二、仇討ち

 房総地方において名を馳せた盗賊がいる。柏葉の利吉といって数十人の手下を率いて房総一円のみならず武州や水戸にまで足を伸ばす盗賊として知られ、押し入った先の者たちを手にかけ、惨殺する兇賊としても有名だった。各藩では手を焼いていたが連携などはせずに自らで対応しようとしたため、他藩に逃れられればそこで追尾は終了となる。こんな鼬ごっこを終わらせるべく、長誠は仕置改役の人選がするや、すぐに各地に散らばせた。この地にはすでに関八州の息のかかった岡引や密偵がいる。彼らを中心に盗賊の拠点や情報を得ていた。ここに赴任した仕置改役の馬澤伝十郎と白河主膳は共に脇坂家の家臣で主君共々、長誠の臣下となった。馬澤は忠臣と呼べる類の実直な武士で政綱のためなら命を捨てる覚悟であるが長誠ともなればそうでもない。素性ですら主君となるまで知らなかったぐらいである。一方の白河は過去に長誠を知っていた。会話すらしたことがないが剣術の腕に感動していた。白河は元々脇坂家の臣下ではなく、農民出身の浪人であった。最初は剣術には遠い程の田舎剣法であったがたまたま通りかかった男が些細なことで喧嘩をした二人の武士を簡単に倒す様子を目のあたりにした。村には小さな川が流れているが意外と深く、橋がないと渡れるものではなかった。その橋の上で武士が刀を抜いて対峙したものだから農民にとってはたまったものではなかった。睨み合いを続ける二人がいる限り、他の者は怖くて渡れない。白河もその一人であった。剣術をかじっただけの白河にとって刀から放たれる輝きは恐怖でしかなかった。そこに…、
「戯けが!」
一瞬にして二人の間に入ると刀を持つ手を両手で掴み、一気に後ろへ押し倒した。尻餅をついた二人は顔を真っ赤にして怒り出す。
「貴様!、邪魔をしおって!」
「武士たる者、このような場で刀を抜くとは恥を知れ!」
編み笠を被った男が言う。
「何を!?」
一人が起き上がって斬りかかるがすっとかわされて後ろから尻を蹴られて川に落ちる。
「く、くそ!」
もう一人はさっさと逃げていく。川に落ちた武士は哀れな姿になって農民に引き上げられた。喝采を浴びた編み笠の男は何事もなかったかのように去っていく。白河はこの男しかいないと決め付け、弟子入りを志願した。しかし、
「小僧、命を捨てる覚悟はあるか?」
「あります!」
真剣だった。弟子入りがかなうならどんなことでもすると決めていた。
「ほう、あるか」
「はい!」
「それなら…」
男は山に向けて指を差す。
「あの山の麓にお堂があるのは知っているな?」
「たしか、不動明王が祭られている…」
その横に滝があり、修験者が修行をすることでも知られていた。
「そこにある滝に飛び込め」
「え?、滝に?」
「そうだ、命をかける覚悟があるのだろう?」
「そ、それはありますが…」
「だったらやってみろ」
「わ、わかりました!」
と返事をして、いざ不動堂から見下ろす滝を見つめて足がすくむ。弟子入りはしたいがまだ死にたくはないと内心で思っていた。そして、足が砕けて座り込んだ。
「ははは、やはり無理であったか」
いつの間にか男は白河の傍らにいた。
「それが人間の本能ってやつだ。剣術を目指したいのであればまともな流派を選べ。今なら小野派一刀流か直心影流の二派がこの世に通じている」
「で、では貴方の流派はどちらですか?」
「どちらでもない。幾天神段流という戦国より続く流派だ。縁があったらまた会おう」
そう言って男は去っていた。白河は数年後、江戸に出て小野派一刀流の門を叩き、目録まで得た。その際、師匠より幾天神段流について聞かされた時だった。
「あの流派は鬼でなくては会得することはかなわぬ。鬼の剣に情はなく、死と隣り合わせだと伝えられている」
そう言った。滝から飛び込めなどと言われたことを思い出した白河は師匠の言葉に頷いた。その後、同じ一刀流で免許皆伝を許された馬澤に推挙されて脇坂家へ仕官したのだ。

 総州大多喜。今の千葉県中部を支配した藩で藩主は松平備中守正升である。大河内松平一族からは松平伊豆守や後に老中となる松平信明などがいる。父の隠居で後を継いだ正升は大坂加番を勤めたこともあった。大坂加番を勤めた翌年、江戸を経由して大多喜に戻ってきた正升は城下の様子に驚かされた。活気がまったくないのである。留守を守っていた家老に事情を聞くと神出鬼没の盗賊が現れていくつかの商屋が襲われて住民が皆殺しにあったという。正升は藩主の威信にかけて取締りを行うが尻尾すら窺い知ることができずに一年が過ぎた。そんな折にまたしても盗賊が商屋を襲うという事件が起きた。襲われたのは上州屋という呉服問屋である。大多喜のみならず江戸表にまで商売を行う手腕は藩内随一であったが盗賊の押し込みにより、全員が皆殺しにされ、金蔵にあった五千両という大金は全て奪われていた。
「くそっ!」
城下町奉行を務める川島正邦は持っていた木鞭を真ん中から折り曲げ、バキっという音と共に地面に叩きつけた。
「手掛かりを探せ!」
毎回何も残さない盗賊のため、手掛かりなど皆無だった。
 家臣の不始末は藩主の責任だがいつまで経っても捕縛できない藩士に苛立った正升は藩の面目を保つため、江戸表に早馬を走らせた。行き先は松平長誠の屋敷である。
「正升がわしを頼ってきたか」
使者を前にして言う。長誠と正升は旧知の間柄であった。
「よかろう。すぐに手の者を送ろう」
「いや、その必要はなしとの事です」
「必要なしとな?」
おかしなことを言う。
「捕縛には大多喜の藩士をお使いください。おいでになるのは長誠公の智慧のみです」
そう断言した。
「つまり、捕縛は大多喜藩が行うがそこまでの組み立ては我にしろと?」
「御意」
勝手な話である。所詮はお客様扱いだということか。
「わかった。先に戻って現在の状況を把握できる者を揃えておくよう正升殿に伝えてくれ」
「承知いたしました」
使者はそう言ってその場を辞した。長誠は傍らに控えていた大熊与兵衛に言う。
「与兵衛、皆を呼んでくれ」
「はっ」
与兵衛が下がってしばらくすると家臣たちが集まってくる。
「皆、集まったか」
「御意に」
長誠を起点に右回りに守役の大熊与兵衛、江戸家老の綾部玄部、仕置改役馬澤伝十郎、白河主膳、十河忠三郎、大島甚八などが集まる。
「先程、大多喜藩より早馬が参った。正体不明の盗賊が城下を荒らしているそうだ。藩主松平備中守は我らに助言だけを求めてきたがそれだけでは虫が良すぎるというもの。密かに我らも動こうと思う。馬澤、白河」
「はっ」
「お主らは脇坂家より移ってから日も浅いがよろしく頼む。先に大多喜藩内に入り、前任より仕えている密偵たちと合流しろ」
「承知致しました」
二人が下がる。続いて十河に話しかける。十河は讃岐の十河家の末裔らしいが定かではない。父の代から綾部家に仕えている男だ。主君綾部玄部より砲術の指南も受けている。
「十河、お主は玉縄に赴け」
「玉縄に?」
玉縄は相州にある藩だ。
「そこに行灯の吾平という爺さんがいる。かつては盗賊をしていた男だが連れてきてくれ」
「大多喜にですか?」
「そうだ」
「承知致しました」
十河が下がる。
「さて、義父上」
「うむ」
「関八州が動いたとなれば上様にもご報告申し上げねばならぬ」
「松平備中守は黙っておらぬのでは?」
「黙らすのさ。そのための報告だ」
「承知した」
「さてと行くとするか」
長誠は大多喜へ向かう決意を固めた。

 翌朝、長誠は単身、大多喜へ入った。昼過ぎに到着した長誠は城へは向かわずに先発していた馬澤らと合流するべく上総屋という蝋燭問屋に向かった。青い暖簾を潜ると棚には多くの長短の蝋燭が置かれていた。
「御免」
「いらっしゃ………あ!、こ、これは!?」
長誠の顔を見た上総屋文佐衛門は驚きの顔をした。
「久しぶりだな、文吉」
文吉は武州を中心に荒らしまわった河越の藤十郎の配下で大館藩内にあった呉服問屋に押し入った際に捕らえられた際に呉服問屋に対する危険知識の無さを露見させた。盗賊には類稀な才に気に入った長誠は密偵として起用し、大多喜を拠点に房総一円の情報を収集する。
「嫌だなぁ、それは言いっこなしですよ。ご無沙汰しております」
「景気のほうはどうだ?」
「まあまあってところでしょうか」
「そうか、それは良かった。お前は盗賊よりこっちのほうがお似合いだな」
「昔は私も色々やりましたからねぇ」
「ははは、それが改心して商人だからな。で、情報は入っているか?」
「ええ、ま、どうぞ」
中に通される。廊下をまっすぐ歩いていく。
「盗賊は柏葉の利吉でしょう」
「柏葉の利吉と申せば房総一帯を荒しまわる盗賊ではないか」
「はい、利吉の拠点は多数ありますがここ大多喜が最も有力です」
「なるほど…。盗人宿はわかるか?」
「調べてみましょう」
「うむ、頼むぞ。二人は来てるか?」
「ええ、二階にいますよ」
「そうか、後で吾平も来る」
「おお、吾平もですか。久しぶりに一杯やれそうです」
文吉と吾平は同じ河越の藤十郎の元で盗賊をしていた仲だ。歳は吾平のほうが上だが経験は文吉のほうが上だった。
「左様か」
長誠が二階へ上がろうとすると文吉が止める。
「長誠様」
「どうした?」
「ちょっとお耳を」
「うん?」
長誠が耳を傾けると文吉が小声で言う。
「河越の藤十郎もこの大多喜に入っているようです」
「何?、河越の藤十郎が?」
「はい」
大館での捕り物の際、河越の藤十郎は囲みを突破して単身逃走した。奉行所も追っ手を差し向けたが次々と惨殺されている。素性は元武士で剣の腕も免許皆伝だという。
「そうか、奴もここにいるのか」
「ええ」
「奴との繋がりはあるのか?」
「まだ何とも」
「探ってみてくれ」
「承知しました」
文吉と別れると二階に上がる。上がって奥の部屋の障子を開く。
「これは殿」
馬澤が一礼すると白河もこれに倣う。他にも岡引が数人いた。前任よりこの地を任されている者たちだ。彼らを前にして座る。
「柏葉の利吉に動きはあったか?」
「今のところは何とも」
「盗人宿は?」
「探っているところです」
「よし、今回は大多喜藩の協力は得られぬ。少数精鋭でいく、よいな」
「ははっ」
そこに文吉がやって来る。
「長誠様」
「どうした?」
「河越の藤十郎の居場所がわかりました」
「ほう、早いな」
「藤十郎がこの大多喜に入ったと知らせを受けてより探索をしておりました」
「昔の主に会うためか?」
長誠の指摘に文吉が慌てる。
「め、め、滅相もございませぬ!」
「ははは、冗談だ。気にするな。お前が私の密偵になったと知ればその場で斬り捨てるだろうからな。で、どこにいる?」
「は、はい。桑屋という女郎屋に…」
「一人か?」
「はい、奴にはお咲という女がいまして。その女が桑屋にいるのです」
「ほう、さすがに詳しいな。しかし、わからぬことがある」
「何でしょうか?」
「お咲は何故桑屋に?」
「あの者は武家の娘で親が借金を作って売られたのを藤十郎が見定めて身請けしようとしていると聞いたことがあります」
「ふむ…」
それだけの理由で藤十郎がここに来たとも思えない。それにお咲が何故、大多喜にいるのかも…。長誠は思案した。
「長澤、桑屋を見張れ。藤十郎の動きを知りたい」
「柏葉の利吉と繋がりはあるでしょうか?」
「わからぬ。あれば一網打尽にしたい」
「承知致しました」
馬澤が出て行く。
「白河、援軍が来るまで江戸との繋ぎを頼む」
「はっ、殿は?」
「これより城に赴く」
「わかりました」
「文吉、お前は柏葉の利吉の動きを頼む」
「承知しました」
そう指示をすると上総屋を出て一路大多喜城へと向かった。

 桑屋。藤十郎はお咲と会っていた。
「お久しぶりですね」
「達者だったか?」
「ええ、貴方様は?」
「俺か、俺は…追われる身だからな」
「追われる身…」
「ああ…」
藤十郎は煙管に火をつける。紫煙が漂い、匂いが部屋に広がる。
「堕ちたものですね」
「お互いにな」
「ええ…」
お咲は昔の自分を思い起こしていたのか急に黙ってしまった。
「お咲、次に会うときは俺はこの世にいないだろう」
そう言うと藤十郎も黙ってしまった…。

 大多喜城。長誠は藩主松平正升に会うべく本丸御殿に入った。十畳以上もある大広間は中庭部分の障子を全て開け放って光を取り入れていた。
「久しいな」
家臣を連れずに正升が入ってきた。名君と名高い。
「誠に」
長誠も応じる。
「此度は礼を言う」
「何の」
「で、早速だがお主の考えを聞きたい」
「では…」
長誠はあらかじめ考えておいた考えを披露した。筋は通っているだけ誰が聞いても納得が行くが河越の藤十郎の事は伏せておいた。
「ふむ、ではそこに潜ませれば一網打尽にできると申すのだな」
「ええ」
「相解った。遠路はるばる御苦労であったな」
「いや、備中殿の心労を考えればお安いことです」
そう言うと長誠はその場を辞した。

 夜半、城下町は暗闇に包み込まれ、ひっそりとしている。人気はなく、妖がいれば喜んでここに現れるだろう。上総屋もまた灯を落として手代たちはすでに眠りについている。ただ、2人を除いて…。
「どうであった?」
「間違いないようです」
「そうか、さすが昼行灯だな」
長誠は夕方到着した行灯の吾平と話をしている。
「一網打尽にできそうですか?」
「手下どもは大多喜藩にくれてやるつもりだ」
「なるほど」
「こちらが手を出すのは柏葉の利吉と河越の藤十郎のみ」
「さすがですね」
吾平は白くなった髪を掻いた。かつて河越の藤十郎の右腕と呼ばれ、後継者とも目されていたが武州大館藩の城下町で盗み働きをした際に長誠に捕らえられて文吉と共に密偵となり、相模に移住して盗賊の動きを見張っていた。そこに長誠から呼び出しを受けたのだ。
「一両日中には動くぞ」
「承知致しました」
吾平は頭を下げた。
 翌日、長誠らは大多喜より辞した。大多喜藩に警戒させないがための離脱である。城下から街道に出た後、北側の山道に沿って城下町へと入る。そして、白河に命じて確保させておいた家屋に入る。
「いるか?」
障子をわずかに開いて道を挟んである家屋を見つめる。店の類ではなく、住居を主にしている家屋のようだ。馬澤が覗いていると二人の姿を捉えた。丁度、入口の扉が開いたのだ。
「いました!」
「他には?」
「見えないようです」
「よし、行け!」
長誠の号令と共に馬澤、白河の両名と吾平と共に来た十河が飛び出す。
「河越の藤十郎並びに柏葉の利吉、神妙に致せ!」
長澤と白河が河越の藤十郎に、十河が柏葉の利吉に向かう。突然の捕り物に二人は驚き、抜刀しながら向き直る。元々刀に慣れていた両名だけあって良い構えをしている。
「お、お前は!?」
長誠を見た二人は言葉を詰まらせる。
「久しいな、両名。縛についてもらうぞ」
「ば、馬鹿な!。何故、ここにいる?」
「そういうと思ったぞ。河越の藤十郎…」
藤十郎に対して向き直る。
「いや、元河越藩剣術指南役、寺倉藤十郎」
本名を言われて藤十郎から殺気が飛んだ。構えが八艘構えに変わる。
「藩主の面前での御前試合に敗れた腹いせに相手を斬り捨てた罪は大きい。そればかりか、盗賊に身を落として商屋を襲うなど言語道断である!。お前には武士らしくなどの言葉はいらぬ。磔台に送ってやるわ!」
「ぬかせ!」
藤十郎が動いた。わざと馬澤と白河の刀を弾いて道を作る。その道の先には長誠がいた。
「死ねぇ!」
右袈裟から振り下ろすが咄嗟に体を横にして交わされたと同時に「うっ!」という声と共に崩れ落ちた。長誠はほとんど動いていない。刀も右手を鍔にかけたままで抜刀していなかった。ただ、刀の柄頭を藤十郎の鳩尾に入れただけだが咄嗟にできるかと言われれば不可能に近いだろう。
「驚いたか」
自分より強い藤十郎がやられて利吉が唖然としていたが長誠の言葉で我に返る。すでに長澤、白河、十河に囲まれて成す術もなく捕らえられた。
「我が流派、もっと知っておくべきだったな」
長誠の流派は幾天神段流である。一子相伝ながら戦国時代より続く古流でもある。鳩尾に撃った一撃もれっきとした技で「点撃」と呼ばれる急所を突く不抜剣であった。
「ぐぅ…」
意識を取り戻した藤十郎は観念したかのように項垂れた。

 一方、大多喜藩の捕り手たちは盗賊の盗人宿を突き止めて急襲し、全員を捕らえた。しかし、首謀者は捕らえることなく肩透かしを食らった。後に事情を知った松平正升は長誠に抗議したが逆に知名度を上げたい一心で行った思惑が公儀に知られることとなり、窮地に陥った。これは事前に綾部玄部を通じて幕閣に知らせていた長誠の巧妙と言えよう。
「意に反することをすれば協力は仰げなくなりますまいか?」
守役で藩家老の大熊与兵衛が言う。
「いや、そうはなるまい。そのようなことをすれば逆に窮地に陥るのは正升であろう」
この後、正升は抗議を取り下げて長誠に謝罪している。本人が出張ったというよりも書面で謝っただけの簡素なものだった。それ以上の行為は自身のプライドが許さないのだろう。何よりも幕府と揉め事を作っては藩に関わると判断したのだろうか。長誠が公儀から云々言われることはなかった。

 数日後、河越の藤十郎と柏葉の利吉は江戸府中において市中引き回しの上、打ち首獄門となった。元武士の二人にとっては厳しい処分でもあった。そして、何よりも功があったのは桑屋に女中として身売りした藤十郎の妻のお咲であった。桑屋を見張っていた長澤の姿を見つけて藤十郎が桑屋を出たのを確認した後、藤十郎の盗人宿を密告したのだ。これにより、長誠の素早い行動が今回の貢献に繋がったのだ。
「何故、密告を?」
「恨み故」
「恨み?」
「はい、私の父は河越藩士寺倉正兵衛門と申し、藤十郎は婿養子として我が家に迎えられました。父は家が安泰になったと喜んでいましたが藤十郎は違う目的で父に近づきました」
「それは?」
「自分の剣術を藩主に売ることでございました。そのためにはまず藩士となり、続いて自分の腕を上役に認めさせることで指南役森岡元頼様との御前試合までこぎつけました。元頼様に勝てれば次期指南役というお墨付きまで頂いて…」
「しかし、敗れた」
「はい、敗れたことに納得することもなく、ましてや、次期指南役など夢のまた夢の話。地道に行くことが大切と父は藤十郎を諭しましたがまったく聞き入れずに元頼様を闇討ちしたのでございます。事が露見した時には藤十郎は出奔し、我が寺倉家を断絶となりました。その後、父は失意のうちに病死し、残った私は借金で桑屋へと…」
「そうか、そういうことであったか。だが、その話にはもう一つ理由があろう」
「………」
突然の指摘にお咲は黙った。
「森岡元頼とお前は他人の関係ではあるまい」
「…はい…」
「相思相愛であったか」
お咲は父と森岡元頼の仇を討ったに等しい。
「これで気分が晴れたか?」
「…いいえ…」
先程までの元気はどこにもない。仇は討っても自分には何も残らないからだ。
「お咲、我が藩に仕えてみる気はないか?」
「え?」
「お前は元々武家の娘、私の妻はお前とそんなに歳も変わるまい。どうであろうか?」
「し、しかし…」
躊躇するお咲に長誠は後ろに控えていたお盛に声をかける。
「異存はないか?」
「ええ、特にございませぬ」
機嫌が悪い。
「何だ?」
「私にお目付けを付けようとなさっていませんか?」
「気のせいだろう」
「では、そういうことにしておきます」
「何か嫌な言い草だな」
「そうですか」
お盛はつんとした表情を変えずに下がって行った。
「やれやれ…」
お咲が微笑していた。
「ん?」
「妬いているのでございますよ」
「妬く?、あいつが?」
「女性というものはそういうものでございます」
「左様か」
長誠は苦笑する。
「男勝りなところがなければもっと華が出ると思いますのに…」
お咲は付け加えた。その瞬間、バンッと開いてお盛が出てくる。
「私に華なんて必要ありません!。お咲、そこまで言うのでしたら私に華を持たせてごらんなさい!」
言われたお咲もむっとした表情でやんわりと言い返す。
「よろしいでしょう。奥方様に華を持たせましょう」
この一言でお咲は松平家へ奉公することになった。

 女と女の戦いが始まるかと思えばそうではなかった。内心、躊躇していたお咲に対してお盛は決断するよう促したのだ。
「素直じゃないな」
「あれぐらいで丁度良いのです」
「そのようなものか?」
「ええ、私は優柔不断が一番嫌いなのです」
「不精者は?」
「それも嫌いです!」
お盛は木刀を持って立っていた。結局は稽古が好きな女でもあった。
「やれやれ」
呆れつつも長誠もこれに応じていた…。

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