惣光寺
(探索日 25/5/2)

☆ 解 説 ☆

真言宗の寺院、山号は音浦山
西国和歌山三十三箇所第十六番札所

814年(弘仁5年)、弘法大師空海が
かつて音浦(花山付近)と呼ばれた地に自ら彫った毘沙門天像を本尊として創建した

1573年頃に起きた雑賀衆と宮衆との争いで諸堂が焼失
次いで、1585年(天正13年)の羽柴秀吉による太田城水攻めにより
本尊を除く全ての仏像や古文書を流出してしまった

江戸時代に入ると紀州徳川家の庇護を受け、
1756年(宝暦6年)に紀州藩主徳川宗直の命を受けた
海善院(西国和歌山三十三箇所第二十八番札所)20世天瑞上人が
現在の地に再興し、中興の祖と伝えられている。

JR紀勢線(西側)と和歌山電鐵貴志川線(北側)に挟まれた場所にあります



道路(竜神街道)の面したところに石碑が固めて置かれています




山門は無く、境内に入ると本堂が真正面に見えます


 

本堂左側に毘沙門天像(比較的新しい仏像です)




本堂右側に金毘羅大権現と刻まれた灯籠がある




本堂に隣接する庫裡(1995年(平成7年)完成)




庫裡の向かいに地蔵堂が建てられています

地蔵菩薩像は四国八十八箇所第十九番札所立江寺から勧請されたという




地蔵堂の隣に水子地蔵が安置されてある

狭い立地ですが、約1200年間空海の教えを受け継いでおり、

竜神街道は和歌山城の東にあり、藩主も通る道であったそうです


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