File.1 APC第三小隊
地方都市・和歌山。過疎化が進み、かつての賑わいも失せ、静かな街と変わりつつある。まるで犯罪とは無縁のような感じに見うけられるがこの日の寒い夜のこと。突如、けたたましい音が鳴り響いた。銀行の警報である。2人の男が金庫から金を盗んで車に乗り込んだ。
「はよせんかい、行くぞ!」
1人が叫ぶ。運転席に乗り込むと相棒も同時に助手席に落ちついた。そして、走り去ったのだ。2人組にやられた警備員が警察に通報し、直ちに緊急配備が敷かれた。その無線はある一般車輌にももたらされた。音楽が鳴り響く車内に切迫した声が響く。
「強盗事件発生、場所は○△交差点脇の銀行、犯人は2人組で白の軽トラで逃走した模様。繰り返す…」
「物騒になったなぁ」
青年が音楽を小さくして無線のマイクを手にする。
「こちらAPC303、本部どうぞ」
「はい本部」
和歌山県下の110番を一手に引きうけている指令センターにつながる。
「現在、けやき通りを西向けて走行中、犯人のナンバーはわかるか?、どうぞ」
けやき通りとはJR和歌山駅から真っ直ぐに伸びる大通りのことである。おそらく和歌山では一番広い道路だろう。この道を起点にして南に行けば42号につながり、西に行けば26号、北から東に下って行けば24号につながる主要道路でもある。
「ナンバーは…」
軽トラックのナンバーが無線から聞こえてくる。盗難車らしい。
「了解、直ちに捜索する」
そしてすぐに警察無線のチャンネルを変更する。
「こちら橘、全員応答せよ」
しばらくして声が聞こえる。
「おう、赤城や」
「無線は聞いたな」
「ああ、今、追跡中や」
「おう、さすがやな。で、どこにおる?」
「国体道路を南に逃走中」
国体道路とはかつて国体が行われたときに完成した市内主要道路の一つである。
「ならあそこに追い込め」
「ああ、あそこか…。あそこなら逃げ場はない」
「頼むぞ」
「おう」
無線が切れる。この後、次々と無線が入ってくる。橘はこれに対応しながら徐々に逃走車輌に迫る。和歌山城公園前から大浦街道に出る。そこからさらに南に下って和歌浦に入った。サイレンが車の内外に鳴り響く。本部と連絡を取り合いながら景勝地を横目に雑賀崎に抜ける。ここは雑賀孫一の拠点でもあった海岸線だ。真っ暗な海を照らす灯台の光が航行する船舶に行く道を教えている。
「これが夏ならなぁ…」
思いっきり遊びたいと思っているのだろうか。今は真冬なのだ。もうすぐ正月を迎えようとしている地方都市にも犯罪の流れは止められそうにもない。海から吹きつける強風に煽られながら緊急車両はカーブの多い道のりを難なく突破していった。遠くに目をやると海に浮かぶ孤島がある。海南市内との境にあるマリーナシティだ。和歌山にある唯一といってもいいほどの遊園地なのだがかつての賑わいも影を潜めている。これも不景気によるものなのだろう。
PC(パトカー)の数が多く目だってきた。中には応援に駆けつけたAPCの姿を見うけられた。それを横目に通りすぎていく。犯人はマリーナシティの橋を渡っているところだった。後ろから数台の覆面PCなどが追跡している。
「終わったな」
橘はそう呟くと最後まで行かずに橋の手前で車を停めた。それに駆け寄ってくる者がいた。
「おつかれさん」
橘が窓を開けて言う。
「無茶はしてないやろなぁ」
「してへん、してへん。してたら今頃連中の命なくなっとるわ」
赤城が言う。それを聞いた橘は苦笑した。
程なくして犯人逮捕の報せに周りは湧いたが橘たちはいたって冷静だった。次の任務があるため、その場は県警に任せて走り去って行った…。
犯罪の増加は日本全国のみならず地方都市でもある和歌山にものしかかってきていた。そこで和歌山県警は警察庁や全国の警察と連携して増加を防ぐため、民間に警察の機能を委託することで警察の強化を目指したのである。当初は元警察官を中心に起用が進められていたがマンネリ化することを恐れた民間警察機構(APC)本部は完全な民間人から起用したのだ。これが一部の警察官僚から反発を呼んだものの世論やメディアを味方につけて警察からの完全な独立法人を築いた。APCは自由な編成を目指したが中には地元警察との対立を避けたいとの考え方も多く、和歌山支部でも少数精鋭の編成となった。県下の警察署との連携を目指して一つの大隊を作り、その大隊は3つの小隊で区分された。その中でも和歌山市内を管轄する第一大隊に検挙率bPを誇る小隊があった。それが橘敬介が率いる第三小隊だった。
小隊長の橘は他に仕事を持っているが任務は忠実にこなす部下想いの男で警察の中でも犯罪者以外では稀な最重要注意人物にまで指定されたこともある。橘にはある特殊能力を持っていた。ありとあらゆる道を記憶しているのだ。一度通った道だけでなく地図の図面を見ただけでそれがどこにあるか見事に当ててしまう、一種のカーナビのようなものだ。その橘に見出されたのが副隊長を務める赤城信太郎だ。赤城は現役の走り屋で自由に生きるのが好きで縛られるのが嫌いな性格だったが橘を信頼して今の地位に座っているらしい。もっとも噂では得意とする走りで負かされたというのがAPC隊員たちが口にする謎の一つである。
彼らの本拠地は港に面した倉庫街にある。それを知っているのは上層部や隊員を除けばごくわずかしかいない。警察の者でさえ場所を知らない者が多すぎた。橘は銀行強盗事件の翌日、本業が休みだったのでAPC和歌山支部に顔を出した。週末ということもあって人の数もまばらで車を倉庫の中に滑り込ませると所定の場所に置いた。倉庫の二階に本部がある。何とも御粗末なものだと思うがこれも周りの目を攪乱させるためらしい。
コンコン…、ドアをノックして中に入った。
「おう、久しぶりだな」
無線室長の岡崎が言う。
「どうした?」
「たまには顔でも出しておこうかなぁって思って」
橘は笑いながら言った。
「今日はみんな休みやから静かなもんだ」
うるさい連中がいないからゆっくりしていけと言っているのだ。
「岡崎さんは仕事なんですね」
「ああ、大国の奴が寝込んじまったらしい」
「へえ…、珍しい」
大国という隊員は無線室勤務の新人隊員だった。風邪など滅多にひかないことが自慢だったがとうとう過労で倒れてしまったらしい。
「まぁ、あいつがいないおかげで食料が減らなくて済む」
「あっはははは、確かに…」
そこに無線が入った。
「緊急指令、緊急指令、けやき通りで当て逃げ事件発生、現在、紀ノ川大橋を北に向けて逃走中、繰り返す…」
「こちらAPC和歌山、了解」
すぐに岡崎が返信する。
「行くか?」
そう言いながら降り返ったときには橘の姿はどこにもなかった。すでに下で車が走り出す音だけが聞こえていた。
「さすが…」
岡崎は苦笑せざる得なかった。
橘は真っ直ぐ北に向けて走っていた。有料の河川大橋を突っ切って行く。無線からは次々と情報が入ってくる。
「犯人はPCに追われて東に方向転換、現在、24号線を逃走中」
これを聞いた橘は一気に道を変えて紀ノ川の堤防沿いを走る。信号がほとんどないため、一般道路を走るよりも早く犯人に追いつける判断したのだ。市内の主要陸橋を次々に越えていくと反対側を流れる24号線で数台のPCが見えた。堤防沿いの道と24号線との間は田んぼだけしかない。田舎ではよくあることだ。犯人の車輌が突如右折した。橘のいる方へ向かってくる。
「もらった!」
橘は一気に加速すると犯人の車の前で反転し、急停車した。犯人の車は急ブレーキをかけたがタイヤがスリップして路肩に乗り上げて停まった。追跡していたPCから警察官が続々と出てくる。犯人は3人のようだ。中から出てこようとしない。むしろ、もう一度発進させて逃走しようとしている。警察官らは車を取り囲むと警棒まで窓ガラスを何度か叩いて割った。運転席から1人を引きずり出したのである。暴れる犯人に対して数人がかりで抑えこんでいく。このあたりのことは橘ではできない芸当だった。所詮、これが警察と民間のレベルの差の違いとも言える。犯人が逃げないよう遠巻きで見守っていると橘に声をかける男がいた。
「よう」
見ると不精髭を生やした長身の男だった。
「あんたか…」
「あんな芸当できるのお前のチームぐらいやぞ」
「真似してみるかい?」
「遠慮するわ。今日はお前一人か?」
「ああ、みんなは週末のお休み」
「小隊長殿も楽やないな」
「あんたこそ、こんなとこで油売ってていいのか?」
「もう終わったしな」
男の視線は犯人の車に向けられていて、すでに3人は警察の手によって連行されていくところだった。
「これからもっと増えてくる気がするな」
「増えてくるやろなぁ、他府県から来る連中も多いし」
「さあてと行くか…」
「じゃあな」
橘の声に男は手を振って去って行き、橘もまた後の処理を警察に任せて来た道を引き上げることにした。支部に戻ってくると岡崎が相変わらず無線室で座りながら煙草を手に本を読んでいる。
「暇そうやな」
「おう、帰ってきたか」
橘は事件の報告をする。
「一件落着ってことやな」
報告を聞き終わって岡崎が笑う。
「これからどうする?」
「もう夜やしなぁ…、メシでもどうや?」
橘が誘うが岡崎はこれを軽く受け流して、
「今日は大国がおらんからな。またの機会にしてくれ」
「そっかぁ…、ま、しゃあないか。んじゃ、また」
「おう、気ぃつけてな」
橘は支部を出るとゆっくりと階段を下りて行く。
もう外は日も暮れて冷たい風が吹き出していた。その風の中を疾風の如く、凄まじい速さで走り抜けていったのである…。
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