参章 二虎競食

 ある日の夜、住宅街に屋台のラーメン屋が店を出していた。評判は皆無で売上げは地に落ちているにも関わらず、連日店を開いている。神野は家に帰る前にここに立ち寄る。晩飯替わりに立ち寄るのだ。長いすに腰を落とすとラーメンを注文する。亭主は手慣れた手つきで準備を始めた。亭主といっても年輩ではなく、神野と同年代のように思えた。
「へいっ!、おまちぃ!」
威勢の良い掛け声でラーメンが置かれる。醤油ラーメンだ。箸入れから割り箸を取り出すと真ん中から割る。そして、食す。どこにでも見られる食べ方だ。ただし、こだわりがあって先に麺から食べる。そして、汁を飲むのだ。
「あんた、猫舌かい?」
亭主が言う。
「ああ、よくわかるね」
「麺から食べているからな」
「ふうん…」
神野は気にする様子なく、ラーメンを食べ続ける。そこに遠くのほうから話し声が聞こえてきた。こちらからは街灯もなく、真っ暗で何も見えない。しばらくすると声は大きくなり、10人近い若者が歩いてきた。普段着ならまだしも特攻服を着ている。どこかの暴走族に属しているようだ。1人が屋台に近づく。
「おう、誰に断ってここで商売してるんだよ」
威勢のいい声で言うが亭主は怯んでいない。
「断る必要があるのか?」
明らかに挑発している。
「当たり前だろ、ここは『BlackNight』の縄張りだぜ。わびを入れるのが筋だろうが」
「お前らこそ筋の通らない話しをするな。今、客がいるんだ。帰ってくれ」
「ああん?、お前なめてんのか!?」
「ったく…」
亭主は持っていたおたまで若者の頭をカツンと殴った。
「うるせぇって言ってんだろうが!、商売の邪魔だ!」
「んだとぉ…」
若者が殴りかかろうとしたところで神野が止める。
「やめておけ、この人とやりあったらお前ら全滅するぞ」
「何だと!?、てめえも殺されたいか!」
「ほう、俺にも喧嘩売るのか?」
「ふざけるな!」
と言いながら殴りかかってくる若者の拳を受けとめて逆に半開きの口に目掛けて一撃与える。血飛沫を飛ばしながら、若者が地面に叩きつけられる。
「ぐはっ!」
「すまんな、客にこんな真似させちまって」
「いや、いいんだ。どちらにしろ、このまま終わるとは思ってないから」
亭主と神野は屋台を離れて若者たちのところに行く。
「てめえ…」
頭と思える金髪の若者が2人を睨む。
「お前が頭か?」
「ああ、BlackNightの依田だ。タダで済むと思ってるのか!?」
「ああ、思ってるさ」
月の光が亭主を照らした。眉から目を通って頬まで伸びる古傷がよく見えた。その顔を見た依田が急に青くなる。
「あ、あ、あんたは………!」
突然の豹変に若者たちは呆然とする。
「し、知らなかったんだ。あんたがやっていたなんて…」
「だったら、とっとと帰んな」
「お、おい、引き揚げるぞ!」
いきなりの撤退宣言に依田の部下から声があがる。
「依田さん、一体どうしちまったんですか?」
「こ、この人はなぁ…、弧武羅っていう族を率いていた甲田さんだ」
「甲田っていやぁ…」
若者が思い出そうとする。神野も甲田のことはよく知っていた。丁度、DRAGON KINGが結成された頃、街は幾つかの族が割拠している状態だったが、その中でも弧武羅は武闘派として知られ、どことも組むことはなく、一匹狼として名を馳せ、その中でも頭の甲田和浩はタイマンでは負け知らずと言われ、潰した族は幾つもあった。しかし、そんな弧武羅も甲田の引退後、敵対していた族に吸収されてしまったという。若者たちは甲田に絡んだことを後悔して早々に退散した。
「悪かったな」
「いや、構わないさ。あんたが有名だったとしても俺にとっちゃ関係ないことだ」
「ま、確かにな。あんたも相当腕は立つほうと見たが?」
「ん?、気にしないでくれ。もう引退して何年も経つ」
「そうか…、せっかく来てくれたんだ。うちで一杯やらないか?」
「いいのか?」
「ああ、唯一の常連だしな。これぐらいのサービスはしないと親父に何言われるかわからないしな」
「親父さんは何をやってるんだ?」
「大工さ、頑固一徹という奴だな」
「大変だな、あんたも」
「ま、もう慣れたがな。そういや、名前聞いてなかったな」
「神野だ、神野雅儀」
「神野…」
甲田は思い当たるのか急に静かになった。
「やっぱり、思い当たるか?」
「…当たり前だ、あんたのほうが有名だからな。この街を統一して近隣の街まで飲み込んだ龍王だ」
「昔の話さ、過去のことを引きずり出しても誰も知らないしな」
「はっはっは、確かにな。だが、俺はあんたに礼を言わなきゃならない」
「ん?」
「俺が引退した後、弧武羅を潰そうと思えばできたのにあんたはやらなかった」
「やっていれば俺とあんたでタイマンをしているだろうよ」
「ああ、だが、それは実現しなかった。やはり、あんたの機転の良さが物を言ったんだよ。そのおかげか、弧武羅もこの街で生き生きと走っている姿を何度か見たことがある」
「弧武羅か…、あの事件が無ければ今も残っていたかもしれないな」
「ああ…、あの事件か…。俺がラーメン修業のために街を出た翌日だったな」
「そうなのか?」
「ああ、後で聞かされたときは唖然としたよ」
事件とはDRAGON KINGが街の大半を抑えていた頃、唯一、敵対していた過激な族として知られた『Red Kill』が神野たちがたまり場にしていた喫茶店が急襲されたのだ。すぐに報復が開始されたが相手も集まってくる族を分断させる作戦で神野たち幹部たちを孤立させたのだ。開発地区に追い込まれた神野たちにRed Killの主力が集結した。援軍は期待できなさそうな状態なため、神野は幹部たちと共に最後の抵抗を見せる。さすがに幹部と言われているだけあって多勢であっても引けを取らない。全員が返り血を浴びて疲労困憊の状態に陥った時、ようやく味方が駆け付けた。それが弧武羅だった。弧武羅の名は敵にも知られている。特に甲田の後を受け継いだ草野の武勇が有名で神野も一目置いていた。その草野がRed Killの広川とタイマンしたのだ。広川は頭のキレが良く、知能派として知られていた。タイマンなんてものをすれば圧倒いう間にやられるのは目に見えている。そこで罠に嵌めて数十人で私刑にしてしまった。怒り狂った弧武羅の面々は広川に襲いかかるがほぼ全員が罠に嵌められて病院送りとなったのだが、広川が弧武羅に集中していたおかげで神野たちは窮地を脱し、翌日以降は猛反撃に転じた。その結果、わずか2日足らずでRed Killは壊滅に追い込まれたのである。罠に嵌められた草野は再起不能で今も両足が不自由になっているらしい。
「礼を言わなきゃならないのは俺だな」
「いや、草野はそんなことちっとも気にしてやしない。両足が使えなくなっても俺の良きライバルになっている」
「ライバル?」
「商業地区でラーメン屋やってるんだ」
「へぇぇ…」
神野は感心した。2人は街灯でわずかに見える路地を抜けて小さなアパートの一室に入った。玄関の脇に台所と冷蔵庫があり、向かいに居間がある。綺麗に片付けられていて不要な物は置いていないように見えた。
「ま、上がってくれ」
甲田はそういうと冷蔵庫から缶ビールを取り出して1つを神野に渡した。神野が居間で腰をかけた時に隣室に続く障子が開いた。
「おう、帰ったか。ん?」
「あっ!」
「おお!!、神野じゃないか」
「虎さんじゃないですかぁ」
「久しぶりだな。なぜここにいる?」
と聞く虎こと甲田虎之助に対して息子の和浩がきょとんとする。
「親父の知り合いか?」
「ん?、ああ…、呑み友達だ。前に話ししたろ、呑み勝負したって」
「そういえばそんなことを言っていたな。たしか…、負けたって…」
「おうよ、こいつに負けたんだ。あの時からリベンジとしてやろうと思っていたがまさかここで出会うとはな、がはははは」
豪快に笑う父に息子は苦笑する。
「そんなんだから肝臓がやられちまうんだよ」
「がはははは…、肝臓ぐらいで気にするな!」
「ったく…」
頑固な親父に文句言っても無駄と言わんばかりに息子も腰を下ろして缶ビールを開ける。プッシュという音と共に麦の匂いが漂う。そして、一気に飲み干す。
「お〜お〜、いい呑みっぷりだとこと」
「ちっ…」
「ところで…」
虎之助は話しを方向を神野に向ける。
「族の頭が2人、こんなむさ苦しいところで何してるんだ?」
「元ですよ」
「元だろうが今だろうが変わりはない」
「メシを食っていたら邪魔が入ったんでここに来たんですよ」
「邪魔?」
「どこかの族が暴れようとしていたもので」
「ああ…、そういうことか。和浩」
「ん?」
「いつも恨みだけは買うな」
「ふん、ほっとけ」
「ま、意気の良いのがいるんだ!。呑め呑め」
結局、3人で酒盛りとなった。
「やれやれ…」
今日は帰れないことを悟り、昔話をつまみにして一夜を過ごした。

「う〜〜〜ん…、う〜〜〜ん…」
隣で寝ている甲田がうめき声をあげながら爆睡している。
「昨日の記憶が…」
頭痛が激しくなるのを抑えて台所に行くと虎之助が新聞を読んでいた。
「おう、起きたか」
「朝早いっすねぇ」
「それだけがとりえだからな。和浩は?」
「まだ寝てますよ」
「ふん、情けない奴だ」
「虎さんが強いんですよ」
「まあな、がはははは…」
朝から豪快な人だと神野は思った。
「神野」
「はい?」
「彼奴を頼むぞ」
「大丈夫ですよ、彼奴はああ見えても芯はしっかりしてますよ」
「ふん、見る目がないな」
「穴があると?」
「俺は彼奴が産まれてからずっと見てきてるんだ。当然のことだ」
「ほう」
「ま、滅多に見えるものではないからな。心配することもないだろう」
そう言うと冷めきったお茶を口にした。神野は虎之助に一言告げると甲田家を辞した。そして、その足で駅に行き、電車に乗って港湾地区に向かった。終点に着くと客は誰1人いなかった。しかし、ホームには到底駅員とは思えない若者が待ちうけていた。神野はゆっくりとした足取りで電車を降りると改札口はすでに封鎖されていた。
「俺に用か?」
神野の問いかけに誰も応じない。
「用が無いなら、通させてもらうぞ」
その時だった。神野の周りの空気が暖かくなった。これは誰かが側に近寄った証拠だ。咄嗟に上方に向けて肘撃ちをすると後ろから襲おうとしていた若者の顔面を捕らえた。
「ぐわっ!」
鼻から血を流して両手で抑えている。
「後ろから襲うたぁ、いい度胸だな」
「ちっ…」
1人が舌打ちして前に出る。どうやら、若者たちのリーダーらしい。
「あんた、神野だろ?」
「あん?」
「俺は弧陀魔の松野ってんだ。命もらうぜ」
「嫌だと言ったら?」
「死ぬだけだ、やっちまえ!」
松野の号令で若者が一斉に襲いかかる。
「後悔するなよ!」
神野の拳が顔面を捕らえ、同時に蹴りが腹に決まる。そして…。

 甲田が起きたのは昼過ぎだった。虎之助が仕事に行くため、叩き起こされたのだ。
「んだよぉ…」
「いつまで寝てんだ、仕事行くからな。お前も仕込みあるんだろ?」
「ん、ああ…」
「しゃきっとしろよ、行ってくる」
「ああ…」
虎之助が出ていくと甲田は冷蔵庫からコーラを出して飲み干す。
「ぷはぁ…、ったく…、彼奴も何も出ていくことないのによぉ…」
ふてくされながら買出しに行くため、顔を洗う。その後、着替えを済ませて外に出たところ、丁度車から下りて来る草野を目にした。運転手付きのため、後部座席が彼の指定席でもある。
「おう、草野じゃねえか」
「どうも、お久しぶりです」
「繁盛しているようだな」
「ええ、おかげさまで。甲田さんも元気そうで何よりです」
「まあな、元気だけが取り柄だからな。ところで今日はどうした?」
「頼みがあって」
「頼み?」
「ええ、神野雅儀を知っていますよね?」
「ああ、よく知ってるよ」
昨日までここにいたのだから。
「奴を倒したいと思いませんか?」
「はぁ?、何を言ってる?、昔の恨みか?」
「恨みはありませんよ」
「だったら、なぜ?」
「まぁ、知名度アップが狙いというところでしょうか」
「知名度?、すでに経営者として成功しているお前が何を言ってる?」
「成功しているからこそ、さらなる飛躍が欲しいのですよ。神野は有名だし、この街で知らない者はいない。ここで昔の悪名を持っている奴を倒せば街の目もこちらに向きます」
「ふうん、悪名ならお前もあるじゃねえか」
「でも、神野に比べれば俺なんてヒヨコですよ」
「ま、神野を倒すのは勝手だが俺は動く気ねえよ」
「どうしてです?」
「俺はもう引退したんだ。昔みたいに好き勝手できる立場にねえよ」
「だったら、昔に戻りましょうよ」
「アホか、やるならお前がやるんだな。周りを巻き込むことはするな」
「ふぅ…、甲田さんは頑固だなぁ…」
「頑固?、お前の性根が腐っているだけじゃねえのか?」
「何とでも言ってくれて構いませんよ。ま、ここは俺の勝手にさせてもらいます」
「一つ言っておく」
「何でしょう?」
「神野の異名を知ってるか?」
「如意鬼神でしょう?」
「もう一つのほうだ」
「もう一つ?、さぁ…」
「族殺しと言うのさ」
族潰しではない異名に草野は苦笑する。
「奴に睨まれた族は二度と復活することはない。徹底的に根絶やしにされるんだよ。お前も身に染みてみるがいい」
「………」
草野はその言葉に反応せず、再び車に乗り込むと発進させた。
「この街もまだまだ荒れるか…」
甲田はそう呟くと買出しのため、市場のある港湾地区に向かった。

「で?」
雄二の店で顔が腫れあがっている松野が締め上げられている。駅での乱闘は神野の圧勝で幕を閉じたのだがそこで終わるはずがない。神野は松野を雄二の店まで連れて来たのだ。黒幕を吐かせるために…。
「どこのどいつに頼まれたんだよ?」
丁度、店に来ていた久米岡が脅しをかけているが松野は一向に吐こうとしない。1時間もやっているが久米岡のほうが参ってしまっているようだ。
「ちっとも吐きやしねぇ」
「ま、時間はいくらでもあるしな。少し方法を変えてみるか?」
「どうするんです?」
「たしか…、弧陀魔の初代は結城だったよな?」
「ええ、あの秀才でしょ?」
「そうそう、彼奴を呼ぶってのはどうだ?」
「いいですねぇ!、結城の冷酷さは有名ですから」
弧陀魔を作った結城勝は有名進学校を首席で卒業した経歴があるがバイクの速さに魅了された男でもある一方でナイフを使わせたら残虐とも取れる極悪非道なことも繰り返してきた。そんな男も神野には頭が上がらなかった。幾度の窮地に何度も救われた経緯があったからだ。そんな関係もあって一時は二代目となった橘雄二の下で親衛隊長をしていたこともある程だった。久米岡を通じて結城に連絡する。結城はある商社で働いているらしいが話しを聞くや、すぐに飛んできた。
「神野さん!、お久しぶりです!」
茶髪にスーツという出で立ちだ。
「よう、元気そうだな」
「ええ、皆さんもお変わりなく」
「結城、早速だが…」
「ええ、大体の話は久米岡さんから聞いてます」
「方法は任せる」
「わかりました」
結城はにこやかに笑うと松野が縛られている椅子に向かった。松野の前に着く頃には表情は憎悪に満ちていた。
「ゆ、結城……さ………ん……」
「よう、松野。俺が頭をやってるときはパシリだったお前が今じゃ頭をやってるなんてな。世も末だな」
「いや、その…」
「ところで松野、お前、神野さんを襲ったんだってな。俺があの人を崇拝しているのは知っているだろ?」
「そ、それはもちろん!」
「だったら…、わかってるよな…」
声音が低くなる。どこからかナイフを取り出すと松野の首元に当てる。
「ひぃ!?」
恐怖に固められた松野は悲壮な表情になっている。
「言えよ…、誰に頼まれたんだ?」
「み、宮内さん…です…」
「宮内?、どこの宮内だ?」
「不知火産業の…宮内さんです…」
さすが結城と皆が賞賛した。肩を落とした松野が哀れでならないがこれも自業自得といったところか。
「不知火産業といえば暴力団ですよね?」
「ああ、会長の不知火鉄次はこの街でも指折りの暴力団に築き上げた男だ。敵に回せば潰されるのがオチだろう」
神野が笑いながら言う。その表情を見て皆が安堵する。なぜなら、笑いながら話す神野は余裕がある証拠なのだ。
「あのおっさんなら話しがわかる人だ。宮内のこともわかるだろう」
「俺も行きましょう」
結城が伴を願い出る。
「何だ?、ヤクザ相手に取引でもする気か?」
「いえ、もうやってますよ」
「何!?、正気か!?」
「ええ、もちろん正気ですよ。金はもっているところから取るのが俺のモットーです」
「やれやれ…、お前もすごいところに目をつけるな」
「商売は頭も必要ですからね」
「お前が言うと何でもできそうな予感がするよ」
神野は苦笑した。松野のことは久米岡に任せて自身は結城と共に店を出て、商業地区の郊外にある喫茶店に向かった。コーヒーを売りにしている店で有名なところだ。
「ここは?」
「ま、いいからいいから」
神野に誘われるがまま、結城は店に入った。中に入るとカウンターが目に入る。
「あ!」
そこに立っていたマスターを見て驚いた。
「お、神野に結城じゃないか、どうした?」
「ちょっと用事がありましてね」
「そうかそうか、お前がここに来るということは何かやっかい事を持ってきた証拠だな」
「わかりますか?」
「当たり前だ、何年お前と付き合いがあると思ってるんだ?」
「ははは…、鉄さんにはかなわないなぁ」
「それに何だ?、今日は結城も一緒か?」
「どうも」
営業スマイルの結城が挨拶する。
「憎めない奴だな。しかし、こいつと一緒にいると災いが降ってくるぞ」
「もうもらいましたから」
「何?、もらっただと?。神野、次は何をやらかしたんだ?」
「ちょっと、駅で乱闘を…」
「わははははは!!!、さすが有名人は粋なことをするな!」
不知火は豪快に笑った。そして、座るように促すと頼んでもいないのにコーヒーを作る。
「で、今日は何の用で来た?」
「鉄さん、宮内という男は御存知ですか?」
「宮内?、うちの宮内か?」
「ええ」
「知ってるも何も若頭をする程の男だ」
「その宮内の下の者に襲われましてね」
「何!?、お前がか?」
「ええ、駅のホームで20人近くの出迎えを受けました」
「ほう、その中に宮内がいたのか?」
「いいえ、宮内に指示された者が含まれていましてね」
「誰だ?」
「松野という若い衆です」
「松野?、きかんな」
「そうでしょうな、松野は暴走族の頭、連中を使って俺を襲ったんでしょ」
「だとしても、何のつもりでお前を?」
「さぁ…、恨みは多く買ってますからねぇ…」
神野は遠い目をしている。
「もし、宮内がお前の襲撃に絡んでいたとしたらどうする?」
「どうしましょうかねぇ…、その胸の内は鉄さんならわかるはず」
「……ふぅ……、かなわないな、お前には」
「今、宮内はどこに?」
「おそらく、組事務所にいるはずだ」
「一番安全で危険な場所ですね」
「そう、誰もが安全と考えるてところには常に危険が孕んでいる」
「口では簡単に言えるが…」
「実際には難しい。それはお前がよく知っているはずだ」
「宮内が何のために俺を狙ったのかはわかりませんが災いの種は今のうちに積んでおかないといずれ寝首をかかれる可能性だってある」
「寝首ねぇ…、それだけお前の周りは危険だらけってことだな」
「鉄さんが思っている程、この街は安全ではありませんから」
「そうだな、宮内の事は任せてもらえないか?」
「ええ、組の中のことは組で処理するほうが良いでしょう」
「わかった」
年の差が離れた客と亭主はゆっくりと互いのコーヒーを口にした…。

 翌朝、雄二の店で朝のランチを食べている神野の許にある人物が訪れた。県警捜査一課の望月警視正である。
「一昨日、お前を襲った連中だがな。主犯の松野の自供により、不知火組の者の仕業とわかった」
「ええ、それは知っています」
「逮捕したのは大森という若い衆だ。松野もこれを認めた」
身代わりを出したということか。不知火の面子を保ったのだろう。
「そうですか、しかし、それだけならここに来る必要はないでしょう」
「さすがにわかったか?」
「わかりますよ。肝心の宮内はどうなりました?」
「死体となって見つかった」
「えっ!?」
さすがに驚いた。
「で!?、殺ったのは?」
「女らしい」
「女?」
「昨日の夜遅くに女と言い争っている宮内が目撃されている」
「素性は?」
「皆目検討もつかんが目下捜査中ってところだな」
「なら、その大森を突ついてみてはどうでしょう?」
「大森を?」
「叩けば埃が出るかもしれませんよ」
「そうだな、試してみる価値はありそうだな」
「ま、気長に待ちますよ」
「ふん、気長だと?、お前の口からそんな言葉が飛び出るなんてな」
「意外ですか?」
「いや、何か企んでいるんじゃないかと思ってな」
「企んでいるなら、もう行動に移してますよ」
「だな、こんなところにぼぉーっといるタマじゃない」
「わかっているじゃないですか」
「しかし、深追いはするなよ」
「大丈夫ですよ、いざとなれば相手とて只では済みませんから」
神野はコーヒーを口にする。
「それもそうだな」
望月は苦笑せざる得なかった。

 甲田は家でじっと先程まで飲んでいたコーヒーの入ったマグカップを見つめる。何か考えているようだが言葉には出さない。ただ、じっと見つめ続けているだけだった。
「怖い顔だな」
「………」
「何かあったのか?」
「…ああ…」
「いつものお前らしくない」
「………」
「俺に言ってみたらどうだ?、悩みなら少しはすっきりするぞ」
「………」
「…まったく、頑固な奴だ」
「そうじゃない」
「ん?」
「俺は自分に弱さを感じた」
「ほう、弱さねぇ…。そんなもの、誰でも持っていることだ」
「昨日、ある話しを聞かされた」
「どんな?」
「神野を殺って欲しいという話しだ」
「殺す気じゃないだろうな」
「いや、痛めつける程度でいいらしい」
「引き受けたのか?」
「一度は断った。でも、迷ってる」
「何を迷う必要がある」
「頼んできた奴は100万積むと言ってきた」
「金か…」
「100万あれば母さんの治療費に当てることも…」
「それで…、お前はどうしたい?」
「だから、迷ってる」
「………」
「なら迷え。迷った上で考えろ」
「……ああ」
甲田はわずかに頷いた。しばらく、じっと座り続けていたが意を決したかのように立ちあがった。そして、携帯からどこかに電話をする。
「…いが………ああ、そうだ…」
耳から携帯を離す。そして、気落ちしたかのようにまた腰を落とした。
「結局、自分の信念が勝ったということか」
「………」
「彼奴の事は心配するな」
「え?」
「お前が思っている程、彼奴も俺も弱くない。金なんざ、心配するな」
親心という信念を持った虎之助が力強く息子の肩を叩いた。甲田の母親は重い病気で入院し、男2人が懸命に働いてようやくというところまで来ていた。ここで大金が入れば治療は早くなるだろうが自分の持って生まれたプライドは捨てることになる。甲田はそれが許せなかった。例え、かつての親友の頼みだとしてもだ。
「これからどうする?」
「行ってくる」
「そうか、行く以上は自分を見失うな」
「わかっている」
甲田は外へ出た。そして、アパートから少し離れた駐車場へ向かう。空き地だったところに地主が線を引いて駐車場に仕上げたのだ。そこの一角に車を置いている。軽トラだ。仕入れなどに使うために購入した車だが滅多に乗ることもない。その荷台に寝そべっている男がいた。
「お前…」
「行くのか?」
そこにいたのは中学からの親友である新納だった。
「どうしてここに…」
「細かいことは気にするな。話しは聞いた、殺る気か?」
「誰に聞いた?」
「お前の親父さんにだ。お前の性格なら断ったんだろ?」
「ああ…、俺は俺のケジメをつける」
「一人で行けば死ぬことになるぞ」
「草野ぐらいどうってことはない」
「その草野だがな…」
新納が言葉を濁す。
「どうした?」
「今は不知火にいるらしい」
「なっ!?」
不知火と言えば有名な武闘派暴力団だ。これを敵を回すことなど馬鹿でもしない。
「このまま行けば無駄死にするだけだ」
「それを言いにここに来たのか?」
「いや、ちょっと耳を貸せ」
甲田に耳打ちするとわずかに頷いた。
「それでうまくいくのか?」
「いかなければまた考えるさ」
「…わかった」
結局、新納を荷台に乗せたまま、ある場所へと向かった…。

 翌日、結城が神野の許を訪れた。相変わらず、雄二の店でコーヒーを飲んでいる。
「よう、どうした?」
「神野さん、聞きました?」
「ブラックレインのことか?」
ブラックレインは小規模ながら20年も続く古参の暴走族だったが昨日の集会のときに敵対していた暴走族に襲われ、さらに警察の介入もあって壊滅したのだ。
「襲った連中はどこの奴らだ?」
「それが…」
「どうした?」
「どうやら、この街の連中じゃないらしいんですよ」
「じゃあ、どこの?」
「さあ…、ただわかっているのは連中のバイクに骸骨のステッカーを貼っていたということぐらいしか…」
「骸骨だって!?」
突然、神野が叫ぶ。
「ど、どうしたんですか?」
「その骸骨のステッカー…、目のところに赤い剣が刺さってなかったか?」
「え、ええ…、なぜ、知ってるんですか?」
「そうか…、戻ってきたか」
神野がしみじみと言った。結城がきょとんとしていると雄二が真剣な眼差しで言う。
「結城、知ってるか?。俺たちがまだ餓鬼の頃にこの街を支配した族のことを」
「MADMAXですか?」
「それより前だ。MADMAXが伝説の族として有名だがそれより前にな、摩天楼という族があった。頭の黒霧優也はわずか15でこの街を仕切り、3年で近隣の街もその傘下に治めた。優也が引退するまではこの街も安定していたのだが引退した後は内紛から摩天楼はその勢力を一気に縮めた。その原因を作ったのが弟の清彦だ。清彦は無謀にも当時勢力を築こうとしていた小田桐さんに喧嘩を売ってタイマンで負けたんだ。そこからだったかな?、あっという間に族としてその名前を失ったのが…」
「雄二、詳しいな」
神野が感心する。
「いやぁ…、調理学校の先輩が摩天楼に入ってたらしいんですよ」
「まぁ、その程度の族なら有名にも何もならなかったが、そこからが摩天楼を恐怖に陥れた伝説を生み出した。その伝説というのが…」
その時、カランカラン…っという音と共に喫茶店のドアが開かれた。
「いつからお前はそんなにおしゃべりになったんだ?」
そこにいたのはサングラスをした長身の男だった。
「いつこっちに?」
「昨日だ」
「あんたまで帰ってきたら、また、この街は荒れますよ」
「ふん、もう馬鹿をやる歳でもないしな。お前は?」
「さあね」
男は神野の横に座る。
「コーヒーをくれ」
雄二には目を合わさずに注文する。
「で?、ここに来た理由は?。まさか、コーヒーを飲みに来たわけじゃないでしょ?」
「お前、うちともめているらしいな」
「もめてませんよ、向こうが勝手にやってるだけです」
「傘下の連中が裏で動いているぞ」
「ほう、会長の好意も無に返したわけですか」
「まあな、逆にお前が近づいたおかげで命を狙われる羽目になった」
「大丈夫ですよ、あの人なら」
「たしかにな、だが念には念を押して警備は強化したよ」
「さすが、不知火の跡目ですね」
「ふん、今、親父に死なれると不都合なことも色々と出てくるんでな」
「全国屈指の暴力団ですからね」
「シノギも厳しくなっている今になってこの騒動だろ?、表立っては協力できないが…」
「いいですよ、あんたも忙しいでしょうし。それにこの街のことは俺のほうが詳しい」
「ふっ…、さすが轟組を潰しただけのことはある」
「懐かしいことを覚えていますね」
「当たり前だ、こっちの世界ではお前の名前を知らない奴なんていないからな」
轟組はかつてこの街を不知火組と勢力を二分していた暴力団で、DRAGON KINGを結成したばかりの神野によって潰されてしまったのだ。原因は神野の友人をヤク漬けにしたことにある。30人ばかりの組員が詰めていたが神野を誰1人止めることができなかったという。そのおかげか、不知火組は宿敵がいなくなったのを機に勢力を拡大した。因果なものである。轟組を潰した後、神野の許に何度か暴力団関係者から誘いの声がかかっていたが自由を好む神野にとっては迷惑な話しだったので不知火組の会長に直談判して断ったのである。
「ま、気をつけろよ」
「わかってますよ」
神野がそっけなく言うと男はコーヒーを一飲みして帰って行った。
「知り合いですか?」
結城が言う。
「ああ、不知火の跡目だよ」
「あれが…」
「そう…、あれが不知火組二代目組長、黒霧優也だ」
「ええええええ!!!???、い、今のがあの…」
「黒霧は摩天楼を解散させた後、職を転々としていたようだがある日をきっかけに不知火組に入り、わずか1年で古参の幹部たちを抑えて若頭に出世。んで、去年だったかな?、会長の娘と結婚して組長になったんだ」
「し、信じられません…」
「誰だってそうだろうよ、今は東京進出に力を注いでいるせいか、こっちは若頭に任せっきりになっているところにこの騒動だ。それを危惧してか、電話してやったら早々に帰ってきたな」
「連絡したんですか?」
「ああ、若頭の宮内が死んだということを伝えただけだ。そうしたら、あの様だ」
「神野さんって一体何者なんですか?」
「何者って…、おいおい…」
神野は苦笑した。
「でも、黒霧さんが帰ってきたところを見るとこの騒動も終わるのかな?」
「いや、そうでもないだろう。組長の座を狙っていたのは何も宮内だけじゃないしな。まだまだもめるだろうよ。ところで結城」
「はい?」
「お前、よくここに来るな。何かあったのか?」
「あ!、そうなんですよ!!」
神野の指摘に何かを思い出したようだ。
「今、言ってた宮内の女がわかったんですよ」
「ほう、誰だ?」
「津村商会の社長さんです」
「おいおい…、津村商会といやぁ…」
轟組の組長をしていた轟慎二の愛人で津村由香里と言い、神野が乗り込んだ際に組長と情事をしていたことを覚えている。最も、逃げ足も早く、異変に気づいた途端、神野の姿を確認することもなく早々と逃げて行ったのだ。その後、轟から莫大な援助を受けていたのを機に会社を設立し、まんまとその社長に座ったのである。表向きは貿易などをしているという。
「あの女と宮内が繋がっていたとすれば…」
暴力団とつるんで貿易で得るもの、それは麻薬か拳銃密輸と相場は決まっている。
「こいつは俺たちの騒動だけでは済まなくなりそうだな。宮内は今回の一件というよりも口封じのために殺されたとみてもいいんじゃないかな?」
「だとすれば、宮内がこのことを誰かに話していたと推測する…」
「こいつはもう一度黒霧に会う必要があるな」
「一緒に行きますよ」
「物好きな奴め」
「いえいえ、これも営業ですよ」
結城は笑いながら言った。

 一方、甲田は新納と共に商業地区にある草野の店に向かった。平日の昼過ぎはかき入れ時ということもあって多くの店で行列ができているが草野の店はシャッターが下りていた。2人は近くの駐車場に車を置いて店の裏に回る。暗く狭い路地裏を通っていくと話し声が聞こえた。様子を窺うため、身を潜める。
「…をやっちまえば済む話しでしょう」
「だが、奴は強すぎる。手はないか?」
「甲田が使えない以上、俺たちで考えるしか…」
「あ、そうだ、奴はどうです?」
「奴?」
「先月、斎藤さんの族を潰した奴ですよ」
「ああ…、彼奴なら俺も知っているぜ。何度か見たことがある」
「じゃあ、奴に頼むか?」
「そうだな、ついでに甲田も殺ってもらえれば一石二鳥ってところかな」
「決まりだな、名前は何て言ったかな?」
「たしか、新納って名前ですよ」
この言葉を聞いた瞬間、甲田は後ろを振り向いた。その直後、頭に強い痛みを感じて目の前が暗くなった。後に残ったのは新納の笑う表情だけだった…。

 捜査一課の望月は部下を連れて黒霧に会っていた。
「久しぶりだな」
「まったくですね」
「最近は東京ばかりらしいじゃないか」
「ええ、色々と忙しい身分でしてね」
「立派なことだ。ところで…」
「宮内のことですか?」
「ああ、宮内は最近津村商会に出入りしていたらしいが何か知っていることはあるか?」
「津村に?」
「どうした?」
「津村商会とは敵対していましてね、奴が出入りしているとは知りませんでした」
「ほう、こっちには無頓着というわけか」
「まぁ、そういうわけでもありませんがこっちは親父さんに任せていたもので」
「会長は隠居したんじゃないのか?」
「隠居してもその影響は強いことは望月さんが一番よく知っていることでは?」
「ふん、確かにな。会長の身辺も洗わせているところだ。もう一度聞くが、津村との関係は知らないんだな」
「ええ、残念ながら」
「そうか、邪魔したな」
「いえ、たいした協力もできずに」
黒霧の言葉を受けてその場を辞した望月は組から少し離れた場所に止めてあった車のところに戻ると神野と結城がいることに気づいた。
「お前ら…」
「や、望月さん」
「なぜ、ここにいる」
「黒霧さんに会っていたんでしょ?」
「黒霧を知っているのか?」
「そりゃあ、有名ですから」
「ま、それはそうだな」
かつて族潰しの異名を持っていた望月が黒霧の伝説を知らないはずがない。
「で、ここに来た理由は?」
「宮内と津村由香里が繋がっていると聞きましてね」
「話しを聞くつもりできたのか?」
「それもそうですが、あることを思いだしましてね」
「あること?」
「津村商会のことですよ」
「ちょっと待て、場所を変えよう」
そう促すと部下たちに黒霧の身辺を探るよう指示した。そして、3人は近くの公園に移動する。
「さすがだな、それだけで麻薬密売に至ったわけか」
「あくまで推測だけですが望月さんのほうでも動きはあるでしょう?」
「まあな、捜査情報を漏らすわけにはいかんが内偵には入っている。津村の動きを抑えるのも時間の問題だろう」
「あの女はなかなか曲者ですからね、海外逃亡も視野に入れたほうがいい」
「お前に言われなくてもすでに空港、港湾関係はすでにこちらの手の内だ。結局、発端はお前になってしまったがな」
「みたいですねぇ。あれは松野が宮内に頼んで襲撃の相談を持ちかけたんでしょうが、そのことが逆に大きな問題となった。若い衆を身代わりに出したものの、警察は宮内を見逃すはずがなかった」
「その通りだ、その結果が今の現状を物語っているわけだな」
「この分なら、黒霧さんに会わなくても事件は解決しそうですね」
「当たり前だ、警察をなめるな」
「ですが、黒霧さんは何も知らないですね。今回のことは」
「なぜ、そう言いきれる?」
「黒霧さんを街に呼び寄せたのが俺だからですよ」
「何だと!?、やはり知り合いなのか?」
「ええ、昔の喧嘩相手ですから」
「ほう、お前と彼奴がなぁ」
「不知火の組長になっていたことも知っていたし、摩天楼を自らの手で葬ったことも知っている」
「だからといって無関係だと言いきれるわけではあるまい」
「言いきれますよ、あの人は会長に見切りをつけていましたから」
「見切り?、っということは…」
「この街を捨てるつもりだったんですよ。その上で東京の本部を拠点に新たな不知火組を築こうとしていた。古きを捨て新しきものを得る、黒霧さんの受け売りですが」
「なるほどな、会長はそのことを知っていたのかな?」
「知っていたでしょう。そのために宮内を使って問題を起こす必要があったとしたら?」
「今回の黒幕は…」
「そう、不知火の親父さんとなってくる」
「お前の言葉を信じればそうなるが…」
「なりますよ、俺の勘は当たりますから」
神野の自信満々の言葉に望月は黙る他なかった。
 結城と別れた後、甲田の家に寄った。虎之助が何やら手紙を読んでいる。その表情は険しい。
「虎さん」
「………」
「虎さん」
神野の声に気づいた途端、目つきはさらに厳しくなり、神野の胸倉を掴む。
「お前、彼奴に何をした!!」
「は?、どうしたんですか?、虎さん」
「こいつを見てみろ!!」
手紙を渡される。神野が目を通す間も虎之助の表情は変わらない。
『餓鬼は預かった。殺されたくなかったら、藤島倉庫まで神野を連れて来い』
それだけ記されてあった。
「お前、何を知っている!?」
「残念ですがわかりませんねぇ」
神野は至って冷静だ。
「だったら、これは何だ!?」
「彼奴とはここで別れたきりですよ」
「本当なのか!?」
「ええ…」
信じ難いという表情をしていたが神野のあまりの冷静さに黙るより他はなかった。ようやく落ちつきを取り戻した虎之助に神野が言う。
「最近、甲田は誰かと会っていたりしてませんでしたか?」
「………」
少し考えた後、電話のことを思い出した。それを神野に話す。
「その後に出て行ったんですか?」
「そうだ、相手は誰かわからんが軽トラが無くなっていた。いつも買出しに行くために乗っていくんだ」
「相手がわからない以上、何の答えも出てきませんがこの藤島倉庫ってのはどこに?」
「湾岸地区にある会社だ。もう潰れて久しい」
「とりあえず、ここに行くしか方法はなさそうですが…」
「ん?、どうした………う!、お、お前…」
神野が虎之助の腹に一撃を与えて気絶させた。
「虎さん、すいません。ここから先は俺の意地で行かせてもらいます」
そう言うと神野は甲田の家を出た…。

 県警本部。望月は部下を集めて話し合っていた。
「まず、間違いありませんね。海保の報せでは海上に不審な船を拿捕したとの事ですが船内捜索の結果、拳銃・麻薬多数発見とのことです」
「ふむ、船長の自供は間違いないな?」
「ええ、津村商会からの依頼とご丁寧にも電話を録音していたテープも発見されています」
「気の小さい船長だな。裏切られるとでも思ったようだな。だが、それがあの女を捕まえる証拠になろうとはな。よし、すぐに松田と吉岡に連絡を取れ。津村由香里の身柄を抑えるんだ」
すぐに津村由香里の動向を見張らせていた部下が津村の家に向かい、中にした津村由香里を大麻取締法違反の容疑で任意同行させた。その後、密輸を自供し、街の各所に隠されていた倉庫には今まで貿易と称して密輸された代物が続々と発見され、逮捕されることになる。しかし、肝心の後ろ盾の存在については一向に吐くことはなかった。
「なぜ、話さないんだ?」
「全てを背負うつもりでしょうか?」
「あの女がそこまでする理由はあるのか?」
「さぁ…、しかし、あの男が関与している事実は今のところ何もありません」
そう、神野の言葉以外には何もなかった。それだけ、不知火のガードは固い。結局、津村由香里を起訴し、関与した下っ端の共犯の何人かを逮捕したが後ろ盾が誰だかわからないまま、捜査は終了することになる。

 どっぷりと日も暮れ、街には静けさが漂った。長い1日の疲れを癒すかのように人々は朝までの短い時間を過ごす。そんな中で一番静かな場所がこの日最大のにぎやかさを秘めた。神野はある秘策を胸に敵が待ちうける場所へ乗り込んだ。藤島倉庫と壁に書かれた倉庫は窓も割れ、壁は赤茶けている。重く錆びついたドアを開くが中は真っ暗で何も見えなかった。神野はゆっくりと中に入る。そこには殺気を帯びた何者かの存在があることに気づいていた。しばらく歩くと雲から姿を現した月が割れた窓から倉庫内を照らした。わずかな光を糧に相手もまた姿を現した。一斉にライトが灯される。あまりの眩しさに神野は顔を覆った。数からして30はいるだろう。
「待ってましたよ」
声がするほうに顔を向ける。現れたのは草野だった。
「神野さん、久しぶりですね」
「まったくだ、俺に用事なんだろ?」
「ええ、そのために来てもらったのですから。おや?、親父さんの姿は見えないですね」
「今頃、家で寝ているよ」
「そうですか、あの人にも来てもらいたかったのですが…。まぁ、いいでしょ、誰か人をやって来てもらいましょうか」
「できるかな?」
「できますよ、いくら神野さんでもこれだけの数相手にできないでしょう?」
「そう思うか?」
「思いますよ、こちらには人質もいることですしね」
「人質?、やりたかったらやればいい。その程度で死ぬ奴なら所詮、その程度だったってことだ」
「なかなかいいことを言いますね。死んでも知りませんよ」
その時、上のほうから声がした。
「誰が死ぬって?」
「なっ!?」
倉庫の電源が入り、一気に明るさを増した。
「姑息な真似をしやがって!?」
怒りに満ちた甲田の姿があった。
「怪我は?」
「心配するな、草野は俺が殺る」
唖然としている草野に甲田は容赦無い言葉を浴びせる。
「草野、諦めろ」
「ば、馬鹿な…。居場所なんてわかるはずが…」
「それがわかるんだよ、俺が誰か忘れてないか?」
引退したとはいえ、元は全国屈指の暴走族を率いた頭である。草野が出入りしている場所など調べるにたやすい。ある意味、警察の情報力よりも上回るものを持っている。神野の依頼を受けて動いたのが結城だった。結城はすぐに神野の名をもって調べあげた。すると、商業地区の一角にある廃ビルの存在が浮かび、高橋・久保岡らが乗り込み、捕まっていた甲田を救い出したのである。束で来ても勝てない相手に無謀にも喧嘩を挑もうとする者がいる。そんな状態が今から起きようとしていた。
「俺を倒して名前をあげようとでも思ったのか?、お前如きの腕で殺られるか」
「ふ、ふざけるな!!」
「ふざけているのはお前のほうだろう?、相手が悪かったと思って諦めな」
神野は棍棒を取り出した。『如意鬼神』の到来である。それを見計らったように爆音が倉庫の周りを囲んだ。
「な、何だ!?」
草野の仲間が後ろのドアを開けると無数のライトに包まれた余りある連中が現れた。いくつもの旗が靡いている。街に溢れる暴走族の旗がそこにあった。
「草野、これが違いって奴だ。お前の負けだ」
甲田が階段を下りて神野の隣にいた。そして、草野に近づく。
「お前の過ちは過去のものになるのはまだまだ先のことだろうな」
そう言うと草野の顔面をとらえた。草野の体が後ろに飛ばされた。
「甲田さん!」
草野の後ろに控えていた若者が話しかけてきた。
「前川…」
「申し訳ありませんでした!、草野さんを止められなかったのは…」
「もういい、済んだことだ」
寛大な心をもって草野側についた後輩たちを許した。
「ところで新納はどこだ?」
「新納さんなら不知火組に…」
「不知火だと!?」
さすがの甲田も絶句した。暴力団を相手となると力の強さは比にならない。
「不知火に新納はいるのは間違いなさそうだな」
「新納を知っているのか?」
「当たり前だ、奴は三代目親衛隊長じゃねえか?、なぁ、高橋」
「ああ、その通りだ」
DRAGON KING三代目総長を務めた高橋毅は怒りに満ちた表情で言う。
「新納のことは任せろ。お前まで組事務所に踏み込むことはない」
「しかし!?」
「今は親父さんのところに行け。今ならまだ間に合う」
「どういうことだ?」
「このアホが送り込んだ連中が親父さんを狙っている可能性がある」
「何だと!?、草野ぉ…、てめぇ…」
「ここはいいから行け」
「わかった!」
甲田は急いで仲間のバイクに乗って家に急いだ。しかし、そんなことはあるはずはなかった。万が一、そうだったとしてもたかが剛の者が拳一発で気絶する程柔な体をしているはずもない。悶絶はしただろうが気絶していないことはすでに知っていた。甲田を不知火の許に行かせなかったのは新納を見れば必ずや殺しにかかると踏んだからだ。神野は皆をまとめると解散させ、草野は近くの交番の外に放置された。後の処理は警察がしてくれるだろう。しかし、神野たちは不知火組に向かわず、不知火鉄次の屋敷に向かった。防犯カメラが要所に配置された大規模な屋敷かと思いきや、普通の木造平屋建ての家だった。
「ここがそうか?」
「ああ、間違いない。お前たちは周りを頼む」
「1人で行くのか?」
「ああ」
「引退したとはいえ、生粋のヤクザだぞ」
「わかっている。だからこそ、1人で行くんだ」
そう言うと神野は堂々と玄関から入って行った。中は閑散としている。
「いるな、ここに…」
狭い場所での棍棒攻撃は通用しない。打撃戦にチャンスを賭けるしかない。廊下を進み、居間に入るとちゃぶ台の前に不知火鉄次が座っていた。
「まぁ、座らんか?」
「そうだな」
神野は向かい合うようにして鎮座した。
「随分と周りが騒がしいようだったな」
「ああ、おかげでやりたいこともできずに時間だけが過ぎた」
「やりたいこと?」
「ま、色々とね」
「神野、どこまで調べた?」
「大方は」
「そうか…、警察もわしのところまでは及ばなかったがお前は違うようだな」
「爺さんがこの街を知り尽くしているように俺もこの街で起きることは大抵わかる」
「だろうな、お前さんの情報力はわしを匹敵する」
「これからどうします?」
「さあな、成り行きに任せる」
「殺されますよ?」
「わしがか?」
「ええ、後ろにいるこいつに」
神野の後ろには新納がいた。
「気配は消していたつもりだったんですがね」
「誰に頼まれた?」
「わかるでしょ?」
「黒霧だな」
「ええ、よくわかりましたね」
「調べたのさ、お前と黒霧が兄弟分だってことがな。黒霧を呼び寄せたのは俺だったがお前はそれ以前からこの街に来ていた。爺さんを殺すために。しかし、お前はすぐに動かず、この街の掃除と称してまず甲田に近づき、親近感を匂わせた。油断させておいて草野にも近づき、両方で争わせた。その隙に爺さんを仕留めるはずだったが遅かったようだな。黒霧はどうした?」
「もう帰って俺からの報告を待っている」
「ブラックレインを潰したのもお前か?」
「ああ、この街に来て早々、ちょっかいを出して来たんでな。ついでに思い出深いステッカーも一緒に貼っておいた」
「それがなかったらわからなかったかもな」
「………」
「黒霧はそんなにこの街が嫌いになったか?」
「さあな、あの人は古いことが嫌いなだけだ。よく口癖で言っていたが、古きを捨て新しきを得るってな」
「そうか…。だがな、黒霧は2つのことを忘れている」
「2つのこと?」
「1つは俺の情報力を甘く見たこと。そして、もう1つは…」
言いかけたところで新納は後ろを振り返った。腕を掴まれるまでその存在に気づかなかった。
「お、お前は…」
「新納だな、警察だ」
望月がその場にいたのである。
「遅かったですね」
「急いで来たつもりだがな、周りの連中が笑っていたぞ」
「笑う?」
「念の入れすぎだってな」
「ま、いいじゃないですか。無粋なことはしたくないしね」
「無粋ねぇ…」
望月は苦笑した。新納は固まっている。そして、肩を落とした。
「まさか、あんたが来るとは」
「認めるんだな?」
「ああ、あんたら2人とやりあって勝てるとは思えない」
「利口なことだ。全て話してもらうぞ」
そう言って望月は新納を連行していった。けれども、不知火には一言も話しをすることがなかった。津村由香里が何も言わない以上、不知火を任意を求めたところで何の結果を見られないと踏んだからだ。それよりも、新納の逮捕によって東京に拠点を置く新不知火組の壊滅を優先させることに目標を置いた。黒霧が捕まるのも時間の問題だろうか。
「これからどうします?」
もう一度聞いた。
「わしは間違った道を進んだのかもしれん。黒霧は優秀な娘婿だが考え方に相違があった。だが、わしも極道の世界に生きる者だ。このままでは終わるつもりはない」
そう断言した。この人を本気にさせると警察など小者に等しいことを思い知らされた。結局、誰が勝ちを収めたと言えばこの老人の存在と津村由香里の黙秘が全てを物語るのかもしれない。由香里が語らなければ不知火も語ることもない。神野は殺気立つ老人を前に沈黙し、そして、去った。無言の威圧に負けたのだ。由香里が一番最初に思い知らされた事と同じように。所詮、轟慎二などは由香里にとって良いカモで最後の大物は最初に戻ることでその存在価値を見出した。

 不知火組は今尚、健在している…。

 神野はその彼らの隙間を縫うようにしてこの街に存在し、表裏の世界を行き来しながら迫る時間の狭間に生き続けるのだろうか。警笛が響く海を目の前にしながら、一度は止めていた煙草を口にした。紫煙が漂わせながら、感傷に浸っていた。

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