無名の剣

 戦乱の世から江戸の治世へ、日本という国は徳川という天下人にその身を委ねた。1615年に国を二分していた豊臣秀頼を大坂城で滅ぼし、恩顧の武将とされた福島正則や加藤清正、浅野長政ら有力大名も謎の死や改易によりその姿を消し、徳川という勢力はますます強大になった頃、西国街道からさらに外れた道を1人の浪人が歩いていた。左腰に大刀を差し、編み笠を被り、何も考えないゆっくりとした足取りで西に歩いていた。まもなく今日泊まる予定の宿場町に到着しようとしていた。
「何者か!?」
街道から少し離れた田んぼが広がる川のほとりのほうから声が聞こえた。2人の男女が数人の覆面をした侍に囲まれているのが見えた。
「本間平八郎様ですね?」
1人の覆面男が言う。右手には刀が握られていた。
「何者かと聞いているのがわからぬのか!?」
本間と呼ばれた武士らしい男が着物を着た女性を庇いながら言い放った。
「余計なことを為さらねば死なずに済んだものを…」
そう言うと覆面男の部下が一斉に斬りかかった。本間も刀を抜き放って襲いかかってくる刀を反らしていく。しかし、多勢に無勢、勝負は明らかだった。1人が放った刀が本間の腹を一閃した。
「ぐわっ!!!」
腹が血が流れ出た。
「平八郎様!!!」
女性が叫ぶ。本間は腹を抑えながらさらに攻撃をかわす。
「ふふふ、死するがいい」
覆面男が刀を振り上げたとき浪人が走り込んできた。
「む!?」
「たった2人を数人で襲うとは卑怯な真似をしおる」
「何者か!?」
「名無しの権兵衛」
この言葉に覆面男が怒った。
「ふざけるな!!!」
振りかぶって襲ってくる。浪人は少し戸惑った表情を見せたがすぐに持ちなおし、上から振り下ろされる刀をかわして腹を一閃し、背後からとどめを刺した。次に死角の左側より攻めてきた刀に対しては鞘でこれをいなし、顎にめがけて一撃を加えた。覆面した布が切れて顔がまっ二つとなった。
「ちっ、退けい!」
長の男が合図すると一斉にその場から逃げるように立ち去った。
「平八郎様!!!」
女性が本間を抱きかかえていた。浪人も近寄る。
「しっかり致せ!!!」
浪人の声は本間の耳に届いていないようだった。
「ひ、ひ、姫……様…を………お頼……み…申………す……」
「平八郎様!!!」
女性は涙を流しながら本間の胸に顔を埋めた。浪人は2人の様子を見守るしかなかったがしばらくして声を発した。
「彼らは一体何者なのですか?」
「…取り乱して申し訳ありません」
「見たところ武家の方とお見受けしますが…」
「私は備中高松藩に仕えていた岡田丹波守常勝の娘、お香と申します。平八郎様は…」
そこから先を言おうにも言葉にならずにまた泣き出してしまった。浪人はひとまず平八郎の遺体を代官所の役人に頼み、自身はお香を連れて宿場町にある知人の家に厄介になることにしたのである。
 知人の名は宗像伝四郎と言い、元阿波藩に仕えていた藩士だ。藩祖・蜂須賀正勝の死後、家督を弟・伝八郎に譲り、かわりに知行の一部を捨て扶持としてもらい、小さな屋敷に住んでいるのだ。お香は伝四郎の屋敷でもずっと泣き続けていた。
「時行、尾張の姫君を助けたのはいいがこれからどうするんだ?」
伝四郎が言う。時行と呼ばれた浪人は荒れた中庭を見ながら口を開く。
「あの者がなぜ殺されたか調べねばなるまい」
「そのようなこと代官所に任せておけばいいものを…」
「たかが代官所ごときに収められる問題ではない」
伝四郎は苦笑した。
「それにもう2人斬ってしまったしな。後には引けん」
「まったく…、お前って奴は…」
時行の強い態度に伝四郎は呆れる他なかった。

 翌日、お香が真っ赤に目を腫れさせて寝所から出てきた。きちっと着物を着こなして腰帯のところには短刀を帯びていた。伝四郎は裏口のところで魚屋を相手に値段の交渉をしていた。お香の姿を見つけて声をかけた。
「大事ありませんか?」
伝四郎は魚を2匹手にしながら言った。そのまま、下人に手渡す。
「…大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「左様か、時行もまもなく来られよう」
「時行とは?」
「あなたをお救いした浪人にござりまする」
「時行様と申されたのですね」
「左様です。本名を聞けばあなたも納得するはずです」
「えっ?」
お香がきょとんとしていると時行が起きてきた。左手に刀を持っていた。
「おう、来たか。こちらのお姫様も今起きて来られたところだ」
時行はお香を見た。
「目が腫れておられる。一晩中、泣いておられたので?」
「…はい」
「泣くことは簡単だがあなたにはやるべきことがある」
「やるべきこととは?」
「どんな事情であれ、平八郎の魂を救ってやらねばならぬ」
「魂を…」
お香は時行が放った言葉の真意がわかったようであった。
「仇討ちをやる気なのか?」
「いや、2人で一つの藩を敵に回すのは不可能に等しい」
「相手がわかったのか?」
「正確な相手はわからなかったが昨日出会った浪人の構え、あれは宇陀真流のようであった。宇陀真流を剣術指南しているのはこの近くの備中高松藩のみだ」
「ほう」
「藩主・花房職之が岡山城の抑えとして入城したが今は江戸にいる。主の留守を任されている留守居役の山中職種が使う流派が宇陀真流だそうだ」
「あまり聞かぬ流派だな」
「それを言うと我が流派とて同じこと。西国より出た流派らしいが一度尾張で行われた藩主御前試合において見たことがある。初太刀よりも二ノ太刀に重点を置いていてあのとき試合をしたのは若い剣士だった。中々の腕を持っておったが…」
「ん?、どうした?」
「相手に顎を砕かれてその場で散った」
「なるほど…」
伝四郎は頷いた。お香はその話しを聞いて何かを思い出したかのように時行を見た。
「如何なされた?」
時行がお香の視線に気づいて聞いた。
「あの時の…お侍様…」
お香は呟いた。さらに続ける。
「名は確か…」
その続きは伝四郎がつないだ。表情は笑っていた。
「名無篠権兵衛時行、これが時行の本名でござる」
「名無しの権兵衛………様?」
「ううむ…、さ、左様にござる」
時行は少し赤面した。恥ずかしいのだ。しかし、お香の考えは別のところにあった。
「では、あの御前試合で御鏡清十郎を討ち果たしたのは貴方様だったのですね」
「御鏡…、確かそのような名であったか…」
「清十郎は父の仇でござりました」
「何と!?」
「清十郎は宇陀真流の師範代として父・常勝に仕えておりましたが奥義伝承を得るため、父を闇討ちにしたのでござりまする。その後、清十郎は流派を乗っ取り、敵対していた剣士たちを悉く消し去ったのでございます」
「そのようなことがあったとは…」
時行は御前試合のことを思い浮かべていた。初太刀の鋭さも目を見張ったものがあったが次の二ノ太刀の鋭さは地面の土をえぐったのを覚えているが結果は時行の勝ちだった。二ノ太刀を放ってできた隙を突いて清十郎の顎を砕いたのだから。
「清十郎の死後、宇陀真流の後継者争いが激化し、藩主をも巻き込んだ熾烈なものとなりました。で、結局のところ、平八郎様が亡くなった父の養子となることで争いも静まったのですが…」
「また内部分裂を蒸し返す輩が現れたのですね?」
「はい、それが山中職種なのです」
「ほう、やはりな」
「職種は父の配下だったのですがその死後、一気に飛躍しました。領内で起きた一揆を鎮圧したのもありますがその一揆も職種が裏で手を引いていた疑いがあったのです」
「なるほどな、一揆を煽動し、それを鎮圧させたと見せかけて藩の実権を握るというわけか」
「そうです、現に職種は留守居役として国家老を兼務する重職にまで昇り詰めたのでございます。そして、一揆の調査を行っていた農学者、幹村奉安先生を一揆煽動の罪で打ち首にする暴挙に出ました」
「全ての罪をなすりつけた訳だな」
「はい、奉安先生は父の友人でも在られた御方です。平八郎様は職種に抗議されました。その結果が御家断絶だったのです。家を失っても体さえあれば職種の暴挙を江戸のお殿様に訴えることができると思い、国を抜け出しましたが…」
「追いつかれて討たれてしまったという訳ですね」
「左様にございます…」
お香の目にはまた涙が溢れていた。
「ふむ…、そうなると職種は暴挙に暴挙を重ねた悪政を敷いていることになる。花房家は旗本であって大名ではない。隠し財産もあるやもしれぬな」
「お前、花房家を潰すつもりか?」
伝四郎が言葉を挟む。
「いいや、職種一派を潰すだけだ」
「潰す?、どうやって?」
「この地は備前藩の領域だ。つまり連中は国境を侵したことになる。岡山の池田忠継様は鳥取の大藩、池田長幸様の従兄弟に当たられる。鳥取との結びつきは強い。職種をこの地におびき出すことができれば勝算も見えてくるだろう」
「ならばどうやっておびき出す?」
「我に策がある。成功するとは限らぬがやってみる価値はありそうだ」
時行はそう言って伝四郎の屋敷を後にした。

 備前藩32万石は池田忠継の治世にある。拠点は岡山城、5歳のときに入城し、兄・利隆の補佐を得て藩政に取り組み、兄が本家の家督を継いだ後も安定した藩政を取りしきっていた。二の丸にある屋敷に忠継は弟の忠雄と共にいた。藩政改革に打ち込んでいる2人に来客があった。しかも、まったく気配を感じさせていなかったにも関わらず、2人は敏感に相手の動きに応じた。
「誰か!」
先に叫んだのは忠雄であった。忠雄は忠継の死後、藩主として君臨することになる。
「さすがは輝政殿の御子、猛将の血を継いでおられる」
そう言って闇の中から時行が姿を現した。
「おう、時行殿ではござらんか」
忠継も時行の顔を見て懐かしい表情になった。
「久しいですな、元気にされているようで」
「お主であれば丁重に迎えたものの…」
「某は罪人でありますからな。滅多な動きはでき申さぬ」
「そうであったな…、あのときは幼かったとはいえ申し訳ないことを致した」
「いえいえ、こういう運命だったのでござりましょう」
時行と忠継との付き合いはもう10年になる。御前試合で忠継は利隆と共に尾張に招かれていた。時行もまた父と共にある藩の藩士として御前試合に赴いていた。事件はそのときに起きた。備前藩は元々小早川秀秋の所領であった。しかし、秀秋は関ヶ原の戦いの後、急死してしまったのだ。関ヶ原の亡霊に殺されたというのが大部分を占めていたが家臣たちは暗殺されたと思い込んでいたのだ。その白羽の矢にされたのが新藩主として君臨した池田忠継だったのである。忠継は家臣30人程率いて尾張に入った後、近くの清洲に滞在した。清洲城代が催した宴に参加した後、利隆と数人の護衛を連れて陣屋に引き上げている最中に覆面をした侍たちに包囲されたのだ。
「何者か!?、岡山藩主・池田忠継様と知っての狼藉か!?」
利隆が叫ぶ。
「主君・小早川秀秋様の仇を討つ!!!」
闇からは月に照らされた
「ちっ、小早川の残党か!?。皆、殿をお守りしろ!」
家臣たちが忠継、利隆の周辺を固める。しかし、腕の差は歴然としていた。関ヶ原を乗りきった小早川の残党に対し、忠継の家臣たちは戦知らずの者たちばかりだった。次々と斬り倒されていく。
「くっ…、このままでは…」
利隆も相手と刀を交えながらも忠継の身を案じた。そこに走り寄ってくる気配を感じた。その者は走りながら刀を抜き放っていた。
「名無篠時行、義により助太刀致す!」
時行は利隆に斬りかかっていた侍を背後から斬り伏せると後ろからかかってきた侍の首を胴から切り離し、次いで右後ろにいた侍の左腕を斬り落とした。さらに忠継の命を狙っていた長らしき侍の刀を弾いて忠継を利隆に預け、長と剣を交えた。そこに尾張藩士らも駆けつけたため、戦況が不利と判断した長はその場で自害して果て、生き残った者たちも吟味を待たずしてそれぞれ命を絶ったのである。
「あのときは本当に助かり申した」
改めて忠継は時行に礼を言った。
「ところでこのような夜更けに参られたということは何かありましたかな?」
「その様子では何も御存知ないようですな」
「と申されると…」
時行は忠継に今まで起きた事実を説明したのである。
「な、何と!?、そのようなことがあったとは…」
忠雄が絶句した。忠継はすぐさま重臣の1人である久木伊予を呼んで事の協議に入った。そして、その翌日には藩の使者が山中職種の許を訪れていたのだ。
 備中高松藩は彼の有名な清水宗治が城主を務めた高松城を陣屋としていた。史実、陣屋を移転するまでこの地は花房家の領地であった。
「左様にござりまするか、家臣たちがそのようなことを…」
使者と面会した山中職種は己は知らぬ存ぜぬを貫き通した。
「藩を預かるお主のこと、事の重大さはわかっておられるはず。今回の事に対しては殿もかなり立腹されておられる。面前にて申し開きされなければ藩自体無くなるものと覚悟されよ」
使者は職種を相手に強い姿勢に出た。職種は備前藩との抗争は避けねばならぬと思い、この場は申し開きを承知することで使者を退かせたのだ。
「くそぉ!、奴らめ…、備前藩に上訴するとは味な真似を…」
職種は怒りをぶちまけた。
「腹でも召しられまするか?」
側近の宮津全尭が言う。
「戯けが!、誰がそんな真似をするかっ!。全尭、奴らを殺せ!」
「しかし、申し開きをせねば藩は潰れますぞ」
「わかっておる、申し開きはわしが何とか致す。連中の命はお前が奪え」
「承知」
そう言って全尭は部屋から出た。
「奴らめ…、目にものを見せてくれるわっ!」
職種は叫びながら憎き敵を思い浮かべていたのである。

 宗像伝四郎は時行を見ながら感心していた。
「まさか備前藩を動かすとは大胆な行動に出たものだな」
そう言われて時行が答える。
「だが職種は城から出る他なくなった。ここからが本当の勝負となる」
「うむ…、道中を襲うのか?」
「いや、その前に向こうが手を打ってくるだろう」
「暗殺か!?」
「藩主暗殺など戯けた真似をしてみろよ。鳥取の大殿が黙っておらぬ、全力をもって花房家ならず家臣の全てまで消し去るだろうよ。来るとすればこちらにだな」
「勝てるのか?」
「さあな」
「さあなっておいおい…」
「向こうが動かなければこちらも動けないのだ。備前藩が動いている以上、こちらは手は出さぬというのが忠継殿と交わした約定なのだ」
「それを守る気なのか?」
「まさか」
時行は笑いながら言った。
「向こうはもう動いているのだからこちらも動くさ」
「動いている?」
「刺客は目の前にいる。そうだろう?」
そう言い放ったが刺客となる者の姿は中庭はおろか屋敷内にもいなかった。伝四郎が高々と笑った。
「わははははは、お前らしい驚かせ方をしてくれるじゃないか」
「何を言う?、お前の化けの皮はすでに外されているんだよ」
時行は冷静に伝四郎を見据えた。
「俺を疑っているのか?」
「無論だ、伝四郎。お前は我らがこの地に来たことを山中職種の家臣に伝えようとしたそうじゃないか。昨日来ていた魚屋に化けた奴がそうだったんだろ?。すでに国境近くで備前藩士に捕らえられて自害して果てたそうだ」
「………」
「目的は金か?、地位か?」
時行は伝四郎に返答を迫った。しかし、伝四郎の口から発せられたものは意外なものだった。
「いいや、お前の首だ!」
そう言うといつのまにか刀を抜き放っていたが時行は冷静な目でこれを交わす。
「なるほど…、お前は尾張にもつながっていた訳か」
「にもじゃない、しかだ。高松藩とは何の関わりもない。ここに張っておけばお前が来ることをある御方から知らされたのだ。父殺しよ、主命によりお前を討つ」
「やめておけ、お前の腕では私には勝てぬ」
そのとき火薬の匂いがした。
「ちっ!」
時行は咄嗟にそれが何であるかすぐにわかった。わかった瞬間、ドォーンという大きな音を響かせて屋敷は炎に包まれたのである…。

 1年前の冬、尾張にある武家屋敷に時行がいた。布団をかぶって眠りについていて障子の外は何年ぶりかの大雪になっていた。ビュービュー吹く風の中、白い粉は吹雪と化して尾張の地を覆い尽くしていた。
 カタン…、わずかに音がした。時行はそれで目覚めた。
「誰か?」
声を発したが部屋中で反響して自分の許に帰ってきただけだった。時行は布団から体を起こした。気配はしていない。枕元にある刀掛けから長刀を手にした。そして、ゆっくりと体を起こすと障子を開いた。そのときだった。槍が障子を貫いて時行の肩をかすめた。
「ぐっ…」
時行は刀を鞘から抜き放った。そして、間合いを開いて槍を構えた人物を見て唖然とした。
「ち、父上…」
「時行よ、お前はいずれ我が家の災いとなる」
「災いですと!?」
「お前の強さは尋常でないことは御前試合のときにわかった。剣技だけならお前は柳生とも互角に戦えようが家を保つのはおそらく無理であろう」
「父上、一個の流派よりも家の保身を選ぶおつもりですか?」
「その通りだ。お前が殺した御鏡清十郎は花房職房の色小姓だと言うではないか。花房はお前の引渡しを求めている。家を守るためだ、許せ」
「嫌だと申せば?」
「この場にて死んでもらう」
「家も一緒にですか?」
「…やむなし!、でやぁぁぁ―――!!!」
槍は無双の如く、刃を振りまわすが時行にはまったく当たらなかった。
「惜しいですね…、父上…、せめて貴方とは剣で勝負を分かちたかった」
時行は刀を構えた。刃を下に向けて縦一文字にすると柄を目線に置いた。叫ぶ父の声など耳には届いていなかった。再度、槍の刃が時行に届こうとする位置に来るとその柄に沿うようにして一気に間合いを詰めた。そして、父の顔が見えると躊躇することもなく顔面を真っ二つに斬り裂いた。皮肉にも清十郎を倒した同じ技で父もまた時行に倒されたのである。
「ぐわあああぁぁぁ…」
父は悲鳴と叫びが混ざった声を喉から絞り出して息途絶えた。この後、時行は尾張より去った。聞いた話しでは名無篠家は御家断絶を免れたらしいが誰が後継者になったかはわからなかった…。
 時行は目覚めた。側にお香がいた。
「大丈夫にござりますか?」
「ああ…、長い夢を見ていたようだ。ここは………?」
「屋敷の裏手にある神社かと思われます」
よく見ると鳥居が見えた。鳥居から小さな本殿に向かって石畳が敷かれてあった。周りは木々が覆い茂り鬱蒼とした空間を造り出していた。そのおかげで太陽の光は完全に遮られていた。2人は神社の本殿にいた。
「貴方が運んでくれたのですか?」
時行は起きあがりながら言った。
「いいえ、私ではこざいません。あの方が一緒に…」
見ると男が近づいて来るのがわかった。
「吾六!」
「やあ、目覚めましたかな」
「生きておったか!?」
「それはもう…、驚きましたよ。突然でしたからね」
吾六は禿げた頭を撫でた。吾六は長い間、下人として伝四郎に仕えていたのだ。
「伝四郎は…、伝四郎はどうした?」
吾六もお香もわかないという仕草をした。
「そうか…」
時行はゆっくりと石畳の上に立った。
「これからどうなさるおつもりですか?」
吾六が言う。
「おそらく火薬を仕掛けたのは宮津全尭であろう。全尭は山中職種の忠実なる側近だ。職種の手足となって敵対する者たちをその暗殺術を以って殺害している。奴を倒さねば職種の首など程遠い」
「居場所はわかっておるので?」
「いや、何もわからぬ。だが職種はまっすぐ岡山に向かっておる。あそこに向かえば全尭にも会えよう」
「御1人で行かれますので?」
「ああ、そのつもりだ」
時行は2人にそう言い放った。しかし、そうなるとお香が黙っていなかった。
「私も行きます!。今回のことは私が藩を抜け出したのが発端になっています。役には立てないかもしれませんが私もお供します!」
「ならぬ!……っと申しても納得すまい。吾六、お前も来るか?」
「無論」
「ならば岡山に行こう。行って仇討ちを致そう」
そう言い放つと時行を先頭にお香、吾六がそれぞれ続いた。お香は平八郎の仇である山中職房を、吾六は伝四郎を爆死させた宮津全尭の見えぬ首を求めて…。
 時行もまた己が背負っている全ての運命と共に…。

 備前藩岡山城、戦国の乱世より宇喜多直家、小早川秀秋などの武将が住し、今は池田輝政の子・忠継がこの地に入城し、藩政改革を行い、備前藩の基礎を築いた。その地に隣国備中高松より山中職種が500ばかりの軍勢を率いて岡山に到着した。職種はその日のうちに藩主忠継に謁見した。
「備中高松藩留守居役、山中平左衛門職種にござる」
平伏しながら職種が言った。部屋にいるのは藩主忠継をはじめとする重臣たちの姿であった。
「此度の一件、我らとしましても誠に遺憾であり、事件を起こした者たちは厳しく処断致し申した」
「うむ、早々の処置痛み入る。このようなことは二度と無きように願いたい」
「はっ、こちらとしましても同感にござる」
「ところで…」
「はっ」
「御身は名無篠時行なる人物は御存知か?」
この言葉に職種の眉がわずかにあがる。
「はて………?」
しかし、とぼけた。
「手前には存ぜぬ名にござりますな」
「左様か、お主に会いたいとここに来ておる。会われるか?」
忠継の言葉に焦りの色を隠せなかった。
「如何なされた?、会われるか?」
「いや、此度は謁見のみという案件なのでまたの機会にさせて頂こう」
「左様か、残念にござるな。下がられるが良い」
若き当主の言葉に職種は激しい怒りを覚えた。
「はっ」
職種が退がると忠継は左側に座っていた久木伊予に聞いた。
「どうであった?」
「焦りが見え隠れしておりました。此度の一件、おそらく指示したのは彼の者にござりましょう」
そして、右側にいる忠雄にも尋ねた。
「忠雄はどう見た?」
「伊予と同じ意見にござる」
「如何なされまするか?」
伊予が言う。
「放っておけばよろしいかと存ずる」
忠雄が言う。
「我らが動けば戦となりましょう。そうなれば幕府は黙っておりますまい。喧嘩両成敗で両家とも御家断絶は必死、ここは時行殿に託しましょう」
「うむ、我らができるのはここまでだが伊予、影ながら時行を守ってくれ」
「承知致しました」
そう言って久木伊予は平伏した…。

 外はすっかり暗くなっていた。二の丸の屋敷を出た職種は全尭らわずかの供と共に陣屋を置いている三の丸に歩いて行った。城壁に囲まれた石畳の通路は攻めにくく守り易しの造りとなっていた。一定の区間で松が植えられていた。
「あの小僧め、わしと見くびりおって」
先頭を行く職種が言い放った。
「殺りますか?」
脇を歩く全尭が言う。
「ああ、この件が終わったらな」
「承知致しました」
「ところで首尾はどうであった?」
「爆死した模様にござりまする」
「確認はしたのか?」
「肉片が飛び散っており確認はできませなんだ」
「吹き飛んだのやもしれぬな。剣の達人も爆風には勝てなかったか…。ふはははははは…」
職種は笑い声をあげた。しかし、その声を切り裂くように闇から声が響いた。
「そう思うか?、闇に生きる者どもよ」
前方から気配がした。
「何者か!?」
すうっと月の光に照らされて姿を現した。
「名無篠時行、推参」
左手は腰に帯びた刀の柄にかかっていた。
「死んではいなかったか…、全尭、殺せ」
「はっ」
全尭とその配下の者たちが闇の中を走りぬけ、時行の周りを囲んだ。数はざっと30。
「来るがいい」
時行はそう言うと身構えた。30の敵はすでに各々武器を携えて構えていた。
「忍びとは恐れ入る」
そう言いながらすでに間合いを詰めていた。目の前にいる敵に対し、攻撃を加えようとしたが相手が不利と判断して空中に逃れたため、意表を突いて右斜め後ろにいた鎖鎌の敵に振り向き様に斬り倒した。次いでその男の肩に乗り上げて2つの頭を飛び越して刀を構えていた男を一刀両断に仕留めることに成功した。時行の足はまだ止まらない。背後から襲ってきた男に対しては真下からの攻撃で顎を砕き、砕かれた男の体で死角となった真後ろの槍の男を斬り捨てた。ここまで1分とかかっていなかった。
「忍法、無影殺陣!」
5人の忍びが時行を囲むようにして動き始め、体が徐々に地面に沈んだのである。時行は刀を納めて動きを見守る。他の忍びらも姿を消していた。姿が見えるのは全尭ただ1人だった。鞘を腰から抜いて体の前に縦一文字にして構えた。そして、目を瞑った。忍びたちは殺気を絶やさずに少しずつ動いた。荒らしのような風が吹き荒れる。木々が風に靡かれて左右に揺れる音が聞こえていた。忍びたちの気配が徐々に狭まっていく感じがしたが地面からの気の流れはなかった。そう感じた時行は開眼した。開眼したと同時に上に飛んだ。天上から5つの影が見えた。
「浮旋流抜刀術旋空斬!」
真上にいた忍びの体を真下から斬り裂いた。そして、その体を盾にして一気に4人の体を刃を回転させるかのように貫いた。地面に降り立ったとき5つの死体も落ちてきた。そのときには周りには職種はおろか全尭の姿も消えていたのである。
「逃げられたか…」
時行は己の失策を悔いた。すぐに追跡に入る。
 職種らは三の丸に続く門のところで足止めを食っていた。久木伊予が門を固めていたのだ。
「何故、我らを通さぬ!」
職種が言う。
「御身の軍勢の一部の者が喧嘩を始めてな。こちらに来る勢いを見せたので門を閉じたまで。しばし待たれよ」
「ならば我が行けば済む話しではないか!?」
「殿の御命にござる。しばし待たれよ」
実は職種たちを足止めするために伊予が考えた策であった。そして、職種を狙う1つの矢の存在も忘れていなかった。全尭はこのことにはすでに気づいていたが伊予の軍勢のほうが数が多かった。抵抗すれば全滅を覚悟しなければならなかった。
(もはやこれまでか…)
その覚悟を見せたとき全尭は生き残る道を選んだ。忍びたちに指示すると体を地面に沈めようと試みた。そこに一陣の矢が全尭の首を貫いたのである。
「ぐわっ!、ば、馬鹿な…」
全尭は矢が飛来した時点を睨みつけた。そこには吾六が弓を構えていたのである。わざと殺気を職種に向けることによって全尭の意識に混乱を与えたのだ。そうとも知らない職種は全尭に駆け寄ったところに時行が追いついた。逃げようとしていた忍びたちを襲う。頭を失った忍びはもはや烏合の衆であった。次々に斬り伏せられていった。職種は伊予に応援を求めようとしたが彼らは静観しているだけで動くことはなかった。最後の1人が斬られたときには時行の体は返り血で真っ赤に染まっていたのである。
「山中殿、覚悟めされい。御身が犯した罪は大きい」
時行は凄まじい殺気で職種を睨んだ。静観していた伊予たちも鳥肌が立つ勢いで時行の動きを見守った。
「くっ…」
職種は咄嗟に後ろを振りかえった。頑なに閉ざされた門を…。
「あそこを越えることができれば…」
味方の兵が待機しているのだ。逃げ込めば戦になり両家断絶になろうが職種は生き延びることができる。しかし、その望みも消えようしていた。運命の蝋燭の灯りが消えようと意識が遠のき始めた。職種が気づいたときには大量の血が腹部から流れていて刺されたことに気づかない程、生への執念を燃やしていたため、わずかな隙を突いてお香が自らの手でその腹を貫いたのだった。
「平八郎様の仇ぃぃぃぃぃ――――――!!!」
何の抵抗もすることなく職種は第2撃を受け入れた。何の言葉も語らぬまま、絶望の形相を見せながら絶命したのである。欲望に満たされた男のあっけない最後であった…。
 この後、岡山に集結していた職種の軍勢は主を失ったことを知らぬまま、備中高松に帰還した。これには鳥取藩の当主となった池田輝政の子・利隆の影響があったものと思われたがそれだけで収まらなかったのか藩主花房職房はこの後、備中高松から陣屋を移転してしまったのである。これもまた史実である。だがその裏でこんな事件があったなど誰も知る由がなかった。
「終わりましたね」
田んぼが広がる農家の前でお香が言った。吾六もいた。
「ええ、岡山の一件はようやく終わりました。これからどうなさるおつもりですか?」
「わかりません、ほっとしたら頭の中は真っ白です」
「ははは、それで良いのです。これからは平和の世が続きましょう。戦乱という壮烈な世はどこかに消し忘れられるかのように…」
「そうですねぇ」
西のほうに遠く夕焼けの姿がほんのりと見えた。
「吾六、お前はどうする?」
「さあ」
吾六は笑っていた。主は1人だけしかいないとも思っていた。
 そこへ1人の若者が道の向こうから歩いてきた。まだ元服したばかりのような武士だったが目が鋭かった。殺気には満ちていなかった。
「如何なされました?」
お香の声も時行には聞こえていなかった。ゆっくりと若者に近づく。
「名無篠時行様にござりまするか?」
「如何にも、御身は?」
「村上伝十郎利永と申します。父の命であなたを捜していた者にございます」
「村上…、利勝殿の御子か?」
利勝と時行は御前試合のときに面識があった。
「その通りにございます」
時行は合点した。この者が尾張からの追手だということに…。
「ならば尾張柳生…か…」
利永は頷いた。
「俺を斬るか?」
の言葉に双方が動いた。見えぬ剣捌きが火花を散らす。離れたところにいるお香と吾六は凄まじい殺気を感じ取っていたが動けずにいた。火花はさらに激しくなるが2人ともその場から動かずに戦いを繰り広げていた。しばらくして火花が止んだかと思うと時行が間合いを開いた。そして、胸の前で鞘を縦に刀を横一文字にする十字の形で構えた。利永はまだ極意も知らないのか素質だけで歩いている若者のように思え、抜刀の構えを見せた。
(全力でやらねば殺される!)
時行は覚悟を決めた。一陣の風が2人の間を流れ込む。どこからか飛んできた枯れた葉っぱがちょうど真ん中に来たとき、時行が動いた。動いたというより一瞬だった。見ているものには見えない代物なのだ。突然、時行の体から竜巻のようなものが飛び出して来たのだ。まっすぐ利永に向かっていく。
「浮旋流奥義旋龍斬!」
利永はまだ動いていなかった。時行は勝ったと思った瞬間、驚くべきことが起きた。竜巻が利永の体を透き通してしまったのだ。その直後、背後で気配を感じ横一文字に一閃されたのである。
「村上新陰流奥義残影剣」
「くっ…、あれは…見せかけ………であっ……たか…」
時行はその場にて倒れ、利永はそれをじっと見つめた。抜刀の構えを見せたのは時行に油断させるための利永の策だったのだ。
「我の負けぞ…、我を討て…。討って……手柄とせよ………」
しかし、利永は動かない。動かないどころか刀を鞘に納めたのである。
「なぜ……殺さぬ………」
「私は貴方を討つためにここに来たのではありませぬ。生かすために参ったのでございまする」
「い、生かす……だと………?」
「そうです、父殺しの汚名はすでに晴れております。貴方の父君は何と申されたかは知りませんが最初から貴方は殺される状態にあったのです」
「………」
「御前試合のとき、貴方は賭けの対象にされていました。実力からして相手のほうが上回っていたのでしょう。貴方の父君は相手に多額の金を賭けたのです。我が子が殺されても構わないというように…。しかし、結果は反対になり、一瞬にして家を保つことすらできなるという事態になってしまった。そこに花房家からの依頼が舞い込んできた。貴方を引き渡せという申し出だった。父君は御家存続を条件に貴方の引渡しに応じた…」
「そうか…」
時行はわずかに頷いた。そして、ゆっくりと目を瞑った。そんな事情があったにせよ無かったにせよ、父をこの手で殺したことには変わりはないのだ。その運命からは逃れることができない。それは時行自身が一番よく知っていることだった。
「それに貴方には大事な人がおるのではありませんか?」
「え…」
時行は驚いた。なぜ、自分にそんな人がいるのかと思ったのだ。顔をわずかに横に向けるとお香が涙を流しながら吾六と共にこちらに走って来ていたのだ。
「ああ…」
時行は呟いた。
「過去の運命には逆らえないかもしれませんが貴方を支えてくれる人たちもいることを御忘れなきよう」
そう言い残して利永はゆっくりと来た道をゆっくりと歩いて行ったのである…。
「かたじけない…」
時行は遠のく意識の中でそう声を発していた。お香と吾六が覗き込んでいることも忘れて…。

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