六、恨みを持つ者

 母定村、いや、集落といったほうがいいだろうか。人口の過疎化が激しい山奥の村は昭和年間にその姿を消した。今は某県某村に併合された1つの地区に過ぎない。しかし、この母定村こそかつて剣技に栄えた母定一刀流の本拠地でもある。普段は静かなところだが突如、100人という数の人間が現れ、村という組織を失って以来のにぎやかさとなった。
「お久しぶりです」
羽織袴姿で現れた武藤将志があぐらをかきながら言った。
「久しぶりに会うという態度ではないな」
「まあ、よろしいではありませんか」
当主を前にして余裕の表情である。
「それにしてもここも変わらない」
武藤は古ぼけた道場を見まわしながら感慨深く言う。当主は笑いもせず、憮然とした表情のまま武藤を見つめる。
「やはり、どこにいてもここが一番いい」
「武藤」
「何です?」
「ここに来た理由はわかっているだろうな?」
「それは無論のこと」
笑っていた目つきが変わる。
「幾天神段流なる流派を打ち破れとの命でしたが…」
「ああ、先日、刺客を送り込んだが全滅した」
「やはり、金剛にたぶらかされているのではありますかいな?」
「………」
母定流繁栄のために金剛流と手を結んだのだ。
「失策でしたな」
「かといって今更退けん」
「でしょうな。まぁ、どのみち、金剛とも幾天神段流とも戦わねばならぬのです。今のうちに叩いておけばよろしいではありませんか?」
「余裕だな」
「当たり前です、戦う前から切羽詰っていては負けは必死です」
「たしかに…」
このとき初めて正座の形を崩さなかった当代も足を崩してあぐらをかいた。
「それにしても本当に久しぶりだな」
「ええ、本当に…」
「時が来るまでゆっくりしていってくれ」
「そのつもりです」
母定一刀流四天王の一角に数えられる武藤将志はにこやかに笑った。
 5世帯あるうち、中央にあるのが母定一刀流本家、その南北を分家が固める。そして、左右に家を固めるのが代々本家を支え続けてきた森嶋家と田賀家である。それぞれの当代も帰郷していた。
「お久しゅうございます」
「本当にのぉ…、お前もかわらんな」
白髪混じりの女性はしみじみと言った。地味な着物を着ている。しかし、姿勢はきちんと正座を保っていた。
「ええ」
母を見ながら森嶋家当代で四天王を務める森嶋尚也が言う。道場ではなく母屋のほうにいた。畳だけしかない部屋に2人が向かい合いながら話しをしている。
「ところで今日は如何したのじゃ?」
「如何とは?」
森嶋がきょとんとする。
「なぜ戻ってきたのじゃ?」
「当代の命により」
「当代の?」
今度は母親がきょとんする番だった。
「ええ、御存知ありませんでしたか?」
「少しも」
「………」
森嶋は少し考えた。母親はそんな息子を見て凛とした表情で言う。
「何か当代のお考えがあるのでしょう。あなたはそれに従うだけです」
「…そうですね」
母の言葉に息子はわずかに頷くだけだった。
 もう一つの田賀家は埃臭い臭いで蔓延していた。当代である田賀強がこの家を出てから数年が経っていた。早くに両親を亡くした田賀にとっては祖父が全てだった。祖父の剣技を身に着けた田賀は修行と称して村から出た。しかし、その数年の間にめきめきと力をつけて四天王の一角まで上り詰めた。かつて祖父が宗家を支えたかのように田賀もまた宗家を支えるためにここに舞い戻ってきたのである。
「…もうどれぐらいの月日が経ったのか…」
田賀は呟いた。誰もいない母屋の廊下で太陽の光が入る庭先に座り込んだ。祖父は2年も前に亡くなっている。それを知ったとき田賀は号泣したという。両親よりも祖父による影響が強かったためだ。
「幾天神段流か…」
田賀は呟いた。京都に拠点を持っていた田賀は幾天神段流のことをよく知っていた。三条流が幾天神段流の分家だということは襲名する前の玄十郎が三条流を討ち破ったときに初めて知った。そして、その強さも…。
「母定は滅びるな…」
傍らに置いた刀を掴み、横一文字に構えて刀を抜いた。太陽の光から得た輝きは刀を美しく魅入らさせたのである…。

 玄十郎と東城寺は名古屋の亀石道場に到着した。
「何も歩いて来ることはなかったでしょうに…」
出迎えた榊原冬馬は呆れていた。
「歩くのもいいぞ。色んなものが見える」
「しかし…、限度というものが…」
「一度歩いてみるといい。で、まさか追い返すなんてことはしないだろうな?」
「そんなことはしませんよ。どうぞ、蜜月様も喜びましょう」
そう言って冬馬は2人を道場の母家へと導き入れた。久しぶりに見る亀石家にも門下生が増えつつあるように見えた。母家に行くには道場の脇を通る。気合のぶつかり合う響き声が剣術を志す者の威信を高めている。
「皆、蜜月様を慕ってきているようです」
「ふうん」
とても慕っているだけとは見えなかった。玄十郎はしばらくその場に立ち止まり、門下生の練習を見守っていると1人の門下生が冬馬に気づいて近寄ってきた。
「師範代」
「おう、中塚か」
中塚と呼ばれた門下生は玄十郎たちに一礼した。白の羽織に紺の袴を履いている。
「どうした?」
「近頃、遠山の奴が来ないんです」
「遠山が?」
「はい、それで家のほうにも電話をかけてみたのですが誰も出ないんですよ」
「誰もか?、ご両親がいるはずだが…」
「旅行でしょうか?」
「う―――ん…」
話しを横で聞いていた玄十郎が話しかける。
「冬馬、何かあったのか?」
「あ、ええ、実はうちに遠山という門弟がいまして…」
話しによると性格は生真面目で毎日顔を出していたという。それが十日前からぴたっと姿が見えなくなったという。家は剣術道場で今は父親が当主を務めているとのことだ。
「もしかすると…」
玄十郎は隣にいる東城寺を見た。わずかに頷く。
「冬馬、一度行ってみたほうがいいな」
「何かあったと?」
「念の為だ、外れたとしても構わないではないか」
「わかりました。中塚」
「はい」
「後で様子を見に行ってきてくれ」
「わかりました」
そう言うとまた頭を下げて練習に戻って行った。
「とりあえず、蜜月様に会われますか?」
「ああ、そうしようか」
玄十郎は遠山のことを気になっていたがとりあえず亀石幾天流当代の亀石蜜月に会うことにした。蜜月は母屋の奥にある茶室で茶をたてていた。誰か客人がいるようなので隣室で待たせてもらうことにした。
「申し訳ございません」
「いや、構わないよ。こちらも急に来たのだから」
謝る冬馬に玄十郎は気にしていないことを伝えた。
「ところで、さっきの話しなんだが…」
「遠山のことですか?」
「ああ、剣術道場をしていると言ったが、なぜ、ここに?」
「腕をあげるためだと聞いています」
「本当にそれだけか?」
「ええ」
「俺は違うと思うぞ」
「では何と?」
「技を盗むためではないだろうか?」
「盗む?、しかし、それは他流であろうが何であろうが盗むぐらいは道理ではないはず…」
「その盗むではない。わからぬか?」
東城寺も玄十郎の意を理解した。
「まさか…」
「奥義を盗むためではなかろうか」
「それは考えすぎではないでしょうか?」
「ならいいがな」
玄十郎は静かに目を瞑った。
 しばらくして隣室から蜜月が現れた。腰まであった黒髪はバサッと切られて短めにされていた。髪の毛は女の命という。その髪を切ることは余程の覚悟があってのことだろうか。
「お久しぶりです」
「ええ、覇行以来ですね」
「父は元気にしていますか?」
「ええ、元気すぎるほどですよ」
「そうですか、あまり無理はして欲しくないのですが…」
「大丈夫ですよ、あの方ならば病気など軽く吹き飛ばしてしまうでしょう」
「それもそうですね。ところで今日、来られたのは…」
「母定村に向かうためです」
「やはり、行かれますか?」
「ええ、ここまで来た以上、後戻りすることはできません」
玄十郎の言葉から強い意思を感じた。
「ならば私も行きましょう。お二人だけでは死にに行くようなものです」
「それは有り難いですがご遠慮願います」
「どうしてですか?」
「これは宗家に売られた喧嘩、分家であるあなたが出る必要はありません。それに…」
「それに?」
「母定村に行く前にあなたにはやることがあるはずです」
「やること?」
冬馬は蜜月に遠山のことを話した。話しを聞いた蜜月の表情が変わる。
「たしかに…、それはおかしいですね」
「今、中塚が遠山の家に行っていますが…」
「それでは手ぬるい、私も行きましょう」
そう言って立ちあがると蜜月は冬馬と共に部屋から出た。
「宗家、申し訳ありませんが…」
「ああ、構わんよ。気をつけて行ってこられよ」
「はい」
2人の足取りは徐々に静かになって行った…。残された玄十郎と東城寺は、
「すんなり終わりそうにないですね」
「まあな、俺たちも行ってみるか?」
「時間がないですよ」
「たっぷりあるさ、ないのは母定流のほうだろうな。余裕がない表情が目に浮かぶよ。お前はどうだ?」
「乗りかかった舟ですからね。構いませんよ」
共に頷くとゆっくりと立ちあがった。道場では相変わらず威勢の良い声が聞こえている。その脇を通りすぎようとしたときに門下生たちから殺気を感じた。視線を向けると声は消え、木刀から刀が現れた。
「これが狙いだったのかな?」
「おそらく…」
「かといってここを血で汚すわけにはいかないな」
「ならば外へ出ましょうか」
「そうだな」
そんな2人の会話をよそ目に門下生総勢20名はゆっくりと周りを囲む。玄十郎は包みを解いて刀を取り出した。東城寺はすでに刀を帯に差している。
「さて…」
玄十郎は中庭のほうに出た。剣士たちも囲みながら中庭に出る。道場のほうでは東城寺が刀を構える。
「殺すなよ」
「わかってる」
2人は会話をする余裕さえ見うけられた。
「行くぞ」
玄十郎は凄まじい速さで正面の剣士の腹部に一撃与えると悶絶した剣士の背中を足場にして一気に飛びあがった。そして、塀に乗るとそのまま外に向かった。
 一方、東城寺は剣士たちを牽制しつつ、ゆっくりと玄関のほうへ向かい、退路を確保していた玄十郎と合流した。亀石道場は山の手のほうにある。人目にはつきにくく、戦うにはもってこいの場所だった。
「さあ、やろうか」
玄十郎は道場から出てくる剣士たちに声をかけた。殺気は絶頂に達している。近くの森に棲む小動物たちが殺気に驚いて騒ぎ出している。空を飛ぶ鳥たちはその行方を不安そうに見守り続けていた。今から起こる惨劇に誰も止められないとも知らずに…。

 薩州幾天流は鹿児島の中心部にある。当代の藤堂義親は宗家当代に敗れたとはいえ最強の剣士であることには変わりはない。さらにここには先代金子玄十郎と門弟龍崎護が逗留している。
「そうか、動いたか…」
先代が言う。脇に控える藤堂が話しかける。
「ええ、どちらも優劣はつけられませんね」
「数では向こうが上だな」
「戦いは数だけでは決まりませんよ」
「まあな、それにあいつは俺に勝ったことだし」
「そうですね。少し悔しいですがね」
藤堂は苦笑した。
「悔しい?、ならばやってみるか?」
「そうですねぇ…、今はやめておきましょう」
「時期ではない、か?」
「そんなところです」
「時期が来れば俺に勝てるとでも?」
「ええ、そのときは必ずや」
「ならば待つとしようか」
2人はゆっくりと腰を据えて目を閉じた。そして、しばらくして開眼したときには何かの真意を見ぬいたような強い意思を秘めている表情をしていた。
「来ましたね」
「ああ」
そう呟いたとき龍崎がやって来た。
「師匠!、囲まれています!」
「そうか…、皆は?」
「それが…」
「寝返ったのか?」
「は、はい」
龍崎は見抜かれた驚きを隠せずにいた。
「案ずるな、どうってことはない」
「は、はぁ…」
盲目の剣士はそう答えるしかできなかった。
「で、数は合わせて何人だ?」
「わかりません」
「だろうな」
先代は苦笑した。すでに準備を整えた藤堂が声をかける。
「そろそろ行きますよ」
「わかった、お前は正面、龍崎は裏へ行け」
「先代は?」
「俺はここに残る」
「ここに?」
「ああ」
藤堂は不審に思いながらも何か考えがあってのことと思い、正面玄関に向かった。続いて龍崎も裏口へ行く。1人残った先代は道場の真ん中に立ち、再び目を閉じていた。ただ、口は笑っていた…。

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