【1946年−昭和21】42歳
4月7日
日比谷の野外広場における「人民大会」に出席
「人民自身による人民の憲法をつくれ」というスローガンの下、自由民主党より石橋湛山も挨拶する。
8月18日
朝日討論会・審査員となる。(〜1949年)
●10月29日 日本国憲法制定
●11月3日 日本国憲法公布
憲法普及会 理事に就任
以降、研究の傍ら日本国憲法を解説・普及するために全国各地を奔走することになる。
著書『憲法と民主主義』『民主憲法の構想』『憲法と自由民権』『日本の民主主義』『近代日本』
翻訳・論文・その他執筆
【1947年−昭和22】43歳
●5月3日 日本国憲法施行
著書『自由民権運動史』『明治憲法と新憲法』『日本の憲法』『新憲法講話』『新憲法――解説と批判』
論文・その他執筆
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『新憲法――解説と批判』(昭和22年5月1日発行)の冒頭の序言は次のようにある。
「日本国憲法は公布された。それは、日本再建の根本基準を規定したものであるが、現実に、はたして真の民主主義日本、平和国家日本が実現されるかいなかは、この憲法が、いかに運用されるかに、かかっている。そしてその運用のいかんは、全国民が、この憲法を、どのやうに解するか、に過半がかかっている。われわれは、冷静に厳粛に、新憲法制定の意義、新憲法の根本精神・原則を、先づ正しく理解することに努力しねばならない。」
そして、最後にはこう書いて締め括っている。
「国民こそが統治権の根源であり、総覧者となったのであって国民の責任今日のごとく重大なるはないのである。」
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この年、恩師・河上肇(1946年1月30日逝去)の『自叙伝』が刊行される。
この『自叙伝』については後に遺族より侘び状が安蔵宛に届く。
追記の中でも後述します。