1945年−昭和2041


尾佐竹猛が所有する明治文化史資料の数々を案じていたが、一夜の空襲で、邸宅と共に焼き尽くされてしまう。

 追いつめられた日本軍は、本土防衛、九州決戦という方針を打ち出す。町田啓二・陸軍大佐は西部軍報道部(九州)に赴任の際、憲法に通じる者が必要とのことで、安蔵に依頼する。

多くの友人が死に、家が焼かれ、食料が乏しくなり、家族がちりぢりになる中、このまま東京で爆死するよりは、戦場で死ぬ覚悟で西へ向かう。

“「鬼畜米英」とか「一億総蹶起」とかのスローガンはきらいであったが、「白人帝国主義」「米英」からアジアを解放するということは、わたくしの信念に一致した。”と、自身の覚書の中で述べているが、同時に“わたくしの批判は情緒的で、理論を忘れていたかもしれない。”とも書かれている。  (鈴木安蔵著「八月十五日前後」参考、及び抜粋)

後にこの頃のことを「自己の政治的世界観の脆弱さ」と述懐する。

75

福岡へ向かう。

西日本新聞社のホールが軍報道部として使用された。火野葦平・長谷健(共に芥川賞受賞)と知り合う。

北島宗人・兵長もそこにいた。北島宗人(改造・編集部)の召集中、改造は「横浜事件」に遭遇していた。

86日 広島へ原爆投下)

89日 長崎へ原爆投下―西部軍報道部の写真班その他は、ただちに現地へ向かう)

815

玉音放送(敗戦)

―報道部解散―

東京へ戻り、後、福島へそして再び東京へ。

922

都留重人に案内され、ハーバート・ノーマンが安蔵宅を訪れる。 ノーマンは、大日本帝国憲法の根本的改正が必要であることを示唆する。

1018

NHKラジオ放送で、「大日本帝国憲法の根本的改正の必要性」を主張。

東京新聞1018日号が同上の報道(1015日の同盟通信社での談話)をする。

安蔵は、「憲法改正の根本問題」「憲法改正の意義」「民主主義の実現と憲法改正」などをやつぎばやに発表する。

1023日 

GHQ政治顧問事務所のエマーソン所員は「憲法改正についての日本人の意見」と題する書簡をダグラス・マッカーサーに送る。

その中で、“憲法改正の必要性を明確に指摘している”と安蔵を評価。“政党内閣が発展しなかったのは、大日本帝国憲法に原因がある”という安蔵の主張に同調。(毎日新聞200785日付・参考)

1029

日本文化人連盟の創立準備会 

高野岩三郎が結成した「日本文化人連盟」に出席。

国民自身が憲法運動を起こす必要があるという高野岩三郎の態度に強い印象を受け、憲法制定問題は個人の意見表明で終わる問題でないと自覚。憲法研究会へ参加。

115日−日比谷のビルの一室(新生社)にて−

第一回 憲法研究会 (左翼知識人を中心に保守派を含むリベラルな集まり)

メンバー  高野岩三郎・杉森孝次郎・森戸辰男・岩淵辰雄・室伏高信・鈴木安蔵(今中次磨、有竹修二、鈴木義男らも参加ないし発言した)

1114

第二回

1121

第三回の後、第一案「新憲法制定の根本要綱」作成。

1128

第四回 この時、高野は日本共和国憲法私案要綱を提示。しかし、憲法研究会の総意に至らなかった。 

1129日 

第二案「憲法改正要綱」を作成――六名の連名で、各方面に送付。

125

第五回 大内兵衛から届いた財政・会計の項を検討し加える。

第三案 新「憲法改正要綱」をまとめる。 

12111217日に加筆作成、起草。

122324日公表用の憲法草案として整理する。

25日夜半に清書が完成。

1226

第六回 「憲法草案要綱――憲法研究会案」を検討し、その場で修正を加える。

「抵抗権」の削除、「労働の義務」の追加。これは、条項に一人でも異議のあるものがいれば載せないという安蔵の方針による。

憲法研究会における草案要綱の作成、加筆はすべて鈴木安蔵により行われた。

 
安蔵が、起草に当たり参考にしたのは、「人および市民の権利宣言」(フランス)、「1793624日憲法律ならびに人および市民の権利宣言」−ジャコバン(山嶽党)憲法−(フランス)、「1919811日のドイツ国憲法」(ワイマール憲法)、植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」など。

 
確定した「憲法草案要綱」は、先の六名とジャーナリストの馬場恒吾の署名が付され、三通作成。

・首相官邸(幣原内閣)へ提出

・官邸記者室により新聞記者に発表――1228日新聞発表(検閲後)

GHQへ提出――GHQは大きな関心を示す。

 
 鈴木安蔵は、1945年12月29日、毎日新聞記者の質問にたして、起草の際の参考資料に関して「明治15年の植木枝盛の『東洋大日本国国憲法』、土佐立志社の『日本憲法見込案』など、日本最初の民主主義的結社自由党の母体たる人々の書いたものを初めとして、明治初期、真に大弾圧に抗して情熱を傾けて書かれた二〇余の草案を参考にした。また外国資料としては1791年のフランス憲法、アメリカ合衆国憲法、ソ連憲法、ワイマール憲法、プロイセン憲法がある」と談話を発表している。(
19451229日付『毎日新聞』)


11
16 「婦人政治講座」始まる(7)――新日本婦人同盟主催(113日結成)講師鈴木安蔵・市川房枝ら

論文・その他執筆・座談会出席

トップへ 

 次へ