平井城
(探索中)

☆ 解 説 ☆

別名 平井屋敷、鈴木屋敷

雑賀衆を率いた鈴木孫市の居城が
政所の坪と呼ばれる場所にあったとされる
蓮乗寺の西約100メートル付近にあったそうで、
平成に入る頃まで石垣が残っていたらしいが、
現在は切り崩されて遺構はなし

平井にある蓮乗寺は鈴木家の菩提として、
寺院内に平井孫市重次(重朝の子、水戸藩士)の墓がある
しかし、孫市を名乗った人物は多くおり、
墓が重次の墓であるかどうかはっきりとした特定はされていない

その蓮乗寺も当初は政所の坪にあったとされ、
後に現在の場所に移転したという





政所の坪

現在は住宅地と農耕地になっている
遠くに見えるのは和歌山市街地






平井平

平井城の北側にある台地
現在は平井中央公園になっている






沙也可生誕の地及び平井城跡碑

地元の保存会が平成24年10月に碑を公園内に建立した

沙也可(1571〜1642)

出身については諸説あり、
雑賀孫市の子の孫四郎とされるが定かではない

加藤清正に仕えて有力な家臣の一人であったが、
朝鮮の役にも参戦したが大義なしとして降伏
金忠善という名を朝鮮王から賜って
現在の大邱近郊の友鹿を領して住んだという
後に女真族との戦いで戦功を得て正二品まで昇進したと伝わる




平井平から政所池を望む






打手川

政所の坪の西側にある川で、
織田信長の紀州攻めで中野城を落とした軍勢が
平井城攻めの際、この川を挟んで雑賀衆の鉄砲隊と激しい攻防を繰り広げたという




平井平にある平井峠への案内板

日没のため、次はここへ向かいたいと思います

しかし・・・

沙也可にしろ・・・平井城にしろ・・・

あの碑を建立するのは時期尚早ではないかと思うが・・・

もっと確かな確証を得てから建立するべきでは?

まぁ・・・後の祭りかもしれんが・・・ねぇ・・・( ̄▽ ̄;)


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