鈴木屋敷(藤白鈴木家屋敷跡)
(探索日 24/11/16)

☆ 解 説 ☆

鈴木姓の元祖とされる藤白鈴木家の屋敷跡で、
平安末期、熊野参詣が盛んになり、熊野の鈴木家がこの地に移住して
熊野三山への案内役や熊野信仰の普及に務めたと言われる
一族からは鈴木三郎重家や亀井六郎重清が出ており、
源義経の家来として衣川館で討ち死したと伝わる
また、二人が幼少の頃に牛若丸(後の義経)が熊野往還には必ずこの屋敷に滞在したとも伝えられている



入り口に案内板がある




遠景

左が書院跡、右は主屋跡とされる


 

中央に義経弓掛松がある






書院跡にある白塀は崩れ落ちた状態になっている




書院跡

管理は藤白神社が行っているが、
囲いがされており、内部は立入禁止になっている




表札に鈴木邸の字がかろうじて読める




屋根は崩れ落ちてシートとロープで保護されている






壁はトタンですが、『紀伊国名所図会』に描かれた往来の姿と
今後の整備計画が記されている




正面ですが、傾いている建物を木材で支えている




主屋跡

こちらは書院跡に比べて原形を保っている




曲水泉(庭園跡)

平安時代の頃、曲がりくねった水路に沿って並べた庭石に人々が腰をかけ、
上流から流された杯が自分のところに来るまでに詩歌を作り、
杯を取り上げて酒を飲み、次へ流す遊びに使われた庭です
ここの造園は室町時代ではないかと考えられます
書院跡の裏側にあります












鯉が優雅に泳いでいました

平安時代から続く由緒正しい屋敷跡だと思いますが、

保存状態が悪く、朽ちるのに任せているのではないかとも思えてきます

今後の整備計画次第で復元される可能性もあるので

それに期待したいと思います


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