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すずきさん、みなさま
ご無沙汰しています。母が2年少し前に卵巣がんとわかり、ときどき投稿させていただいているりんごです。
今年はじめにマーカー(CA125)上昇傾向の報告をしたきり、
自分たちの生活でバタバタしていたのと、気分的にがん関連の情報を遠ざけていて、
すっかりご無沙汰していました。
その後、パクリタキセル+カルボプラチンの投与間隔を縮めたものの、上昇はおさまらず、
薬を変えてみることになりました。
エトポシド経口+シスプラチンです。保険適応外ですが、治療ガイドラインでは再発卵巣がんの治療法として挙げられています。
が、再発の薬はどれも奏効率が低く(2割前後)ショックです・・・
母は普段とさほど変わらないものの、昼間は横になっていることも多く疲れやすくはなっているようです。
主治医の話では、腹水も増えてきて、発見当初の癌性腹膜炎状態に戻りつつあるだろうということ。
これが効かなかったらパクリタキセルのウィークリーをやってみて、あとは緩和ケアをどうやっていくか、という感じで。
それがどんなタイムスパンでやってくるのかわかりませんし、どこまでどんな風に本人に話していってよいのか、悩んでいます。
今は新しい薬が効くだろうと思って(奏功率は知らせていません)、ときどきは「こんなにしんどいならもう薬をやめたいとも思うときもあるわ」とは言いながらもがんばっています。
新しい薬に経口剤が選択されたのは、術後落ち着いてからはすっと通院で治療をしてきて、
入院を本人が嫌がっているということもあります。
点滴の方が効果があるのかなとも思いますが、入院で5日間の点滴ということで、
効果がなかったときにはしんどい思いをさせるだけかもしれません。
もっとほかにできることはないのか、といっても本人が治療をしんどがり始めているので、このまま今の先生にお世話になって最期まで・・とか、
母がいなくなったらこの家(私は独立しているので父と妹だけになります)はどうなってしまうのか、とか、
遺影はどうしよう、治療しはじめてから写真はとりたがらないし、脱毛前の写真がすぐ見つかるか、
とかどんどんひとりでネガティブになっています。
もはや、新しい治療法を模索するよりは、残りをいかに過ごすか、的な考えにしていった方がよいのでしょうか。
離れて暮らしている私としては、ともに暮らす家族への不満を感じています。
父も妹もぜんぜん病気について話し合うことはないし、ときどき私も実家へ帰って様子をみていると、どうも母にほとんどの家事をさせているので。
特に妹などは、夜帰りが遅くなっても平気だし(遅いと心配して母が駅まで歩いていくのです)、弁当まで作らせています。
母に負担をかけないように私が少し言うと、すぐにメソメソしたり、「仕事辞めたほうがいいのかな」と極端なことを言います。逆に「おねえちゃんに怒られた」と母に言いつける始末です。
食べたあとの食器はさっと片付けるとか、自分の服は自分で洗う(手入れのいるものは母が手洗いしています)、弁当は自分でいれるかできないなら出勤途中で買う、くらいのちょっとしたことをやってほしいのです。
長々といまの思いをはきだしてしまいました。
久々に急に来てこんなことを言ってすみません。
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