四章 復讐

「ぐわっ!」
若者がドサっと地面にたたきつけられる。商業地区にある路地裏、若者数人が三十路前の様相をしている男を捕まえて金をせびり取ろうとしたのだがあまりの強さに囲む以上のことは何もできない。
「てんめえぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜!!!」
背後から殴りかかろうとする若者の腹に蹴りを入れて悶絶させる。
「つ、つえぇぇぇ…」
一番最初に殴られて仲間から離れたところにいた若者が言う。
「強いんじゃない。お前らが弱いだけだ」
「な、何だと!?」
強気な声で言うが勝負は見えていた。
「もう終わりなら帰るぞ」
「く、くそぉ!?」
ズボンのポケットからナイフを取り出した。男は背を後ろに向けている。
「死ねやあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
ナイフを構えて走ってくるがゴンっと顎の下から突き上げられる激痛に脳神経が耐え切れずに後ろのめりに倒れた。これを見ていた他の仲間が相手が誰かようやく気づいた。
「ま、まさか…」
「もうくだらんことするんじゃないぞ」
男はそう言って路地裏の奥へと消えていった。
「お、おい!、誰なんだよ!?」
「か、神野だ…」
「神野って、あの!?」
「ああ…、間違いない。あの棒で思い出した。如意鬼神だ」
如意鬼神とは神野の異名である。
「う、うう…」
「お、おい!?、大丈夫か!?」
後ろのめりに倒された仲間のところに全員が駆け寄る。
「へへへ…、心配すんなって…」
「相手が悪かったんだよ」
「ふん…、次はこれだけじゃ…済まさない…」
「お、おい!?」
「こ、こっちには………う!?、ペッ」
口の中に残っていた血溜りを吐き出す。
「お、おい!?、慎也、大丈夫か!?」
「ああ…」
慎也と呼ばれた若者の顔は不気味に歪み、目はずっと路地裏の奥を見据えていた。

 翌日、神野は相変わらず、湾岸地区にある雄二の喫茶店に居座っていた。甲田が雄二に乞われて中華料理を教えていたのだ。神野はその毒見役を買って出ていた。香ばしい匂いが漂う。
「できたぞ!、どうすっか?、神野さん」
「匂いはいいな。どれ」
パクッと一口食べると独特の味が口の中に広がる。そして、神野の顔は青く変わっていく。
「ゆ、雄二、こいつはやばいぞ」
「ええ、そんなことないですよ」
雄二も一口食べる。
「う!?」
「吐くんなら、向こうで吐いて!!!」
妻の蘭が雄二の尻を蹴り飛ばしてトイレに走らせた。しばらくして真っ青な雄二が出てくる。
「あれはやばいな」
「まったくです」
「お前が作っておいて人事みたいに言うな」
「いやぁ、言いたくもなりますよ」
「やれやれ」
神野と甲田が呆れ顔をしながら、レシピを確認する雄二。ここ最近の三人の行動はこんな感じで時間が過ぎていった。夜になると警笛を鳴らす船舶以外は人気は一気に少なくなる。しかし、雄二の店は夜は夜で違う顔を見せる。引退した暴走族メンバー常連の店へと変わり、多くのバイクや車が集まった。神野もこの中にいたが最近は近寄ることはなく、一人街を歩いている時が多くなった。この日も商業地区に姿を現して適当に店を物色して帰っていく。そんな毎日だった。神野の家は四つに分けられた住宅地区の片隅にあるアパートだった。二階建てのアパートは寂れ、全部で八部屋あるが今は神野を含めてわずか二人だけだ。もう一人は甲田だった。親父さんが病気で失った後、前に住んでいた家を引き払ってここに引っ越しをしてきたのだ。大家さんは隣町に住んでいるので神野が家賃を回収して大家のところまで持っていくのが習慣になってしまっている。アパートの前は舗装していない広場でその向かいにもアパートが建っているがここは老朽化のために誰も住んでいない。以前までは渡り廊下で二つのアパートはつながっていたが錆でところどころ穴が開き、柵も朽ちている。そんな風景を毎日見ながら神野はこの地を行き来していた。広場まで来た神野は階段を上ろうとして強い殺気を感じた。後ろを振り向くと男が立っている。黒づくめの格好で顔には覆面をしていた。
「何か用か?」
「………」
「遊びに来ましたといういでたちじゃないな」
「恨みはない…」
「雇われか。来い」
空手でもやっているのか隙のない構えを見せる。
「ほう」
一筋縄ではいかないと判断した神野も身構える。棒は出していない。
「てえええいいいぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜!!!」
相手が先に仕掛ける。俊敏で重い蹴りが神野の頭を捕らえるが寸前でガードする。しかし、勢いで体が押される。さらに連続で打撃を加えられるも決定的なものはない。神野は一瞬の隙をついて一本背負いで相手を投げるもくるっと一回転され、振り向き様に鳩尾に蹴りが命中してしまった。
「がはっ!」
息ができない状況が神野を不利にさせる。今までしのいで来た攻撃が防ぎきれない。肘が顎を捉えた時、神野の膝がガクっと折れた。蓄積したものが一気に吹き出た感じだった。しかし、もう一歩というところで相手は攻撃を仕掛けずに動きを止めた。雇い主にとどめを刺すなとでも言われたかのように。そのまま帰ろうとする相手に神野が言う。
「甘いな…」
そう言って意識が飛んでしまった。

 商業地区にある総合病院。倒れていた神野を帰ってきた甲田が見つけて病院に運んだのだ。白い壁の病室のベッドにいる神野の周りには見舞いに来た友人たちが集まる。
「神野がやられるなんてなぁ」
高橋毅が言う。
「神野さんも人間だったってことですよ」
岡野友也も笑いながら言った。傍らでは甲田と雄二が話をしている。料理の話だった。
「しかし、一体誰なんだろうな」
久保岡通が神野に話を向ける。
「さあな、恨みは数え切れない程買っているし、相手は雇われていたようだ」
「だったら、プロかな?」
「さあ…、プロだったらとどめを刺すんじゃないか?」
「一概には言えないだろうが大体はそうだろうな」
「一体どこの誰が…」
「最近、喧嘩したことは?」
恨みを買うほどの喧嘩をしたのかと聞いているのだ。
「ん〜〜〜…」
記憶をほじくり返す。
「最近なら、この近くの路地裏で五人ほど半殺しにしたかな」
「おいおい、マジかよ」
「それぐらいしか思いつかん」
「調べる価値はありそうだな」
毅が結城聡に連絡をする。聡の情報網は全国レベルだ。どんな小さなことでも見逃さない。神野が入院したと毅が電話で言うと結城の絶叫が聞こえてきた。それだけ、結城は神野を崇拝しているのだ。「わかりました」と神野にまで聞こえる大きな返事で電話が切れる。
「やれやれ」
呆れ顔の毅の顔だけが最後に残った。
 夕方、病室には西日が入り始める。すでに見舞い客はなく、静かな空間だけが漂っていた。わずかな喧騒といえばTVから流れてくる音だけだ。神野はTVに視線を向ける。丁度、空手の全国大会が行われていた。双方とも女子で一人が一方的に攻撃を仕掛けている。相手は防戦一方だったが隙を窺っているようにも見える。解説が言うには攻めている選手は連覇がかかっているそうだ。つまり、日本一強い女子の空手家ということになる。神野はじっと眺めていると攻めていた方が素早い回し蹴りで相手の頭部を捉えた。
「この動きは…」
昨晩の記憶がフラッシュバックする。
「まさか…」
視線はTVに集中している。相手は意識を失ったようでまったく動かない。
『本城選手!、二連覇達成!!!、国内では敵なしです!!!!!』
会場はヒートアップした。
「ふぅ…」
TVの電源を落とすと新聞に目を移す。TV欄に「全国空手道選手権」と書かれた場所を探す。場所は病院の近くにある武道館だった。それを目にした瞬間、神野の姿は病室から消えていた…。

 夜、武道館での喧騒はすでに収まり、会場だった場所には観客はいない。関係者だけがちらほらと姿を見せているだけだ。優勝した本城里佳は道着からラフな服装に着替えて駐車場のほうへ歩いていた。ただし、車は持っておらず、駐車場を抜けて駅に向かうためだった。ぽつんと一台だけ残された車が目に入る。里佳はそれを通り過ぎようとして声をかけられる。
「よう、姉ちゃん」
「慎也」
神野に半殺しにされた本城慎也が現れた。他には誰もいない。
「優勝したんだってな」
「ええ、当然でしょ」
突然の弟の出現に少し驚きながらも里佳は平然と話す。
「怪我は大丈夫なの?」
「ああ、これぐらいどうってことないよ。それよりも、約束を守ってよ」
「約束?」
里佳はきょとんとなる。
「神野を倒してくれっていう約束のことだよ」
「ああ、あれなら昨日…」
倒したと言いたかったが弟の反応は全然違った。
「姉ちゃんが倒したっていうからあちこちの病院を調べたんだけど神野らしい奴が運ばれた形跡がなかったんだよ。夢でも見てたんじゃない?」
「え?、そんなはずは…」
「姉ちゃん」
慎也の顔がアップになる。
「弟のためなら何でもしてあげるって言ったのは嘘だったの!?」
「それは…」
「ねぇ…」
さらに近づく。里佳の本心は明らかに慎也を避けているのがわかる。
「ふうん、そうなんだぁ」
いきなり、後ろから乳を掴む。
「きゃ!?、な、何を…」
真っ赤に顔を赤らめるが抵抗はしない。できないのかもしれない。
「乳だけでかくなっただけかよ。所詮女は女だよな」
ぎゅうと力をこめる。そこに人が通りかかる。
「は、離して!」
「じゃあ、やってくれるよね?」
「わ、わかったわよ!」
そう返事すると表情は元に戻る。そして、笑いながら消えていった。残された里佳には孤独だけが残った。
「………」
里佳は何もなかったかのように駅のほうへ歩いていった…。

 湾岸地区にある貨物駅。昼間は忙しく動く作業員の姿が多く見られるが夜になると静寂に包まれた闇が広がる。そこに光る明かりがあった。
「よう、来ていたのか」
「何だよ、お前から言っておいてよぉ」
数人の若者の中から声がする。
「ははは、そうだったな」
「慎也、何をする気なんだ!?」
名前を呼ばれて慎也は意を決したかのように言う。
「神野の野郎を殺してやろうと思ってな」
「おいおい、本気かよ」
「当たり前だろ。俺をあそこまで恥をかかせたんだ。タダで済ますほど馬鹿じゃない」
「マジかよ。あの用心棒はどうしたんだよ」
「駄目だね、俺にびびってやがる」
「そりゃそうだろ。あんなことをしたんだから」
「ふん、あの女もいい声をしてだろ」
「まあな、おかげで何でも聞いてくれる」
「あの筋肉女にゃそれだけで十分」
「だが、神野はそういうわけにはいかないな」
「ああ、奴は俺の手でしとめてやる」
そう言うと持っていたナイフを壁に投げつけた。

 商業地区にある地下バー。ここに神野がいた。病院から消えた神野は武道館に向かったが里佳には会えなかった。病院に戻るわけにもいかずにここにやって来たのだ。マスターとは古い付き合いでDK時代にもお世話になったことがあった。神野敗北の噂はここにも聞こえていた。
「負けたってのは本当か?」
「………」
「いえないよな、普通は」
「………」
「で、どうなんだ?」
「………」
「とうとう口まで利けなくなったのか?」
「………」
「やれやれ、だんまりか…」
「………」
神野が落ち込んでいると思っていたマスターだったが神野の表情は真剣なものだった。負けたことよりも次に勝つ方法を探っている。そういう目をしていた。こういう表情をしているときに話しかけてもまったく返事が返ってこないことはマスターが一番よく知っていた。
「マスター」
不意に神野の口から声が漏れる。これもいつものことだった。
「ん?」
「本城里佳って女を知っているか?」
「ああ、今日やっていた空手チャンピオンだろ」
「住んでいる場所は?」
「まさか、お前がやられた相手って…」
マスターは合点したが神野の耳には届かない。
「住所は?」
「高いぞ」
「構わない」
マスターはやれやれと思いながら、メモに書き記す。
「家族構成は?」
「父親が琉球空手本城流の師範代で沖縄にいる。こっちにいるのは長姉の留華、次姉の里佳、末娘の由香、義理の弟の慎也だ。留華は所轄の警察署から県警捜査課に栄転しているな。里佳はある喫茶店で働いている。たしか緑地公園の近くにあったはずだ。由香は高校生で剣道日本一に去年なっている」
「慎也ってのは?」
「ああ、慎也は父親の弟の子でな。両親が事故死したのを機に本城家に来たようだ。今は湾岸地区にある貨物駅の一角で族の頭をしている」
「ほう…」
「族だといってもな、DKみたいなものじゃなくて麻薬、強姦、恐喝、暴行、襲撃は当たり前。大人になりきれていない餓鬼の集団だな」
「そうか…」
神野は一言言って立ち上がり、情報代を含めた勘定を払って出て行った。
 店を出た神野はマスターに教えてもらった住所には向かわず、緑地公園へ向かった。なぜ、そちらに行くのかそれは勘だったが里佳に対しては悪い感情は持っていなかった。むしろ、その内面的なものを聞きたいと思ったからだ。緑地公園は隣町に面した山麓にある。時計を見ると午後十時を過ぎている。行けば帰っては来れないだろうが気にする様子もなく、神野は駅から電車に乗り込んだ。

 緑地公園、日中でも人気が少ない場所に小さな喫茶店が建っている。経営難から人手に渡りそうなこの店に里佳がほつんと座っていた。
「はぁ…」
もう何度もため息を繰り返し、立ち上がっては座っての繰り返しだった。慎也に会ってから里佳に落ち着きはなかった。昨晩、神野を倒したのは夢だったのか、確かな手ごたえはあったはずなのに…。そんなことを考えながら、日はとっぷりと暮れてしまった。小さな明かりを灯すと温かみを感じる。
「はぁ…」
またため息をつく里佳の耳に足音が聞こえた。ふと後ろを振り返ると神野がいた。
「え………?」
「よう、また会ったな」
意外にも明るい声の神野に戸惑いを覚える。中に入ってくるか神野に対して抵抗できなかった。夢だと思ったからだ。そんな里佳の心を見透かしたかのように神野が言う。
「どうしてここが…」
「俺の情報網は伊達じゃない。最初は確信が持てなかったが空手の決勝をTVで見た時に確信を得た。あの回し蹴りでな」
この言葉に夢ではないと里佳の中でも確信した。そして、続けて言われる言葉に里佳は言葉を失った。
「あの慎也とは何があったかも知っている。過去のことは忘れたほうがいい」
「え………?」
なぜ知っていると言わんばかりの困惑な表情をしていた。
「あの時、とどめを刺さなかっただろ?。なぜ、とどめを刺さなかったのか気になってね。自分なりに考えていたんだが答えは見つからなかった。本城慎也は君が思っている以上にこの街では有名な奴でな。いつ警察沙汰になってもおかしくないことをいくつもしている。そんな奴が同じ屋根の下にいる三姉妹に対して何の感情も湧かないはずはないと思ってね」
その言葉に里佳の古い記憶が蘇ってきた。あの忌まわしい記憶が…。

初めて慎也に出会った…
初めて言葉を交わし…
一緒に遊んだ記憶…

ご飯を食べに行き…
学校にも一緒に行った…

ある日、姉に忠告された一言…
それに対して感情的になったこと…

成績で一番になり…
喜んで家に帰ったら…
母親が倒れていて…
慎也が包丁を持って近くに…
慎也が近くに…
慎也が…
慎也が…
………
……


「いやあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!」
目を見開いて泣き叫ぶ里佳に神野はそっと抱きしめる。
「大丈夫、大丈夫だから」
神野はここにくる前に県警捜査一課の望月に電話をしていた。かつて本城家にあった事件を調べてくれないかと。時間がかかると思っていたが里佳の姉・留華から直接話を聞くことができた。
「慎也はうちに引き取られた頃から盗み癖があったの。お母さんの財布から何度も何度もお金を盗んで行ったわ。最初は慎也よりも私たちを疑っていたから慎也の行為はバレなかった。でも、ある日のことにとうとう財布からお金を抜き取っているところをお母さんに見つかったの。お母さんは怒ったわ。自分の子供と同じように。でも、慎也は怒られた行為に対して何の反省もなく、近くにあった包丁でお母さんを刺したの。その刺すところを里佳が見つけて…」
そこで一旦止まる。
「慎也はバレたということよりも共犯を作るという選択をしたの」
「つまり、里佳にも罪を?」
「まあ、人殺しの手伝いをさせるわけにもいかないから、お母さんは強盗に殺されたと。そう口裏あわせをするよう、里佳に頼んだ。しかし、里佳はこれを拒絶した。当たり前よね。でも、ここで諦める慎也じゃなかった。慎也は里佳を襲って犯した」
「………」
「犯したところを写真に撮って脅したの」
「じゃあ、俺を襲ったのも…」
「その一端ね」
「わかった、ありがとう」
「里佳を助けてあげて」
「わかってる」
そう言って電話を切った。留華の告白は神野の胸の下で泣いている里佳に向けられる。空手に打ち込んだのもその記憶から逃れるためだろうか。しばらくそのまま二人は動かなかった。神野も黙っている。徐々に聞こえてくるバイクの音を耳にしながら、今は里佳のために時間を作ってあげた。緑地公園の周りには多くのバイクや車が集まる。爆音は公園を包み込む。
「来たか…」
泣き疲れたのか里佳は眠ってしまっていた。たまっていたものが飛んでしまったのだろう。そうっと着ていた上着をかけると神野は喫茶店から外に出た。神野にとって爆音は心地よい。懐かしい過去が思い出される。
「頭を出せ」
神野の言葉に慎也が応じる。
「やっぱり、あの女じゃ潰せなかったか」
「全部、お前が仕組んだことだな」
「ああ、あいつを使ってお前を潰せたら、こんな苦労はなかったんだろうがな」
周りを見渡すとざっと百人はいる。ほぼ全員がバットや鉄パイプ、木刀などを持っている。
「お前ほどの器量の持ち主がこれだけも集められるとはなぁ」
「ふん、お前はたった一人でやる気か!?」
「当たり前だ、俺を誰だと思っている」
「ちっ、むかつくんだよぉ、その態度!、やっちまえええぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜!!!」
慎也の号令とともに一斉にかかってくる。神野は棒で最前列にいた若者の口を狙って突く。歯が折れ、呻き声とともに空中に投げるとそいつが落ちてこないうちに数人倒す。神野は返り血を浴びただけで傷は負っていなかった。それを見た若者の中には逃げ出す者もおり、勝負は最初から見えていた。
「この程度か?」
殺気じみた空気の流れに若者たちは度肝を抜かれた。慎也ですら後ずさりをしている。神野は慎也に向かってゆっくりと歩く。一歩一歩の重みが慎也にとって処刑台に上がる足音に聞こえた。その時、聞き覚えのある声が聞こえる。
「慎也…」
ふと見るといつの間にか神野の後ろに里佳がいた。
「やっと出てきたのか、姉ちゃん。約束は守ってくれよ」
「………」
「何とか言えよ!」
慎也の怒鳴り声に必死に我慢する里佳に神野が助け船を出す。
「くだらねえな、女に助けてもらう男なんざこの街にはいらねえよ」
「なっ!?」
「てめえの相手は俺だ。一対一でやったほうが仲間にも納得してもらえるんじゃないのか」
「な、何を言って…」
周りを見ると神野の言葉通りの反応が仲間からも出てきた。
「さあ!、かかってこい!。伊達に如意鬼神の異名は持っていないぞ!!!」
棒を構える神野から鬼気が放たれた。里佳が神野とやり合った時とは比べ物にならない程の気配だった。これほどの強者がなぜあんな負け方をしたのか、里佳にはわからなかった。ただ、今思えるのは神野の背中がこんなに頼もしいものということだけだった。鬼気を浴びた若者の中には失禁している者もいる。幾多の修羅場を潜り抜けた神野にとって大人未満の餓鬼の相手などは朝飯前に過ぎないというところだ。
「く、くそ!?」
慎也は今までの威厳を捨てていきなり逃げ出した。公園の奥深くへと鬼から逃げる餓鬼のように…。

 翌朝、本城慎也は集団暴行と道路交通法違反で逮捕された。神野から逃げ出した慎也は地下にできた空洞に落ちて出られなくなっていたところを捜索中の警察官に発見されるというお粗末な結果で連行されていく。こうなっては頭の威厳などはどこにもない。多数の逮捕者を出したこの族の将来は無いであろう。
 一方の本城里佳は神野に対する暴力行為で事情を聞かれたが神野に覚えが無いということで即日帰宅を許された。
「あんなことまでしたのに…」
「夢だったんだろ」
「え?」
「夢ならそれでいいじゃないか。前を向いて歩いていけばそのうちいいこともあるさ」
「………クス」
「ん?」
「私は初めていい人に出会いました」
そう言って神野の頬にキスをすると走って行った。

 夕方、神野が家にいると電話がかかってきた。
「はい」
『雅儀か?』
「何だ、爺さんか」
相手は祖父で異種格闘技の道場を開いている神野朔次郎だった。
『久しぶりに話したというのに何だその言い草は…』
「ふん、ほっとけ。で、用件は?」
『あと数分である男がそちらに行く。適当に相手をしておいてくれ』
「はぁ?」
問い返す間もなく電話が切れる。
「何だよ…」
電話を置くと窓から外を見る。すると人影が見えた。朔次郎が言っていた男のようだ。シルエットしかわからないが結構大柄の男だ。神野は部屋から出て広場へと歩いていく。西日が男の顔を照らした。その顔には見覚えがあった。
「おや?、お前は…」
TVてよくやっている格闘家の東山燈吾だった。
「初めてお目にかかる。神野道場で師範代をしている東山と申します。先生のお孫さんですね?」
「ああ…」
「手合わせを願いたい」
「はぁ?」
神野は構える燈吾に対してきょとんとしたが強い殺気を浴びて我に返る。
「いざ!」
「やれやれ…」
相手は格闘家だ。まともにやれば勝ち目はない。神野は伸縮自在の棒を取り出した。
「文句はないな?」
「当然だ」
「行くぞ」
先手必勝と言わんばかりに燈吾が突きを出してくる。まさに剛拳で空気を切る音がする。神野は紙一重で交わすと縮めた棒で居合いのように横払いで胴を狙うが交わされる。しかし、連撃で突きを入れるも間合いを取られた。
「ほう」
さすがと言うべきか。
「本気を出さないと勝てないか」
「何!?」
本気を出していないという神野の言葉に反応し、意識を一瞬外した時、神野の姿はそこにはなかった。すでに日も暮れて闇に移り変わろうとしていた。気配もなく、姿もない。闇に溶け込んだ神野に燈吾は焦りを見せる。
(どこだ…)
気配を探る燈吾に対して神野はあっさり姿を見せた。
「ここだよ」
もろに顎に入る。
「がっ…」
目の視点が暗くなった空に向き、腹を蹴られて後ろに飛ばされた。地面に体を打ったところに神野の顔が真正面に受ける。
「思い出した、あんた引退したんだってな」
「………」
「どうした?、もう終わるのか?、あの試合の時みたいに」
燈吾の脳裏に悲痛の思い出が蘇る。
「俺はまだやれると思うがな」
燈吾から離れた神野は懐から煙草を出して一服する。
「すまんな、ヤニに慣れた体でな。こっちの世界には来るなよ」
つまり、まだ引退するなと言っているのだ。煙草を吸う者は健全な生活をしている者よりも力が劣る。その劣る者に負けるなんてことはありえないと思われているが実際の力の差は五分。本気でやるかやられるか、結局のところは最後までやってみないとわからないとわからないし、結果は誰かが決めるものではない。神野は一言でそう諭したのだ。
「ああ…、爺さんの体調はどうだ?」
相当悪いと聞いているが電話の声ではわからなかった。
「先程亡くなられた」
「そうか…」
「師匠は後事を俺に託された」
「で、評価は?」
「口に咥えているものさえなければ申し分なし」
「ははは…、かなわねえな」
神野は煙草をポイっと捨てた。紫煙が漂う。
「引き受けるのか?」
「やらなきゃ、爺さんに恨まれちまう」
「今ならまだ引き返せるが…」
「ふん、主の無い道場に誰が来ると思っているんだ?。後は任せろ。で?」
「ん?」
「そっちはどうなんだ?」
「俺か…」
「引退するならまだ早いぞ」
「そうだな…、あんたに勝ったら復帰してもいい」
「正気か?」
「当たり前だ」
「今のままだったら一生勝てないな」
「だったら、勝てるまで修行をするまで」
「その努力があったら、引退なんて決めこまんよ」
「普通はな…」
「なぜ、あんな地下試合になんか出たんだ?」
「それは…」
燈吾は口ごもる。深夜のTV中継でやっていた異種格闘技トーナメント。ルールは何でもありで死人が出ようが構わないというのが売りだった。多少編集して規制を逃れていたのだろうが実際観戦した者の証言から中継は打ち切り、地下試合自体も場所を変えたという。
「あの試合、俺も見ていた。燈吾、お前の相手はたしかフリーの選手だったな。相手はそんなに強いとは思わなかったがお前は劣勢だった。ほとんど手を出さずに私刑状態になり、最後は敗れた…。賭けていた連中は大損したって話を聞いた」
「………」
「何があった?」
「………」
「人質でもとられていたのか?」
神野の指摘に燈吾は反応した。
「やはりな、相手はわかっているのか?」
「ああ…」
「人質になった人は助かったのか?」
「………」
燈吾は無念の表情をした途端、全てを理解した。人質はすでにこの世にはいない。
「相手は?」
「言ってどうなる?」
「仇を討ちたいとは思わないか?」
「お前じゃ荷が重い」
「荷が重い?、誰がそんなことを決めた?」
棒を手にする。手にした瞬間、神野という人格が一変する。殺気というより鬼気に近いものが放たれている。
「如意鬼神か…。そうだな…、あんたならやれそうだな」
「で、相手は?」
「勇塵会だ」
広域指定暴力団で県下では不知火組と勢力を二分する。
「地下試合の主催も?」
「いや、主催は別の組織がやっていた。勇塵会は対戦相手のほうだ」
「なるほど。対戦相手は生きているのか?」
「いや、死んだよ。海外でな」
「だろうな。関係者は殺せってやつだな」
「だが、俺は抵抗した」
「その代償が…」
「弟に向けられた」
人質が実の弟だという。試合終了後も弟は生きていたことになるが燈吾が組織に抵抗したことが災いとなって殺されたのであればこれほど目覚めの悪いものはない。
「そうか…。後のことは俺に任せろ」
「いや、俺も行こう」
燈吾が立ち上がる。
「いいのか?」
「ああ、後々のこともあるしな」
「後々のこと?」
「ああ」
「まぁ、それは後で聞くか」
ここから神野の攻勢が始まる。結城の情報網を使って勇塵会の拠点を全て調べさせた後、ハッキングを仕掛けて燈吾の弟殺害の証拠を警察に流した。あらかじめ、県警捜査一課の望月警視正には連絡していたこともあり、総本部への家宅捜索には迅速に動いた。そして、その間に神野たちは燈吾の弟を殺したと思われる男の素性と居場所を調べあげた。神野がもっとも信頼する橘雄二、高橋毅、岡野友也、久保岡通、甲田剛、そして、東山燈吾が雄二の喫茶店に集まっていた。
「名前は山城志郎。勇塵会若頭で現会長の右腕ですね」
「山城には袁がいるな」
結城の言葉を受けて神野が言う。
「袁?」
「用心棒ですよ」
燈吾の問いに結城が答える。
「強いのか?」
「ええ、袁家双殺剣という剣技を使います」
「いわゆる二刀流だな。こいつの相手は俺がしよう」
神野が言う。棒術を使えるのは神野と雄二の二人だけだが雄二の力量は神野を遥かに劣る。
「ま、妥当だな」
毅が言うと皆が頷く。
「本命は燈吾がやれ。後は取り巻きってことでいいな?」
「ああ」
「よし!、気合を入れろよ。生半可な気持ちでいったら殺されるぞ」
「そんな奴はここにはいねえよ」
毅がそういうと全員がほぼ同時に立ち上がって店を出た。

 基本的に商業地区は4つに分かれる。ビジネスビルが立ち並ぶ南地区、駅や大型スーパーがある東地区、風俗店が多く立ち並ぶ西地区、市役所など官庁の出張所などがある北地区だ。北地区に隣接しているのが観光地区でここには城跡や史跡が多くあるが俺たちには無縁の場所かもしれない。さて、用事があるのは西地区だ。ここに山城志郎が拠点としている店がある。表向きは優良風俗店だが中に入ってしまえば本当に優良かどうかもわからない。ここの2階が組事務所だ。通常は連絡事務所になっているが今日は出入りが激しい。総本部に捜索が入ったとなれば当然だろうが警察もここまで手が回っていない。それを知ってか、組員たちが周りを警戒している。1人の組員に結城が近づく。
「すいません」
「あん?」
「道を尋ねたいのですが…」
「他の奴に聞け」
くるっと踵を返したところで後頭部に激痛が走った。
「な…」
バタッと倒れた後ろには石を持った結城がいた。手加減をしているとはいえ、怖い存在だ。周りを見渡すが建物の影になっているようで誰もいない。
「手はず通りに行くぞ」
闇雲に暴れるのではなくて狙いを定めた獣の如く、獲物だけに集中して歩いていく。組事務所では山城をはじめ数人の組員が座っていた。
「総本部のほうはどうだ?」
「出入りの連中が集まっていますね」
「そうか、こっちに来るのも時間の問題だな」
「どうします?」
「とりあえず、ほとぼりが覚めるまで海外にでも行くか」
山城がそう言った時、ゴトっという音が入り口のほうから聞こえた。
「何だ?」
1人が見に行こうとすると入り口が蹴破られた。勢いで組員が飛ばされる。燈吾が先に入る。
「て、てめえは!?」
「山城さん、ご無沙汰しております」
「何しに来た!?」
「弟の敵討ちに来ました」
「なっ!?」
中にいた全員がすでに立ち上がって臨戦態勢になっている。
「ここがどこかわかって来ているんだろうな!!!」
「当然ですよ。でなきゃ、来ませんよ」
怒鳴る山城を前にしても動じないところを見るとさすがは格闘家というところだろうか。構えると殺気が放たれる。しかし、その殺気にも動じない女が山城と燈吾の間に立つ。
「山城さん、ここは私が」
「お、おう、頼むぞ、袁」
噂の用心棒が現れた。髪は後ろで束ねてチャイナドレスを着ている。長身で華奢な体型だった。腰に2本の剣を帯びている。
「まさか女だったとはな」
「ふん、文句ある?」
「文句はないがあんたの相手は俺じゃない」
そう言って体を横に避けると神野が現れた。
「あら、久しぶりね」
「よう、玲夏。いつ以来かな?」
「あなたが私に半殺しにされたとき以来じゃない?」
「そうだったな。あの頃は俺も若かった」
「そうね、覗きなんて人のやることじゃないわ」
「まったくだ。で、やるのか?」
「これも仕事だから仕方ないわ」
「そうだな」
昔を懐かしむ2人は笑いから怒りへ急変し、周りを困惑させる。燈吾は2人が知り合いだったとは知らなかったが今は山城を潰す以外、気持ちは揺らいでいない。燈吾の後ろにいた組員の腹部に蹴りを入れたところで戦いは始まった。組員が一斉に燈吾に飛び掛るが一定の間合いをあけて的確に組員を倒していく。格闘技を極めた男との差がここにある。あらかた倒したところで視線は山城に向けられる。
「ま、待て!」
「弟も同じことを言ったはずだ」
「あ、あのときは仕方なかったんだ!」
そう言いながら逃げ回り、入り口のほうへ向かう。そんなことはすでにお見通しで退路はすでに断っていた。階段のところには毅と雄二がいる。
「ひぃ!?」
「残念だったな」
「く、くそっ!?」
後ろを見ると燈吾の拳がアップで現れてプツッと意識が飛び、山城の体が前のめりになって倒れた。
「終わったな」
「ああ」
毅の言葉に燈吾が頷いた。
「そっちは?」
「もう終わってるよ。今度は本命の相手をしたいものだ」
「たいしたものだな」
「当たり前だ。チンピラぐらいじゃ俺たちは倒せない」
「こうなってくるとますます神野雅儀という人物が欲しくなってくるな」
「はぁ?」
「いや、こっちのことだ」
そう言うと後ろを向いて神野を見る。顔の頬に傷が見える。
「強いな」
「あなたもね、ちっとも腕が落ちていないわ」
息切れもせずに2人は余裕の表情で会話している。とても、殺し合いをしているとは思えない。
「ところで、そろそろやめにしないか?」
「それもそうね」
2人は同時に武器を納めた。
「演技するのも大変よね」
「まったくだな」
こんな会話に燈吾や毅がぽかんとしている。
「え、演技だったのか!?」
「ああ」
「い、いつから!?」
「最初から」
あっさりと言う神野に燈吾は呆れた表情をした。
「最初って…、その傷はぁ!?」
毅が言う。
「ああ、これね。ここまではお互い本気で燈吾が山城を追い込んだ時点からは手を抜いた。殺気も感じなくなっただろ?」
言われてみればっという表情をする。
「本気でいったらお互いどちらが勝つ負けるのレベルじゃなくなる。な、玲夏」
「ええ、そうね。無駄な血を流さなくてよかったわ」
「傷してるじゃねえか!?」
「こんなもの子供の喧嘩よ」
少し違うような…。毅はもう何も言うまいと思い、急に黙ってしまった。
「今度はだんまり?、変な人ね」
「悟ったんだよ」
「悟った?、何に?」
「今置かれている状況にだよ」
「ふうん、まぁ、どちらでもいいわ。私、疲れたから、そろそろ帰るわね」
「まだこの街にいるのか?」
「いいえ、明日には発つわ」
「そうか、爺さんによろしく伝えておいてくれ」
「あら?、あそこには行かないわよ」
「行かなくても向こうから来るだろ?、孫娘なんだから」
「やぁ〜ねぇ〜、いくら孫だからって来ないわよ。うち、放任主義だから」
「ま、会ったらよろしく」
「ええ、愛弟子ですものね」
「遠慮したいがな」
「ふふふ」
袁玲夏はわずかに微笑すると部屋から出て行った。
「爺さんって誰のことなんだ?」
燈吾が聞く。
「ああ、俺の棒術の師匠で齢80歳の化け物」
「それがあの女の祖父になるのか?」
「ああ、今は寺を辞して山篭りしているって聞いたことがある」
「物好きだな」
「ああ、お前と一緒でな」
「えっ?」
「行ってやるよ、精道館にな」
そう言うと神野もまた部屋から出て行く。突然の返事に燈吾は戸惑いながら神野の後ろをついていった。

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