三国志登場人物解説

【そ】

曹安民【ソウアンミン】
?〜197
【魏】

曹操の甥。宛城の張繍の許に駐屯した際に曹操が張繍の怒りを買って急襲され、曹操と共に渭水の畔まで逃げたが追い付かれて殺された。


曹宇【ソウウ】
?〜?
【魏】

字は彭祖。曹操の子(演義では曹丕の子)。燕王。曹叡から曹芳の補佐を命じられたが固辞した。


曹永【ソウエイ】
?〜211
【魏】

曹仁に仕える。211年、曹操が渭南で馬超・韓遂軍と戦った際、ホウ徳に斬られた。


曹叡【ソウエイ】
205〜239
【魏】

字は元仲。曹丕の子。生母の甄氏は曹丕の命により、自害させられたため、郭氏に育てられる。226年、平原王に封じられ、同年5月、曹丕の死によって即位。善政を敷き、司馬懿や曹真らを重用し、諸葛亮率いる蜀軍を幾度も退けた。しかし、晩年に大規模な宮廷造営などで失政を重ねて病にかかり、239年、司馬懿と曹爽に後事のことを託して病死した。後に明帝と諡られた。


宋果【ソウカ】
?〜195
【李カク】

楊奉と謀って李カクを殺そうとするが計画が露見して殺された。


曹奐【ソウカン】
246〜302
【魏】

字は景明。曹宇の子。260年、曹ボウが殺された後、司馬昭により即位するが265年、司馬炎に譲位し、魏は滅亡した。滅亡後は陳留王として余生を送った。死後、元帝と諡られた。


曹羲【ソウギ】
?〜249
【魏】

曹爽の弟。兄のもとで中軍領として禁軍を率いる。不測の事態に備えるよう兄に進言するが受け入れられず、249年、司馬懿の反乱により、一族もろとも殺された。


曹休【ソウキュウ】
?〜228
【魏】

字は文烈。曹操の甥。曹丕の時に鎮南将軍・征東大将軍を歴任。曹丕の死後、司馬懿、曹真らと共に曹叡を補佐し、大司馬・都督揚州諸軍事となる。228年、石亭の戦いで大敗し、悶死した。


曹拠【ソウキョ】
?〜?
【魏】

曹操の子。彭城王。254年、曹芳が廃されると司馬師に擁立されかけるが長幼の序を乱すとして郭氏の反対にあった。


曹訓【ソウクン】
?〜249
【魏】

曹爽の弟。兄のもとで武衛将軍となり、禁軍を指揮する。249年、司馬懿の反乱で一族もろとも殺された。


宋憲【ソウケン】
?〜200
【呂布→魏】

198年、魏続・侯成と共に呂布を捕らえて曹操に降る。後に白馬の戦いで顔良に挑んで殺された。


宋謙【ソウケン】
?〜209
【呉】

孫策、孫権に仕え、赤壁や彜陵の戦いに参戦した。後、合肥の戦いで李典に射殺された。


曹彦【ソウゲン】
?〜249
【魏】

曹爽の弟。兄のもとで散騎常侍となる。249年、司馬懿の反乱で一族もろとも殺された。


曹昂【ソウコウ】
?〜197
【魏】

字は子修。曹操の長子。宛城で張繍の奇襲に遭った際、曹操の馬が射られたため、自分の馬を曹操に譲り、浴びせかけられる矢の中で一命を落とした。


曹洪【ソウコウ】
?〜232
【魏】

字は子廉。曹操の従弟。曹操の挙兵の時から従い、190年、ケイ陽で董卓に敗れた曹操を救出する。その後も曹操に従って各地を転戦し、馬超との戦いで潼関を失って曹操の怒りを買って殺されかけるが、馬超により敗走し、追撃を受けた曹操を救出して汚名を挽回する。後に漢中を守る。曹操の信任は厚かったが粗暴な性格で失敗することも多かったという。曹操の死後、曹丕に仕えて衛将軍・驃騎将軍を歴任した。


臧洪【ゾウコウ】
?〜?
【孔チュウ】

正史のみの登場。孔チュウの配下として董卓討伐軍に加わり、孔チョウより軍の指揮を任される。


曹氏【ソウシ】
?〜?
【呂布】

曹豹の娘。演義のみの登場。呂布が劉備を頼ってきた際に第二夫人となるがすぐに死んだ。


曹氏【ソウシ】
?〜?
【魏→呉】

曹仁の娘。孫策が江東を制した時に曹操と孫策との協定により、孫匡と政略結婚させられた。


曹純【ソウジュン】
?〜210
【魏】

字は子和。曹仁の弟。魏の精鋭部隊『虎豹騎』を率いる。長坂の戦いで劉備の娘を二人捕らえて物資を奪った。後に江陵攻防戦で周瑜の伏兵に遭って敗走した。


曹彰【ソウショウ】
?〜223
【魏】

字は子文。曹操の三子。武芸に秀でた武将で『黄ジュ児』と称される。220年、曹丕が魏王となると大軍を率いてギョウに迫ったが賈逵に説得されて兵権を返上した。後に任城王に封じられた。


曹植【ソウショク】
192〜232
【魏】

字は子建。曹操の四子。陳王。若い頃から曹操に寵愛され、曹丕と後継者争いをする。曹丕の即位後にその文才を試された時に即興で『七歩の詩』を吟じた。また建安文学を代表する存在で、著書に『贈白馬王彪』『野田黄雀行』『洛神賦』などがある。


曹真【ソウシン】
?〜231
【魏】

字は子丹。曹操の甥。曹丕の時に中軍大将軍、曹叡の時に大将軍となる。227年、大都督として諸葛亮率いる蜀軍と戦うが度重なる敗北で病に倒れて療養のため、洛陽に戻った後に病死した。


曹仁【ソウジン】
168〜223
【魏】

字は子孝。曹操の従弟。曹操の挙兵の時から従い、しばしは功績を立てて信任を得る。赤壁の戦いの後、鎮南将軍・江陵太守となり、馬超の乱にも参戦した。219年、樊城の戦いで関羽と対峙し、呉の援軍を得てこれを破る。曹丕が即位すると大将軍・大司馬を歴任した。


曹嵩【ソウスウ】
?〜193
【後漢】

夏侯家より曹騰の養子となる。官を辞した後、陳留・徐州へ移住する。193年、曹操に迎えられてエン州に向かう途中に陶謙の招きを受け、そこを辞した後、多額の金品に目が眩んだ張ガイによって殺された。


曹性【ソウセイ】
?〜198
【呂布】

呂布と曹操が戦った時に夏侯惇の左目を射ぬいたが反撃されて殺された。


曹節【ソウセツ】
?〜?
【魏→後漢】

曹操の娘で曹丕の妹。献帝の後宮に入って貴人となり、214年、謀反の疑いで伏皇后が殺された後に曹操の命により皇后となる。曹丕が献帝に譲位を迫った際には兄の所業をなじったという。死後、献穆皇后と諡られた。


曾宣【ソウセン】
?〜?
【諸葛誕→魏】

257年、諸葛誕が寿春で司馬昭に包囲された際に城の北門を開いて魏に降伏した。


曹爽【ソウソウ】
?〜249
【魏】

字は昭伯。曹真の子。238年、大将軍として曹芳の補佐を命じられる。何晏・丁謐らの策に従って司馬懿を太傅に昇格させて兵権を取り上げて実権を握るが、249年、司馬懿の反乱で一族もろとも殺された。


曹操【ソウソウ】
155〜220
【後漢→君主】

字は孟徳。曹嵩の子。20歳の時に朝廷に出仕し、騎都尉として黄巾の乱の鎮圧に当たる。189年、陳留で挙兵し、翌年、董卓を討つべく諸侯と共に連合軍を形成して参謀となるが洛陽炎上後、利益優先の諸侯と対立して単独行動の末に敗走して連合軍は解散となった。192年、エン州牧として青州の黄巾賊を討って、軍備を拡大するが父が陶謙の配下に殺されると憤りのまま、徐州に侵攻し、劉備と対峙、その隙に呂布にエン州を奪われかけるという失態を侵す。196年、長安を脱した献帝を保護して許昌へ迎え入れて実権を握る。官渡の戦いで袁紹を破って北を制すると荊州に侵攻。208年、赤壁で孫権・劉備の連合軍に大敗する。213年、魏公となり、馬超の乱を鎮圧し、216年、魏王となる。漢中攻防戦では蜀軍に敗れ、樊城の戦いで旧臣の関羽が死ぬと像を造るよう命じ、廟を造って祀った。220年正月、病死。死後、即位した曹丕より武帝と諡られた。廟号は太祖。


宋忠【ソウチュウ】
?〜?
【劉表→劉ソウ→魏】

208年、劉表が死ぬと劉ソウの命により、曹操に降伏を申し入れる使者となった。後、劉備が降伏に関しての説明を求めたため、遣わされている。また、古文学者としても知られ、劉表の命で『五経章句』を編纂した。門弟に王粛や尹黙らがいる。


曹徳【ソウトク】
?〜193
【民衆】

曹嵩の子で曹操の弟。193年、父と共に曹操に迎えられて、エン州に向かう途中に陶謙の招きを受けた後、陶謙の配下の張ガイによって殺された。


臧覇【ゾウハ】
?〜?
【山賊→呂布→魏】

字は宣高。尹礼・呉敦・孫観らと共に泰山に籠もって呂布を助けて曹操を攻める。198年、呂布が殺されると曹操に降伏し、尹礼らを説得して帰順させることに成功。赤壁の戦いの前日に西涼の反乱鎮圧を口実に陣営離脱を図る徐庶の先鋒として許昌に向かった。後に揚威将軍となり、曹丕即位後は鎮東将軍・都督青州諸軍事となった。


宋白【ソウハク】
?〜?
【魏】

慎県の県令。255年、反乱に失敗したカン丘倹を騙して酔わせて殺し、首級を司馬師に献じた。


曹丕【ソウヒ】
187〜226
【魏】

字は子桓。曹操の次子。冀州の戦いでは曹操を差し置いて一番乗りをして叱咤される。その際に袁煕の妻であった甄氏を後に妻に迎えた。217年、太子となり、220年、曹操の死により、魏王となり、漢の献帝に譲位を迫って皇帝となった。224年、呉に侵攻するが失敗。226年5月、病死した。在位中、九品中正制を実行し、士族門閥の特権を保護したことで知られる。また、詩人・文章家としても著名で『燕歌行』『典論』などを著した。


曹豹【ソウヒョウ】
?〜196
【陶謙→劉備】

陶謙の死後、劉備に仕える。196年、劉備が勅命により、袁術の討伐に出かけた際に張飛と共に留守を任されるが張飛に酒を強要されて拒んだため、鞭打ちの屈辱を受ける。それを恨み、小沛に駐屯していた呂布に徐州の乗っ取りを提案し、張飛に戦いを挑むが殺された。


臧旻【トウビン】
?〜?
【後漢】

揚州刺史。174年、孫堅が許昌の反乱を鎮圧した際にその功績を朝廷に奏上した。


曹文叔【ソウブンショク】
?〜?
【魏】

曹爽の従弟。夏侯令の娘を妻に迎えるが早世した。


宗宝【ソウホウ】
?〜194
【孔融】

黄巾の残党である管亥が孔融を攻めた際に応戦して討ち取られた。


曹芳【ソウホウ】
231〜274
【魏】

字は蘭卿。曹叡の養子。235年、斉王となり、239年、太子となる。曹叡の死後、即位して皇帝となった。254年、司馬師の専横に不満を抱いて誅殺を謀るが逆に帝位を追われた。


曹ボウ【ソウボウ】
241〜260
【魏】

字は彦士。曹霖の子。高貴卿公に封じられる。254年、曹芳が廃されると司馬師によって皇帝に擁立される。260年、司馬昭の専横に耐えかねて謀反を起こして司馬昭を討とうとするが成済に殺された。


曹熊【ソウユウ】
?〜220
【魏】

曹操の五子。生来病弱であったため、早世している(演義では自殺)。死後、簫懐公と追封されている。


宗預【ソウヨ】
?〜264
【蜀】

字は徳エン。右中郎将。234年、諸葛亮の死後、呉が巴丘の軍備を増強した際に孫権にその真意を質した。その後、鎮軍大将軍・エン州刺史となり、264年、蜀が滅亡し、廖化と共に洛陽に移送される途中で死んだ。


曹霖【ソウリン】
?〜249
【魏】

曹丕の子。東海定王に封じられる。


蘇越【ソエツ】
?〜?
【魏】

洛陽の名匠。曹操が関羽の霊に悩んで洛陽に建始殿を新築しようとした際にその設計を担当した。


蘇ギョウ【ソギョウ】
?〜228
【魏】

郭淮の先鋒を務め、街亭の戦いの後、箕谷から撤退しようとする趙雲を追撃して逆に討ち取られた。


蘇双【ソソウ】
?〜?
【民衆】

中山郡の商人。張世平と共に馬の売買を行う。184年、劉備・関羽・張飛の挙兵に際して軍資金として馬や金銀などを送った。


蘇伯【ソハク】
?〜?
【頭目】

正史のみの登場。馬超の乱で曹操が出陣した隙を狙って河間で田銀と共に反乱を起こすが留守を任されていた国淵に討たれた。


蘇飛【ソヒ】
?〜?
【劉表→呉】

黄祖配下の都督。甘寧を推挙した。208年、黄祖が孫権に討たれた際、捕らえられるが甘寧に命を救われた。


祖弼【ソヒツ】
?〜220
【後漢】

符宝郎として玉璽を管理した。曹丕が献帝に禅譲を迫った際、玉璽の受け渡しを拒んで曹洪の配下に殺された。


祖茂【ソモ】
?〜191?
【呉】

字は大栄。孫堅に従って董卓連合軍に加わる。孫堅が華雄の夜襲を受けて敗走する際、自分の兜と孫堅の頭巾を交換して身代わりとなって華雄に討ち取られた。正史では頭巾を交換した後、追い詰められて馬を降り、頭巾を墓地の杭に被せて案山子とし、草むらに隠れて追撃を逃れたとある。


蘇由【ソユウ】
?〜?
【袁紹→袁尚】

袁尚に仕える。203年、袁尚が曹操に攻められた袁譚の援軍に向かった際、審配に従って冀州城を守った。後に曹操が冀州城を包囲すると内応を試みるが失敗し、城外に脱出して降伏した。


【そ】弐に続く

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