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... ひでみん 08/11/11(火) 11:01
... すずき 08/11/11(火) 14:42
... ちゅん 08/11/11(火) 23:42
... みい 08/11/27(木) 22:05

3年7か月
 ひでみん  - 08/11/11(火) 11:01 -

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   ずっとこのサイトを見させていただいたものです。
母が卵巣癌で昨日 11月10日午後6時3分 亡くなりました。
2回の手術、15回以上の抗がん剤治療にがんばって耐えてきた母ですが、昨日その苦しみからやっと解放されました。
初めて病気とわかった時には、腹水が10Lもたまっており、母自身とても苦しかっただろうと思います。その後、手術、抗がん剤治療で寛解になりましたが、約3ヶ月で再発。
セカンドラインのタキソテールで治療していましたが、その治療中、今年の1月肝臓に転移が見つかり、
抗がん剤を変更しましたが、腫瘍マーカーも下がらず、腹水がどんどん溜まってしまう状態になってしまっていました。それが、今年の8月のことです。
母の日記を昨日読みましたが、そのころから少しずつ痛みが出てきていたようです。それも私は気づくことができませんでした。
苦しい治療の合間で、母の念願だった四国八十八か所めぐりに行くことができ、
先月10月には和歌山の高野山にお参りに行けました。その時もかなりしんどかったようです。
10月20日から最後の抗がん剤治療を行いましたが、もともと腎機能が悪く、予想以上に腎機能が悪化していたため、体にかなりの負担になったようです。10月27日に1度退院しましたが、10月29日 頻回の嘔吐のため夜間に緊急入院し、そのまま家には帰ることができず、逝ってしまいました。
11月5日ごろから胃の激痛のため、麻薬での疼痛緩和を行い、痛みはコントロールできていたので楽だったと思います。
11月10日 朝より急に血圧が下がり、酸素飽和度も下がり、意識も朦朧とした中で、
何時間も「せこい、苦しい」を繰り返し、見ている家族はとても辛かったですが、
よく頑張ったと思います。頑固で我慢しなくていいところで我慢する母が、「苦しい」といっていたので、かなり苦しかったんだろうと思います。
主治医の先生からは8月の時点で早くて半年、長くて1年といわれていましたが、駆け足で天国に引っ越ししていってしまいました。
自分が動けなくなった時が心配だと言っていた母なので、悪くなって短期間で亡くなったので
苦しい期間も短かったので、良かったのではないかと思います。
でも、母はまだ57歳、私も24歳。これから楽しい老後を迎え、私が親孝行していくはずだったのに、それが悔やまれます。
まだ母に電話したら、メールしたら返事が返ってくるのではないかと思うぐらい、実感はわきません。でも、苦しい闘病生活・痛み・死への不安などから解放され、自由になることができたので、とてもよかったのではないかなと思います。
私自身の涙はまだまだ止まりそうにありません。悲しいですが、母が苦しみから解放されたので、妙な安心感もあります。
母の死をしっかり受け止めていきたいと思います。
お母さん、お疲れ様!24年間育ててくれてありがとう。またね。


3年7か月このサイトを見て、とても励ましになっていました。これからも、このサイトを見ていきたいと思います。ありがとうございました。

Re(1):3年7か月・・・素晴らしい人生でした。ご冥福を
 すずき  - 08/11/11(火) 14:42 -

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   ▼ひでみんさん:
はじめまして。
3年7か月の闘病で、57歳の人生とは余りにも短かったですね。
でも、お母さんは最後まで前向きで、念願だった四国八十八か所めぐり
も成就されて、良い人生であったと思います。
今頃は苦しさからも解放されて、天国からご家族の暖かい看護に感謝しながら
皆様を見守られていることと思います。

ひでみんさんのメールを読みながら、他人ながら悔しくてこみ上げてきました。
ました、ご家族の方はその何倍も悲しみにくれていられることと思います。
でも、あ母さんは一日も早く皆様が普段どおりの生活に戻られ、新しい目標に向かい
生きられることを願い、見守っていられることと思います。
そうは云え、私もいまだに家内と一緒に生活しています。頑張りましょうね。

Re(1):3年7か月
 ちゅん  - 08/11/11(火) 23:42 -

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   ▼ひでみんさん:
はじめまして。同じ立場の者として、本当に胸が痛みます。
夏からは特に見守る御家族も大変辛かったことでしょう。
ひでみんさんはまだお若いので余計にいろんな気持ちがあふれているのだと思います。
お母様はこれからもひでみんさんの傍でひでみんさんの人生を見守っていらっしゃることでしょう。
どうかお母様のようなステキな女性になってください。
お疲れ様でした。御冥福をお祈りいたします。
今は泣きたいだけ泣いて下さいね。
ゆっくり、少しずつ、前を向けるようになることと思います。

Re(1):3年7か月
 みい  - 08/11/27(木) 22:05 -

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   ▼ひでみんさん:

ひでみんさん初めまして。みいです。
私(34歳)も9月25日に母(60歳)を亡くしました。
母もひでみんさんのお母様と同じくらいこの病気と闘いました。丸4年です。

私もまだまだ立ち直る事ができず、必ず毎日胸がグーッと痛くなり、母の笑顔や病と闘っていたことを思い出しては、多量の涙が出ています。すずきさんが日を増すごとにその気持ちも増すばかりとお話していらっしゃいましたが、全く同じ気持ちです。

母が悲しむから明るく前向きに生きなきゃと思う反面、全てに無気力になってしまってただ何となくやり過ごしてしまう時もあります。

私も毎週会っていたし、毎日朝晩のメール、電話を欠かさなかったので、本当にまだ電話で話せる気がします。メールがかえってくる気がします。

ひでみんさんの投稿を見て、私だけじゃないんだと思いました。
本当に、本当に、辛いですよね。

母が亡くなって2回の月命日が過ぎていきました。
信じられないかもしれないのですが、1回目の月命日の前日に私の携帯に母からの着信があったんです。私は直ぐに出られなかったので折り返したのですが、もちろん出ませんでした。
父がちょっとイタズラしたんだと思い、父の携帯に電話してみたら、仕事で表にいて母の携帯は家にあるとの事。
その頃私は本当に落ち込み、食事が全く受け付けられず、もともと痩せ気味なのですが更に4kg痩せてしまっていたし、引きこもりみたいに家から出ず、日差しを浴びると眩しくて・・・と言う状態だったのです。
・・・・・その電話は母から心配の電話だったのではないかな〜と思っています。夜までに何回も何回も鳴らしましたが、母は出てくれませんでした。

天国の人と話が出来る携帯があったら欲しいですね。

胸がつまり、暫くすずきさんのところもおじゃましていませんでしたが、今日久々に寄らせていただきました。こうしていてもまだ涙がどんどん出てきますが、今は少しずつ笑う事も出来るようになったし、母の分も孫であった息子を可愛がろうと毎日過ごしています。

大好きな人が逝く事の気持ちは皆同じなのだな、自分だけではないのだなと心に響きました。

ひでみんさん、すずきさん、ありがとうございます。

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