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ずっとこのサイトを見させていただいたものです。
母が卵巣癌で昨日 11月10日午後6時3分 亡くなりました。
2回の手術、15回以上の抗がん剤治療にがんばって耐えてきた母ですが、昨日その苦しみからやっと解放されました。
初めて病気とわかった時には、腹水が10Lもたまっており、母自身とても苦しかっただろうと思います。その後、手術、抗がん剤治療で寛解になりましたが、約3ヶ月で再発。
セカンドラインのタキソテールで治療していましたが、その治療中、今年の1月肝臓に転移が見つかり、
抗がん剤を変更しましたが、腫瘍マーカーも下がらず、腹水がどんどん溜まってしまう状態になってしまっていました。それが、今年の8月のことです。
母の日記を昨日読みましたが、そのころから少しずつ痛みが出てきていたようです。それも私は気づくことができませんでした。
苦しい治療の合間で、母の念願だった四国八十八か所めぐりに行くことができ、
先月10月には和歌山の高野山にお参りに行けました。その時もかなりしんどかったようです。
10月20日から最後の抗がん剤治療を行いましたが、もともと腎機能が悪く、予想以上に腎機能が悪化していたため、体にかなりの負担になったようです。10月27日に1度退院しましたが、10月29日 頻回の嘔吐のため夜間に緊急入院し、そのまま家には帰ることができず、逝ってしまいました。
11月5日ごろから胃の激痛のため、麻薬での疼痛緩和を行い、痛みはコントロールできていたので楽だったと思います。
11月10日 朝より急に血圧が下がり、酸素飽和度も下がり、意識も朦朧とした中で、
何時間も「せこい、苦しい」を繰り返し、見ている家族はとても辛かったですが、
よく頑張ったと思います。頑固で我慢しなくていいところで我慢する母が、「苦しい」といっていたので、かなり苦しかったんだろうと思います。
主治医の先生からは8月の時点で早くて半年、長くて1年といわれていましたが、駆け足で天国に引っ越ししていってしまいました。
自分が動けなくなった時が心配だと言っていた母なので、悪くなって短期間で亡くなったので
苦しい期間も短かったので、良かったのではないかと思います。
でも、母はまだ57歳、私も24歳。これから楽しい老後を迎え、私が親孝行していくはずだったのに、それが悔やまれます。
まだ母に電話したら、メールしたら返事が返ってくるのではないかと思うぐらい、実感はわきません。でも、苦しい闘病生活・痛み・死への不安などから解放され、自由になることができたので、とてもよかったのではないかなと思います。
私自身の涙はまだまだ止まりそうにありません。悲しいですが、母が苦しみから解放されたので、妙な安心感もあります。
母の死をしっかり受け止めていきたいと思います。
お母さん、お疲れ様!24年間育ててくれてありがとう。またね。
3年7か月このサイトを見て、とても励ましになっていました。これからも、このサイトを見ていきたいと思います。ありがとうございました。
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