2023年4月1日に福島県富岡町夜の森 地区が避難指示解除になりました。
「2011年3月11日」あの東日本大震災からまる12年が過ぎ、やっと避難指示区域の一部である此処夜の森地区が、避難指示解除になりました。
そこで富岡町では桜祭りを決行することにしたのです。祭りと言うとニュワンスが違うと思う方々も居られるかもしれませんが、敢えてこの事を決行される富岡町の人達の気持ちを、私は厳しく理解したつもりです。
苦難の12年です。何の罪もない人々が、住む土地を放射能に追われ、余所で暮らされてきたこの12年です。
昼時の夜の森通り | 交差点の小広場 |
夜の森通りの桜街路樹は上の写真です。祭り期間中ですが、ご覧のように人通りは有りません。
歩道際には照明器具が設置されていて、時間になれば点灯することでしょう。
右側の写真は、交差点のロータリーの様な広場です。モニュメントの傍の桜がオレンジ色の菌類(キノコ?のマスタケ様の物)がびっしり生えてしまっています。山奥であればこの種のキノコはマスタケと称して食用キノコですが…? 人々が避難している間に、この種の菌がはびこった訳でもないでしょうが、早めに駆除すれば樹は回復することでしょう。そのままにしていると空洞が出来てしまいます。
石碑には「花吹雪 南二丁目 三丁目」と縦書きに三行ありました。私の解釈ですが、桜並木の花吹雪。南二丁目と三丁目の境の小公園広場。左隣りに別のモニュメント。私は美的センスが欠乏しているので、モニュメントの趣旨(表現)は不明です。周辺を彩る花々はパンジーのような?奇麗な赤白黄色の花です。
道路脇の宅地で解体撤去した家屋跡は、写真を撮りませんでした。
通りの桜は数十年から100年近くの老木のソメイヨシノです。管理も良くされていて、痛んだと思われる枝は剪定がされていて、皆元気な桜です。
昔は「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と言ったものですが、弘前市の公園管理者が老化して痛んだ枝を切ったら、元気な枝が生え生き返ったといわれ、今では痛んだ枝を切り落とし、消毒して保護することが各地で行われているようです。ソメイヨシノはテングス病にやられているのを各地で見受けます。
夜の森地区も住人の皆さんが帰宅して、以前の賑わいが戻り、この桜通りが人出で一杯の桜祭りが早く来ることを願いつつ夜の森を後にしました。
10年前に震災状況を見学するためにこの近くまで来て、原発事故の通行止めで迂回した葛尾村、田村市、二本松市へ向かいました。
合戦場のしだれ桜 |
国道6号ー288号―399号ー葛尾村ー459号ー349号二本松市旧東和町道の駅さくらの郷に到着。
此処で食糧を購入。道路案内板を見ると「合戦場のしだれ桜」が目に入る。ロードマップを広げると事前にちょっこと調べたこの桜の位置が出てきた。夕方が迫っているが、近くなのでまだ間に合いそうだ。
合戦場のしだれ桜までは2〜3kmなので出発。数分で桜まつり会場に到着。露天も出て賑やかである。前回も夕方でしたが、今回は大勢の人出で、雰囲気がまるで違う。花も満開で絶好の季節。桜を鑑賞できる長椅子が幾つもある。露天のおでん(玉こんにゃく)を食べながら、皆さんと並んで座り、私達もその中の人となりました。
2013年の「あらためて東日本大震災」をご覧いただけるとその差が歴然です。
桜の生えている所:二本松市東新殿字大林142
この桜を観た後は、近くの旧東和町内の「道の駅東和」駐車場で車内泊をしました。
明日帰り道に三春の滝桜を観たいがためです。
もう随分昔に小学校の同級生達と、同窓会を兼ねて見学したことがありました。その時は花のシーズは過ぎ、6月ごろであったかもしれません。
今回行ってビックリしたのは駐車場の整備が進んだのと、観光客の多さでした。丁度満開です。
滝桜を観て、郡山市に向かいました。国道4号を走り、白河市からはいつものコースで家路につきました。
事故なく夕方暗くなる頃に我が家に着きました。
無事故に感謝です。
前回のルートを顧みる
2013年の大震災後にこの近くを走行したが、国道6号線は原発事故で通行止め。迂回せざるを得なかった。この度改めて迂回ルートを振り返ります。
2013年5月3日に我が家を出発。途中で茨城県北部、北茨城市内の津波被災地や福島県南部のいわき市海岸部を見学。
楢葉町には午後到着。更に北上をしたかったのですが、楢葉町役場から1km位北上した所で、国道6号線は原発事故のため通行止め。
相馬市や仙台市方面に行きたかったのですが、北上するには大きく西側に迂回するように警察官の指示を受けました。そのルートを振り返ります。
来た道を国道6号と県道250号交差点まで戻り、西側に曲り、県道35号を南下。(もしかすると、県道35号を南下しないで、6号国道に平行な県道35号を北上して、県道36号に合流左折西進したかも知れません。??通行止めは国道6号だけであったかもしれません。健忘症?)
広野町で県道249号ーR399号を走ります。川内村を過ぎ国道288号と交差左折。更に国道399号を北上。県道50号と交差し、クランク状に葛尾村役場前を更に北上。登舘峠(のぼたて)を登った所で通行止めのゲート。登って来た道を葛尾村役場まで戻り、県道50号を西進する。船引町で国道349号と交差、右折北上。国道459号と交差。更に北上。国道349号と分かれる三叉路をさらに直進する。少し走ると左側に立て看板を発見。説明には「合戦場のしだれ桜」とある。何か由緒があるようだ。更に西進して二本松市で国道4号と合流する。以後のことは「あらためて東日本大震災」をご覧ください。
前回登舘峠で通行止めであったがあと3km進めば国道459号と合流できたことを知る。今回は直進して国道459号で国道349号に合流した。
今回この辺りのことはすっかり忘れていて、合戦場の桜に着いてから何となく思い出してきました。
迂回路は県道を走っても国道を走っても走行距離は同程度でした。
原発事故で避難した人達のこと
2011年3月11日、東日本大震災が発生し、私も建設会社で仕事をしていたので、暫くの期間は災害関連の仕事が忙しく、震災地に行けたのは2013年5月になってしまいました。
大震災の年の5月下旬に少し時間を作り、福島県南会津町に出掛けました。その折、旧南郷村の古町で小さな保養所の温泉に行きました。男湯に入ると2人の小父さんが入っておりました。挨拶してもちょっと会釈しただけで、3人でしばらく無言でした。そのうち何となくボソボソ話し出しました。お二人が言われるのには南相馬市から3000人ほどでこの地域に避難されて、お世話になっているとのこと。その人曰く「地震も津波も自然現象だから我慢をしなくてはならないが、原発は許せない」また「昭和40年代から原発関連の仕事があり、確かに地域は豊かになりました。しかし、今回の事故は許せない」と。
私は何も言えずにお聞きしていました。
温泉から上がり、休憩室に寄ると避難されてきた大勢の人達が休息していました。皆さん小さな声で会話していますが、静かな休息室で、早々に退出しました。
この事で私は震災、津波、原発事故をずっと考えています。
夜の森桜祭り
このような経緯もあり、4月に入りラジオニュース「夜の森桜祭り」を小耳に聴いて、何も準備せず出発したのです。
祭り会場周辺を散策して、原発事故と「夜の森地区」のことを考えています。
南相馬市の避難者の言葉も胸に強く残っています。あの小父さん達もご健在なら、80歳を超えていることでしょう。
原発事故を思う
今回の富岡町夜の森地区の桜祭りを鑑賞して想うこと。は、原発事故のその後です。
私がそうであったのですが、地震、津波、原発事故の当初は大変心配していました。しかし、先日夜の森へ行って反省することは沢山あります。。
ここ数年は正直言って原発事故のその後を、おろそかにしていました。現地の近況をほとんど知りませんでした。
それがラジオニュースで「夜の森地区の避難指示解除」を聴いて、ハッとしたのです。
そこで取る物も取らずに4月5日に家を出て、夜の森の桜祭りに出掛けました。
現地に着き、現場を散策しました。未帰還者の家がほとんどでした。わずかに帰還したと思われる家が何軒かありました。
この欄の前半では少し遠慮した書き方をしたが、帰還者は思いの外少ないというのが実感です。
そこでネットでこの種のブログなど検索してみました。動画も含めて初めてその実態を拝見しました。
その結果は避難指定解除前の資料では、想像していたような荒地化でした。そのはずですよね。人が住んでいても、あっと言う間に夏草は繁茂します。12年間も無住では雑草が繁茂して当然です。
今回拝見して、それが奇麗に除草されているという事は? 最近になって何方かが除草や清掃をされたという事なのでしょう。
それにしても12年間は長いです。住環境をみてもそうですから、住んでいた人達の避難先での生活は如何でしょう。慣れない土地で、土地に馴染むこともさぞかし大変であったことでしょう。生まれ在所であれば気心の知れあった者同士ですからツーカ―で何事も進んだことでしょう。
見ず知らずの地では、そこの人達への遠慮も大いにありますでしょう。
ネットのグーグルマップを見ました。そしてストリートビューを見ながら、被災地を転々と走りました。
驚いたことにグーグルマップのストリートビューの写真は以前の物で、被災地住宅は荒れ地のままでした。
例えば夜の森地区では旧リフレは雑草が生い茂り、建物が残っているのですが雑草で見えないくらいです。
南二丁目、三丁目の交差点のロータリー様小公園?は道沿い幅1m位の雑草が刈り払われて(写真の奇麗な花のエリア)、それ以外の中心部は雑草が生えている状況。また上の写真でオレンジ色の菌類も生えていました。
除染作業で家々の雑草を除去したようです。それが何時かは調べていませんが、庭の状況から推測すれば2023年が明けてからと思われます。若しかすれば避難指定解除直前であったかもしれません。
夜の森地区の人達や、富岡町の多くの人達のこれまでのご苦労は計り知れません。また、これからも問題は山積みで、いつまで続くか分かりません。何かあれば外に向かって発信してください。
老体で何も応えることはできませんが、やれる範囲で頑張っていきたいと考えています。
今回初めて「夜の森の桜」を観させていただき、何もしていなかった事を恥じて、この様な世迷言を記しました。(2023/4/16)