トルコ旅行記 2010年 11月2日〜9日
旅のきっかけ
今回は○○○旅物語の格安ツアーです 99、800円 あれこれ調べた結果一番安かった
5つ星ホテル、全行程食事付きという安さです
ツアーの本を見ていると8日、10日間、と日程は違うが、どれを見ても内容は変わらない、ならば安いほうで決定です。
8,9,10月とほぼ毎日ツアーが組まれていましたが、10月は満席、一番早くて11月2日でした
何と日本人旅行者の多い事、きっとトルコは日本人でいっぱいでしょう
ところで、トルコの正式名称は、トルコ共和国という。
首都イスタンブールの緯度は北緯41度。
日本に比べ、面積は日本の2倍、人口は半分、時差は、わたしが訪問した11月は、サマータイムではないので−7時間だった。
国民の99%はイスラム教徒で、国土の北は黒海、西はエーゲ海とブルガリアとギリシャ、
南は地中海とシリア東はイラク、イラン、アルメニア、グルジアに面している。
トルコ人は、大変親日家だ。2、3挨拶を覚えておくだけでも交流の輪が格段に広がるだろうと希望的推測。
おはようございます ギュナイドン (牛丼ない) と覚える
こんにちは : メルハバ
お元気ですか? : ナスルスン?
元気です : イイイム (イイ=良い、イム=私)
とても元気です : チョギーム
ありがとう : テシェキュルエドリム (テイシュくれ)と覚える
トルコへはエアロフロート ロシア航空 初めての利用です。
成田を13時05分発です。
モスクワで乗り継ぎです、順調に行けばイスタンブールに21時頃着いてその日はベットでぐっすり眠れる予定でした
成田に到着して手続きをしている間にトラブルが起きてしまった、モスクワ発18時40分のイスタンブール行きが欠航にになったのだ
いきなり悪い知らせ、次の便は22時25分、日本時間にしたら深夜です、空港で4時間も待たされてしまった
ベットに入ったのが2時、明日は7時半にはホテル出発です、でも3,4時間ベットに横になれた、前向きに行こう。
「前向きに」この後この言葉をガイドから何度も聞く事になった。
日程
1日目 | 成田発13.05分 | モスクワで乗換イスタンブールへ | アギュン・イスタンブールホテル |
2日目 | バス移動約500K | トロイ・アイワルク着 | グランドテミぜルホテル |
3日目 | バス。 約450K | ベルガマ・エフェソス遺跡 バムッカレ着 | コロッセアホテル |
4日目 | バス・約650K | コンヤ・ カッパドキア | ウチヒサールカヤホテル |
5日目 | バス・310K | アンカラ 発イスタンブール | 寝台列車 |
6日目 | 市内観光 | アギュン・イスタンブールホテル | |
7日目 | イスタンブール発14.05分 | モスクワ乗換成田へ | |
8日目 | 成田着11時25分 |
トルコは広いのでバスでの移動に時間がとられます
まずはガイド紹介
今回この旅行に同行してくれるガイドさんはアルベルさん、日本語がとっても達者、でも日本には1回しか行に行ってないとの事です。
トルコ大学、大学院と7年かけて卒業したインテリさんです
肌の色もアジア系でお顔もどちらかと言うとアジア系、なんと言いましょうか鎌倉に鎮座するお方に似ているような、是非並んで座っていただきたい
添乗員はかわいいお嬢さんの羽田さん、40人のおばさま方を束ねるにはいささか役不足かと思いきや何と29歳、バリバリの添乗員でした
今回のメンバーは40人、50代〜70代のご夫婦が10組、親子ずれが2組、後は年齢不詳の女性どおしの後気楽組というメンバー
しかしみたところ海外慣れした方々と言ったところで、やはりこの先を考えると「大変ダナー」と予想される
11月3日
イスタンブール〜トロイの遺跡〜アイワルク泊
ダーダネス海峡をフェリーで渡りヨーロッパ側からアジア側に行きます
もうエーゲ海がすぐ目の前です。
観光シーズンは混んで予定したフェリーに乗れない事もあるとか? 私たちがを降ろし昼食を食べている間にバスだけ並んで早い時間にフェリーに乗れるようするとガイドが行っていた。
左は埠頭わきの食堂。
おばさまは旅行時間は1分たりとも無駄にしません
海峡を渡る2,30分の間も、
日本語を話せないお土産を売るお兄さんを捕まえて、
交渉開始、船内は一瞬にして大きな笑いに包まれた、
たくましい・・
トロイの遺跡
トロイと言えば「トロイの木馬」歴史にうとい私でもこれは知っている、あまりにも有名だ
ここでなぜ戦争になったか紹介しておきましょう
昔むかし、ヘラ、アテネ、アフロディテという3人の女神がおりました。 ある時「誰が一番美しいか」という争いになり、トロイの王子に決めてもらうことにしました。その際、女神たちは言いました。 ヘラ わたしを選んだら、支配権と富をあげます アテネ わたしは、戦いの勝利と、知恵をあげます アフロディテ わたしは、世界一の美女をあげます 王子はアフロディテを選び、世界一の美女・ヘレナを与えられました。 ところが、ヘレナはギリシャのスパルタ国の王妃だったので、彼女を取り返そうと、ギリシャ軍が攻めて来たのです。 王子は戦死し、10年の戦いの後、ギリシャ軍は和睦の証として木馬を残して立ち去りました。 しかし、これはギリシャの作戦でした。 その夜、トロイ城内に引き入れられていた木馬から出て来た軍隊がトロイを攻め落とし、ついにギリシャが勝ったのでした。 |
この木馬、ちょっとチャチイ感じはするものの、これが無くてはトロイは始まらない、観光客もここは何処になってしまう。
さて、現実のトロイの街は、BC3000年からAD400年までの間、繁栄と衰退を繰り返し、前の街を埋め立ててはその上に新しい街を造るということを繰り返した。
従って、掘っても掘っても前の時代の遺跡が出てくる。「トロイの木馬」は6番目の街の時の出来事だ
うーん トルコの歴史は気が遠くなるほど古いのです。
11月4日
ベルガマ 〜 エフェソス〜 バムッカレ
ベルガマ遺跡
青い空に白い大理石の柱、何とも美しい
高台にあり町が一望できる、見晴らしの良いところです。
すごい傾斜の劇場だ、劇に飽きても景色が眺められ、とてもよくできている
でもこの傾斜はすごい
当時はこんなお城だったのか、 右は遺跡途中にある村の子供たち、こんなに小さくてもスカーフはちゃんとつけていた。
トルコの食べ物
結構期待して行ったのだが、朝・晩はホテルのバイキングです、これはそんなに珍しいものはなく、万国共通と言ったところ
しかしチーズの種類は多かった、日本ではあまりお目にかかれない物もあった、きっと羊やヤギのチーずでしょう。
待望の昼食はいつもこんな感じ、 大きく期待は裏切られてしまった
左はサバの塩焼き半びき、それにチーズが入った春巻き1本、羊肉の焼き鳥1本、これにスーップがつく。
中は焼き鳥、これも羊肉、それに豆かジャガイモのスープがつく、それにデザート、もう目が点になるほど甘い。
しかしメインのおかずはみな薄味で ???と言った感じ、食卓には必ず塩があった、勝手に味付けせよ と言うのだろうか
しかし何処のレストランに入っても入り口付近には美味しそうな惣菜が一杯並べてある、どうしてこれを出してくれないのか と 悲しくなってしまう。
毎回完食した人は何人いるだろう。
水の持ち込みは禁止、持ち込むと買うより高く持ち込み料を取られる
なかなか商売上手だ、必ず何か頼む事になるのだが、食後のコーヒと言いたいが、トルコには名高いトルココーヒがあるじゃないですか
小ぶりのカップにそのままコーヒ粉末を入れ湯を入れたようなドロドロで一口でたくさん、ネスカフェが美味しく感じられた。
お値段はだいたいチャイで2〜3トルコリラ、アップルテーのチャイで3〜4リラ、ビールで6〜7リラ、ヨーグルトドリンクもよく飲まれるが、
こちらのは甘くない、塩を入れて飲むと言っていた。
トルコ人は一日に10ハイもチャイを飲むとの事、お茶好きというか話し好き!!のようだ
果物は豊富です、特にこの季節はザクロが何処に行っても山のように積まれていて、これが甘くて美味しい、
これを絞った生のジュースは最高に美味しかった。
トルコのピザ、トルコではピデと言う、思い浮かべるピザとは別物でした、
中の写真ライスにポテトとチーズを混ぜ合わせ、上に味付けお肉をパラパラとかけたもの、好みでした。
エフェソツ遺跡
古代ローマ都市エフェソツ かなりきれいに復元されていて、見ごたえがある
右 左手に月桂樹の冠を持つ「勝利の女神・ニケ」のレリーフがある。ニケをアルファベットで書くと「NIKE」。そう、ご存じ「ナイキ」の起源だ。
残念私の靴はナイキではなかった、ここでナイキをはいていると何となく、ヤッタネー となるらしい
右 今にも使えそうな公衆トイレ、この下には水が流れていて臭いは無いそうだ
横並びで、社交の場でもあった と言うから驚きです、青空の下用を足すのはいかにも気持がよさそう、しかし腹具合が悪い時は個室がよかろうと思う
当時のままのモザイク模様の通路 大劇場
ケルスス図書館
エフェソツ〜約200K いよいよパムッカレへ
途中トルコの代表的なお菓子ロクムを購入、一般に売られているロクムは1度焼きなので、賞味期限が短い、しかしここのロクムは2度焼きなので1年は大丈夫
ガイドの説明です。観光バスがズラリと並んでいます、ツアーの定番コースでしょう。ここで降りた人全員100%買っていた、商売がうまいなー
そういう私も10個も買いました、そうすると1個おまけしてくれます。