった。


孫冀【ソンキ】
?〜?
【呉】

左将軍。276年、孫コウが晋を攻めようとした際に陸抗がこれを諫めて兵権を剥奪されたのを受けて軍の統率を命じられた。


孫休【ソンキュウ】
235〜264
【呉】

字は子烈。孫権の六子。258年、孫リンに擁立されて皇帝となるが孫リンの専横に対して、丁奉と計って孫リンを討ち、濮陽興や張布らを重用した。晩年は政治に興味を失ったという。死後、景帝と諡られた。


孫拠【ソンキョ】
?〜?
【呉】

孫リンの弟。威遠将軍。丁奉らが孫リンを討った際に一族もろとも殺された。


孫匡【ソンキョウ】
?〜?
【呉】

字は季佐。孫堅の四子。孫策が江東を制した際に曹仁の娘を婚姻するが早世した。


孫恭【ソンキョウ】
?〜?
【呉】

孫静の孫。散騎侍郎を勤めた。


孫キン【ソンキン】
?〜280
【呉】

驃騎将軍。晋の呉侵攻で大軍を迎え撃つが敗れて討死した。


孫乾【ソンケン】
?〜214
【蜀】

字は公祐。陶謙の推挙で劉備に仕え、主に外交面で活躍。200年、曹操が徐州を攻めた際、袁紹のもとに赴いて援軍を請う。しかし、劉備が曹操に敗れて四散すると汝南に逃れて劉辟の配下となっていたが関羽の所在を知ると連絡を取って三兄弟の再会を画策する。201年、劉備が汝南で曹操に敗れると劉表のもとを訪れて劉備軍を受け入れるよう手配する。209年、劉備と孫夫人の結婚の際には呉との調整に当たり、劉備に随行して呉に赴く。214年、劉備入蜀した後に劉璋と争い、劉璋の援軍として駆け付けた馬超に対して、張魯と馬超の反目を謀り、馬超を寝返させることに成功。劉備が益州牧となると秉忠将軍に任じられたがまもなく死んだという。


孫堅【ソンケン】
155〜191
【後漢→君主】

字は文台。172年、銭トウで海賊を討ち、174年、許昌の反乱を鎮圧。184年、黄巾の乱に参加し、別部司馬に任じられる。後に長沙太守として区星の反乱を鎮めた。190年、破虜将軍・豫州刺史として董卓討伐軍に参加してシ水関を攻めるが袁紹の謀略で兵糧が届かないなどの苦戦を強いられた。翌年、洛陽に入り、城内を見回った際に井戸から伝国の玉璽を手に入れて長沙に戻る。その後、荊州の劉表と争い、伏兵に遭って討死した。死後、孫権によって武烈帝と諡られた。


孫権【ソンケン】
182〜252
【呉】

字は仲謀。孫堅の次子。200年、孫策が死ぬと後継者となり、江東を治める。208年、黄祖を討ち、後に劉備と結んで赤壁で曹操を破った。しかし、荊州の租借問題で劉備と対立し、219年、曹操と結んで関羽を討って荊州を手中に治めた。222年には挙兵した劉備に対し、陸遜を起用して大勝した。後に魏と断行し、再び蜀と結んで魏と争った。229年、皇帝に即位。江南において屯田を行い、海を渡って夷州を攻め、海外との関係を強めた。しかし、晩年は政治が荒廃し、陸遜を始め忠臣を遠ざけて多くの者を殺した。死後、大帝と諡られた。


孫謙【ソンケン】
?〜?
【魏】

曹爽に仕える。249年、司馬懿が反乱を起こし、武器庫へ向かう途中、曹爽の門前で潘挙が矢を射ようとするのを幾度も制して止めさせた。


孫高【ソンコウ】
?〜?
【呉】

孫ヨクに仕える。丹陽太守。キ覧と戴員が孫ヨクを殺し、未亡人となった徐氏より相談を受けて傅嬰と共に二人を殺した。後に孫権より牙門将に任じられた。


孫コウ【ソンコウ】
?〜219
【呉】

字は叔朗。孫静の三子。勇猛で知られる。都護征虜将軍として219年、呂蒙の荊州攻めに補給担当で参戦したが戦後すぐに病死した。


孫コウ【ソンコウ】
242〜283
【呉】

字は元宗。孫和の子。258年、孫休が即位すると烏程侯となる。264年、孫休が死ぬと張布・濮陽興の推薦によって即位したが酒色にふけって暴政を行って臣下を次々に殺した。280年、晋軍が建業に迫ると降伏して帰命侯に封じられた。


孫策【ソンサク】
175〜200
【呉→袁術→君主】

字は伯符。孫堅の長子。191年、父に従って劉表を攻めるが父が討死したため、袁術を頼る。後に玉璽と引き換えに兵を借り受け、伯父呉景を助けて劉ヨウ・厳白虎ら江東の諸侯を次々に撃破して『小覇王』と称された。198年、袁術と決別して曹操より討逆将軍・呉侯に封じられる。200年、曹操に内通しようとした許貢を処したため、その食客に襲われて重傷を負う。その後、呉の将来を憂いて于吉を殺したため、その呪いを受けて死んだ。死後、即位した孫権より長沙桓王と諡られた。


孫資【ソンシ】
?〜251
【魏】

字は彦龍。曹丕の時に中書令、曹叡の時に尚書となる。街亭の戦いの後、急進策を唱える司馬懿に対して、守りを固めて呉蜀の争いを待つべきだと主張した。後に侍中・光禄大夫となり、曹叡の危篤に際して、曹宇(固辞)、次いで曹爽を大将軍に推挙した。


孫秀【ソンシュウ】
?〜?
【呉→晋】

孫匡の孫。前将軍・夏口督だったが孫コウに疎まれて270年、晋に降った。280年、呉が滅びると南に向かって「昔、討逆将軍(孫策)が校尉の身から国を築いたのに今になって孫コウが全江南を棄て去るとは」と嘆いて天を仰いだという。


孫峻【ソンシュン】
219〜256
【呉】

字は子遠。孫恭の子。孫権に寵愛されて御林軍を率いるが諸葛恪に権限を奪われる。253年、トウ胤と共に諸葛恪を殺し、丞相・大将軍・富春侯になって実権を握るが多くの人を殺して非難された。


孫韶【ソンショウ】
188〜241
【呉】

字は公礼。孫河の甥。205年、孫河が死ぬとその配下を引き継いで承烈校尉に任じられた。224年、揚威将軍として徐盛に従って魏軍を迎え撃つが徐盛と意見の違いから対立し、単独で敵陣を奇襲し、曹丕の水軍を壊滅させた。孫権の即位後は鎮北将軍・幽州牧となり、面倒見が良く、軍事に通じていたことから孫権から称賛された。


孫尚香【ソンショウコウ】
?〜222
【呉→蜀→呉】

孫権の異母妹。「孫仁」とも呼ばれる。209年、周瑜の策略により、劉備の妻となり、翌年、荊州へ移住。212年、荊州侵攻を企む孫権に母が重態と偽って呼び戻され、阿斗を連れて呉に帰ろうとするが途中で趙雲らに追い付かれて阿斗を手放して帰国。222年、劉備が死んだとの誤報を聞いて長江に身を投げた。正史では孫夫人の伝はなく、孫堅の娘の名は不明となっている。


孫静【ソンセイ】
?〜?
【呉】

字は幼台。孫堅の弟。191年、劉表を攻めようとする孫堅を諫めた。196年、孫策と共に王朗を攻めて会稽を落としてその守備を任され、奮武校尉に任じられた。後、孫権が後を継ぐと昭義中郎将となる。208年、孫権が黄祖を討った後に呉郡を任された。


孫仲【ソンチュウ】
?〜184
【黄巾賊】

張角が死んだ後、趙弘・韓忠と共に宛城で抵抗を続けたが、朱儁率いる漢軍に包囲され、突破を図って射殺された。


孫登【ソントウ】
209〜241
【呉】

字は子高。孫権の長子。229年、孫権が即位した際に皇太子となる。妻は周瑜の娘。しかし、早世した。


孫瑜【ソンユ】
177〜215
【呉】

字は仲異。孫静の次子。奮威将軍・丹陽太守。210年、周瑜が荊州奪回の軍を進めた時に孫権の命で加勢に赴いた。


孫ヨク【ソンヨク】
184〜204
【呉】

字は叔弼。孫堅の三子。丹陽太守だったが配下の辺洪に宴席で殺された。


孫亮【ソンリョウ】
243〜260
【呉】

字は子明。孫権の七子。252年、即位。聡明であったが孫リンに実権を握られ、専横を憂いて、258年、全紀と共に孫リン誅殺を図るが事が露見し、会稽王に落とされた。後に会稽で孫亮が複位するという噂が立ったため、侯官侯に落とされて任地に向かう途中で自殺した。


孫リン【ソンリン】
231〜258
【呉】

字は子通。孫峻の従弟。孫峻の死後、実権を握る。258年、孫亮を廃して孫休を擁立し、丞相・荊州牧となるが孫休の命を受けた丁奉と張布に捕らえられて一族もろとも殺された。


孫礼【ソンレイ】
?〜250
【魏】

字は徳達。曹叡の前に躍り出た虎を斬り殺した功績により、上将軍に任じられた。後に曹真・司馬懿に従って諸葛亮率いる蜀軍と戦った。


孫朗【ソンロウ】
?〜?
【呉】

字は早安。孫堅の庶子。生母は呉国太という。


孫魯班【ソンロハン】
?〜?
【呉】

孫権の娘。全ソウの妻になったことから、『全公主』と呼ばれた。孫権の後継者争いに介入して孫和を讒言して遠ざけた。


孫ワン【ソンワン】
?〜265
【呉】

孫休の子。262年、皇太子となり、264年、孫休から後継者に指名されたが年少であることから大臣たちの支持が得られず、孫コウが即位することになって豫章王に封じられた。後、孫コウに殺された。


【た】に続く

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