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症状・治療 入院 検査 抗がん剤△CA125□CA19-9 ☆ミSTN 感想 快調 副作用
2003/ 7・8 22ヶ月間休薬していたが、マーカーが上がりだし、再発の可能性が高い。 2001/10から22ケ月間治療を休んでいた。 CA125
△6→8
再発したものの、抗がん剤治療で治り、22ケ月間治療を休み、完治かと思われた。しかし、W期の場合は再発は避けれないのは宿命か。体調は良く自覚症状は無いが、マーカーが上がりだし、じわじわとがん細胞が増殖をしているのではと心配される。
2003/
9・10
CTとMRIで腹部と胸部と検査をするが、異状は見つからない。PET検査なら小さな腫瘍も検出できるものと思われるが、生憎病院には無いし、近くの病院にも無い。 腫瘍がもっと大きくなり、再発と確認できないと、抗がん剤治療が始められない。マーカー急上昇
△37→42↑ 
□---
☆670→700
癌の再発は疑いないが、場所が不明である。来週より検査をすることになりました。抗癌剤のタキソールが三度目も効くかどうか不安である。 予想していたこととはいえ不安である。
11・12 太ももの付け根のリンパに転移 以前にも転移した太ももの付け根に何となく違和感を感じる。触診で異状が認められる。 注射器でリンパ液を採集。がん細胞を発見。 10日間入院をして(12/2〜12)、抗がん剤を再開する。拒否反応が無かったので、以後は通院で点滴。22ケ月間休薬したので、前回と同じタキソールと思われたが、耐性を考えてタキソテールにする。 抗がん剤治療再開

タキソテール+パラプラチン(3thライン)のウィークリー
△40→98↑
急上昇
□--
☆750→800
気休めですがアメリカでベストセラーになっていて、多くの医者も利用しているといわれる健康食品を個人輸入して服用をはじめた。偶然かマーカーが上げ止まる。しかし、一ヶ月もすると又上がりはじめる。抗癌剤タキソールには無かった吐き気があり食欲がなくなってきました。今までになかった副作用に途惑っています。矢張り髪の毛も抜け出しましたが、鬘と言う強力な助っ人がいるので気になりません。 量が少ないとはいえ矢張り抗癌剤ですね。どうもタキソールよりも相性が悪い。
2004年 卵巣がん五年目
1・2 白血球が1800になっていたので抗癌剤は一週間延ばしました。ウィークリー法で、月に三回点滴して、一週休む方法です。根治を目指さず、共存する道を選んだので、無理にマーカーを下げる治療はしない。したがって、月に二回程度やるようなする。その方が自己免疫力を下げずにすむのではと考えています。
マーカーは元に戻る
△37→7↓ 
□--
☆80→26↓
軽い副作用 三回目から髪の毛が抜けました。 初めてですが味覚障害が出て、特に甘味と醤油の辛さが無くなり食欲が落ちました。三週間経ってやっと味覚が戻ってくる。すっかり元気になり友達と映画を見に行くほどになる。
3・4 白血球が2100しかなく(4500〜9000)抗癌剤の点滴が一週間延期になりました。ウィークリーにしてからは、白血球の下がりは少ないので、白血球を上げる注射はしていません。
△6→7 
□--
☆24→22
自然に任せていたのですが、白血球がヤット2700に上がってきたので、抗癌剤を点滴しました。ほんのり顔がお酒を飲んだように赤くなっています。四回目頃から副作用が日増しに軽くなり、腰が痛む以外には特にないです。(重くなるのが普通なのに?)。治療は中止してもいいのですが、主治医はがん細胞がリンパに入っているので、しばらく駄目押しに抗癌剤を継続しようと言われ途惑っています。
5・6 白血球が1800しかありません。長年の卵巣癌の闘いで白血球の生産能力が疲れてきたのでしょうね。
△6→7 
□--
☆24→22
涙が出るという新しい副作用がでてきましたが、二週間で止まる。
7・8 エコー検査で胸部に影を認める。乳がんの再発かと心配されたがMRIで異状なしと診断される。
△6→7 
□---
☆20→35↑
髪の毛も生え揃ってくる。まだ四センチくらいですがショートカットなら通るかも。
9・10 ☆STNが微増しだす
△6→7
□---
☆60→100
自覚症状は無く快調である。
11・12 CA125は微増で異状は認められないがCA19-9が72.4に、STNが300にもに急増している。STNは腸の腫瘍に良く反応すると言われる。腸の何処かに転移して腫瘍が増殖していると思われる。CTを撮ったが矢張り判明しない。PET検査で、腹腔内に広がったと思える腫瘍を探したいが、病院にPETが無い。
△10→7
□---
☆200→300↑
STNが腸転移を教える
30前後であったSTNが200にもに上がり、CTを撮ったが矢張り判明しない。PETの出来る所をを探さなくては。愛知県には四台しかないです。七月ごろからSTNが上昇傾向にあったのに、抗がん剤を三週ごとにしたりと、手抜きをしたせいかな。。三春の岩盤浴に 12/22〜27日まで行ってくる。
2005年 卵巣がん六年目
1・2 腸に転移
STNが180から250に上がって、やっとCT検査で腸に数個の腫瘍を発見できる。 CA72-4も 45に上がる。 ところがCA125はまだ反応していない。 再発の可能性がある時は、複数のマーカーで監視しないといけないですね。 入院して抗がん剤をバイプラチンからタキソテール+トポテシン注に替え、ウイークリーででする。(毎週一回)点滴のたびに三日間入院。


トポテシン注に替える
タキソテール(40mg)+トポテシン注(100mg)
△18→23
□80→35
☆200→180
抗がん剤治療の変遷
(1)1999/10 〜2000/2タキソール+カルボプラチン1stライン
(2)2000/12 〜2001/10転移先は不明再発してタキソール+シスプラチン治療。  2ndライン
(3)2003/12 2004/12腿の付け根リンパに転移、タキソテール+バイプラチン3rdライン
(4)2005/1〜腸に転移、タキソテール+トポテシン注治療を始める。
3・4 通院治療。 八時半に受付を済ませ、血液検査と診察をします。そして白血球が高ければ、抗がん剤の点滴をして、一時頃にはすべて終わります。
△18→23
□80→35
☆200→180
抗がん剤治療の変遷
(1)1999/10 〜2000/2タキソール+カルボプラチン1stライン
(2)2000/12 〜2001/10転移先は不明再発してタキソール+シスプラチン治療。  2ndライン
(3)2003/12 2004/12腿の付け根リンパに転移、タキソテール+バイプラチン3rdライン
(4)2005/1〜腸に転移、タキソテール+トポテシン注治療を始める。
5・6 MRI検査異常なし
△ 24→19
□33→20
☆180→90
CA125が上げ止まってきたのは、ラジューム温泉の効果かなと? 勝手に判断しています。
7・8 骨シンチ検査、腹部、乳腺のエコー 異常なし
△16→18
□6→7
☆60→80
 7/9〜14まで、三春のラジューム温泉の岩盤浴 に出かける。玉川温泉よりも放射線が強く効果がある感じなので、今年で三回目である。テレビで報道されたお陰で、大混雑である。リピーターが多いのは効果のある証拠かな?
9・10 白血球が2600ありましたので、抗がん剤は出来るのですが、それほどにマーカーを下げる必要はないので延期する。

二ヶ月で三回は少なすぎた。マーカーが上がる
マーカー微増
△30→58
□10→20
☆110→240
白血球2500。最近は抗がん剤疲れか、三日間位は食欲が落ちます。  軽い吐き気がありますが、もどす事はありません。お粥にしたり、お茶漬けでかきこんでいます。9/28〜10/3三春の岩盤浴に行きます
11・12 マーカーが上がったのは、抗がん剤に耐性が出来たのではなく、九月に抗がん剤を一回しかしなかったためか? 矢張りウィークリー法だから、月に二、三回はしないといけないようです。

6回以上は無駄か、逆効果?
△53→30
□18→16
☆240→130
回数を増やしたら元に戻る
抗がん剤をした直後から、少し気持ちが悪くなり、食欲が落ちるが、頑張って普段と同じ量を、工夫して食べている。食事療法を考えて、がん細胞が喜ぶ、動物性蛋白、糖類、塩分等はこの六年間極力抑えてきた。しかし、テトボシンにしてからは食欲が落ちるので、先ずは食べれることが大事であると、肉でも、キムチでも、ケーキでも食べることにした。 点滴後の食欲減退は三日ほどで回復する。
2006年 卵巣がん七年目
1・2 明けましておめでとうございます。 今年も抗がん剤点滴で始まりましたが、二ヶ月間に五回は真面目にやります。< 1月は3回
2月は2回にしました
△27→34
□20→13
☆140→120
上手に共存するには、ウィークリーを二ヶ月間に四〜六回はしないといけない感じです。 これが六回しても、マーカーが上がれば耐性が出来たことかな。次の抗がん剤を探さなくては。CA125がここにきて微増しているが、他は減少している。不可解な動きである。白血球は自然に任せて、2000〜3000の間ですが、2700位のときが多いです。 2月の検査ではCA125が25%アップ。CA72-4が35%ダウン。STNも14%ダウン。
3・4 マーカーCA125,CA72-2,,STNがまだ高止まりしているから油断できない。抗がん剤とせめぎ合いをしている。弱みを見せたら負ける。
△29→30→
□11→8.3
☆110→99
マーカーが三つとも下がる。白血球が2400〜2700で低いが点滴をする。三日後からは食欲旺盛である。3/25「足柄山の金時さん」の伝説の山、標高約1200mの富士山の展望台、金時山に登るほどに元気。 四月になりマーカーが横ばいだから、三回やるしかないかと迷うが、CA125以外が揃って下がっているので二回にする。三週続けて休薬するので一寸冒険ですが。
5・6 待望のPET-CTが設備されたので、早速撮りました。結果は、がん細胞は、骨盤、肺、腸に固まって大人しくしている。 再々発してから32ヶ月連続でして来た抗癌剤治療を中断して様子をみます。
6月は3回の予定でしたが、2回で休薬します
△31.0→30.5
□6.3→8.9
☆91→110
息子の結婚にそなえ四月から28日間抗がん剤を休む。白血球は3400にまで上がり快調である。28日間も休薬したのにマーカーは落ち着いている。副作用も軽く二日で抜ける。点滴後も白血球は2700で相変わらずである。 4、5月の抗癌剤4回は矢張り少ない。STN、CA72-2が微増してくる。 治療中断は二ヶ月と持たずに抗癌剤の再開になるような気がしますが、自己免疫力をあげる努力をして頑張ります。5/31から三春岩盤浴に行く
7・8 MRI検査異常なし。 各マーカー共微増しだしたが、劇薬の抗癌剤は身体に良くないので、もうしばらく中断して体力を温存しようと云う作戦です。 三ヶ月間休薬 (6/14〜9/19)△27.6→38.3↑
□7.9→9.6↑
☆96→130↑
三春効果か?半信半疑で引き続き休薬です。体感する体調も良く食欲旺盛です。白血球も2900→3800と好調です。7/14から気休めに?三春岩盤浴に4 泊で行く。2ケ月間休薬の結果・・・半年前に戻りました。もっと逆戻りするかと心配したがまあまあの結果であった。白血球は3500でその割りに上がっていない。
9・10 CA125が30→80→201にUP 。三ヶ月間の休薬は矢張り、がん細胞を元気付けたようです。9/5の検査でCA125が80、10/3では201にまで勢いづけてしまいました。 抗がん剤再開9/19〜
9月は2回
10月は3回の予定が二回に 、タキソテール40mg+カルボプラチン150mgに替える(流しにソリター3号200ml、吐き気止めにデカトロン100ml)
マーカー急増
△80→201
□9.3→
☆130→180
白血球は4200でUPしましたが、各マーカーとも大体想定内ですが上昇しました。休薬したお陰で体調はすこぶる快調です。マーカーを三ヶ月以内で元に戻せれば儲けであったのかな。 9/16は満七年の手術記念日 9月に2回抗がん剤をしましたが10/3のCA125は上がり続けています。休薬したことで耐性ができたのか?休薬で血液中の抗がん剤濃度を上げるまでに時間が掛かりそうです。抗がん剤は難しいです
11・12 休薬は成功です。
CA125が201→25→11.6
CA72-4も9.6→3→3
STN も180→ 53→ 23に激減 ! ! 胸部、腰CT乳がんマンモ診察。エコー検査


11月は2回 通算100回目の抗がん剤治療記念日
マーカー激減
△25→11.6
□3→3
☆53→23
STNは24ヶ月振りの最低値
CA125が30前後で二年間も高止まりしているので、耐性が出来たのではと心配でした。しかし、休薬の変化球で前よりも下がり大成功です。ある人いわく、フェイントをかけた猫の目療法(ノンプロトコール・プロトコール)だそうです。STNも24ヶ月振りの最低値(^^♪ 腸に潜んでいたがん細胞に効いたようです。白血球は2800〜3800 [訂正]休薬後はイリノテカン→カルボプラチンにしていました。これも相乗効果となったか。
2007年 卵巣がん八年目
1・2 CT検査の結果::肝臓、肺にかすかな影が有るものの異常なし。抗がん剤の再開で押さえ込まれたようです。乳がんの次回検査は9ヶ月後
2月も2回で済む
△10.4→10.9
□3→3
☆16→22
白血球は2900〜3200で、副作用も殆ど感じられないが爪が黒ずんでくる。三日目辺りに少し箸が重くなるが、食欲は落ちるほどではない。通院による抗がん剤治療が認められ大変に有難い思いをしているが、普及があまり進んでいないようで。
3・4 マーカーが待望の一桁になったので、三月は一回に減らせました。幸いマーカーは安定している。 3月は1回
再び2桁を目指し4月は2回
△9.6→10.0
□3→3
☆18→18
二ヶ月間に四回は丁度良い回数かと思っていたが、マーカーの調子いいので、三月は一回だけにして貯金します。四月の検査で上がらなければいいが。白血球2200〜2500と少し低迷している。
5・6 二ケ月間に四回抗がん剤をすると下がるが、三回では微増するようです。 5月は2回になりました
6月は2回
△10.5→14.5
□3→ 3
☆23→21
一週間後で白血球2200と低いですが二週間後に3700まで回復
CA125が微増しましたが我慢して、来週6/26に延ばして、6月は2回にします
7・8 抗がん剤の点滴の一日後から二三日間は、少し食欲が落ちるがすぐに元に戻るパタンでした。ところが七月中旬より原因不明の食欲減退から、拒食症に近い症状が。一日に茶碗に半分も食べれずピンチです。ブドウ糖の点滴やエンシュアリクッドで過ごしています。 CRP - 体内のどこかに炎症がある場合上昇する指標値は下がってきているので回復傾向・・ 24→18です。夏風邪風の微熱もあり 7月は2回になりました
8月は2回?
△12.5→
□3→
☆22→
七月中旬に立山登山を計画して、抗がん剤は、繰り下げしました。結果は?・・・台風で登山は延期になりました。マーカーは抗がん剤の点滴の何日後に採るかによって、変動するようです。一寸した揺らぎには動揺しないように!!
歩くのが辛く、病院内の移動は車椅子で・・初体験
永久の別れ  たくさんの皆様の励ましにもかかわらず2007/8/10 午前 7:52に永久の旅に旅たちました。

7/13  
友達とお茶の約束をしたのですが喫茶店の名前をうる覚えで、炎天下を歩き回って疲れて帰ってくる。日射病になったのか? それ以後食欲が落ちてくる。・・・・前兆

7/14,15,16
子供達夫婦と立山登山を計画して、室堂と立山高原にホテルを予約して楽しみにするほどに卵巣癌の治療は順調に経過していた。残念なことに台風で登山は中止になった。

7/17 
最近食欲もなく心配でしたが、 立山登山のために延期していたので抗がん剤をしてきました。CA125は12.5に下がっていて、一安心です。白血球も3600と久々に高かったです!!・・・ 白血球が高くなっているのは夏風邪くらいと軽く考えて、、肺に炎症が起きているとは気が回らなかった・・
7/18〜7/23
相変わらず食欲が無く、日毎に食事量が落ちていく。食事に一時間くらい掛けるが、辛子明太子ゃお茶漬けをするが、茶碗に三分の一くらいである。

7/24 
 白血球が3800と今回も高いので、このときとばかり連続して抗がん剤を提案されました。微熱が(37.2)続いているから白血球が高いのではと指摘、CRPも高く心配だから今回は抗がん剤は延期したいと云いました。ところが主治医はCRPは下がってきているのでいい方向に向かっていて問題は無い。腫瘍マーカーが微増してきているので、今回は点滴をしたいと云われ押し切られる。 以前に肺に転移しているので念のためにCT、MRIか撮るよう提案すれば良かったと悔やまれる。
咳は出ないかと尋ねられ、出ないと答えたら、微熱は夏風邪かもしれないからと風邪薬を処方される。
せめてその時に聴診器を当てれば肺炎とすぐに診断できたのに。主治医も典型的な?今風の医者で患者を診ずにパソコンを診察している!! 
(病院関係者に聞いた話ですが最近の医者には、聴診器はアクセサリーで使いはするが、聴き取りができない医者が結構いるとか。
画像診断はできないのは驚かないが・・聴診器が使えないとは)
矢張り一番大事なことは検査よりも、患者の体感する症状を正確に医者に告げることですね。その時に医者は、医者の敷居の高さを考慮して患者に話しやすくする環境を作り、上手に体感する体調を話すように誘導すべきですね。医者を喜ばせようと良いことだけを話すのでなく、痛い、痒い、違和感、不安・・・
抗がん剤で食欲が無くなるのは三日程度であったのに今回は三週間も続いている。その原因とCRP、微熱の原因を精査しなかった事に主治医も謝っていました。八年間お世話になった医者を責める気持ちは有りませんが、これからの患者のためにもひとこと言っておくべきかとも迷ってもいます。

7/28
 息子たちが心配して見舞いに来てくれる。二三日前に気分が変われば食欲が出るかと思い外食に行く。好きなお好み焼きを頑張って四分の三食べる。それではと子供たちとレストランに行くがスープを半分飲むだけである。
一段と体力が落ちてきている。・・・・この段階でなぜ精密検査を受けなかったか悔やまれる・・・・

7/30 
食欲が殆ど無くこのままだと体力が落ちると、ブドウ糖の点滴を通院で受けてくる。

7/31
定期通院日で通院するが、歩くのがしんどくて、初めて院内を車椅子で移動する。多分肺が侵されていて酸素が取り込めずに苦しかったのでしょうね。ブドウ糖の点滴と、エンシュア経口栄養剤(一缶250ml 250Kcal)を頂いてくる。
まだ、肺炎を疑ってもいない。お粥を作っても手もつけようとしない、エンシュア経口栄養剤を2〜3缶でヤットである。
カロリーのありそうなアイスクリームを奨めるがスプーンは二三回で止まる。

8/7
定期通院日で通院の準備をするが歩くのが辛そうなので救急車を依頼する。救急隊はパルスオキシメーターで計測して即刻酸素吸入である。肺の能力が落ちていると即断する。(主治医はなだったんだ、患者を診ていないでパソコンしか診ていない)
病院では呼吸器内科で担当され、すぐにレントゲンを撮る。呼吸器内科の先生の宣告
 「右の肺は真っ白、左も三分の一は侵されている。はっきり言って三日です、もって一週間。期待しないほうが良いです、親族の方に連絡してください。」
延命治療はされますか? 今までの卵巣癌の治療経過からして、人工的な延命治療は奨められませんと言われる。
私もそれには同意するが、もってあと三日はなんとしても納得できなかった。
八年も毎週通院治療を受けてきたのに、突然に肺炎でそれも末期とは信じられなかったです。
処置室(リカバリ)に入院。気管支鏡検査で見たり細胞検査をするがはっきりしない。酸素吸入をしながら、肺炎を抑えるために病院手持ちの強力な方から手当たりしだい抗生物質を試してみる。上手く効くのを願うだけです。

8/8
レントゲンを撮る。まだ少し良かったほうの肺にも水が溜りだし広がっている。抗生物質の効果が期待できない。
体温は平熱です。実にたちの悪い肺炎です。
姉妹、子供達に囲まれて実に嬉しそうです。昔の思い出話に花が咲き、かあさんの独演場でした。隣の部屋にも聞こえるほどにハイになっていました。結婚して初めてみる嬉しそうな顔、しゃべり方でした。
思えば最後の力を振り絞り花を咲かせたのでしょうね。
でも本人は不安だったんでしょうね。寝ていて鼻息も聞こえるのでぐっすり寝込んでいると思いトイレに行き帰ると、ベッドに半身おきて、点滴を外しパジャマを着替えて帰ると準備します。私に置いていかれると思ったのでしょうね。
その後は身体を動かしたために呼吸が困難になり、パルスオオキメーターの正常の100近くになるまで大変に苦しみます。全身で呼吸して回復するまで相当かかります。
安心させるために常に手を握り、手が疲れると狭いベッドに添い寝をして少しでも安心して寝れるようにしました。

8/9
静かに寝ていれば話す程度はできるが、腰が痛いのか寝返りを打とうとすると、筋肉で酸素を必要とするために途端に呼吸が苦しくなり、全身で苦しそうに呼吸をする。辛いのか点滴も外そうとするので目が離せない。
夜になり近くの親戚が見舞いに来る。嬉しそうに話すが、きつそうで返事をする程度でした。

8/10 7:57
午前四時過ぎにパルスオキシメーターが40近くにまで急に下がり看護師さんが飛んでくる。瞳孔を見たり、足先の温かさを見て、もう近いです、亡くなるまで耳は聞こえているので励ましてあげて下さいと、見切りをつけて詰め所に帰る。
家族一丸となって励まし、昔の思い出を感謝を込めて話しかける。するとどうでしょう。パルスオキシメーターが40近くで瀕死の状態が、窓から見る東の空が明るくなり、日が昇るとともに50、60から70前後まで上がってくるではないか。
ひょっとしたら二度目の奇跡が起きたとかすかな期待を持たせました。
そこに出勤して来た呼吸器内科の先生が部屋に見えたのでその奇跡の経過を話すと「もう耳は聞こえていませんからねと」、突き放すような言い方をされました。多分それが桂子に聞こえていたのでしょうね。医者が部屋から出られたあと、数分で一瞬のうちにパルスオキシメーターはゼロになり呼吸は停止しました。なんと患者やその家族の神経を逆なでする言動には許しがたいものを感じました。

思えば 癌での痛みも無く、副作用にも苦しむことも無く、先日の抗がん剤治療には片道4Kmの病院に歩いて行き、点滴後にも歩いて帰り、スーパーに遠回りして買い物までしてきたほどです。こんなことになるとは青天の霹靂です。
最後に息子の嫁(大学病院の臨床試験師)と主治医との話でも「もあの時もっと注意してレントゲンを撮っておけば良かった」と謝っていました。云えば完全に医療ミスです。
しかし、八年間の抗がん剤治療で免疫力の落ちた身体には、たとえ早期に診断できても治せたかはわかりません。
余命三ヶ月と云われてから、八年間お世話になった先生を責めることはできずに御礼を云って辞しました。
今日は今にも目を開けそうで、うっすらと含み笑いをした穏やかな顔の妻を荼毘にふしました。たくさんの人に見送られて幸せな人でした。
皆様の長年にわたる励ましに感謝します。


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