2000.10.28版
大古墳時代開始の謎?

 大古墳時代開始の謎にせまる学識クイズを1問。古墳づくりの家元の娘がキーポイントです。みなさん考えてみてください。模範解答は下の方にあります。

(本文) お父っつぁんが今までになく新しい大きな古墳を造ったので、あたしも亭主も子供も孫も..兄弟親戚みな大古墳ということになって時代は始まった!

(問1) "お父っつぁん"の名前とお墓は?

 −ヒント−大きな新しい古墳とは奈良盆地にある箸墓古墳です。

(問2) "あたし"の名前とお墓は?

(問3) "亭主"とは誰でしょう、又お墓は?

(問4) "兄弟"とは誰でしょう、又お墓は?

(問5) "子供"とは誰でしょう?

(問6) "孫"(男3人)とお墓は?

−クイズ解答−

 大古墳時代開幕の謎を解く鍵それは大彦命と御間城姫の親子の家系です。正に大古墳築造家系と申せましょう。ここに着眼すれば奈良盆地東南部の6基の大型古墳はじめ謎を次々と解くことができます。

 以下の模範解答は自説そのものです。

 箸墓古墳(247年頃亡くなった倭迹迹日百襲姫の墓)築造の当初、崇神天皇30才位、大彦命(先代開化の兄)50才位で大彦命には大きな実権がありました。箸墓古墳築造では計画から工事の全般に大彦命が大きく関わっていました。となるとその大彦命が亡くなったときにも大古墳ということになり、奈良県桜井市の茶臼山古墳が該当します。そしてその子供で崇神天皇皇后となった御間城姫にも当然ながら大古墳..ということになります。

(問1答) 大彦命、茶臼山古墳。

(問2答) 御間城姫、下池山古墳。

 下池山古墳一帯の古墳群は、崇神の妃や皇女などの墓ではないかと考えられます。

(問3答) 崇神天皇、西山古墳。

 古事記には、御陵は山の辺の道の勾(まがり)の岡の上とあります。下池山古墳の方から北に向かって行くと、山の辺の道は西山古墳の手前で大きく曲がっています。そして岡の上という表現もぴったりで、ゆるやかな坂道を下っていくと勾田の地名が現存します。

(問4答) タケヌナカワワケ、メスリ山古墳(奈良盆地南側)。

(問5答) 垂仁天皇、ほか。

(問6答)

・ オシロワケ(景行天皇)、渋谷向山古墳(奈良盆地東側)。近くの行燈山古墳は景行天皇皇后の播磨稲日太郎姫。

・ ホムツワケ命、新木山古墳(奈良盆地西側)。近くの巣山古墳は、イオキイリヒコ命でしょう。

・ イニシキイリヒコ命、西陵古墳(大阪府泉南郡岬町)。延喜式に宇度墓とありますので、この方面の西陵古墳でしょう。



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