蓮乗寺
(撮影日 23/5/2)

☆ 解説 ☆

浄土真宗本願寺派の別院とされ、
雑賀孫市の菩提寺と伝わる
しかし、雑賀孫市は総称で、
孫市を名乗ったのは
多数存在(重意、重兼、重朝、重秀等)する

この地を治めていたのは平井孫市であり、
平井孫市は名を重次といい、
雑賀衆頭領鈴木佐大夫重意の三子とされる
重次は蓮乗寺の東にあった平井城(現存せず)を居館とし、
織田信長の紀州攻めの際に落城している
1585年(天正13年)の太田城落城後に石田三成に仕え、
伏見城攻めで城主鳥居元忠を討ち取ったとされる
後に水戸徳川家に仕えたという
(城籍亭の石浩さんの情報)

蓮乗寺は政所の坪と呼ばれる場所にあったとされるが、
現在の場所に移築されたという






蓮乗寺は平井の東側の細い路地の中にあり、
車は入ることは不可能である
別の場所に停めて寺に行くのが望ましい

境内の墓地に孫市の墓があると伝わり、
和歌山市の案内板もあるという


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