古代史解明の見通しについて

 古代史解明の見通しについて概要を述べます。

 古代史解明のためには、まず3世紀の日本を甦えらせるのが順序だろうと考えています。

・ これまでのところ、3世紀の大和地方の初期の主要古墳の被葬者と編年の体系はほぼできました。

・ そこからさらに逆のぼって、紀元前1世紀の天照大神の時代かもう少し古いところまでは大ざっぱな年代割当てができそうです。

・ 2世紀後半には皇位継承の不連続があり、倭国大乱と卑弥呼(倭迹迹日百襲姫)共立に関係あります。

・ 6代孝安の出自は大きな謎で、600年後の記紀の成立事情にまでも大きく関係していそうです。

・ 神武紀元は後漢朝見のあった57年頃が目安です。

・ 北部九州の平原遺跡はそれ以前の神武天皇両親(鵜葺草葺不合命、玉依姫)の墓ではないかと考えています。

・ 欠史8代のお墓が見つかりつつあります。もちろん初代神武〜9代開化までのいわゆる欠史学説は誤りであり、実在したものとします。

・ 主要参考文献はホツマ伝(吾郷清彦訳解『全訳秀真伝』、新国民社)です。これが無いと3世紀の編年作業はじめ古代史の解明は不可能です。

・ ホケノ山古墳が7代孝霊天皇の墓であることは確信しています。孝霊天皇富士登山の記録がホツマ伝にあり、実証としてホケノ山古墳の近く(徒歩10分位)に富士神社があり、更に50m先に倭迹迹日百襲姫を祭った神御前(かみのごぜん)神社があります。 馬坂陵のもとの意味を考えて三輪地方の”美味い酒”かと考えました。

・ 纏向石塚古墳が8代孝元天皇の墓であることは確信しています。3世紀第1四半期後半との築造年代が自説による年表とピッタリ一致します。


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