【1972年−昭和47】68歳
論文・その他執筆
【1973年−昭和48】69歳
論文・その他執筆
【1974年−昭和49】70歳
論文・その他執筆
【1975年−昭和50】71歳
3月
立正大学教養部長を辞す。
著書『日本憲法学史研究』
論文・その他執筆
【1976年−昭和51】72歳
3月
立正大学を定年退職。
論文・その他執筆
【1977年−昭和52】73歳
著書「憲法制定前後――新憲法をめぐる激動期の記録――」
論文執筆
【1978年−昭和53】74歳
論文・その他執筆
【1979年−昭和54】75歳
著書「憲法学断想」
論文・その他執筆
【1980年−昭和55】76歳
執筆活動
【1981年−昭和56】77歳
11月
自由民権百年全国集会に参加
講演「日本国憲法制定前後」(第一分科会報告)
「自由民権と現代」をテーマにかかげ、北は北海道から南は沖縄まで、全国各地から多数の参加者が交流した集会(この集会の様子は、1982年8月10日記録文として出版された―自由民権百年全国集会実行委員会編集/三省堂)
論文・その他執筆
【1982年−昭和57年】78歳
論文執筆
【1983年−昭和58年】79歳
3月
愛知大学大学院を辞す。
8月7日
午前8時1分逝去。
憲法理論研究会会長、日本民主法律家協会名誉理事、憲法改悪阻止各界連絡会議代表委員、職場の自由と民主主義を守る中央連絡会議代表委員、平和・民主主義・革命統一をすすめる全国懇話会世話人、民主主義科学者協会法律部会会員
【1984年】
3月
「解放運動無名戦士の墓」(社会の進歩と革新のための運動に参加して亡くなられた人びとを合葬する−東京・青山霊園−)に名前が刻まれる。
亡くなる1983年まで、精力的に執筆された論文その他の著作は膨大な数となる。
“鈴木先生は、日本の憲法学を、解釈技術から社会科学に高められ、日本における「社会科学としての憲法学」の創始者となられた。また、日本国憲法の間接的起草者となられ、日本国憲法を擁護する運動の先頭に立ち続けられた。”
―金子勝・立正大学法学部教授―
“鈴木安蔵先生は、憲法学者として比較憲法史や自由民権運動期の民間憲法草案の研究を深められただけではなく、その成果をもって日本国憲法の制定過程にかかわり、さらにこの憲法を普及し、改悪を阻止するための運動にも身を投じられたという点で、日本国憲法の歴史のなかでは稀有の存在と言っていいのではないでしょうか。”
―川村俊夫・憲法会議事務局長―
※敬称は省略させて頂きました。