File.2 連続襲撃事件

 和歌山の景勝地・和歌浦、そこを起点として海岸線を南に下れば雑賀崎に出る。カーブの多い海岸線は事故多発地域に指定されていたがそんな危険も顧みずに暴走行為を繰り返す走り屋の存在が目立っていた。APC和歌山支部でも警察からの要請を受けてその取締りに当たることで合意されていた。
「おい、お前ら」
第二小隊を率いる奥野総一小隊長が橘たちに声をかける。
「ん?、何だい?」
それに応じたのは橘である。
「お前らの中に走り屋がいるんやろ?」
「ああ、それがどうしたんやぁ?」
「取締りの情報流すつもりやないやろな」
「ふん、そんなことするか、アホ」
「アホやと!?」
奥野は顔を真っ赤にさせた。まるで瞬間湯沸器である。
「何怒っとんねん、それとも何か、あんた俺らに嫉妬でもしとんのか?」
「そんなもんするか!」
「だったら実力で来な」
「ちっ…」
奥野は舌打ちしながら出て行った。
「アホやなぁ…、あいつも」
「何で?」
第三小隊で紅一点の松川美咲が聞く。
「うちに喧嘩売ってもしゃあないのにな」
橘は笑いながら言う。
「そんなこと言ったら悪いですよぉ」
「いんや、それぐらい言ってやるほうがええ。もしかすると、何か企んでるんとちゃうかぁ」
現役走り屋の赤城が言う。
「直にわかるさ。それよりもきぃつけろよ、特にお前は」
「わかってるって」
「ほんまかよ」
「たとえ見つかっても俺を捕まえようなどと…」
そのとき橘ははっとした表情になった。
「それかもしれんな」
「はぁ?」
「奥野の企み、お前を捕まえようと企んでいるんやないかってね」
「無理無理、特にあいつはな」
「一人では無理かもしれんが全員でならお前は逃げきれん」
「逃げ切れたらどうする?」
「裸踊りでも何でもやってやるよ」
「お、言ったなぁ。約束だぞ」
「ああ、ええよ」
二人は笑いながら話しをしていた。聞いていた美咲は、
「ほんとに大丈夫かなぁ」
「大丈夫だって、あの二人の強さは誰にも負けないさ」
そう言ったのは赤城と同じ走り屋をしている郷田悟だった。身長が高く、がっしりした体型をしている。その割には性格はのほほんとして親しみやすかった。
「でもさぁ、万が一ってことがあるじゃない?」
「ないない。美咲は本当に心配性だなぁ」
悟も笑う。
「だって…」
「じゃあ、お前は橘さんを信用してないのかい?」
「そんなことないけど…」
「だったらそんなこと気にすんなって。赤城が言った通り、もし見つかっても逃げ切るだろうよ」
そう言って悟もまた本部から出ようとしたとき奥野がスーツを着た男と話しをしているところに出くわした。
「…というわけなんですよ。どうします?」
「それはお前に任せる」
「わかりました。では、またそのときに連絡します」
頭を下げている。APC内では見かけない人物だったが奥野が敬語を使っているところを見るとお偉方なのだろう。しかし、そのまま二人とも去ってしまったので誰かわからなかった。

 その日の夜、悟はチームの会合に出ていた。『RESL』というチームで大阪との境にある孝子峠を拠点している。峠の山頂近くにある潰れたレストラン跡に数台の車輌が集まっていた。2時間ほど峠を攻めた後、
「ガス入れるの…忘れたなぁ…」
「珍しいなぁ、お前がそんなもん見落とすとは…」
「俺にもそんなときはあるって。今日は引き上げるぞ」
「ああ」
悟は愛車に乗り込むと南に走り出した。24時間営業のGSまで5キロ近くあった。
「ちっ…、そこまでもたないかもなぁ…」
車内に音楽が鳴り響く。
「参ったなぁ…、何で見過ごしたんやろ…」
少し焦っている。狐島交差点までノンストップで走りぬいた後、第一小隊がいつも駐屯している出張所に向かった。GSまで無理と判断した悟はそこでガスをもらおうと走っていたのだ。
「誰かいることを祈ろう…」
でなければ朝、誰か来るまで泊まらなければならないと踏んでいた。電話をかければいいのに…。普通ならそう思うだろうが焦っていた悟にはそんな余裕すらないように思えた。出張所には明かりが灯っていた。
「よかった!、誰かおる!」
そう言って駐車場に車を滑り込ませた。車から降りると真っ直ぐ裏口のほうへ回る。
 コンコン…、静かな場所に乾いた音が響く。しかし、何の返答もない。
「うん?、おかしいなぁ…」
もう一度、ノックするが返答がなかった。ノブを握ってみる。すると、閉まっている鍵が開いていた。夜間はいかなる場合であっても鍵を落とすことを規則に定められている。本来なら嫌な予感が働いても良いのだが焦っていた悟にそのような雰囲気はどこにもなかった。中に入ると左側に倉庫があってダンボール箱が見えている。右側はトイレのようだ。そのまま真っ直ぐ廊下を歩くとすぐにT字路になっている。左に行くと階段があり、2階の会議室のほうへ行く。右が事務所だ。ドアの向こうから明かりが漏れていた。近づくにつれてガサゴソ…という音が聞こえてくる。誰かいるのは間違いない。ノックはただ単に聞こえなかったんだろうとそんな安易な考えで悟は事務所のドアを開いた。ギィ〜っという音とともにパソコンに向かって何かをしていた黒い影がこちらを向く。その顔は驚きを示していた。県境で走り屋をしている悟にとって第一小隊の面々の顔は把握していたため、咄嗟に叫ぶ。
「何をしてるんや!?」
男は身構える。覆面をしていて顔はわからないが堅い体つきをしている。
「誰や!、お前は…」
悟にも焦りの表情があった。いつもなら誰かと一緒にいるが今回は1人なのだ。冷静さを欠いている悟にとってこんな場面は初めてだった。しかも、相手は1人だけしか目に入っておらず、周りに目を配る余裕すらなかった。そして…。強い痛みが悟の後頭部を襲った。
「ぐわぁ!!!???」
激しい痛みと混沌とする意識の中でぬるっと温かいものが手につく。血だ。何の抵抗もできなくなった悟にもう一撃…、消えゆく意識の中で犯人の手がかりとなるものを探した。それは声だった。
「行くわよ!」
女の声…、それが悟が耳にした犯人の手がかりだったのである…。

 悟が発見されたのは翌朝になってからのことだった。出勤してきた隊員が血まみれで倒れている悟を見つけてすぐに救急車で運ばれたのだ。橘のもとに連絡があったのはそれからすぐのことである。
「…わかった」
電話を切ると第三小隊全員に連絡をした。驚きと怒りが入り混じった複雑な返答が返ってきた。
「何であいつ…、あそこに行ったんかなぁ…」
赤城の声だ。
「こっちが聞きたいくらだ。とりあえず狐島の出張所に行ってみる。今日、仕事は?」
「休まなあかんやろ、喧嘩売られたんやし」
「そうやな、じゃあ、警察署に行ってくれ」
「OK、美咲はどうする?」
「あいつはええやろ、女やし」
「そうやな。無茶なことはさせられへん」
「ああ、じゃあ、頼むで」
「おう」
電話が切れると橘はすぐに車に乗り込んだ。そして、真っ直ぐ第一小隊の出張所に向かった。出張所には警察車輌と報道関係者が集まっていた。車を近くに停めると入り口の警察官に身分を告げて中に入る。数人の鑑識課員が忙しく動いている。悟の車があった。
「これはもう終わったかい?」
指紋などの検出をしていた鑑識課員に尋ねる。
「ああ、もうええよ」
そう言われて橘は車の中を覗いた。別に荒らされた形跡は残っていない。
「うん?、ガスがないな…」
ほとんどEのところを指していた。
「それでか…、こいつがここに来たのは…」
咄嗟に不運だと思った。ガスさえはっきり確認していればこんなことにはならなかっただろうに。しばらく中を覗いていると、
「お!、橘やないか!」
見ると知り合いの刑事が手をあげて見ている。
「やあ、久しぶり」
「今回は大変なことが起きたな。病院のほうへは行ったか?」
「いや、行っても仕方ないやろ。むしろ、犯人を捕まえてやることが俺らができる報いだ」
「おいおい、お前らの仕事は交通整理だ。犯人を捕まえるのは管轄外やぞ」
「それがどうした?」
その言葉に重ねられて強い殺気みたいなものを刑事は感じた。ゾクッとした寒気が体に流れると改めて第三小隊が怖いと思ったのである。
「ま、まぁ、好きにするといいさ」
「で、犯人の目星は?」
「わからん」
「足跡とか指紋の検出は?」
「まったくなし、あるのは小隊と郷田のものだけ」
その言葉に引っ掛かるものがあった。
「倉庫のほうもか?」
「ああ、倉庫もだ」
「おかしいな…」
「おかしい?」
「本当にそうならおかしすぎる」
「どうしてだ?」
「ここは夜間の出入りはほとんどないやろ?」
「ああ、そうらしいな」
「だったら、倉庫に搬入するダンボールの荷物は誰が運び込んでいる?」
「そらぁ…、運送会社の………はっ!?」
何かわかったかのような表情をした。
「手かがりはどこにでもある。そっちは任せるよ」
「お前はどうする?」
「あそこで複雑な表情をしている御方に話しがあってな」
見ると和歌山第一大隊の副隊長が捜査の行方を見守っている。女性のようだ。
「森岡さん」
振り向くと不安で固められた森岡めぐみの顔があった。地味な服装をしているが昔は羽振りが良かったらしい。薄化粧して髪は茶色でパーマをかけてある。
「ああ…、来たの…」
「このたびは迷惑をかけました」
「いいのよ、こちらにも失態はあったのだから」
「失態?」
「盗まれたのよ、データが…」
「何の?」
「前科者のリスト」
それは誰もが経験のある交通違反者リストだった。名前から住所、年齢に至るまで全ての情報が収められている。
「そうか…、済んだことは仕方ないとしても…」
「責任問題…ね…」
弱気なめぐみに強い言葉を投げかける。
「そんなものは後だ。まずはやるべきことがあるやろ」
「えっ?」
めぐみはきょとんとした。
「犯人を捕まえるんだよ。連中を捕まえてから処分を受けても遅くはない」
「………そうね」
「わかったら隊員総動員かけて動くことや。こっちはもう動いてるで」
めぐみは第一小隊長を兼任している。
「動いてるって?」
「悟がやられたんだ。黙ってるほどアホやない」
第三小隊が動く、このことはめぐみにとって強い味方がついたことを意味していた。
「やるだけのことはやろうやないか」
「それもそうね。私たちも動いてみるわ。あなたのおかげで少し元気が出た」
「警察より早く犯人捕まえようや」
橘はそう言うと事務所から出ようとした。
「あ、ちょっと待って」
「ん?」
「これを渡しておくわ」
そう言ってプリントアウトしたコピーを数枚渡してきた。
「これは?」
「近頃、頻繁している連続襲撃事件の概要よ」
「ああ、たしか暴走族とかのリーダーばかりが狙われているという…」
走り屋のチームも例外ではなく、ここのところ、リーダー格と目される人物が次々と集団で襲われているのだ。ほとんどが1人になったところを闇討ちにされている。
「悟もリーダー格…、まさかね…」
「でも、怪しいと睨んでもいいんじゃない?」
「ああ、こっちのほうも探ってみるよ。おおきに」
めぐみと別れた橘は悟の車に近づいた。
「待ってろよ、仇は必ず取ってやる」
橘はそう呟くと出張所を後にした。管轄の警察署で赤城と合流すると、
「どうやった?」
「犯人はあそこに荷物を搬入してる作業員の仲間と見て間違いない」
「ほんまかよ」
「警察にはそういうふうに仕向けておいた」
「おいおい…、いいのかよ、そんなことして…」
「いいんだよ、外れてるわけじゃないんだから。ただ、少し遠回りをしてもらうだけや」
「隊長にはかなわんなぁ」
「何ゆうとんねん、第一はデータ盗難だけで済んだがこっちは悟がやられとるんやからな」
赤城は橘の目が真剣なことに気づいた。
「ただで済ますほど愚かやない。作業員のほうは警察に任せてあるからこっちは奥野のところに行くぞ」
「へ?、奥野?、第二の?」
「そうだ、あいつのところに行く」
「何で?」
その言葉には答えずに車に乗り込む。エンジンをかけると、
「行くぞ」
とだけ答えて国道を南下した。赤城もこれに続いた…。
 第二小隊の出張所は片男波という海水浴場の近くにある。海の音が響いて心地よいが今は冬のため、猫の子一匹そこにはいないひっそりとした場所だ。今までは管轄が狭かったため、ここに来る隊員は「左遷出張所」と噂していたらしいが今年に入ってから管轄が拡大して何とか威厳を保てるようになっていた。橘と赤城は車を駐車場に停めると3階建ての所内に入った。玄関脇のカウンターに女性隊員が座っている。よく本部で見かける顔だ。
「よ!」
「あら?、久しぶりですね」
隊員の名前は古木ちづるという。髪を後ろで束ねている。
「奥野隊長いる?」
「あれ?、一緒じゃなかったんですか?」
「えっ?」
橘に焦りの表情が出た。
「さっき出かけられましたよ。ぶつぶつ独り言いいながら…」
「どこに行くか言ってなかったか!」
カウンターを乗り越えんばかりに橘が叫ぶ。
「え、ええ、雑賀崎に行くって…」
「しまった…、赤城、行くぞ!」
と言うと走って来た道を戻る。
「え、あ、ちょ、ちょっと待て!」
ちづるに頭を下げて赤城も後を追う。駐車場に出たときすでに橘は車に乗り込んで県道に出るところだった。赤城は橘の判断が裏目に出ていると判断した。急いで後を追う。道はすいているが2人はほぼ同時に赤色灯を鳴らした。凄まじい速さで雑賀崎を目指す。雑賀崎は景勝地で海岸線に沿ってカーブの多い道が続く。ところどころに廃墟になった店舗があるかと思えば山の中腹に住宅街があり、新旧入り混じった感じが見えてくる。寒風が吹きつける中、パトカー数台とすれ違う。
(何かあったな…)
橘の脳裏に嫌な予感がよぎった。そして、それは的中する。
 廃墟になった店舗の駐車場で血まみれになった奥野の姿があったのである。命には別状ないらしいが重傷らしい。
「遅かったか…」
現場検証している警察官や鑑識課員をよそ目に橘はそう呟いた。
「奥野はなぜ襲われたんや?」
「うん?、知らないのか?」
「何が?」
「最近起きてる襲撃事件」
「ああ、それなら知ってるよ。族のリーダーが狙われているっていう…」
「奥野もその一人なんだよ」
「へ?、嘘やん!」
「ほんま」
「ええええええええええええええ!!!!!?????、ど、どこの?」
「葛和高原のほうらしい」
「葛和?、どこそれ?」
「最近、山を切り開いてできた高原や」
「ああ…、あの環境破壊の…」
知事が新任時代に観光スポットとして開発したところだがあまりの山奥のため、人気度は薄く、さらに環境保護団体が騒いだこともあって開発は中途半端に終わったところだ。それでも峠を攻める走り屋にとっては近くに民家のない良い場所になっている。
「知らんかったなぁ…」
「悟に続いて奥野もやられたとなると…」
「もう引き返せないところまで来たってところやね」
「向こうは適当にやってると思うがこっちはそういうわけにはいかない。いずれ、来るな。俺たちのところにも」
「ああ、そのときは返り討ちにしてやる」
「当たり前だ」
謎の男、橘敬介が動き出す瞬間でもあった。

 翌日もリーダー潰しが続出した。猿坂峠と木の本峠でも謎の集団が現れてリーダーのみを襲撃して去って行ったらしい。残されたメンバーは半ば呆然としていたという。
「またやられたそうや」
「そうらしいなぁ」
「何者なんだよな、あいつら」
「俺が知るかよ」
そんな会話が街のあちこちから聞こえ始め、和歌山の族・走り屋の意気はあがるどころか下がる一方だった。
 APC本部ではこれ以上の被害は出さまいと緊急の対策会議が開かれていた。司令を始め、隊長クラスも総勢集まっていたが橘だけはその場にいなかった。
「またいないのか!、あいつは…」
司令が呟く。それを聞いためぐみは、
「橘小隊長は頭で考えるより行動で決める男です。今頃、私たちとは違う対策を練っているかもしれません」
「ふん、どうだか…」
司令は橘が嫌いなのだ。擁護派のめぐみとはいつもぶつかる。結局、この日も会議の行方は決まらなかった。
「司令も焦っておられますよ」
めぐみは橘と電話で話しをする。
「だろうな。責任を取ってやめなあかんやろうし」
「そんな悠長な…」
「悠長?、そう思うか?」
「えっ?」
めぐみはきょとんとした。
「もう網は張ってるさ」
そう言って電話が切れた。
「網を張ってるって…、一体、どこで…」
めぐみは橘の行動がわからなかった。

 深夜、国体道路を南下する暴走車が現れた。猛スピードで追跡するPC・APCをかわしていく。それでも妙に挑発する行為も忘れていない。引き離しては緩めて引き離しては緩めるの繰り返しで最後には完璧に抜かれていく。まるで遊ばれているようだ。
「こいつが現れるときはいつもどこかのチームが狙われている。逃がすなよ。皆、用意はいいな?」
「了解」
赤城の声が聞こえると次々に無線から声が響く。
「行くぞ」
目の前が暴走車が走りぬける。もうすでに追跡するPCを振りきっていた。橘は一定の間隔を開いて追跡を開始する。APCはサイレンを鳴らさないと普通の一般車輌とかわらない。速度は徐々に遅くなっている。油断しているのだ。美咲が合流する。紀三井寺から和歌浦を抜けて大浦街道に出る。そこから一度、東に向けて秋葉山に着いた後、再び、和歌山城に向けて速度を上げる。一瞬、気づかれたと思ったがすぐに持ちなおした。
「こちら、橘。赤城、今どこだ?」
「競輪場だ」
和歌山競輪場は紀ノ川と北島橋がよく見える場所にある。
「了解。美咲、六十谷橋で待機しろ」
「向こうは大丈夫なんですか?」
「心配ない。俺の勘は当たる」
「えええええええええええ!!!???」
悲鳴に近い絶叫をあげる。
「うるさい!、大丈夫と言ったら大丈夫だ」
「ほんとにぃ〜?、心配ですぅ〜」
「ったく…、俺の勘が外れたことはあるか?」
「そういえば…」
その直後から美咲からの無線が途絶えた。納得したようだ。
「飯田、今どこにいる?」
飯田とは補助隊員のことで通常は事務方の仕事をしている。悟が入院して以来、飯田が第三小隊に応援に駆けつけている。
「和歌山駅です」
「合流しろ」
「了解しました」
目の前にある真っ黒な車輌は和歌山城からけやき通りに出て紀ノ川大橋に向かう。
「赤城、北島橋から紀ノ川駅で待機しろ」
「了解」
「飯田、先行して狐島を抑えろ」
紀ノ川大橋を越えてしばらく北に行くと狐島交差点がある。
「了解」
橘は巧みな作戦で何も知らない相手の行く先々に抑えを置く。そこに無線が入る。
「私たちはどうすればいい」
めぐみだった。
「孝子峠と加太から大阪に続くルートを抑えてくれ」
加太は淡島神社で有名なところだ。
「それだけでいいの?」
「まさか…」
「でしょうね」
橘の言うことがわかっていたようだ。
「あとはバイパスの出入り口も封鎖だ」
「了解」
「あとはこっちでやる」
「頼むわね」
「ああ、わかってる」
無線が切れる。紀ノ川大橋を渡るとすぐに右折禁止区域の堤防沿いへと車を滑り込ませる。なかなかの急旋回だ。
「飯田、梶取(かんどり)に向かえ」
「了解」
相手にバレないように橘は橋を渡りきったところにある御膳松交差点に出た。そこを右折して北島橋に向かう。その目の前を真っ黒な車輌が走り去る。信号を完璧に無視しながら。そして、梶取交差点を北東に方向転換し、紀ノ川駅に向かう。
「赤城、そっちに行くぞ。追跡を任せる」
「OK」
「悟、このまま北西に向かって次郎丸で待機」
「了解」
「美咲、楠見まで走って来い」
「了解です」
次々に指示が飛ぶ。
「さあ、どこに行く。例え、俺の勘が外れていたとしても川を渡ることはないだろう」
橘はあまりにも自分の勘に自信を持っていた。それは長年の経験からよるものだった。真っ黒の車は我が物顔で南海電鉄の踏切を突破し、北に向かう。主要道路を離れてどんどん真っ暗な世界に飛び込んでいく。
「この先はたしか…」
追跡する赤城は呟いた。そして、そこに続く入り口で路肩に停めた。後ろから橘たちが到着する。
「連中ならこの向こうにおる」
「皆、油断するなよ。ここからが正念場だ」
橘たちは気を引き締めた…。

 平井峠、ここを越えれば大阪南部にある逢帰ダムに出る。和歌山でもあまり知られていない峠だ。ここに数台の車輌が集まっていた。ナンバーは和歌山もあれば奈良、なにわ、和泉とバラバラだ。
「今日はどこをやる?」
「もうここも終わりやな」
「ああ、だが、まだまだ残ってるとこもあるやろ」
「肝心のとこも出てないしな」
「ああ…、最速と呼ばれる連中がな」
「まぁ、俺たちに最速なんざ関係ない」
拳を握る。
「こいつで決着を着ければいいだけの話しや」
「ふん、まあな」
リーダー格の男が笑った。そこにタイヤのスチール音が遠くから響き渡る。数はわずか5台ほどだった。
「誰か来たな」
しばらくして連中の前に車が止まる。峠の頂上にはわずかな駐車場と小さな自動販売機があるだけだ。車から降りた人間を見て男たちは驚きを隠せずにいた。
「よう、小柴、久しぶりやな」
「橘…、お前から乗り込んでくるとはな」
2人は顔見知りらしい。
「その様子だと来るのがわかってたみたいやな」
「ふん」
「お前らやろ?、襲撃してたんは」
「知らんな」
「ほう、そうかい。証拠あるんやけど見せて欲しいか?」
「証拠やと!」
「ああ、警察が見ればお前たちの行為だとすぐにわかるぞ」
「………」
「片倉だったな、今、警察に捕まったぞ」
そう、第一小隊駐屯所に荷物を卸していたある運送会社に勤める片倉という男が任意同行を求められて厳しい追求の末、自供したのだ。ただし、片倉が知っているのは小柴らのことのみで肝心のことはわからなかった。女の存在である。
「なぜ、あんな真似をした?」
「そんなことは俺たちの勝手だ」
完全に開き直っている。
「で、おとなしく逮捕されるかい?」
「逮捕?、お前たちに何の権限が…」
「権限?、ああ、知らなかったんやな。俺たちは民間警察機構APCに属する第三小隊や」
「鬼の第三小隊…」
小柴は絶句した。仲間の一部は逃げ様としている。
「もう諦めな、お前たちはやりすぎた」
「ちっ…、いつから警察の犬なったんや?」
「犬?、アホかお前は…。犬は主人に従順だが俺たちは牙を剥いている狼や。警察なんざくそ食らえだ」
だから鬼と呼ばれているのだ。警察からも犯罪者からも…。
「お前は運が悪かったんだよ。俺に目をつけられた時点で結果はこうなることが見えていたんや。何が目的でここまでやったんや?」
「………」
小柴は黙っている。
「女か?」
この言葉にピクッと反応する。
「わかりやすいな。女に命令されて狐島の出張所からデータパクッて悟を半殺しにして逃走したってわけか…。その挙句に市内のあちこちで襲撃しまくるとはな。アホやなぁ…、お前も」
小柴は痛いところを突かれて動揺しているようだ。
「で、どこの女や?」
確信の部分に入る。
「お前は手駒にされただけや、吐いちまえよ」
言葉は汚いが自首を勧めているのだ。自首をすれば罪も少しは軽くなる。
「誰なんだ!」
「…郷山組の組長の娘や…」
「郷山組…」
郷山組は最近、勢力を拡大しつつあった広域暴力団の傘下の組織だ。組長の郷山栄一は武闘派で知られていた。組員は少ないが和歌山制覇の急先鋒でもある。
「奴らは自分らの勢力拡大のために暴走族や走り屋に目をつけた。そして、俺らを使い、傘下に収めていった…」
「その仲介が組長の娘だったというわけか…」
「ああ…」
「そうか…、よう言うてくれた」
そう言うと橘は小柴に背中を向けた。
「捕まえないのか?」
「いずれ、警察の連中がお前のところに行くやろ。その前に自首しな、そうすりゃ少しは軽くなる」
自首は反省しているとされ、罪が軽減されることがある。逮捕と自首ではかなりの差があった。そして、橘は仲間のところに戻ると、「行くぞ」と叫んでまた来た道を戻って行った。
 その数時間後、小柴らは警察署に自首し、傷害と道路交通法違反の容疑で逮捕されたのである…。

 橘からの情報を得たAPC本部はすぐに捜査本部に連絡。郷山組に対する捜査礼状が和歌山地裁に申請された。捜査員はすぐに郷山組に対する情報集めに走り、APCは小柴らの自首に伴い、この案件からの撤退を完了。国家公安委員会のAPCに関する法律に「APCは県警及び捜査本部の許可なく重大事件の捜査及び逮捕に加わることはできない」と定められている。これに基づいての撤退である。しかし…、撤退案は無視される事態になっていた。第三小隊が無断で動いているのだ。これを聞いた司令は血相を変えるどころか笑っていた。
「そうか、やはり動いたか」
「どうなさるおつもりですか?」
側近が言う。
「どうもしないさ、奴らが解決すれば手柄はこちらのもの」
「しかし…、法律違反になりますが…」
「そんなもの向こうも承知しているだろうよ。第三小隊ができた時点でな」
「………」
「お前たちは橘敬介という男をどう思っているかは知らないが私はなぜ奴が鬼と呼ばれるかよく知っている。この事案は奴に一任する」
そこまで言われると側近たちも何も言えなくなった。そして、結果は…。
 郷山栄一は警察の手入れを受ける前に娘を出頭させたのだ。証拠が出揃っている以上、替え玉は不可能と判断したのである。そして、娘にこう言ったのだ。「お前はとんでもない奴を敵に回したな」と。この真意は誰も知る由がない…。
 出しぬかれた警察は法律違反の疑いがあるとAPCに対する捜査礼状の申請が出したが脚下されている。これも裏で何者かが圧力をかけた結果らしいがこれ以後、警察とAPCの対立は激化することになる…。

 翌日、橘たちはリンチを受けて総合病院に入院している悟の見舞いに訪れた。
「そうですか…、捕まりましたか」
「おう、お前もはよ戻って来いや」
赤城が言う。
「ええ、もちろん、そのつもりです」
「結局、連中は何をしたかったんでしょうね?」
美咲が言う。
「ん…、さあな。小柴は理由なく暴れるような男じゃない。不満があったんやろな」
「不満?」
「今ある人生にさ。掻き回すことで全てを忘れようと思ったんやろなぁ」
橘はしみじみと言った。
「それでも犯罪は犯罪や、そのために俺たちがいる」
赤城が言うとそれぞれが頷く。
「犯罪のない日なんて来るんやろかぁ…」
「それを見届けるのも俺たちの仕事だ」
橘は白い丸椅子に座って窓の向こうから見える夕焼けを見つめていたのである…。

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