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すずきさん、いつも閲覧はしていたものの、
なかなか書き込みはできずにいました。
母は4年前に粘液性卵巣癌に侵され、手術、抗癌剤6クールをし
その1年後に再発。
ウィークリータキソールで3ヶ月ほど頑張ったのですが
副作用が酷すぎて治療が続けられず
考えに考えた末、2006年3月、本人の希望で治療をしないと決めました。
それからは温熱療法や健康食品などを試し、
ここで集う皆様とは違う形ではありましたが母なりに頑張って
癌と闘ってきました。
一時は抗癌剤を使用していないのに癌の発育が止まったかと
思われるほど元気になりましたが、やはり共存は長くは続かず
じわりじわりと癌の力が強くなってきました。
2007年6月腹水の量が段々と多くなってきて
かなり苦しさと痛みを訴えるようになったため緩和ケア病院へ転院。
できるだけ家で過ごしたいという母の願いをくんで
痛みが強くなると入院し痛みのコントロールをし、
落ち着くと退院、という生活をしてきました。
食事も好きなものを少しずつ摂り足りない分は
2日に1回高カロリー輸液をして補っていました。
痛み、苦しみが落ち着いていれば孫達の姿を見て笑い
座りながらでも遊んだりしていました。
母は苦しかったかもしれませんが、それでもこんな平和な日が
1日でも続けば・・・と願っていましたが
9月半ば、2回目の腹水穿刺の後から容態が変わりました。
腹水は1回目は黄色透明のものだったのが2回目は血性で
ドロドロで、ほとんど引けない状態。
腹水穿刺後は40度近い高熱が出たり下がったりが2,3週間続きました。
痛みもロキソニンで抑えられていたものが麻薬を使用しなければ
ならないくらいになり、便秘、吐き気が強くなりました。
それからは坂を転がるよう悪くなっていき
嘔吐が日に何度もあり、痛みも強く麻薬の量もどんどん増えていきました。
そして11月4日、ついに愛する母が永い永い眠りについてしまいました。
麻薬でも取れない腹部の苦しさに朦朧としながらでも何度も
起き上がったりし、亡くなる2日前までポータブルに降り
うがいも自分でし、水を含み、意識があったのでうなずいて受け答え
していたので未だに亡くなった事が信じられません。
通夜も告別式も済ませたのに、まだ実家や病院に行けば母がいるようで・・・
だから胸にくすぶっているものがあるのに涙が出ません。
これから現実にしっかり気がつけたときどんな悲しみに
襲われるのかと思うともの凄く怖いです。
でも、乗り越えなくちゃいけないんですよね・・・
なんかダラダラと書きなぐってしまいましたが
母の近況を御報告させていただきました。
いままで何度も鈴木さんはじめ、みなさまに励ましていただき感謝しています。
このホームページに出会えて本当に良かったと思っています。
ありがとうございました。
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