第二章 氷雪荘

二、平穏

 左側をずっと歩いていくと階段側から順番に厨房、食堂、娯楽室、オーナーの部屋、オーナーの息子・健治の部屋、物置となっている。厨房は食堂からしか入れないようだ。護は食堂を覗いてみた。4人座れるテーブルが4つほど置かれ、ソファの前にも長いテーブルが置かれていた。けれども、まだ誰もいないようだった。オーナーはまだフロントの奥で仕事をしているらしい。その時、後ろから、
「ちょっとあなた、夕食の時間はまだですよ」
後ろを振り向くと大島咲子が怒鳴りつけてきた。仕事に厳しいというより誰かを怒鳴りつけないと気が済まないのか、それとも、ただ単にこんな口調なのかは知らないけれども、目の前にいる咲子は睨み付けるような目で護を見ていた。咲子は少し茶色かかっている背中まである髪にパーマをかけている。やせほそった顔に銀縁めがねをかけ、目は鋭く見える。背は高くて、細身である。赤いヒールをはいていた。
「ああ、すみません。ちょっとどんなところか覗いてみたかったもので…」
「あなたはここに来たことがないのですか?」
「ええ、はじめてです」
「そう、だったらあの事件は知らないのね」
今までの語気が少し和らいだ気がした。
「あの事件?」
問い返そうと思ったらすでに階段のほうへ歩いて行っていた。
「なんだろう?。あの事件って…」
ちょっと気になったがとりあえず娯楽室のほうへ行った。娯楽室には卓球台が置かれていた。娯楽室の奥が露天風呂である。誰かが入っているようだ。更衣室は男女に分けられていたが露天風呂の脇にあるため、あそこまで行かなくてはならない。
「あそこまで行くのか…。寒そうだなぁ…」
護は寒いのが苦手なのである。
「寒いのは苦手ですか?」
後ろから声が聞こえた。護は後ろから話しかけられることが多い。背後から襲われてもおそらく対処できないかもしれない。男が立っていた。
「ええ。特に雪は苦手ですね」
「まあ、それも慣れですよ。ああ、申し遅れました。私は小山通といいます」
「俺は比良護です」
小山は護と体型が同じで黒縁のめがねをしていた。けっこう度数があるようだ。ワイシャツにジーパンを履いていた。
「私の知り合いにも比良っていうひとはいますよ。元上司ですけどね。音楽の好きな方ですよ」
「へええ、そうなんですかぁ…」
「ちょうど去年、定年退職をされたんですけどもね。私と同じ名前なのでよく覚えているんです」
去年?、まさか…。
「あの…。そのひとは比良通とおっしゃるんですか?」
「ええ、そうです」
「その人なら知っていますよ」
「えっ?、知っているんですか?」
「ええ。叔父さんです」
護の家系は名前を一文字にすることが多いのである。なぜかは知らない。
「ほおほお、比良さんは元気にしておられますか?」
「落ち着いているのが嫌らしくって今は近所の子供に柔道を教えておられますよ」
「あはははは…。あのひとはいつもそんなところがある」
「ということは警察の方なんですね」
「ええ、そうは言っても総務課ですから、ほとんど事務処理担当です」
警察事務の仕事を主としているらしい。
「おや?、誰かが出てきたようですね」
更衣室のほうで誰かが動いている姿が見えた。まだ幼さが残る顔立ちをしている。けれども背は180はあるんじゃないだろうか。浴衣を着ていた。雪が降りしきる中は走ってこちらに戻ってきた。
「いやぁ、すごい雪ですよ」
「外は寒いですか?。裕哉君」
「ええ、でも温泉のほうはけっこういけますよ」
「熊でも出てこないかい?」
「あはははは、熊よりもたぬきの姿がちらほら見えましたよ」
小山とこの裕哉という少年は顔見知りらしい。
「あっ、どうも。僕、前田裕哉といいます」
「ああ、比良さん紹介しますよ。この少年は旅行大好き少年の前田裕哉君。まだ高校生なんですよ。裕哉君、こちら比良護さん」
「よろしくお願いします」
元気がいい。子供は元気がいいのが一番いい。
「さてと、まだ夕食まで時間があるようだから、部屋でゆっくりしていますよ」
「じゃあ、僕も一度部屋に戻ります」
2人は部屋に戻るらしい。
「ああ、比良さん。せっかくここに来られたのだから部屋のバスよりも露天に入ったほうがいいですよ。混浴だしね」
笑いながら行ってしまった。
「混浴なのか…」
呟きながら護もすることがなかったので部屋に戻ることにした。部屋に戻りながら、咲子が言った「あの事件」というのが頭にひっかかっていた。しかも、小山と裕哉は顔見知りらしい。こうなると護以外のツアー客はみんな知り合いかもしれない。そうなると、このツアーは意図的に組まれたものだということになるが…。
「そんなはずはないか…。だったら、この俺がここにいることはないのだから」
護は余計な詮索はやめて部屋で一息落ち着くことにしたのである…。


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